第七話 勧誘されちゃう、かもしれない。

「あれ、先輩は入らないんですか?」

 部長さんと鈴田さんが会議室へと入っていくのを見届けてから、私は未だ隣にいるイケメンな先輩に首を傾げる。

「あー、うん。俺、別に絶対に入らなきゃいけない訳じゃないから、適度に休みをね」

「ちょっとコウちゃん。それ、サボりたいだけでしょー」

「あ、ばれた?」

 ポケットに両手を突っ込んでイケメンな先輩が壁にもたれ掛かっていたずらっ子のように笑う。オネエの先輩が呆れたように息を吐く。

「もう。別にいいけどここにいてよぉ?」

「言われなくても。部長からのお説教は激しいからね」

 厳しいお説教はわかるけど、激しいお説教っていったい……。

「ああ……アンタこの間もお説教食らってたものね」

「ははは……。記憶から消したいね」

「そ、そんなに……」

 覚えていたくないくらいの激しいお説教。そんなのが待ちかまえている部活に入って、私は生き残れるのだろうか。

 鈴田さんが入る予定の部活。もちろん入りたいに決まっている。だけど入ってからそんなのが待ってるなんて考えると……。

「ちょっと天野たち! 新入生に変なこと教えないで」

 爽やかに透る女性の声。振り向くとそこには、先ほど一階の階段で列の整理をしていた先輩だった。赤茶色の髪が肩でさらさらと揺れている。

「あら、今のうちにこの部活がどういった部活なのか、少しは知っておくべきよ?」

「そうだけど、お説教の話は教えなくてもいいでしょう。部活を無断でサボらなければお説教されないんだし。それよりも」

 爽やかな先輩は私の方を向いて、にっこりと笑う。

「私、木ノ下清華きのしたさやか。二年生で、このお手伝い部に所属してるの。君は、さっき階段のところで会った子だよね? 体験入部はどうだった?」

「あ……私はまだです。今もう一人が――」

「ああ、あの綺麗な子か!」

 言って、木ノ下先輩は意味深な視線をイケメンな先輩に向ける。

「あの子もまた昂輝目当てだったらどうする?」

 するとイケメンな先輩があからさまにめんどくさそうな表情をする。

「そういう奴らは片っ端から落とすって部長言ってたし、大丈夫だろ」

 片っ端から落とすってことは、鈴田さんまずいんじゃ……。いやでも、この部活に入るためなら、というかイケメンな先輩のそばにいるためなら手段を選ばないような気がするから、大丈夫な気もする。でも、あの部長さんも結構しっかりとした芯を持っていそうで、こうと決めたことは曲げないような気がする。

「もしもーし?」

 目の前で手を振られてハッと顔を上げる。不思議そうな表情で木ノ下先輩が私の顔を覗き込んでいた。……少し太くて丸みを帯びた眉毛。焦げ茶色の瞳。健康的に焼けた肌。そして目の前で振られている手と、そこから伸びたほっそりとした指。全身を見ると爽やか系に見えるのに、顔だけを見ると、活発そうな、でもどこか抜けていそうな感じの顔で、とても可愛らしい。――って、そうじゃなくて。

「あ、はい。なんでしょう」

 なんとか自分の妄想から戻ってくると木ノ下先輩はニヤリと笑う。

「今の話で何か考えてたってことは、もしかして君――」

「ちがっ、違います! 私は男性に興味なくて! 女性の方が好きで! いや、でも恋愛対象は男性で! ああ、でもでも女性の方が好きなんですけど! でもそういう好きじゃなくてええっと――」

「す、ストップ! わかった、わかったから!」

 木ノ下先輩の両手が肩に触れる。それで私は我に帰った。そして顔から血の気が引く。必死すぎて、自分の言ってることがよく分かっていなかった。

――男好き。

 昔言われた言葉が聞こえた気がして、ドクリと心臓が鳴る。指先から冷たい痺れが昇ってくる。もうあんな風になりたくなくて。だから少しでもそういった話題を振られるとどうしても必死になってしまう。結果、あまりの必死さに周りに引かれてしまうこともある。だから、今ここにいる先輩たちもそんな表情をしているのではないか。そう思うと怖くて顔を上げられなかった。

「君がもしかして、鈴木杏吏ちゃん?」

 何で名前を確認されるのかも、木ノ下先輩が私の名前を知っているのかも分からない。いや、もしかしたら、あの先輩がこの学校にいる時点であの噂を流されているのかもしれない。

