第2話 THREE(スリー)
1 市役所
最後にやってきたその男は、
それは俊太郎も同じだった。考えてみれば同業者だ。いつかは出会う可能性はあったのだが、まさかそれが今日になるとは思いもしなかった。
「
「
市役所の若い職員が、男――友部に気ぜわしく声をかける。
「お待ちしておりました。どうぞこちらにおかけください」
その職員が案内した席は、よりにもよって俊太郎のすぐ隣だった。友部は俊太郎を見つめたまま、肘かけつきの回転椅子に腰を下ろした。
三年経っても、友部はあまり変わっていなかった。一つに束ねられた栗色の長髪。洗いざらしのTシャツとジーンズ。そして、完璧なまでに整った美しい顔。
だが、三年前にはなく、今はあるものが一つだけあった。
――左手の薬指にはまっている、金の指輪。
その指輪自体には見覚えはあった。友部の父親がはめていたものだ。確か、友部の両親は五年前に亡くなったとのことだから、友部がその指輪を持っていても不思議はない。しかし、なぜそれを左手の薬指にはめているのか。
「資料をお配りしてもよろしいですか?」
先ほど友部に席を勧めた職員は、円卓の上座に座っている二人の男たちに確認をとった。それに応えて、二人が無言でうなずく。
一人は市長。その隣に座っている、市長よりいくらか若い眼鏡の中年男は、市役所の安全対策課の
職員は部屋の隅に用意されていたA4サイズの封筒を抱えこむと、俊太郎たちの背後から一人ずつ丁寧に配り、静かに退室していった。
市役所の会議室であるこの部屋の中には、現在六人の人間がいる。
上座には、市長と細田。
下座には、左から順に、頑固職人風の薄毛の老人、キャリアウーマン風の若い女、俊太郎、友部。
俊太郎より先に来ていた二人の男女は、俊太郎を見て怪訝そうな顔はしたが口には出さなかった。俊太郎のほうも一応会釈はしたものの、何となく話しかけづらくて、今までずっと沈黙を守っていた。
位置関係から考えれば、彼らは全員俊太郎と同じ立場――妖魔ハンターのはずだった。老人と女が俊太郎を訝しく思ったのは、彼があまりにも若すぎた――来月、ようやく二十歳になる――からだろう。服装もカジュアルだったから、普通の大学生にしか見えなかったのかもしれない。
彼らは友部が現れたときにも表情を変えたが、その種類は俊太郎のときとは異なっていた。そのとき、友部に顔を向けていた俊太郎には、彼らが顔色を変えたことにすら気づけなかったが、もし目にしていたなら、彼らが抱いた感情が恐怖に似たものであることがわかったはずである。
「それでは、ご説明を始めさせていただきます」
細田は立ち上がって下座の人々に一礼し、またすぐに腰を下ろした。俊太郎たちはすでに細田から自己紹介を受けていたが、細田は遅れて来た友部のために、改めて自分たちの肩書と名前を名乗った。
「皆さんは同じ妖魔ハンターですから、すでに面識があるかもしれませんが、一応こちらからお名前だけご紹介させていただきます。……
細田に名前を呼ばれるたび、妖魔ハンターたちは軽く頭を下げた。俊太郎は友部以外はまったく知らなかったが、彼らは細田の言うとおり、すでに互いを知っているのかもしれない。
だが、知っていたとしても、その仲はよくはないのだろう。彼らは挨拶を交わすどころか、視線すら合わせようとはしなかった。友部だけは俊太郎と目を合わせようとしていたが、俊太郎は頑なにそれを拒みつづけていた。
「すでにご承知のこととは存じますが、先日、我が市で市民一名が妖魔の犠牲となりました。お手元の資料をご覧ください……」
二十一世紀。世界中の闇の中で、人を食い殺す化け物――妖魔が大量発生した。一般人はもちろん、時には軍隊すら脅かす妖魔たちを狩る
警察にも「捜査第五課」――通称「妖魔課」と呼ばれる妖魔専門のセクションがあるのだが、そこで行われているのは、妖魔に殺された人々の死体の収容、身元確認、襲った妖魔の識別、鑑識結果の保存などで、妖魔の駆逐は含まれていない。
妖魔の仕業と思しき死体が発見された場合、「妖魔課」が得た情報は、地方自治体の長と妖魔ハンター協会という半官半民の団体へと流される。妖魔ハンターを雇うか雇わないかは、地方自治体の長の判断に委ねられるわけだ。
彼らが妖魔ハンターを雇うことを選択したときに備えて、国は妖魔駆除対策交付金なるものをその地方自治体の人口数に応じて支給している。実状に即していないとの不満の声も多いが、妖魔さえ出なければ遣わずに済むありがたい金でもある。今のところ廃止の予定はないらしい。
その金が貯まっていたのか、この市が提示した報酬は相場よりも大幅に高かった。ただし、その報酬は実際に妖魔をしとめたハンターのみに支払うとした。
一度に複数の妖魔ハンターが雇われることは、多くはないが皆無ではない。しかし、それは犠牲者が多数になった場合――その犠牲者の中には雇われた妖魔ハンターも含まれている――で、今回のようにまだ犠牲者が一人しか出ていない時点で同時に四人も雇われるのは、きわめて異例だった。この市は、万が一妖魔ハントに失敗した際、また新たに妖魔ハンターを探して契約する労を惜しんだのだろうか。
俊太郎は仕事を回してくれた師匠の顔もあるので、断る気は毛頭なかったが――自分以外に妖魔ハンターが、しかも友部が雇われていると事前に知らされていたら、丁重にお断りさせていただいたかもしれないが――自分以外のハンターの誰一人として辞退する者がいなかったのは、正直言って意外だった。
