『なにわ懐古街DEEPゾーン』~膝の黒猫と白い占い師

神無月ナナメ

「人生ターニング・ポイント《岐路》」

                  Ⅰ


 店内を、哀しい音色の閉店メロディーが流れ始めた。

 最後の持ち球が、音もたてず機械に吸い込まれる。入口前、並ぶ店員に見送られてパチンコ店を弾きだされた。地肌に突き刺さるほどの外気を、否応なしに意識する。

 ほぼ同時に、手持ちの有り金を思いだして魂までこごえるほどの寂寥感せきりょうかんを感じた。


 楽しい週末ウイークエンド、しかも夜だ。ミナミの繁華街は、どこもが人間ひとうずあふれてる。

 酔っ払うリーマン、ナンパ目的の学生、派手な色で騒ぐローティーン少女の群れ。


 その周囲で、怪しげな商売を行おうとうごめくヤクザまがいの男たちまで含めて様々な人種が所狭ところぜましと闊歩かっぽしていた。また、それらに負けないネオンがきらめ危険地域デンジャラズゾーン

 ここに集まる大半が、蓄積ちくせきしたストレス解消のために羽目を外してるんやろう。


 実際、昨日まで同じやったけど現在いまとてもやないが奴らと同じといわれへん。

 確かに、アテもなく歩き回るだけやけど決定的に異なってる点が一つあった。

 あいつらは、昨日までと変わらん当り前の明日がくるけど、俺にはけえへん。


 休日はゴロゴロ過ごして、週明けは変わらず学校や会社に二日酔いや疲れた身体で出かける。次の週末まで、勉強や仕事を繰り返す同じリズムの毎日を続けるはずや。


 俺には、当り前の明日がえへん。正確にいえば今晩、帰る家もあれへん。

 理由は単純明快。学校を卒業して五年近く勤めた会社が金融不況のあおりを意外な形で受けた結果やな。


 元々、業績自体ぎょうせきじたいかんばしくなかったはずや。親会社の経営陣が個人資産だけやなく運営資金まで投じてた外国株とか先物投資で大失敗。負債額が、天文学的数字までふくれて返済不可状態に陥った。その後、無責任な話で破産して行方ゆくえをくらませた。


 そのおかげで、勤務先子会社も連鎖倒産れんさとうさんに追い込まれた。

 多くの社員が退職金名目、わずかなカネを手にして路頭に迷うことになったんや。


 まぁ、あれや。平成初頭に起こった所謂いわゆる泡沫うたかたのバブル崩壊劇の再来やな。

 おまけに、都合悪い状況は重なるもんや。長く住んでる部屋が会社の独身寮でな。

 借金抵当に入ってたマンション所有者が換わり、今朝早くに追いだされたんや。


 頼れる家族や親戚もおらんし行く場所アテもない俺は、街をぶらついて手元に残ったわずかなカネで遊び回ってる。


 こんなことしても無駄と理解わかってる。具体案を考えなあかんとは頭で理解りかいしてる。


 けど現在いまは、そんな気分になれんかった。

 この瞬間ときは、すべて忘れたかったんや。すべて無意味な行為やったとしてもな。




                   Ⅱ


 続いて、気分直しに酒を呑もうとふところ具合に合致する店を物色ぶっしょくしてた。やがて、大通りに差しかかり長く愛用してるロングピースにガスライタで火をともす。


 ふと、誰かに見つめられる目線を意識した。あおぎ見た少し前方のにぎやかな通りに似あわん路地の入口に、おかしなじいさんがひっそりたたずんでたんや。


 まれに見る類の、酔客すいきゃく向け辻占い師らしいが奇妙な違和感を覚えた。その理由わけは、存在してない影の薄さと同時に硬質な存在感も漂わせる全体の雰囲気。その部分に、違和感を覚えたんかもしれんな。


