嘘つきな正直もの
由文
第1話
「えー、この方程式は―――」
先生が黒板に問題の解説をカッカッと力強く書き続けている。私はそれをノートにも取らずにぼーっと眺めている。
午後の教室。もう秋も深まり、受験をすぐそこに控えたこの時期では、いつもと比べて少しだけ多くの生徒が授業を真面目に聞いている。私は残りの、真面目に授業を聞いていない側にいる。ふと、目が一つだけ空いている席を映す、そして溜息を一つ。
―――もう終わったことなのになぁ。
少しだけ、本当はかなり憂鬱な気持ちにさせる原因を思い出して、さらにブルーな気分になる。右手でペンを回しつつ、窓の外を眺める。晴れた空には雲ひとつ無いってのに、私の気持ちが晴れない。
「あー。なんかヤダな、こんなの。」
そしてもう一度溜息。
「コラそこ、寺上ぇっ!!!」
先生の怒声と共に飛んできたチョークは、みごとに私のおでこにヒットした。
「あう~、痛いぃ。」
授業が終わって放課後、おでこをさすっていると友達の
「綾、なーに考えてたの?」
そんなことを言いながら、その場にしゃがみ込んで私の机の上に顔を乗せると、そして私の顔を覗き込んできた。
「なんでもありません~。」
そっぽを向いて、友乃の追求から逃げる。友乃は高校に入ってからの友人だ、高校2年のクラス替えのときに知り合った。初対面でウマが合い、それ以来の付き合いとなる。かなり仲が良い方で、二人でしょっちゅう遊んでいたりする。当然、私がこういう時は言いたくない事があると知っている。だから、しつこく追求してくる。これさえなければとてもいい親友なんだが。
「さっき昌平君のいた席見ながら溜息ついてたよねぇ。ああ、愛しの彼を想い馳せてたのか。」
「わ、わぁああああぁっ!」
声のトーンを変えずに、ずけずけとこういうことを言ってくれる。本当に困った奴だ。私は慌てて大きな声を出して掻き消そうとするが、無駄だった。まだ教室に残ってる人間がこっちを見て笑ってる。別に隠す事でもないんだけど、改めて言われると恥ずかしいものだ。というか、友乃に言われると無性に恥ずかしくなる。
昌平―――
いつの頃からだろうか、密かに昌平のことが気になりだした。まあ、片想いみたいなものなんだけど。友乃に言わせれば密かでもなんでもなかったらしい。でも、幼馴染の開けきった関係が気持ちよくて、その関係が終わるのが怖くて、告白はしていなかった。
そんな幼馴染だったわけだが、今昌平は居ない。二週間前に引っ越してしまったのだ。その引越しは突然で、引越しのことを知ったのは学校に来て先生からの話を聞いてだった。親はそのことを知っていたが、昌平からその話を当然聞いていると思っていたらしく、特に会話に出てくることも無かった。まあ、それから二週間が過ぎてしまったわけだ。
「昌平君も突然だったよねぇ。誰にも引っ越すこと言わないで消えちゃうんだもん。」
昌平がいた席を見て、友乃が言う。そう、昌平はクラスの誰にも引っ越すことを言わなかった、幼馴染で仲の良かったはずの私にさえ。それで突然転校しちゃうもんだから、クラスは一時騒然となった。二週間もたった今ではもう落ち着いたけど、結局詳しい事情はわからずじまいだった。
「もう二週間になるのか、早いな。」
時間の流れを感じて、ふと呟く。そうだ、昌平が引っ越してからもう二週間が過ぎてしまった。
「想えど想えど、彼の人は既に此処に居らず…切ないわね~。」
「だからさ、そういう物言い止めてよっ。」
友乃を軽く諌めるが、ふふんと鼻で笑うだけだ。どうやら、私のことをからかい足りないらしい。本当に困った子だ。まあいつもの事なんだけど、いつもの事だから腹が立つ。
「だって、もう会えないんだよ?引越し先、誰も聞いてないって。運命に引き裂かれた二人…ああ、なんかドラマチック。」
あさっての方向を見て一人陶酔してる。傍から見ていて飽きないのだが、ターゲットにされてる人間としては面白くない。
「あぁ、私知ってる。」
独り世界に入ってる友乃が聞いているか分からないので、投げやり気味に答える。誰も聞いてないといっても、先生に聞けば引越し先の住所とかは分かる。というよりも私は親から既に聞いている。住所も、電話も、連絡先は知っているのだ。
「あれ、知ってるの?じゃあ、密かに会いに行ったり連絡取ったりしてるわけ?」
しっかり聞いていたらしい。
「密かにって何よ…。別に連絡とってないし、会いにも行ってないわよ。」
「えぇ、何で~。」
「何でって言われても。どうでも良いことじゃない。」
会いに行く理由が無い。昌平に会いに行く理由が。二週間前までなら一緒に学校へ来たり、帰りに一緒に帰ったり、買い物に出かけるときにつき合わせたり……。特に気にせず一緒に居ることが出来た。だが今、一緒に居るには何か理由が無いといけない気がする。近くに住んでいる仲の良い幼馴染。その関係が、今まで私と昌平を一緒に居させてくれた。だけど『近くに住んでいる』、仲の良い幼馴染でなくなった今、私にそんなことを許してくれる免罪符が無くなってしまった。会いたいが、何しに来たと言われて、答えるだけの理由が、私には無かった。
ため息を一つ。どうも気分が沈みがちだ。こんなことではいけない。ため息をする度に幸せは逃げてしまうのだ。
「ねえ、学校終わったらどっかいかない?」
友乃を誘って、どっかに行こう。カラオケに行ってストレスでも発散するか?ショッピングもいいかもしれない、欲しい服あるし。何かすれば、沈んだ気分も紛れてくれるだろう。
「ねえ、綾。」
「何?」
「ボク、バレー部。」
自分を指さしながら言う友乃。そんなのとうの昔から知っている。
「で?」
「部活あるの。綾みたいにお気楽ご気楽な帰宅部じゃないんだけど~。」
綾みたいに青春を無駄にしているわけじゃないの、と付け加えてくる。大きなお世話だ。てか、そもそも引退してるじゃない、あんた。
「そんなの明日にすればいいじゃない。今日はサボれ。」
「うわ、鬼だ。」
友乃もそうは言っているが、まんざらでも無い様子だった。
「まあ、いっか。で、どこに行く?」
そう言って勢いよく立ち上がると、同年代にしては大きい胸が私の目の前で揺れた。くそ、何かムカつく。
ああ。でも悔しいけど元気でた。
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