第11話 さよなら、大好きな人
「チャプタースキップ!」
この世界においては、最強の呪文と言っても過言ではないだろう。おまけに、本を読んでるお蔭で、相手の行動の先読みも出来るし、相手の弱点すら知っているのだから、もう、やりたい放題だ。
例え、相手が魔王と呼ばれる存在であっても、もはや敵ではなかった。
それでも、自分のカッコ良さをアピールしたい比村の為に、俺たちは、勇者以上に活躍する賢者様のお姿をユキナさんにの心に刻み込むために、魔王との戦いで最大限の努力を強いられた。
その戦いの後、
王宮に戻った俺たちは、間近に迫るタイムリミットの中、比村の作り上げた物語のエンディングを迎えようとしていた。
手入れの行き届いた庭園を、比村とユキナさんが、談笑しながら歩いている。比村の努力の甲斐もあって、二人はもう、ほとんど恋人同士と言ってもいい感じの、甘い雰囲気だ。
植え込みの陰に身を潜めて、そんな二人の様子を窺う俺たちの耳にも、彼らの話し声が聞こえてくる。
「……本当に、賢者さまって、何でも良く知ってて、尊敬する」
「いやぁ、それほどでも。あっはっは」
「私、賢者さまのような、聡明で明るい方となら、この先何があっても、きっと乗り越えて行かれるって……」
「ユキナさん……」
ああ、すんごくいい雰囲気だ。
向かい合って?
手を取って?
その手に口づけか?
あぁ、もう、ユキナさん顔赤くして……メロメロじゃん。
そして、二人の顔が、自然な感じで近づいて行く。と、俺の肩に置かれていた、心音ちゃんの手に、ぐいっと力が加わった。
……ああ、そろそろ限界か?……
なんやかんや言っても、心音ちゃんは、未だ比村が好きなのだろう。
「……これ以上は、教育的によろしくないよな」
俺が言うと、心音ちゃんがホッとしたような吐息を漏らして、おもむろに言った。
「さぁ、リオンくん、GO!」
その合図で、そこにいた男の子が、走り出した。
「ママーーーっ」
そう声を上げながら、男の子は、勢いよくユキナさんに飛び付いた。
「マ、マ?」
比村が狐につままれたような顔をする。
「ああ、この子は息子のリオン。さぁ、リオン、賢者さまにご挨拶」
「僕の名前は、リオン・ユシィ・アランジールです。先月、三歳になったんだよ、えへ」
「え?……息子、さん?って……え?……ユキナさんて、結婚……してましたっけ?」
「夫は、この子が生まれて直ぐに亡くなってしまって……なので、今は独り身……賢者さま?」
「バツイチ子持ち……」
「賢者さま……?大丈夫ですか?お加減でも……」
比村は、完全に呆然としていた。やっぱ、子持ちで未亡人は、ハードル高かったか。そんな事を考えてる俺の横で、心音ちゃんがすっくと立ち上がり、いつの間にかポケットから取り出した本を片手に、比村に近づいた。
「夢の時間は、もう終わり……」
呟きながら、大きく振りかぶり、トドメの言葉を解き放つ。
「その夢、成仏させなさいっ!」
その瞬間、本が比村の顔にかなりの勢いで、ストライクに入っていた。そのパワーの源は、今までのイライラと、多分、その何割かは焼きもちだったのたろうと推測され……
力なく崩れ落ちた比村の体は、呆気に取られているユキナさんの前で、そのまま消滅した。
……つまり、無事に現実世界へ戻ったのだった。
「やった♪協力してくれてありがとう、水晶っ」
物凄いスッキリとした笑顔で心音ちゃんが言った。
「……いや、そんなんいいけど」
「これで、あたしたち帰れるよっ」
「うん……それでさ、あの……」
今更ながら気付く。
この夢の世界は、これで終わりなのだ。
俺にとっても。
つまり、彼女とはここで別れたら最後、もう会えないってことだ。なら、言っておかなくちゃならないことが、あるんじゃないのかと思う。
……って、何を?……
頭が混乱している。
何かとても大事な……
伝えなきゃいけないコトが……
「心音ちゃん……」
「えっ?」
「俺……君のことさ……」
「うん……」
「君のこと……心音ちゃんのこと……す、」
肝心なセリフの直前で、彼女の悲鳴に割り込まれた。
「きゃぁぁっ」
「えぇ?」
「やばい、時間っ、リミット来きゃうっ」
「リミ……」
「ごめん、水晶、生きててくれてありがとう。じゃっ」
「え、あのっ……」
一瞬、心音ちゃんの笑顔が見えた、と思った途端、顔面に結構な衝撃が来た。
……えっ……え~~~っ。こんな、終わり方……って……
情緒もへったくれもないっ。
さよなら、
大好きな人。
俺、
君のこと、
好きになってた気がする。
(んと、過去形……?)
