第十話 覚える気がない、の間違いでしょ。
椅子を引く音に顔を上げる。そして、すぐにその行動を後悔した。
「鈴田さん、おはよう! 今日も美人だね!」
目の前にはきらきらと輝く明るい笑み。丸い瞳は、子犬のように人なつっこい色を浮かべている。
「……おはよう、あたりまえよ」
「さて、私の名前はなんでしょー?」
語尾に音符が付きそうな発言に、私は口を閉じる。
昨日聞いた記憶はある。でも、思い出せない。
「……変態」
「そんな名前だったら泣く自信あるよ」
名前なんて、この私が覚えているはずがない。小さくため息を吐いてから、ちらりと彼女の左胸を見る。そこには小さなプラスチックのネームプレート。
「……鈴木さん」
彼女の瞳がこぼれそうなほど大きく見開かれる。
「覚えてくれてたんだね! 鈴田さん!」
少しの罪悪感が胸を刺す。
と、横から小さく吹き出す音が聞こえた。そちらを向くと、女の子が笑っている。
「えっと……」
「あ、ごめん。ちょっとおかしくて」
「おかしい……?」
きょとん、と彼女が首を傾げると、女の子は頷く。
「鈴田さん、名札見たでしょ」
「……」
どうやら視線でバレていたらしい。なにも言わずに視線を本に戻して読書を再開する。
「鈴田さん」
「……」
「すーずーたーさん」
「……」
「すぅううううううう! ずぅうううううううう! たぁあああああ! すぁあああああああ――」
「ああもう! うるさいわよ、なに!」
大声で名前を呼ばれて顔を上げる。こんな至近距離で叫ばれたら、耳が壊れてしまう。どうして朝からこんなに彼女は元気なのか。
「リピートアフターミー」
「あなた英語しゃべれたのね」
じとーっとした目で彼女は私を見る。
「リピートアフターミー」
「ああ、はいはい、どうぞ」
「リピートアフターミー。鈴木杏吏」
「……変態女」
ぐぬぬ、と彼女は顔を歪ませる。
「あらら。鈴木ちゃん、ファイト!」
「ありがとう、
彼女は立ち上がると、女の子に抱きついた。
「……変態で、なおかつ誰でもいい節操なしなのね」
「ち、ちがっ! 私の一番のタイプは鈴田さんだからねっ!?」
「あー、はいはい」
必死の形相で振り向く彼女を、適当にあしらう。
「まあでも、鈴木ちゃんが騒いじゃうのもわかるなあ。鈴田さん、本当に美人なんだもん」
「……確かに私も、私の母も美人だわ。だけど、原材料はだいたいみんなと一緒よ」
「鈴田さん、原材料とか言わないでよー」
「あら、ごめんなさい」
でも、目も鼻も口も、同じ数だけあるわけで。配置や形が少し違うだけでそんなだろうか。
確かに私は美人だし、母さんは私にとって世界で一番きれい。だけど、だからってほかに美人がいないなんて訳ではなくて。
変態な彼女ほどではないにしろ、それぞれに良さがあると思う。だからチャームポイントとか、あとは、かわいい系、清楚系、なんていう単語が出てくるわけで。
まあ、考えても意味はない、かしら?
本に視線を戻してペラリとページをめくる。と、ドン、と机に両手を付かれる。顔を上げると、男子が立っていた。しかも、両目をつぶっている。……いや、右目がかすかに開いているように見えるから、もしかしたらウィンクのつもり……?
