およそ5分の掌編小説

ねこまこと

星を見守る者

 新月の夜、空には雲一つ無く満点の星が瞬いている。

 月の明かりに邪魔されないこの日なら、マシューには七等星以下の微かな輝きさえ見つけることが出来た。

 マシューの日課は北の極星の脇に小さく輝く星を観測する事だった。別に趣味で観測をしているわけではなく、それが彼の仕事上必要な事だからである。

 マシューはこの夜何度目かになる、けして小さくない溜息を吐いた。星を眺めながら溜息を吐くものだから、顔に溜息が降ってくるようで一層憂鬱が増すのだが、その微かな間さえ惜しいほど空を眺め続けていた。

 彼がそうまでして空を眺めているのは、北の極星の側の星、星獣の瞳とも呼ばれるその星から落ちると言われる輝きを待っているからだ。

 その輝きは星獣の涙と呼ばれ、その涙が輝く夜にのみ星獣は孵化することが出来る。

だがここ数年星獣の瞳は涙を見せることがなくなってしまった。このままでは星獣が孵ることが出来ない。

 代々星獣守をしている家に育ったマシューは、星獣を孵すことが出来ない事態に困り果てていた。

 だがマシューもただ手を拱いていた訳ではない、過去に同様の事情が無いものかと古い文献を手当たり次第漁りもした。果たして星獣の涙が零れなくとも星獣を孵す方は見つかった。その手段とは、星獣の涙と同様の名を持つ特殊な宝玉を用いるというものだった。

 その宝玉さえ有れば星獣は孵る、マシューは漸く希望を見出した、しかし次の瞬間その希望は儚くも砕け散った。

 宝玉『星獣の涙』は『星降る丘の洞窟』というダンジョンの最奥にある湖でのみ採取出来る、マシューには極めて入手困難な代物だったのだ。

 星降る丘の洞窟までは難なく行くことが出来る、その洞窟さえ入り口辺りならば近隣の村の子供たちの遊び場になる程度の場所だ。しかし洞窟を下って行くに従い強力な魔物や難解な仕掛けがありマシューの力では最奥の地下13階まで辿り着くことは到底不可能だった。

 結局自分ではどうすることも出来ず、マシューは今日も空を眺めて星から涙が落ちるのを待っているのだ。

「あの、どうかしましたか?」

 途方に暮れるマシューに声をかけてきたのは、冒険者とも呼ばれる余所者だった。

 余所者と言えば言い方は悪いが、彼らは決して悪い存在ではない。どこから現れてどこに帰るのかは知らないが、どこからともなく現れてはマシュー達には無い力を行使してあらゆる問題を解決してくれる。多くの場合は対価を必要とするが、稀にそれを必要としない場合もあるというのだから、余所者とは太っ腹な連中だと思う。

 今声をかけてきたこの女性に何の意図があるのかは分からないが、マシュー達に解決できないことでも彼(或いは彼女)たちなら解決出来るなんてことは少なくない。

 マシューは縋るような思いで余所者の女性、カカオにこれまでの事を話した。

「聖獣の涙ならありますよ」

 驚いた事にカカオは、何事も無いかのように鞄から星獣の涙を取り出した。

「あの、それを譲って頂いても宜しいですか?」

 余所者にとっては浜の洞窟の最奥なんて大した事ではないのだろうが、マシューからしてみれば喉から手が出るほど欲しい代物である。

「いいですよ」

 それを逡巡することもなく容易く言ってのけた余所者をマシューは嫉妬とも羨望とも呼べない奇妙な気分で見つめた。

 だがそれも束の間のこと、カカオがマシューに星獣の涙を渡し「それでは」と立ち去ろうとした時、マシューは思わずカカオの腕を掴んでしまった。

 星獣守としての悩みはこれだけではなかったのだ。

「最近星獣の神殿にも魔物が出没するようになりまして、宜しければ護衛をしてはいただけないでしょうか」

 振り返るカカオと目が合い、マシューは慌ててカカオの腕を離し、

「あの、無償でとは言いません。孵化した星獣を貴方に差し上げます、それでどうでしょうか?」

 星獣は己の力だけで孵化することが出来ない、従ってそれを促し助けるのが星獣守の役割であり使命でもある。そのため孵化した星獣を神殿から連れ出した後は野に放つのが慣わしだった。星獣が成獣となるまで見守るのは星獣守の役目ではない。

