第14話 子竜の話
「それじゃあ、君はどこに向かっていたのだ? ドルゴランから飛び立った目的を教えてくれ」
困惑のまなざしがボリスを叩く。
「ただの散歩で、これほどの上空にまで来たということかい?」
ボリスの声音は、ぎりぎりのところで平静を保っている。だが、フョードルの表情は無気味さに歪んでいた。
峻烈にやりとりを見守るペトロフ将軍の横で、ソーニャが腕を組んだ。
「待ってくれ、ウルピノン。順番に思いだしてくれないか。ドルゴランから散歩をするために飛び立ってから、どんなふうに、どこを飛んできた?」
ウルピノンの語るところによれば、最初はただ、ドルゴランの領空をぐるりと回るような飛翔をしていたという。しかし、それでは物足りなくなり、途中で南東へ向かった。
いくつか山脈を越えると、雲を突き破ってしばらく飛び、月を眺めた。やがて雲の下に降りたが、そのときは既に他国の領空であることが判った。そこでドルゴランに帰ろうと思ったところまでは憶えているらしいのだが。
「声がした……?」
ボリスの確認に、ウルピノンが頷く。
「ウルピノンよ。その声というのは、どのようなものだったのだ?」
どっしりとした声の問いに、ウルピノンは首を持ち上げた、ボリスと同じ色の長い髪と澄んだ目の色をした男が、威厳にあふれて、たたずんでいる。その身から周囲へと放たれている雰囲気は、竜王のそれとよく似ている。
ウルピノンは、望郷の想いとともに、竜王は心配してくださっているだろうか、あるいは怒っておいでだろうか、と考えた。
「ウルピノン?」
そうだった。
声……。あの声は、いままで聞いたどんな声よりも綺麗で、悲しげだった。
絶望と使命感がひしひしと押しよせてくるような声。はるか彼方から聞こえてくるような、弱弱しい、しかし決して捨ておけない声。救援を乞うようでもあり、助力を命じるようでもある……。
「救援……? それは、誰からだったのだい?」
ウルピノンの両目はボリスを超え、どこか遠くの風景を見つめる。
どうしても行かなければならない。自分を呼ぶ者がいるのだ。どうしても、そこへ行かなければならない……。
そう強く感じたことまでは、しっかり憶えていた。しかし、その後のことはウルピノン自身にもはっきりしない。
ウルピノンは、おそろしく綺麗な人間の少女を背に乗せていたことは口をつぐんだ。命を助けてもらった者に誰にも教えるなと言われたことを、高潔で誇り高い、誠実な竜族の血が守らせたのだ。だが、それだけではない。
いまになってみると、美しい人間の少女を乗せて上空に舞いあがったなどというのは、まるで夢のように感じられる。
人間である彼女には、竜族である自分に、何かを命じるどころか、希うことさえ無理なことを考えれば。
人間と竜族は、本来、言葉も心も通じない。
「それなら……ウルピノン。これは思いだせるだろう? 雷雲に捕まったとき、君は、背中に誰かを乗せていたのではないか?」
竜族は、決して嘘偽りを言ってはならない。
ウルピノンは正直に答えた。
「それは、人間の少女じゃないか? 綺麗な金髪の」
たちまちウルピノンは葛藤のなかに放りこまれた。しばらくの間、逡巡した挙句、彼は結局、正直に答えられないと伝えた。
「どうしてだ?」
ボリスが問うと、ウルピノンはもう迷わなかった。
「誰にも教えないという約束だからだって? それは誰と交わした約束だ、ウルピノン?」
しかし、子竜の答えは“わからない”だった。失望に肩を落としかけたボリスの後ろから、脅しをかけようと身を乗りだしたに違いない父親を遮ったソーニャの声が割って入る。
「ウルピノン、その約束をした者がどんな者だったか、憶えていて?」
静かな彼女の質問は、ウルピノンの困惑を消し去ることに成功した。無邪気な肯定を聞くと、全員が揃ってため息をつく。
「……天空人の男……といえば、まず間違いなく、ゴルタバでしょうな」
怒りを抑えたペトロフ将軍の低い呟きが告げた推測に、誰もが賛同のようだった。
「君と約束した人は、君を助けた人だな、ウルピノン」
抜かりなくなされたボリスの質問は、ペトロフ将軍の推測を事実と認定した。
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