「……うわ」
にっと笑った口元からは白い歯。なんだろう、とても痛々しい……。
「おはよう、鈴田杏珠さん。今日もきれいだね」
「……誰」
「おやおや、僕のことを忘れるとは。昨日授業で自己紹介したじゃないか」
視界の端で、ぽかんと口を開いたままの彼女と、ため息を吐く女の子が見える。
「僕は
「もう入る部活は決まってるの」
「兼部だっていいからさ」
「私がよくない」
「どうして? こんなイケメンがいるのに」
「……五点」
男子の目が点になる。
「え? それはもちろん、五点満点で、かい?」
「なに言ってるの? 百点満点で、よ」
「いやいやいや……」
「素材はいいのに、メインヒーローの友人ポジでとどまりそうよね」
「なんの話を――」
「あ、わかるかも」
横で女の子がパシッと手をたたく。
「ちょっと!?」
「せめて攻略対象に入るくらいまで磨き上げてから出直してきなさいな」
「あの、マネージャーに――」
「事務所通してください」
さっきまで黙っていた変態が口を開く。
「は?」
「はい?」
「鈴木プロダクションを通してください」
「いや、いつ私はそんなプロダクションに所属したのよ」
「私があなたをみつけてか・ら」
語尾にハートが見えた気がする……じゃなくて。
「意味わかんない」
「じゃあ、鈴木さん、サッカー部のマネに、ぜひ鈴田さんを――」
「鈴田さんは私のです。渡しません」
「なんでぇ!?」
「いいんですか?」
「え?」
真面目な表情で問う彼女に、私たちは全員首を傾げる。
「鈴田さんがマネになったら、部員さんみんな鈴田さんばっかり見ちゃって練習になりませんよ? しかもそのうち、きっと、血で血を洗うような戦いが勃発すること間違いありません」
くいっと顔の横で手を動かしたのは、もしかしてメガネをあげるふりをしたんだろうか。
「そうね。私の美しさなら、あり得るわね」
「……こえぇ……」
「鈴木ちゃんも鈴田さんもお手伝い部なんだよね?」
女の子の問いかけに、私たちは頷く。
すると女の子は、男子のほうを見て微笑む。
「支倉。マネとして勧誘するのが無理だとしてもさ、お手伝い部にお手伝いをお願いすればいいんじゃないかな」
「……毎日の部活に癒しを……」
「あんたそれ、マネの人全員を敵に回しかねないよ」
「そうだけどさぁ――」
「きゃぁああっ!!」
黄色い悲鳴に、私たちは思わずドアのほうを振り向く。そこには。
「鈴木杏吏ちゃんと鈴田杏珠ちゃんはいるかしら?」
オネエ先輩と天野昂輝先輩がいた。
ぐるっという音が聞こえてきそうなほど、そろった動きでみんなが私と彼女に集中する。当たり前だ、二人ともイケメンなのだから。……片方は、イケメン、と言っていいのかよくわからないけれど。
「います、そちらへ行きますね」
返事をして立ち上がり、ドアのほうへ向かいかけたところで彼女がこちらへ来ていないことに気づく。
振り向けば、座ったまま俯いている。
「ちょっと」
「……」
「ねえ、ちょっと!」
彼女の肩を強めに揺すれば、ハッと顔を上げてこちらを見る。
「……大丈夫?」
その顔は、さっきまでの彼女からは想像できないほど真っ青で。
「ごめん、呼ばれてるよね……。行くよ……」
彼女は小さく笑うと立ち上がる。
その様子は、昨日の下駄箱でのあの様子とそっくりだ。
もしかしたら、あの吹奏楽部の先輩とのことに関係があるのだろうか。
わからないけれど。
なんだか、調子が狂う。
「こら、ド変態。しゃきっとなさい」
だけどう声をかけていいのかわからなくて、そんな言葉を投げて私は彼女の手首を握ってドアに向かう。
そのまま教室を出て、後ろ手にドアを閉めた。
すると、気まずそうな表情でオネエ先輩が私を見る。
「えっと……タイミングが悪かったかしら?」
「いいえ、大丈夫です」
私は、だけれど。
「メガホン女、大丈夫か……?」
メガホン女……たぶん、彼女のことだろう。
由来は、昨日の悲鳴、だろうか。確かにメガホンだ。
「……それが私のことなら、大丈夫です。どうぞ、お話をおすすめください」