 私は中学一年生の頃の自分とはもう違う。必死に生まれ変わろうとした。そしてきっと生まれ変われた。なのに、またあの頃に戻るのだろうか。

 震えながらも、私は頷く。

「あー、そうなんだ。ごめんね、ななさんから話は聞いてたんだけど、てっきりあの綺麗な子の方かと思って。無神経だったね」

「清華、どういうことかしら?」

「ごめん、ななさんからは誰にも言うなって言われてるから。優輝にも言えない」

「そう……」

 俯いている間も木ノ下先輩とオネエの先輩の会話が耳に入ってくる。

 ななさん、というのはおそらく部長さんだろう。確か、河内ななという名前だったはず。その部長さんも、木ノ下先輩も、どこまで知ってるんだろう。何で知ってるんだろう。

 怖い、そう思った。せっかく変われたのに。努力が無駄になってしまうかもしれない。

――そうだ、逃げてしまおう。鈴田さんには後で適当に理由を説明すればいい。部活は読書部に入ろう。読書は元々好きだ。好きな作家さんの新刊の発売が重なりすぎて積ん読が増えていたところだからちょうどいい。鈴田さんを眺め続けられないのは残念だけど、しょうがない。この数年間の努力が水の泡になるよりはマシだ。口角をあげる。大丈夫、作り笑いは私の特技。そのまま顔を上げて、木ノ下先輩を見る。

「私、ちょっと――」

「はい次ー」

 用事を思いだしたので帰ります。そんなありきたりな言葉を吐いて逃げようとしたら、無情にも目の前のドアが開いて、鈴田さんと部長さんが出てきた。

「ななさん、なんで入り口のドアから出てきてるんですか」

「残り一人なんだし、いいかなって」

 木ノ下先輩の言葉に部長さんが答える。私の方を見た鈴田さんが首を傾げる。

「次、あんただよ?」

「あ……うん」

 部活見学のときに、鈴田さんは気を使ってくれた。そんな人の前で今さっきまで考えていたことを言う気になれなくて。私は言葉を飲み込んで頷く。

「ほら、さっさと済ませちゃうよーっ!」

 グイッと右腕を引っ張られる。そのまま私は会議室に引きずり込まれた。後ろからバタン、とドアが閉まる音がする。おそらくイケメンな先輩が閉めたのだろう。そして勧められるがままに部長さんと向かい合わせの椅子に座る。そして簡単な自己紹介と、この体験入部が試験であることを理解しているかということを尋ねられる。その話が終わると、部長さんは私をじっと見てきた。そのまっすぐな視線に、私はそっと目をそらした。

「あの……」

「君が、鈴木杏吏さん?」

 部長さんの言葉に肩が震える。そうだ、さっき木ノ下先輩は部長さんから話を聞かされていると言っていた。

「そう、ですけど……」

「ふぅん」

 部長さんはまじまじと私を見てくる。

「なんですか……」

「君、なんでこの部活に入ろうと思ったんだい?」

「え……」

 突然の問いかけに、私は首を傾げる。突然、とは言っても、まあ、入部するための試験だから当たり前の質問と言えばそこまでなのだが、どことなくなにか含みがある気がして。

「私、は……」

 鈴田さんを追いかけて入ろうとしている。そして、あの先輩から逃げるためにも。

 だけど、部長さんと木ノ下先輩はあの話を知っている。なら、この部活に入らない方がいいかもしれない。怖いのだ、またあんな目で他人に見られるのが。あんな風に他人に言われるのが。

 先ほどまでの会話を思い出す。確か、イケメンな先輩……天野昂輝先輩目当ての人は片っ端から落とすと言っていたはず。

「私、天野昂輝先輩目当てで――」

「はい、嘘」

 ばっさり切り捨てられる。その素早さに、思わずムッとする。

「なんで嘘って思うんですか」

「普通昂輝目当てで入るにしても、そんな言い方しないだろ? 正直な子でも、天野昂輝先輩に惹かれて、とか、先輩を追いかけて、とかそんなところ。目当て、なんて露骨な言い方はしない」

