修学旅行・5日目<和歌山4>

「葉月さんにいったい何言ったんだ」

 忍は俯いたまま黙り込んでいる高澄に尋ねた。「あんなに怒らせるなんて、お前らしくないぞ」

「……後輩に告白されたって言った。それをどうすればいいか、翔子に聞いた」

 あまりに淡々とした返事に、忍は危うく相槌を打ちそうになった。だがその内容を把握すると、慌てて頷きかけた頭をぶんぶんと横に振った。

「はあ? お前、葉月さんは彼女だろ? 何でそんなこと聞くんだよ!」

 高澄は答えず、足元に打ち寄せる波と引き際に残された白い泡を、見るともなく眺めている。

「そんなこと言えば、葉月さん怒るの当たり前だろ。オレお前がそんなバカなヤツだったとは思わなかったぜ」

「分かってて言ったんだ。彼女が、オレを許さないだろう方法を選んだつもりだった」

 高澄は目を伏せて、相変わらず感情の起伏の少ない口調で呟いた。

「翔子はこれできっとオレを見限るだろうって、そう思った。それで良かったんだ。彼女を怒らせて、できる限り傷つけずに別れるには、これしかないと思ったから」

 忍は絶句し、そして怒鳴った。

「何言ってんだお前! それってつまり、告白してきた別の子とつきあうってことか!?」

「ちがうよ、そのことはウソだ。告白なんかされてない。翔子を怒らせる口実だ」

 忍はますます納得ができず、温厚な彼にしては珍しく砂を蹴飛ばしてきつく問いかけた。

「じゃあ何でだよ。そんな風にして、葉月さんが傷つかないとでも思ったのか?」

 このとき、初めて高澄は表情を一変させた。

 眉目にありありと顕れる心の葛藤、その揺れを見て、忍は高澄がただの思いつきや気まぐれで言っているのではないことを察した。

「翔子が好きだった。だから、絶対にオレから別れを告げちゃいけないんだ。これ以上オレのわがままだけで、不用意に傷つけたくなかった。彼女がオレを心底見限って、振ってくれればいいと思っていた。……充分、最低なことだとは分かってる。でも、アイツ気付いたんだ、オレのウソに。無茶苦茶傷ついた顔して、怒らせた。翔子を甘く見てた、オレがバカだったんだな」

 波が打ち寄せて、たたずむ二人の足元を洗う。曇った空は静かな海も不穏なものに変えようとするが如く、二人に冷たい風を浴びせ、影を色濃く落とした。

「葉月さんはお前が好きだったんだ。傷つかないはずがないだろ……」

 規則的な波の音だけが、耳許にまとわりつく。まるで作り物みたいな音がする。

「なんで、別れたいと思うんだ」

 高澄は忍の問いに答えないかに見えた。忍も背を向けて歩いていこうとする彼を呼び止める気にはなれなかった。高澄の気持ちが分からない――それでいて、痛いほどに分かってしまう。不器用すぎたのだ。大切に思うあまりに、全てを裏目に返してしまう彼を責めるのは辛かった。

 行ってしまうかと思われた高澄は、不意に振り返って言った。

「心の中に別の人がいて、その人を忘れることも、翔子だけを見ていることもできないと分かったら? お前なら、そのままつきあっていられるか?」



「佳乃ちゃん、今日はありがとう」

 集合時間の号令がかかり、バスに帰ろうとする佳乃に翔子は笑いかけた。佳乃は慌てふためいてただゆるゆると首を振った。「そんな……あたしなんか、何も」

「いいの、佳乃ちゃんはそれで。不思議だね、佳乃ちゃんも花乃ちゃんも、そばにいてくれるだけで何だか安心するの。佳乃ちゃんならきっと、福原くんともうまくいくよ」

 頑張ってと言い残して、翔子は毅然とした姿勢でバスに乗り込んだ。高澄と同じバスに。

(うまくいく……? あたしと、福原くんが?)

 その言葉は確かに嬉しかった。けれど、妙に曖昧な感覚でこころの周辺を漂った。

 実感が湧かないせいで、うまくそれを受け止められないのだった。そうなることを望みながら、そうなったときの想像が出来ないと言うのも変な話だと思った。

(なんでだろう。あたしは確かに、それを願って彼に告白したはずなのに)

 何かが、ずっと腑に落ちないでいる。

 胸の奥の方に何かが引っかかっているような違和感を、かなり以前からずっと感じていた。正体が分からないので放っておいたのだが、それは胸につっかえたままどんどんと膨張してきているではないか。

 なにか、あとひとつピースをはめれば、それはすとんと落ちる気がする。けれどその最後のかけらを見つけてしまえば、終わってしまう――何かが。

 何が?


(あたしはわかっているのかもしれない……)

 この告白の行く末も、この想いの行き着く先も。

 ただ、まだ抗う力が残っているのなら。


 もう少しだけ、夢を見たい。

 初めての恋の、初めての冒険の夢を――。

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