「んあっ……」
目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。
……ああ……戻って来たんだ……
ぼんやりとそんなことを考える。
と、病室のドアが開いて、花瓶を手にした母さんが姿を見せた。俺と目が合った瞬間、驚いたような顔をして、その顔はすぐさまくしゃくしゃな感じになって、目から特大の涙の粒が零れ落ちた。とめどなく、次々に落ちていく涙の粒に驚いていると、
「うっ……わぁ~ん……あああああん……くぅちゃぁぁぁんっ……」
母さんは、俺が生まれてこの方聞いたことのない様な大きな泣き声を上げて、花瓶の花を抱えたまま、その場にへたり込んでしまった。号泣、という言葉の意味を、俺はこの時初めて知った。
「……母さん」
……残された方は、一生悲しいままだから……
心音ちゃんの言葉が、今更ながら心に重く響く。こういうことなんだ、と。もし、俺が目を覚まさなかったら……考えるだけで、胸が苦しくなった。
「母さん……俺、もう大丈夫だから、なぁ、母さんってば……」
「う……くぅちゃん……」
俺の声に顔を上げた母さんは、花瓶を置いて俺のそばに来ると、俺を力いっぱい抱きしめた。頭の上から、震える涙声がする。
「もう……母さんを置いて……どこにも行かないで……お願いだから……お願い……」
「……うん、母さん……」
一生分の親不孝をしてしまった気分だ。戻れた安堵感はとうに消え、俺は、こんなことになってしまったことに対する後ろめたさに、ただ苛まれていた。
数日後、俺の体調が落ち着いたのを見計らったように、黒のビジネススーツをビシッと着こなした、いかにも仕事出来そうって感じの若い女性がやってきた。俺が差し出された名刺を確認するよりも先に、矢継ぎ早に自己紹介と用向きが告げられた。
「はじめまして、深山水晶くん。私は、ブリングバック社のエージェントで、
で、エージェントって、スパイ関係の方ですか?というツッコミをするまもなく、一通の封書を渡された。
「今日伺ったのは、こちらをご確認頂いて、今後の支払計画のご相談をさせて頂きたく……」
「支払い?」
言われて見れば、封書に請求書在中と印字されている。
「……ブリングバック社って、何の会社なんですか?」
訊きながら封書を開けて、中の請求書を確認する。
「ごっ、ひゃくまんっ?」
見たこともないような桁数の数字に、思わず声を上げる。
「……いえ、もう一ケタありますので、ご、千万になります」
「はっ?え?……なん……」
言葉にならない~♪という歌の歌詞が頭の中で流れる。
明細には、bring back費用、諸経費、他。とざっくりな単語が並ぶ。これ、新手の詐欺かっ?俺が口をパクパクさせて、声を失っていると、津守さんが補足をしてくれた。
「bring back、すなわち、連れ戻しの費用、ということです。分かりやすく言えば、うちの桜月の仕事の代価という意味です」
「え?桜月って、心音ちゃん?って……」
「彼女は、うちの社のピッカー=目覚まし人です」
「はあ、それで、五千万……ですか」
「はい」
「ていうか、これ、うちの両親が依頼したんでしょうか?」
だとしたら、高額になると承知で依頼したのだとしたら……申し訳なさが更に上積みされる。が、津守さんは軽くかぶりを振った。
「いえ、薬物を使用した事実が警察に認められますと、自動的にうちの社に救援依頼が参ります」
「はぁ、自動的に……」
五千万の借金を背負わされると。
薬の服用は刑罰の対象で、その上、こんな高額の借金のオマケつきって、まともに社会復帰できないだろう、これ。死にきれなかった場合、あの薬は、それほどの社会的な制裁を受ける、ということなのだ。不謹慎な言い方をすれば、本気で死にたかったら、72時間、誰にも見つかってはいけないということだ。残される家族の事を考えるなら、ピッカーの介入を許さないように、細心の注意を払わなくてはいけない……
「ローンでも、家財差し押さえでも、こちらは構いませんので、ご両親ともよく相談なさって……」
「もう一生分の親不孝してんだぞっ、その上五千万の借金とか……言えるわけないだろう……」
俺は頭を抱え込んだ。息子のしでかした不始末だ。あの人たちは、何をしてでも払うだろう。だけど……
「もし、支払のメドか立たない、とおっしゃるなら、体で払って頂く、という方法もございますが」
「からだっ……?」
身売りしろって、ヤクザかっ。
「一定期間、ピッカーとして、わが社で働いて頂くという契約を交わしていただければ、それで。危険を伴うお仕事ですので、高額の報酬を得られます」
返事は後日また、ということにしてもらった。返事はたぶん決まっていた。だけど、気持ちの整理が……まだ、つかなかったのだ。
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