 成獣となった星獣はそれこそ大型の魔物にさえ遅れをとらないほどの勇猛さを持つが、孵化して間もない星獣は魔物にやられて死んでしまうことも少なくはない。

 それを考えれば自分たちより遥かに強く、世界を飛び回る余所者の冒険者に託す方が星獣にとっても良いことのように思えるのだ。

 さらに余所者と共に魔物と戦い経験を得た星獣は野で育った星獣に比べてその能力は桁違いに跳ね上がるとも言われている。

 魔物が増えたとは言え、神殿の魔物はマシュー一人であっても何とか対処できる程度のものだ、星獣の涙を入手出来るほどの余所者にとっては遊びに行くようなものだろう。それで星獣が手にはいるのならば余所者にとっても悪い話ではないだろう。

 マシューの思惑通りカカオはこの話に乗ってきた。

「準備が出来たら声をかけてください、ただし星獣は夜にしか孵りませんので、出かけるのは夜になります」

 しかしこの気遣いの言葉は杞憂に終わった、カカオの準備は既に万全らしく、

「大丈夫、すぐに行こう」という頼もしい返事が返ってきた。

 神殿は街道から少しはずれた森の中にある。そのため神殿の存在自体を知らない人もいるのではないかとマシューは常々思っていたから、カカオが道案内の自分を置き去りにして迷わず神殿へ向かうことに少なからず驚かされた。

 そしてカカオは神殿の前でマシューが来るのを待っている。星獣守のマシューがいなくては神殿の扉が開かないのだから当然と言えば当然である。

「この場所に来たことがあるんですか」

 そう問いかけるマシューにカカオは是でも否でもない曖昧な回答を寄越した。

 余所者との会話はこういうことが多々ある、言葉が通じない訳ではないが意志の疎通が難しい。

 そのため現地の人間と余所者は利害が噛み合うとき以外関わることは少ないという。

 お互いがそんなものだと思っているからなのか、それで気まずくなる訳でもなく、不自由する事もないのでその事を気に留める者は殆どいないと言ってもいい。

 所詮余所者は余所者なのだ。

 マシューも例外ではなく、カカオの応対に気を悪くする事も、それ以上気にする事もなく神殿の扉を開く。

 中は一寸先も見えない暗闇だったが、マシューが足を踏み入れると通路の壁に掛けられているランプに光が灯もる。

 これも星獣守に与えられた力の一つであり、資格無き者から神殿、延いては星獣を守る仕掛けだった。

 これだけの仕掛けを要していながら、どこからともなく魔物が入り込んでいるのが解せないマシューである。

 魔物は闇を移動する、死んだ魔物の後から再び魔物が生まれる、など様々な言い伝えがあるが、どれもあながち間違いではない気がしてくる。

 そうしてどこからともなく現れる魔物をマシューが腰に下げているメイスに手を掛けるより早くココアが討伐していく。

 頼もしくもあるが、マシューには少し恐ろしくもあった。

 神殿は幾つかの部屋を通る仕組みになっている。罠こそ無いが、部屋ごとに魔物が住み着いておりそう簡単に卵のある間『成獣のゆりかご』に辿り着くことはできないが、それも余所者のおかげでいつもより楽に進めている。

 この調子ならば余裕のように思えたが、最後の部屋へ足を踏み入れたときマシューは愕然とすることになった。

「ありえない……」

 棍棒を持った一つ目の巨人。太古には知性を持ち、大陸に点在する巨石建築物を造ったと言われるが、今では旅人を襲い人肉を喰らう恐ろしい怪物となってしまった。

 サイクロプス。

 この神殿にこれほどの魔物が住み着くなど、あってはならないことだ。

 マシューは思わず後ずさった。

 確かに神殿に住み着く魔物は街道に出る魔物よりかはいくらか強い。そのために星獣守は幼い頃から戦い方を教わるし、そのための装備も受け継がれてきた。

 だが今回のこれは、ありえない。これは王国が討伐隊を差し向けるクラスの魔物である。一部隊が出てくるほどの魔物ではないが、魔物討伐に特化した隊が出向いて来るだろう。そんなものをたかだか二人で倒せるわけがない。

 星獣の飛行能力は国にとっても恩恵をもたらすものだし、昔は神の遣いと崇められた生き物だ、王国に言えば討伐隊を出してくれる、兵士に神殿内を踏み荒らされるのは不快ではあるが、今はそれどころではない。