 言われて、ああそうか、なんて思う。確かに鈴田さんを追いかけて入ろうとしている、とは言っても、鈴田さん目当てで入ろうとしている、なんて露骨な言い方はしない。

「君、あんまり嘘得意じゃないんだろ?」

「なんで――」

「私の勘」

 そう言って、部長さんはクスッと笑う。

「で、本当は?」

「鈴田さん……さっき試験を受けていた子を追いかけて……」

「なるほどね」

「なにが――」

「砂羽から話は聞いてるよ」

 出てきた名前にすうっと血の気が引くのと共に表情が抜け落ちていくのを感じる。震えだした手を抑えるように強く握りしめる。

「なにを、聞いたんですか」

 私の問いに、部長さんはひざを組んでその上に頬杖をつく。

「君と砂羽との間に合ったことの一部。そして、あなたがとても耳の良い奏者だということ。砂羽は、あなたに吹奏楽部に入って欲しいそうだよ?」

「どの面下げて……っ」

 思わずこぼれた呟きに、しまったと両手で口を塞ぐ。しかし部長さんは、注意をすることなくふふっと笑った。

「まあ今のあのレベルじゃ、地区は通過できてもそれ以上は運次第って感じだしね、あの部活。だからか、一生懸命だったよあの子。どうしても欲しいから吹奏楽に入るように説得してくれって。あの様子じゃ他の部活にも言ってるんじゃないかなあ」

「いつの間に……」

 私がこの学校に砂羽先輩がいることを知ったのはついさっきだ。でも部長の言い方だと、それよりも前から先輩は私がこの学校に入学することを知っていたようだ。

「ここの吹奏楽部は、部員集めに必死だからねえ。合格発表が行われたときには既に、新一年生の名簿をゲットしてたって話」

「それ、いいんですか……」

「まあ、いいんじゃないかな? あそこの顧問、あなたの学年の学年主任だし」

 ま、そういうわけで、と部長さんは私をじっと見る。

「昂輝目当てでって言う嘘をついたのは何で?」

「……木ノ下先輩とあなたが、砂羽先輩と私のことを知っているようだったので……」

「ああ、それで入るのをやめようとしたと。まあ、男好きとかそんな感じの噂を流され続けて、そっから今みたいな女の子大好き人間に生まれ変わるのってそれなりの苦労をしたんだろうし。それを無駄にしたくないだろうからしょうがないんだろうけど」

「なんで女の子大好きって――」

「杏珠ちゃんから聞いた。君の付き添いの女の子はどういう子って聞いたら、女の子が好きな変態で、私のことがもろタイプなど変態ですって」

「変態じゃないって言ってるのに……」

 しかも、二度も言われているようだ。少し辛い。

「すごいじゃないか。変態って言われるくらいに変われたんだから。……まあ、悪いけどそんなことは私にとってはどうでもいいんだよ」

「……」

 どうでもいいって、だいぶ酷い気がする。

「この部活は、色んな事情で他の部活に入れない子たちが多く所属してる。清華も、優輝も、昂輝も、もちろん私も、ね。まあ、そうじゃない子もいるけど。それを前提にして言うね。君、お手伝い部に入らないかい?」

「え……」

 なぜか突然勧誘されて、意味が分からない。キョトンとすると部長さんがズイッと顔を近づけてくる。

「昔いろいろと合ったのにあんなに必要とされるってことは、相当耳の良い奏者だったってことだよね? 現に、コンクールでの総評でも、君のソロはどの審査員からも評価が高かったって聞いてるし」

「でも私は、先輩たちを全国に連れて行くことは出来ませんでした」

「そりゃしょうがないんじゃないかな。砂羽の話だと、砂羽とのゴタゴタで部内に味方がほとんどいない状態だったんだろ? そういうのって音に出るらしいし、そんな関係の中で地区通過できただけでもいいんじゃない?」

 私はぐっと下唇を噛む。突然顧問からコンクールでソロを吹いてくれないか、と頼まれた。それがきっかけで私と砂羽先輩の関係はぎこちなくなっていった。そこに色んなことが重なって……結果、校内で一番部員数の多い部活だっただけあり、私の味方は部内どころか校内からほとんどいなくなった。

「なんで私が欲しいんですか」

 私の言葉に、部長さんはニッと口角をあげる。

「音楽関係に詳しい子が欲しいと思っていたからさ」

「は?」

「お手伝い部の活動は、一言で言ってしまえば何でも屋よ。それこそ頼まれた事柄はなんでもこなさなきゃいけない。だけど、なぜかうちの部活には音楽関係に詳しい子は一人もいない。何でだと思う?」

「なんで、ですか?」

 私の言葉に、すうっと部長さんは息を吸い込むと、ビシッと勢いよく私を指差した。私は驚いて指の先をじっと見つめる。

「いいかい!? 私が勧誘するよりも前に、先輩たちの勧誘の圧力に負けてみんな吹奏楽部に入ってしまうからだよ! ……まあ、もともと音楽や楽器が好きな人が多い部活だし、個人でやろうとしたら金銭的にキツいものがあるから部活を続ける人もいるからなんだけども。だから、あなたみたいに音楽の才能はあるけど諸々の事情で吹奏楽部に入らないっていう選択をしてる人は欲しいんだ」

