呪われし声の姫 ~天空城風雲伝奇~ 前篇

汐凪 猗綺子 (シオナギ アキコ)

プロローグ

 冷たく澄んだ冬の夜空を飛んでいる竜は、まだ幼かった。だが、その飛行は、既に長じた竜となんら変わりない。竜族の住まう地域からは遠く離れてしまったが、子竜の心は自由に踊り、焦りは全くない。


 力強い両翼を羽ばたかせ、自由自在に空を舞い、天を翔ける。その快感を知ってまだ間もない子どもの竜は、得意げに高度を上げていく。

 雲を突きやぶり、月面まで飛んでいこうと思ったのか、子竜の首がまっすぐ上を向いた。その鼻の先に白い球体が光を放つ。


 美しく、穏やかな月の姿は、完全無欠な冷徹さをも発している。月を見るたびに、子竜はまるですべてを見通されているような気がした。しかし、それは決して恐ろしいものではない。むしろ、月という存在が、すべてを承知してくれているように感じられて、安心するのだ。


 竜の種族にとっては月よりも太陽のほうが親しみぶかい。それは、竜族が炎の要素を強くもつ生きものだからだろう。しかし、この竜には、影を許さない太陽の強さは、いささか近寄りがたい。彼は、暗いよりは明るいほうが好きだが、まぶしすぎるのはかえって窮屈に感じられてしまう。


 母を知らない子竜は、夜毎天に現れる月の女神セレーヌに、ただ憧憬しているのかもしれない……。


 子竜は長い尾を下げて翼を振ると、雲上に立つような姿勢をとった。しばらくそのまま月を眺め、それから浮力を保ちつつ、雲の下へと降りていく。白い霧状の雲のなかで水に撫でられて、びしょ濡れになった。しかし、寒くはない。



 初めての長距離飛行にも疲れを感じていなかったが、さすがに無断で他国にまで飛んできたことは、子竜の心に次第に帰路を勧めた。

 

 ──竜王に見つかる前に、竜の国ドルゴランに帰らなければ。

 

 そう思ったとき、すぐそばの山の頂から発された不思議な響きを感じとって、子竜は両眼を山のほうに向けた。ふるさとの山とは違い、その山は緑で覆いつくされている。その頂上に、石でできた人間の住居が見えた。



 竜は首を傾げずにはいられなかった。



 自分を呼ぶ響きは、確かに石の建造物から放たれている。弱弱しく切ない、しかし抗いがたい呼び声。

 ほかの場所からは、静かな波動しか感じられない。この振動音は、確かに山頂の住居から呼びかけている。


 子竜は響きの意味を知ろうと、耳を澄ませた。こころよい、柔らかな響き。豊かな旋律。


 何故だろう。その声音の美しさに、子竜は不自然さを忘れ、恍惚とした。ここは人間の国。竜の種族と人間の種族は、限られた例外を除いて、言葉が通じない。


 それなのに。


 自分を必要とする存在が命じていた。



「こちらに来て。私をここから連れ出して」



 竜は何の躊躇いも感じることなく、響きの命じるままに山に近づいていった。

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