天使来襲・4

 佳乃が凹んだままランチセットが運ばれてきた。サラダとスープ、ドリンクとデザートがくっついたパスタで、思っていた以上のボリューム。緊張のせいか味はよく解らなかったのだが、エマに声をかけられて我に返ったときには、テーブルの上はウエイトレスが綺麗に片づけていった後だった。

「ヨシノ、聞いてイイかしら」

 佳乃は顔を上げ、無言で促した。微かに鼓動が早くなってゆく気がした。

「タクヤとあなたは、どういう関係なの?」

「ただの知り合いよ」

 考えるよりも早く、答えは口から自動的に飛び出していた。我ながら見事な反射神経だったと思う。何となく聞かれることは予想できていたのだ――なぜなら、自分が一番訊きたかったことだから。

 ほとんど開き直ったような勢いで佳乃は捲し立てた。

「すっごいイヤな奴なのよ! 友達なんて言うのも気が引けるわ。嫌味で意地が悪くて喧嘩ばっかり売ってくるし、あえて言うなら、仇ね。ライバルよ」

「ライバル…? そうなの? ワタシてっきり、タクヤの『オンナ』なのかと思ってたわ」

 佳乃はしばらく意味を取り損ねてぼうっとエマの顔を眺めていたが、理解するやいなや仰天して叫びそうになり、慌てて口を押さえた。目の前の可憐な唇から、脈絡も可愛らしさのニュアンスもない言い回しが飛び出して、驚くしかできない。色々な意味で目を白黒させる佳乃を見て、エマは大輪のバラが咲き誇るような笑顔で笑った。

「あはは、その様子じゃ本当に違うのね、良かった!」

 佳乃は一呼吸分息を止めて、ゆっくりと吐き出した。――良かった、か。

「エマさんは……アイツと、どういう関係なの?」

「ワタシ?」

 エマはきょとんと澄んだ目で佳乃を見返し、微かに困ったように微笑んだ。

「ゴメンナサイ、あまり言えないの。昨日、自分たちのことを人に話すなって言われたから、喋ったらタクヤに怒られちゃう。でも、オサナナジミ?なのは確かよ、タクヤがこっちに来るまではずっと一緒に遊んだりしてたから」

(人に言えない関係なのかよ、あの野郎~!)

 隙なく口止めをしている拓也に心底憤慨しながらも、佳乃は思いがけない情報に驚いていた。

(幼なじみ? こっちに来るまではって……じゃあアイツ、もしかして外国育ちなわけ……?)

「エマさんは……アイツに会うために、日本にいらしたんですよね」

「そうよ」

 今度はエマが間髪を入れずにきっぱりと答えた。彼女はもう微笑みを浮かべてはいなかった。

「ワタシはタクヤに会うためだけに来たの。そのためだけに。でも、タクヤはワタシが来たのを喜んでくれていないみたい。ひどく困った風なの……」

 何と言えばいいのか解らず佳乃は黙っていた。またしばらくの沈黙の後に、エマは不意に顔を上げて佳乃を真正面から見据えた。どこか切羽詰まったような表情だった。

「ホンダイに入るわ。ヨシノ、ワタシがあなたを誘ったのはさっきのことが訊きたかったのと、もう一つあるの――あなたにお願い。聞いてくれる?」

「え?」

 意表をつかれ、佳乃は聞き返した。エマは痛いほど真摯な眼差しをまっすぐ佳乃に向けていた。

「昨日タクヤに聞かれたの、8月に来日したかって。どうしてそんなことを突然聞かれたのか解らなかった。でもそのとき、8月にたった一人ワタシの名前を呼んだ人がいたことを思い出したわ。それはあなただった、ヨシノ。ねえ、あなたとワタシ、駅で一度会ったわね? そしてそのことを、タクヤに伝えたのでしょう?」

 言われるまでもなく、佳乃はしっかりとそのときのことを覚えていた。そう確かあのときも不思議とすぐにエマに目がいったのだ。鼻腔をかすめた甘い香りも、今と少しも変わらない。佳乃はエマが自分のことを覚えていたことに少なからず感動を覚えながら、大きく頷いた。

「ええ、確かに覚えてる。それからアイツにもエマさんを見たって言ったけど……信じてもらえなかったわよ」

 エマは突然身を乗り出して佳乃の手を掴んだ。

「ワタシ、タクヤにNOって答えた。日本には来ていないって。だからヨシノ、もしタクヤに夏にワタシと会ったかどうか聞かれたら、会ってないと言うことにして。見間違いだということにしておいて。でないとワタシ、連れ戻されてしまう」

(連れ戻される……? 何故?)

 不審に思いながらも、佳乃はあまりに真剣なエマの眼差しに押されて無言で頷いた。それを見て、エマはやっと安心したように手を収めた。

「アリガトウ。……そろそろ帰りましょうか、カサイを呼んでくるわ」


 葛西と呼ばれる運転手は、エマの指示で佳乃を家のすぐ近くまで送ってくれた。車を降りて、佳乃はエマを振り返る。

「今日はどうもありがとう。昼食までおごってもらって」

「ウウン。ワタシこそ色々尋ねたり、無理なお願いまで聞いてもらったりしてゴメンナサイ。でもまた会いたいな、佳乃ってとってもカワイイんだもん。じゃあ、またね!」

 エマを乗せた小さなワーゲンは、細い住宅地をハイスピードで走り抜けていった。排気ガスにくゆる余韻が消えるまで、佳乃はカバンを持ったままそこに立ちつくしていた。

(なんて土曜日なんだろう……信じられない)

 昨日会ったばかりの謎の天使に突然誘拐されて、一緒にお昼ご飯を食べて、意外な話をして。そんな時間で、第一印象の近寄りがたいほど清浄な雰囲気は、思ったよりころころと変わるダイレクトな表情にかき消された気がする。笑い、悲しみ、驚き、微笑み――そのどの表情も、光で彩られたように鮮やかでまた儚げに見えた。

 花乃の『人を幸せにする微笑』とは質の違う、けれど人を引き付けてやまないもの。儚さの中に、刹那も見逃してはいけないと思わせる力があった。

(なんだか、やっぱり……きれいな人だったな……)

 戸惑いながらも、佳乃は確かにエマの奔放さに惹かれていくのを感じていた。

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