「カカオさん、一旦出直しま……カカオさんっ」

 部屋を出ようと後ずさるマシューの横をカカオが疾風のように駆け抜け、魔物に切り結んだ。

「いくら貴女でも無理だっ、逃げましょう」

 マシューが叫ぶが、一旦戦闘になったカカオの耳にその声は届かなかった。

(悪夢だ……)

 いくら余所者とはいえ、こちらから請うて付いてきて貰った相手を置き去りに逃げることもできず、うずくまってしまいたい衝動を堪えながらマシューは彼女の戦いを見つめていた。

 サイクロプスは比較的知能の低い魔物である、しかしその力は甚大で、家の柱はあろう棍棒は大地をも砕く。当たれば命が無いのは勿論のこと、破砕した破片を浴びるだけでも大怪我になりかねない。更にあの大きな手に捕まれば抜け出す事はまず不可能であり、そのまま食べられてしまう。

 それだけでも恐ろしい一つ目の怪物なのに、カカオは怯むことなく立ち向かう。

 サイクロプスの振るう棍棒を巧みに交わし、その脚に何度となく攻撃を繰り返していた。巨人族に対しての有効な作戦ではあるが、体が大きければ大きいほど魔物の外皮は堅くなり、剣戟での攻撃は効き難くなる。まして1人での攻撃では蓄積できるダメージもただか知れている。そんなことをしている間に一撃でも食らってしまえばこちらは大ダメージを受け、あるいは死んでしまうのだ。

 マシューが見守る中、ついに恐れていた事態が起こった。

 サイクロプスが振るった棍棒をカカオがサイドステップを使いかわした瞬間、砕かれた床の石材がカカオを襲う。それを何とかしのぎ、バックステップで間合いを取ろうとした時、サイクロプスの棍棒がカカオを打ち払った。

 その勢いは凄まじく、直撃を受けたカカオは神殿の壁に打ち付けられ、その衝撃で壁は破壊されていた。

「カカオさんっ」

 思わず駆け寄ろうとしたマシューだったが、数歩足を踏み出したところで凍りついたかのようにその動きを止める。

(ありえない……)

 サイクロプスの一撃を受け、自らが叩きつけられ砕けた壁の瓦礫に埋もれたはず、そのカカオがほぼ無傷の状態で立ち上がり、躊躇うことなく巨大な魔物へ突進して行く。

(化け物だ……)

 愕然として動けぬままで、マシューは昔友人から聞いた言葉を思い出した。

 彼は言ったのだ、『本当の化け物はあいつらだ』と。その時は余所者とはいえ同じ人間に対していくら何でも大袈裟だと思ったが、今それを実感した。

 これでは彼等余所者が不老不死だという噂さえ信じてしまいそうだ。あるいは神の戦士か魔の者か。どちらにしても伝説上の生物と同列の存在である。

 もしも彼等のあのカが魔物ではなく自分達に向けられたなら、そう思うと戦慄さえ覚える。

 国や村長、長老たちが余所者との良好な関係をいかに維持して行くかに頭を悩ませている理由が漸く解かった。

 マシューが呆然としている間にもサイクロプスとカカオの攻防は続き、ついにサイクロプスがその巨体のバランスを崩した。そこから先は一方的な戦いだった。体の大きい分体力のある魔物なので、その魔物が哀れにさえ思える一方的な戦いは少しの間続き、巨体の倒れる地響きと共に終わりを告げた。

 カカオは魔物が落とす戦利品を拾い終わると、呆然としているマシューを促すように星獣のゆりかごとも呼ばれる神殿の最奥部の前に立ちマシューを眺めていいる。

 視線に気付いたマシューは我に返り、急いで扉の鍵を開けた。

 星獣のゆりかごへ入る為の扉の鍵は代々星獣守の家に受け継がれている鍵と、星獣守の魔力によってなる。

 鍵を鍵穴に挿し魔力を送り込む、その慣れた作業を行うと、扉の大きさと古さに反して軽い音をたてながら最後の扉が開いた。

 部屋の広さは先ほどの広間ほど広くはない。それどころか小さな宿屋食程度の大きさしかない。それに比べて高さは驚くほど高く、この神殿が一階建てな筈なのに塔の様相をしているのはこの部屋が原因だと言って間違いない。

