43:BIRTH・3

 そろそろ、佳乃たちは会場に着いた頃だろうか。

 携帯の時計を見ると、デジタル表示が13:30に変わったところだった。随分早く着いてしまったので、仕方なくアーケードをぶらぶらと歩き回る。クリスマスイヴ、先生とほのかさんと会った場所。

(わたしきっと、とても迷惑なことをしてるよね……)

 返ってきた返事は、予想はしていたがとても不機嫌そうなものだった。これ以上迷惑をかけないために、黙って待てと言われた通りに連絡はしないでおく。アーケードということさえ伝えたなら、彼ならきっとこの場所だとすぐにわかるはずだから。

(でも、来てくれるって言った)

 英秋やほのか、佳乃たちに対する漠然とした申し訳なさはあるものの、それは花乃の高揚する気持ちに比べればとるにたらない程度の比率だった。まったく恋を知らないことは、恐れの感情をいまだしらないという強みとともに、背徳や罪悪感などを感じることのできない致命的な弱さを与える。そのため、花乃は婚約者のいる教師を呼び出す行為に深い意味など見出せなかった。

 ただ会いたい、それだけだった。

(今日会ってくれるならそれでいいの、嫌々でもいい、おめでとうって言ってほしいだけ)


 放射線状に広がる三本のアーケードの中心に、ぽっかりと中天の覗ける広場がある。

 三段ほどの階段がついたレンガ敷きの凹型サークルでは、天気のいい日には野外コンサートなどが開かれ、いつもカップルや家族連れで賑わっている。丸い天窓から空に向かって大きくそびえるトレードマークの樅の木は、クリスマスには燦然と輝くデコレーションをまとって聳え立っていたが、今はその飾りもなくいつもの姿で人々を見下ろしていた。

 花乃は待ち合わせのシンボルとしても有名なその樅の木の下、根元を囲って積まれた煉瓦に腰掛けた。羽織ってきたコートのおかげで新品のドレスが汚れることはなさそうだが、その分厚いコートでもとてもしのげないほどに今日は寒かった。いつもなら必ず数組の先客がいるはずなのに、今日はその姿もない。現に、ため息は吐き出すそばから見事な乳白色に変わる。

 もう一度時計を見ると、いつの間にか14時をまわっていた。

「とりあえず、ここで待っていればいいかな?」



「こんにちはぁ、苗子さん!」

 家族と友人を引き連れて、佳乃が『本日臨時休業』の看板のかかった喫茶店のドアを勢いよく開けると、馴染みのベルの音と一緒に、中からは何ともいえないような香ばしい香りが一気に飛び出してきた。各テーブルはフロアの中央に集められ、そこにはホテルのランチバイキングと見紛うような料理とデザートが所狭しと並べられている。今一番自己主張をしているのは、どうやら開けたオーブンから漂う焼きあがったばかりのミートパイの匂いらしかった。

「うひゃはゎ、なに、これえ!」

 感激を極めたのか、夕子は意味不明の悲鳴を上げて飛びあがり、佳乃の両親はまあまあまあと意味をなさない感嘆詞ばかりを繰り返している。忍と佳乃は相変わらずの苗子の腕と気合に心底感心して目を見合わせたが、それにしてもここまでとは思わなかった。

「まあ、ようこそいらっしゃいまし。お誕生日おめでとう佳乃ちゃん!」

 綺麗な白いレースのエプロンを翻して、苗子が佳乃たちを迎え入れる。その佳乃を押しのけて前に進み出たのは、案の定若作りの技だけは日本一かもしれない紫乃だった。まるで大正時代のモガの如く、くるくるに巻いた栗色の髪が妙に似合ってしまう母親に閉口しながら、佳乃は息を潜めて二人の邂逅を見守った。

「初めまして、お招きいただきありがとうございます、いつもうちの娘がお世話になっているそうで! まああ本当にお若いお母様でいらっしゃいますのね、それになんて素敵なお宅でしょう」

「来て下さってありがとうございます、お目にかかれて光栄です。佳乃ちゃんはお母様に似ていらっしゃるんですね、まるで仲のよい姉妹のように見えますわ」

「まああ!」

「おほほ」

(ああ、やっぱり……っ)

 満面の笑顔で固い握手を交わす二人を見て、佳乃は泣きたいような気分で父親の背中に引っ込んだ。最初に苗子を見たときからそのバイタリティは紫乃にも劣らないものだと確信していた。このふたりがタッグをくんでしまえば、もう佳乃一人に太刀打ちできるはずもない。

「そ、それにしても素晴らしいお料理の数々ですね。これ全部、手ずからお作りになったんですか?」

 自己紹介のタイミングを逃した父親が、わきから恐る恐る口を挟む。苗子はオーブンから取り出したパイをテーブルの中央に飾ってから、そのフルコースを見渡して笑った。

「ええ、わたくし料理くらいしか取柄がありませんから。でも今回は一人じゃありませんでしたし、これだけの量が作れたのかもしれません」

「一人じゃなかったって……誰かに手伝ってもらったんですか?」

 佳乃がきょとんとして問いかけると、苗子はエプロンをふわりとはがして微笑んだ。パーマをあてていた髪をいつの間にかまっすぐなストレートにし、コサージュのついたワインレッドのセーターに黒いロングスカートをあわせた彼女は、とても18にもなる息子を持つ身には見えない。

「誕生日のプレゼントね、とても迷ったんだけれど、やっぱり」

 うふふ、と笑いながら苗子はカウンター奥のドアを開ける。

「ナマモノだから、早めに渡しておいたほうがいいかしらと思って」

「なまもの? ――って、え」

 そのプレゼントらしきものは何故か黒服を着こなし、半ば開いたドアをこじ開けて出て来た。

「人を呼び付けたあげく無理矢理手伝わせておいて、その言い草はなんですか、母さん」

 あるはずの――いるはずのないものが、そこに。

 次の瞬間、輪唱となった佳乃の絶叫と紫乃の奇声に芳彦の絶句が重なり、それに続いて友人たちの歓声が風野丘の住宅地に響き渡ったとか、どうとか。

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