たぶん、みな自分こそがその妖魔をしとめられると思っていたのだろう。
確かに、ごくごくありふれた狩りとしか思えなかった。契約を結んだそのときには。
契約の中には、市が指定したホテルを宿泊場所にするというのも含まれていた。
基本的に妖魔ハンターは自分の宿泊場所は自分で決める。とにかく他人のお仕着せを嫌うのが妖魔ハンターという人種なのだ。むしろ、そんな性向だから妖魔ハンターをやっているのだと言ってもいい。
一応、市内でいちばんの高級ホテルとのことだったが、自分の動きがライバルたちに筒抜けになる恐れもあるため、口には出さなかったが、ハンターたちは不満げな顔をしていた。市にしてみれば、妖魔ハンターを一箇所に集めておけば、彼らへの連絡も彼らの動向の把握もしやすいと考えたのだろう。その気持ちもわからないではない。
まさか、独立後の初仕事がこのような妖魔狩り競争になるとは思いもしなかったが、とりあえず、やれるだけのことはやってみようと俊太郎は考えた。結果、妖魔をしとめられずに終わったとしても、貴重な経験にはなる。だから、今は友部のことは完全に忘れよう。
俊太郎は心の中でそう決意していたのだが、説明会が終了した直後、右隣に座っていた男に強引に腕をつかまれ、会議室の外の廊下の隅まで引っ張られてしまった。何をするのかと怒鳴りつけようとしたとき、その男は真剣な表情で俊太郎に言った。
「俊太、俺と組まないか?」
俊太郎を〝俊太〟と呼ぶ人間は、今も昔もこの男――友部一人だけだ。
「成功したら、報酬は全部おまえにやる。とにかく、おまえがこの市内にいる間は、おまえのそばにいさせてくれ。頼む」
俊太郎はすぐには何も答えられなかった。友部は師匠も知っていたほどの有名な妖魔ハンターだ。そんな妖魔ハンターが、なぜ新米どころか籾もとれていないような自分に一緒に組もうと声をかけてくるのだろう。やはり、自分が幼なじみだったから?
「あら、それはないんじゃない?」
だが、俊太郎が答える前に、脇から女の声がそう応じた。
「組むんだったらそんな坊やより、あたしのほうが絶対お得よ。あとで声かけようと思ってたのに、すばやいわね、友部っち」
声がしたほうに目をやれば、そこに立っていたのは、先ほど細田に「山本亜紀」と紹介された女だった。俊太郎たちより年上なのは間違いないが、三十歳を超えているかどうかは微妙なところである。
女性の妖魔ハンターはごく少数だが、そのほとんどはなぜか美女だ。その点ではこの亜紀も例外ではなかったが、ブラウンに染めた長い髪と同系色のパンツスーツを着た彼女は、妖魔ハンターというよりは、やはりキャリアウーマンのように見えた。
「俺はあんたと組む気は微塵もない」
友部は亜紀を一瞥もしないでそっけなく答えた。このとき、俊太郎が彼女に対して優越感を抱いたことは、認めたくないが否定できない。
「あたしでなくても、誰とも組む気はないんでしょ。なあに、その子? あんたの知り合い?」
最初から断られることは想定済みだったのか、亜紀はまったく傷ついたふうもなく俊太郎を見た。俊太郎はあわてて友部の手を振り払おうとしたが、逆に彼に強く押さえこまれてしまってかなわなかった。
「……ああ。俺の幼なじみだ」
少し間をおいて友部は答えた。その沈黙の間に友部が考えたことを想像して、俊太郎はつい赤面してしまった。
「あ、そう。なら、しょうがないか。いずれにしろ、あんたが他人を気にかけたとこなんか初めて見たわ」
亜紀はそう言い捨てると、あっさり二人から離れていった。
「……どうして?」
亜紀の姿が見えなくなってから、俊太郎はためらいながら友部に問い返した。
「俺はもう、三年前とは違うんだから……あんたと同じ、妖魔ハンターなんだから……」
「わかってる。気を悪くしたんなら謝る。でも、今ここで俺と組んどけば、少なくとも競争相手は一人減る。おまえに損はないだろ?」
言われてみれば、そのとおりだった。しかし、俊太郎にはどうしても、それにうなずくことはできなかった。
「断る」
友部は一瞬、何を言われたのかわからないような顔をして、俊太郎を見つめ返した。
「どうして?」
「どうしてって……」
「今でも、俺のことは〝大っ嫌い〟か?」
苦笑を含んだその声が耳に入った瞬間、俊太郎は抵抗するのを忘れて友部を見上げた。
友部の顔も苦く笑っていた。あのとき、俊太郎が感情にまかせてぶつけた言葉を、友部はまだ覚えていたのだ。彼は何ひとつ悪くはなかったのに。
俊太郎は今まで無理に忘れようとしていた罪悪感を思い出して、友部から目をそらせた。
「あれは……言いすぎたと思ってる。あんたが忘れろって言うから、つい……」
「じゃあ、あれは本気じゃなかったんだな?」
俊太郎は迷ったが、深くうなずいた。それを見てから、友部はようやく俊太郎から手を離した。
「それだけわかれば、今はいい」
友部は寂しげに笑い、俊太郎に広い背中を向けて去っていった。
あれさえ起こらなければ、俊太郎は今でも友部のことを〝友ちゃん〟と呼んでいただろう。今こうして再会することもなかったはずだ。たぶん、あれから離れることもなかっただろうから。
友部に強く握られていた腕に手をやりながら、俊太郎はしばらくその場から動くことができなかった。
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