 高い位置にあるドーム型の天井から月の光が疎らに差し込み、星の輝きのように見える。

 その中央に一際強い光が射し込む場所がある。それこそがこの部屋の名前にも冠されている、星獣のゆりかごそのものだった。

 それは二段ほどの石段の上に設置され、マシューが石段に登ると丁度マシューのお腹の高さに楕円の水入れがある。

 水入れには何処から流れ込んでくるのか並々と水が張られている。

 マシューは水入れの水の中にそっとカカオから貰った星獣の涙を入れた。

 星獣の涙は底に沈むと青白い光を放ち始める。最初は柔らかな光だったそれは次第に強くなり、最後には部屋を包み込む程の光を放つと、急激に輝きを失っていった。

 急に光源の少ない暗闇に戻った為に目が慣れるまで少しだけ時間を要した。

 その後マシューとカカオに前に現れたのは、楕円形の水入れの中にちょこんと入る大きさの小さな翼と牙の生えた白くて丸い星獣だった。

 この星獣は残念ながら人を乗せて飛ぶタイプの星獣ではないが、大きくなればその口は空間を繋ぐことができるため、自宅の倉庫などに繋げて荷物を出し入れする事が可能だという。

 本来は捕った獲物を直接自分の巣穴に持ち込む為の能力らしいのだが旅人や余所者はそれを持ち運び可能な倉庫代わりに使うらしい。

 羽がついているので飛行は可能で普段は自由にしているが、人懐こい性格の星獣であるため、呼べば飛んでくる。ただし注意が必要なのは、もともと貯め込むのが好きな星獣なので、放っておくといつの間にか色々な物が倉庫に増えてしまうてんである。

 時には中々手に入れることが出来ない珍しいアイテムを拾ってくることもあるらしいので、全くの無駄というわけではないらしいが、時々整理をしなくてはすぐに倉庫がいっぱいに成るという難点もある。

 マシューの仕事は星獣を孵化させて神殿から連れ出す所までであり、それ以上は関わらないのが星獣守のしきたりだった。

「ありがとうございました、お陰で無事仕事を終えることが出来ました」

 マシューは神殿から出るとそう言って、約束通り丸々とした白羊の毛の塊のような星獣をカカオに手渡した。

 カカオは大事そうに星獣を受け取ると、ペコリと頭を下げる。

「星獣は基本何もしなくても勝手に育ちますが、一緒につれて歩く方が成長が速いです。その子は補助型なので戦闘では役に立ちませんが、貴方と一緒にいることで色々なことを学ぶ筈ですから」

 そう伝えると、カカオはもう一度頷き、夜の森の中へと駆けて行った。

 その後ろ姿が見えなくなってからマシューは大きく息を吐いた。溜息とは違う安堵の息だ。

 余所者は怖い、だがその彼らのお陰で今回も無事役目を終えることが出来た。

 何故星獣が生まれてくるのか、星獣とは何なのか、マシューはそんな事を考えながら家路に着くが、結局その答えに辿り着くことはない。

 マシューの家路がどこに向かうのか、それを知る余所者はいないだろう。知ろうとする者さえいるかどうか怪しいくらいだ。だがマシューもまた余所者がどこから来て何処へ去っていくのか知る由もなければ、知ろうとも思わない。

 そしてマシューは明くる日もその明くる日も星空を見上げる。

 別に趣味で見上げている訳ではない、それが彼の仕事であり、与えられた役割だからである。

 星の出ていない時間帯の彼が何処で何をしているか、これを知る者もまた一定の条件を満たした者に限られる。そして条件を満たしていない者は昼の彼に会うことさえ難しいだろう。また、会う必要を感じないかもしれない。

 何故なら彼、マシューという男は、MMORPGというジャンルのゲーム内で星獣守という役割を与えられたNPCに過ぎないからだ。

 彼の行動は誰かにプログラムされたものに過ぎず、彼の思考もまたゲームに厚みを持たせるための設定でしかない。

 しかしプログラム内の彼、或いは彼らはその事を知る由もなく、今日も自分たちの行動に疑いを持つでもなく同じ日々を繰り返している。

 マシューが星を眺めるのは、それが星獣孵化の兆しだからだが、実際はゲームプレイヤーである余所者、あるいは冒険者と呼ばれる者たちがイベントを発生させるためのフラグだからである。

 だから彼、マシューは今夜も星を眺め続けている。


FIN.


イベント名:星を見守る者

発生条件:ドロップアイテム『星獣の涙』を持ち物に加えた状態で、夜にマシューに話しかける。

イベント報酬:星獣の幼体(種類はランダム)


※本文中のMMORPGは架空のものであり、該当するタイトルは実在しません。

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