ツインズジャンクション・2
まるで鏡を見ているような錯覚に陥る。
同じ姿になればそれだけで二人の影は一つになる。
区別と言えば、喋って初めてわかる各個の個性と着物の色だけだった。薄紫色の袿の桐壺(兼若紫)と、紅の匂の藤壺。それでも観客から見れば一人三役にしか見えないのは確かだ。
しかし二人を並べて、よく見ればもう一箇所微妙な違いがあることに忍が気付いた。
「あれ? 花乃ちゃん、なんか顔色が」
佳乃ははっとして花乃を見た。花乃は決まりが悪そうに肩を竦め、笑った。
「え? なあに、悪い? やだなあ、緊張のせいかなあ、何でもないのよ」
化粧のせいで目立たないが、花乃の顔色は確かに悪かった。血の気がない、というよりはどこか虚ろに影を落としたような色だった。
昨夜はあんなに血色が良かったのに、と思いかけて佳乃は息を止めた。
違和感の尻尾が目の前を過る。――昨日の花乃の手。
「花乃、あんた」
「そろそろ出番でーす、第一幕出番の人は舞台裏に回ってくださーい!」
飛びこんできた委員の大声に佳乃の声は遮られ、花乃はさっと裾を翻して佳乃を振り返った。
「じゃあわたし、行ってくるね! 失敗しないように祈っててねー! 頑張ろうね!」
呼びとめる暇もなく、花乃は器用に裾をからげてぱたぱたと小走りで行ってしまい、佳乃はその後ろ姿をぼんやりと眺めるしかできなかった。
突然浮かんだ疑念は懸念になり、頭から離れそうにない。まさか、とは思うが。
「元気そうだね、あれならホントに大丈夫だろうな、良かった」
傍らでほっとして呟く忍の声を遠くで聞くような感覚。
彼は知らない――佳乃も今ふと気付くまで知らなかった。
本気の花乃が発揮するおそるべき集中力と、妥協を許さない決意の硬さを。
舞台は好調な滑り出しだった。純泉祭での演劇は例年ローカルのニュースでも取り上げられるほどレベルの高いものであることは近辺の住人の誰もが知っていたし、各学校にも知れ渡っていたので、閑古鳥に悩まされることはなかった。むしろどちらかと言えば予備座席の確保に走りまわったくらいだ。
序盤からいきなり出番のあった花乃は、ナレーションが進めるままに桐壺を問題なくこなし、昼の休憩を挟んだ次の出番まで控え室にいることになった。
それと入れ替わるようにして舞台に出た佳乃は、最初こそ目に飛び込んでくる観客の多さやカメラのシャッターに目がくらみふらふらしたが、すぐにいつもの調子を取り戻し、そつなく台詞をめぐらした。時々危うく詰まる源氏に横から助け舟を出したりする舞台度胸まで備わってしまい、舞台袖ではそのことを散々からかわれたりしながらも、ごく順調に場面は進んで行った。
源氏との禁忌の逢瀬、そして出産後の出番を終え、ようやく1日目の佳乃の出番が終わった。思っていた以上にあっさりとした課題クリアに、佳乃は妙に肩の力が抜けるような感覚を覚えた。
(終わった……なんだ、余裕じゃない)
腕時計はまだ13時にもなっておらず、これからは花乃の出番が詰まっている午後の部が始まる。更衣室でさっさと衣装を脱いだあと、佳乃はしばらく逡巡して、再び講堂へ向かった。
今度は観客席から花乃の出番を見守るつもりだった。
(17時の飛行機なら、15時半ごろ出れば間に合うかな……じゃあそれまで見て行こうっと)
傍目に完成した舞台を見ていると、自分が出演者だと言う事も忘れてしまいそうになるほど面白かった。栞の六条御息所の迫力はハマっていたし、忍の惟光役も妙に馴染んでいて微笑ましかった。演劇部員の源氏はおおむね安心して見ていられたし、そして何より花乃は見事だった。長丁場にもかかわらず、必死で覚えた台詞を上手く引き出し、それに本来の気性をプラスした言い回しで、穏やかな紫の上を好演していた。当初、自分も含めてミスキャストを心配していた周囲の予想など根底から覆すような出来映えだった。
(ああ、やっぱり、参加して良かったなあ……あたし)
15時半の休憩に入り、佳乃は客席を立ちあがって最後に控え室へ向かった。花乃にお疲れさまと一言声をかけてから空港へ向かうつもりで。
また舞台に立つ前と同じような心地よい緊張が体を満たしてきているのがわかったけれど、それを無理におさえようとは思わなかった。この高揚が、彼の顔を見てどんな風に働くのか、それが怖くもあり楽しみでもあった。
その時に思いついたことを言おう。もうなにもおそれずに。
駆け足で向かった控え室から、果たして花乃が出てくるのが見えた。
衣装を替えてあでやかな濃紅の十二単に身を包んだ花乃は、ドアに持たれたまましばらく動かなかった。
「花乃! お疲れさま!」
佳乃は興奮に押されて大きく手を上げ、花乃に呼びかけた。
花乃はゆったりと顔を上げ、佳乃をその目にとらえて口を開きかけ――
突然、その場に崩れ落ちた。
衣と髪が、美しいようなラインを描いて廊下に広がった。
傍らにいた忍も、しばらくは何が起こったのかわからない様子で、呆然とそれを見下ろしていた。佳乃は一瞬足を止め、そして息を吸った。
「――花乃っ!?」
純泉祭初日が終わる直前。
17時まで、残り1時間半の出来事だった。
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