 私は眉間にしわを寄せる。

「私、吹奏楽部に入らないって一言も言ってませんが」

「少しだけしか事情を知らない私たちがいるこの部活に入りたがらないあなたが、その原因がいる部活にはいるとは思えないんだけど?」

 まさにその通りである。

「それにたぶん、他の部活には入りづらいと思うよ? さっきも言ったように、吹奏楽に入るように説得してくれって砂羽が頼み込んでるだろうし」

「先輩は……」

 そこまで言って、私は一度深呼吸をする。唇が震える。

「砂羽先輩は、私のこと、どこまで言ってるんでしょうか……」

「たぶんここまで知ってるの、私と清華だけだと思うよ?」

「え?」

 私が首を傾げると、部長さんはウィンクをして見せる。

「砂羽とは中学の頃に面識があってね。だからいろいろ知ってるわけ。別に彼女の肩を持つ訳じゃないけど、砂羽はあなたとのことをすごく後悔してる。だからわざわざ自分の傷までえぐるようなことをあの子は言いふらさないよ」

 それは、信じていいのだろうか。

「まあ、信じるかどうかは君次第だけど。とりあえず、吹奏楽部の勧誘はわりと粘り強いよ? 特に、今吹奏楽部の副部長を務めてる砂羽があそこまで言うんだ。みんな本気で勧誘にくる。顧問も含めてね? だったらどこかの部活に入っちゃった方が楽だと思う。この部活に入るなら、私が守ってあげる」

 どうする、と先輩は私に視線で問いかける。

「お手伝い部ってことは、もしかしたら吹奏楽部のお手伝いに行くこともあるかもしれないってこと、ですよね」

「そうだね。でも、お手伝いには参加の拒否権もある。お手伝いの依頼がくる度に事前に知らせるから、それにちゃんと参加の可否を答えてくれれば問題ない」

 その言葉に心が揺れる。だけど。

「それじゃあ、音楽に詳しい人として私をこの部活に入部させる意味、ないんじゃないですか?」

「砂羽は三年生だ。来年にはいなくなる。そしたら、吹奏楽部のお手伝いに参加できるようになるだろ?」

「そう……ですけど」

 まだ悩む私に、部長さんは苦笑いを浮かべる。

「別に、一度入部を決めたら他の部活に変更できないわけじゃない。もしもお手伝い部が気に入らなければ、他の部活に移ってもらうことも可能だよ。だからとりあえず、仮としてこの部活に入るのはどうだろう」

 言われて、確かにそれもいいかもしれないと思った。

 一度、仮として入ってみて、駄目だと思ったら部活を変えればいい。部長さんの言い方だと、他の部活に入ってしまえば、しつこく勧誘されることもないようだ。先輩とつながりを持っていることは不安だけど、何があったのかを知った上で、私を守ると言ってくれている。

 一度、この人を信じてみようと思った。……もしも裏切られたら。そのことはそのとき考えよう。

「わかりました、入部します」

 私の返事に、部長さんは輝くような笑顔になる。ガシッと力強く肩を掴まれ、ガクガクと揺さぶられる。肩が痛い。

「本当だね!?」

「は、はい……」

 あまりの勢いに若干引きながらも頷く。すると部長さんはへなへなと床に座り込んでしまった。驚いて駆け寄る。

「ちょ、大丈夫ですか!?」

「ああ、よかったあ……。予想はしてたんだけど、昂輝目当ての子が今年は多くてねえ。いい子が見つからないんじゃないかと思って不安だったんだよ。だけど初日の今日だけで二人も見つけられた。もう安心してねえ」

「二人ってことは」

「もちろん、君と鈴田杏珠ちゃんだよ」

 ああ、鈴田さん、無事に合格したんだ。じゃあ、鈴田さんと一緒に部活動、できるんだ。それだけを考えるととても嬉しいことなのに、私の中の不安は、その嬉しさよりも大きいみたいで、これからの学校生活に恐怖を感じていた。そんな私の心を見透かしたかのように、部長さんは私をぎゅっと抱きしめた。意味が分からず固まってしまう。

「大丈夫。あなたも砂羽もこれ以上傷つかないように、傷つけ合わないようにするから。安心して」

 その声は冬の朝の毛布のように温かくて、でも、どこか強さを感じさせる不思議な声だった。

 部長さんがなんでそこまで言ってくれるのか分からない。もしかしたら私を入れたいがために言っている嘘かもしれない。そもそも、なんでそこまで私に固執するのかも分からない。まだ会って間もない相手。だけどこの温もりを、くれた言葉を、不思議と信じたいと思った。

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