大丈夫という割には、腕は震えているし、私が掴んでいないほうの手は、スカートをしわになるんじゃないかと心配になるほど強く握りしめている。
「今から、来年のクラス替えで、私と離れてしまうのが怖くて怖くてしょうがないって話をしていたところだったので、そのせいだと思います。ね、ド変態」
彼女を見れば、こくこくと強く頷かれる。
「……よっぽど仲がいいのねえ……?」
困ったように笑うオネエ先輩。あ、その、頬に左手を当てるの、すごい似合ってる。とてもよい。
「一方的なだけです。で、どうしたんですか?」
「ああ、あのね、この紙を渡したくて」
オネエ先輩が右手に持っていたクリアファイルから二枚、紙を抜きだして私に渡す。
紙には部活動の名前と、活動日を示すのであろう曜日、人数、顧問と部長、副部長の名前とクラス、そしてチェックマークが書いてある。
「これは……?」
「全部活動のリスト。体験入部に行った部活動にチェックを入れて、大体回ったら俺らか木ノ下、部長の誰かに渡して」
どこか面倒くさそうに天野昂輝先輩が言う。
「……すべて回らなきゃ、ダメですか?」
「できればね。諸々の事情で厳しかったら、まあ、五個までなら見逃してあげるわ」
オネエ先輩が優しく微笑む。
五個。
それなら、吹奏楽部とその周辺をできるだけ避けることができそうだ。
「わかりました、ありがとうございます」
「……ありがとうございます」
私に続いて彼女がお礼を言う。……本当に大丈夫なんだろうか。
「とりあえず、体験入部期間の間は、うちに寄ってくれても寄らなくても大丈夫よ。どちらかというと、いろんな部活に自由に顔を出せる期間だから、どんな部活がどういう雰囲気で活動しているのか、感じてきてくれると今後助かるわ」
「わかりました」
「ユウ。SHR始まる」
「あら、そうね。じゃあ、またね」
ひらひらと手を振ってからオネエ先輩はこちらに背を向けて歩き出す。
そのあとを追うように歩き出した天野昂輝先輩に駆け寄って、制服の袖を掴む。
「……なに」
不機嫌な顔でこちらを見る天野昂輝先輩。そんな表情も様になるだなんて、本当にいい造形をしている。
私が背伸びをすると、さらに眉がギュッと寄せられる。
よっぽど嫌なんだろうな、とは思う。
私だって、もしも私が男だとして、昨日知り合ったばかりの異性にこうやって顔を近づけてきたら、どれだけ美人でも嫌だ。
だけど、あの子に聞こえないようにするには、こうするしかない。
「すみません。これからこういった連絡事項は、できれば、あの……女の先輩にお願いしてもいいですか?」
できる限りの小声で言う。
天野昂輝先輩はちらりと私の後ろを見る。それでうっすらと察してくれたようだ。
「それは、あのメガホン女のため?」
昨日のあの悲鳴が、整った顔が急接近して驚いたから、ではないとしたら、今あんなに青ざめているのも、なんとなく頷ける。
あの吹奏楽部の先輩と、男関係でなにかあったのかもしれない。
だけど、この質問に頷くのは、なんだか嫌だった。
なんだろう。
人なつっこい子犬が、急になにかを恐がり始めた感じ。どうにかしてあげたいと思わず思ってしまうのも、子犬相手ならきっとしょうがない。
別に、たまたま同じ作品が好きな子に会えたのが嬉しいとか、そういうわけじゃない。きっと、うん、おそらく、そう。
「……」
うまく言葉を見つけられなくて、黙っていると、静かに手を振り払われる。
「あ――」
「部長に伝えとく」
そのまま背を向けて天野昂輝先輩は今度こそ行ってしまう。
「鈴田さん……?」
後ろから名前を呼ばれる。
振り向けば、真っ青なままの彼女が私をじっと見つめている。
「なにを、話してたんですか?」
「……ド変態をうまく避ける方法について」
「え」
「冗談。内緒よ。ほら、いそがないとSHR始まるわよ」
「あ、う、うん」
私たちが教室内に戻ると、予想通りというかなんというか、クラス中から注目を浴びて。
SHRが始まるまで、彼女はずっと俯いていた。
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