第13話 光と闇の癒し

 イワン王に促されて、ボリスは子竜の前に進み出た。板張りの床に膝をつく。彼は音をたてないように懸索を解き、自室を出るとき持ってきていた愛用の『雷光剣』を革帯から外し、子竜の視界から外れた場所に置いた。

 それを見たソーニャが王子の考えを察し、手振りで将軍に示すと、子竜からは見えない部屋の隅に下がる。子竜を警戒させてしまうような鎧姿を見せないためだった。


 寝息のなかから苦痛に耐えるような呻きがもれている。それを耳にしたボリスは、黙ったまま両手を子竜の身体に翳した。

 ペトロフ将軍が息をのみ、身を乗り出すのを、イワン王が目で押しとどめる。


 ボリスが目を閉じると、彼の両手から淡い真珠色の光があふれた。光の温かさがじわりと手のひらに広がる。それと同時に、光の中央に冷たい闇が生まれるのを感じた。渦巻く闇の外側から光が波うち、子竜の身体へと広がっていく。光の波動と同じ間隔をおいて、ボリスは子竜に呼びかけた。

 真珠色の光が子竜の体を覆いながら吸収されていくと、闇が渦を強くして、なにかがボリスの手のひらから入ってくるのを阻止した。


 子竜の黒い睫毛がぴくりと揺れる。


 そっと、そして優しく、決して驚かせたり怖がらせたりしないように、呼びかけを強くしていくと、子竜のまぶたが揺れた。


 ──目覚める。


 そう思った途端、子竜はまぶたを開いた。


 フョードルが息をのみ、ソーニャが呼吸を止める。ペトロフ将軍は左手で剣の鞘を握りしめた。国王だけが泰然自若としている。


 けがれのない、無垢な輝きを放つ黄金色の瞳が半分ほど現れる。ボリスは両手を子竜から離した。眠たげな瞳がボリスの顔を捉え、誰何した。


 ボリスは好意的な微笑を浮かべつつ、平素以上に穏やかな声を出すよう、努める。

「起こしてしまってすまない。僕は神人で、名はボリスだ。君に急いで教えてもらいたいことがあるんだが、いいかい」


 神人と聞いて、好意的な響きが子竜の咽喉を震わせた。空高く飛翔する竜族や、一部の精霊、妖精たちは、まだ神人と天空人の存在を知っていて、なおかつ人間には秘密にしてくれている。

 天空人狩りという、凄惨な大量殺戮の事件の後、彼らは、空の民が大空の高みに生きているということを人間に気づかれないよう、できるかぎりのことをしてくれていた。決められた日、決められた者以外の何者かが、むやみにリベルラーシに近づかないという暗黙の了解があるのも、それが理由である……。


 ボリスは口元に微笑を浮かべ、子竜に近づいて、がっしりとした紅い顎を撫でた。子竜の目が細くなる。


 名前を訊くと、子竜は嬉しそうに尾を振って、空のバケツが三つばかり転がったような唸り声を発した。その響きは、ボリスたちの耳には『みなの子ウルピノン』という言葉として伝わった。


 ボリスはウルピノンに父王を紹介し、それから壁に直立不動で張りついているソーニャとペトロフを呼んだ。

「彼は、空の民の全軍を指揮しているペトロフ将軍。そして、彼の娘であり、この城とリベルラーシを護っている、警備隊隊長のソーニャだ。それから……」

 ボリスが振り向くと、侍医の頭は、何やら小瓶から緑色の液体を飲んでいた。小瓶のラベルには、『緊張緩和薬』という文字が几帳面に並んでいる。


「彼は君を手当てした医師で、名前はフョードルだ」

 小瓶を上着の内ポケットにしまっている侍医の頭を、ウルピノンは好奇心のこもった瞳で見つめる。しかし、いつまでも観ていたいほどの興味は感じなかったらしく、人懐こい黄金色をした瞳は、ボリスの顔に戻った。


 全員の名前を教えるとボリスは急いで呼吸を整え、質問にうつった。


「ウルピノン。さっそくだが……君は発見されたとき、嵐の中で雷に打たれていた。竜族である君が、どうして雷雲に捕まってしまったのだ?」

 ウルピノンの瞳に、戸惑いと混乱が生じた。


「ばかな。判らないはずがない。竜種が……」

「父上」

 ペトロフ将軍の発言をソーニャが遮る。だが、ボリスはその言葉をそのまま胸に浮かばせていた。


「君は、竜族の気象を感じとる能力を持っているのだろう?」

 ウルピノンは、すこし気分を害したように、強く頷く。

「それなら、どうして、火傷を負うほど雷に打たれていたのだ?」

 暫くの沈黙の後、ウルピノンはやはり、解らないと答えた。


 ペトロフ将軍が空気を張りつめさせるなか、ボリスは方向転換の必要を感じた。

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