 人通りが多く、にぎやかな通りや。じいさんを見つめる人間が俺だけとか、どこか何かがおかしいようにも感じる。普通やったら、おかしなじいさんが座ってるだけで占いに挑戦したり近寄らんでも、数多くの視線と注目が集まるはずや。


 そやのに誰ひとり見ようとしてへん。じいさんの姿に気づいてへんように思える。



 俺も一度は通り過ぎてから、何かにき止められるように立ち尽くした。それは、単なる好奇心だけやなくて何かの予感がひらめいたせいかもしれん。

 実際、その後に起こる数々の事件。人生の、一大転機ワンモアチャンスに繋がる状況を知るはずもなかったけどな。しばらく雑踏ざっとうたたずんでたけど、意を決して煙草を踏み消してからとにかく側に寄ろうと一歩を踏みだした。


 実際、近づく程じいさんから人間離れした吸引力パワーを感じた。占い師が心の奥底まで見通してるかの底知れん優しさに溢れた目をしてたからやろうな。


 見れば見るほど、おかしなじいさんやった。

 机上きじょうに「占い」とだけ書かれた貼紙はりがみがある。けど、それらしい道具がない小さなテーブルの向こうで静かにたたずみ微笑んでる。蒼白そうはくの長髪と顎髭あごひげに、薄汚れた白服と帽子をまとう姿が異国の仙人かサンタクロースを連想させる風貌ふうぼうやった。


 しかも、その姿と対照的な金色にひか双眸そうぼうを持つ黒猫を膝に抱えてる。その姿が不思議な調和をかもしだし、まるで一枚の高名な絵画みたいや。



「……お若い方、わしらの姿が見えとるのか?」

 勝手な妄想してる間に、じいさんが俺に向かって話しかけてた。


 咄嗟とっさに何と返事すれば良いか理解わからず、じいさんを見つめるしかできへん。


「ほほぉ、わしらが見えとるようじゃ。随分久しぶりのお客じゃなぁ、おまえや」

 ひざうずくまる猫ののどをあやし、じいさんはあっけに取られた俺を無視したごとか、意味が理解わからん言葉を小さくつぶやく。


「いやいや。何せ久しぶりのお客、ついついごとが多くなったわぃ、すまんのう。さて、わしに何か占って欲しい相談でもあるのかね?」

 気分を害したと考えたのか、じいさんは済まなさそうな表情で話していた。


いや、そんなつもり別に。でも、ついでやし俺の今後の運勢を占いしてもらおうか。たぶん現在いま以上、悪くなる未来さきはないと思うんやけど……」

 じいさんに、なぜか親しみが湧いて落ちる場所まで落ちた自分が今後どうなるか、どうすればよいか無駄を承知でたずねたかった理由もあり素直に応じた。


「そうでしょう、そうでしょう。用件もなしに、わしらの姿が見えるはずもないさ。そうそう、おまえさんの運勢だったのう。どれ、もっと顔を見せなされ」

 じいさんは、こちらも楽しくなるたぐいの、にこやかな笑い顔でつぶやいた。




                  Ⅲ


「顔、ですか?」

 占いに詳しくないが、普通は手相を見るはずやけど顔面占いなんてあったかと首をひねりながら、あっけに取られて呟く。


「そうじゃよ。顔さえ見れば、人間ひとの内面も理解わかるもの。ところでお前さん、現在いまの状態があまり良くないからと気に病む必要はないさ。良くなる未来はあっても決して悪くはならん。そう現在いまは、それしかいえんがの」

 じいさんは既に俺の人生と、そして未来に起こる事柄ことがらすべて知り尽くしてるかの口調で告げる。



なんでです? 俺の状況ことが、ほんまに理解わかるんですか?」

 じいさんに、すべてを知られた気がして少し狼狽うろたえながらも問いかえす。


「そりゃ、当然だわい。わたしゃ占い師ですから、それが商売さね。長年の勘とでもいいますかね。お前さんの過去も手に取るように理解わかるよ。お前さんは本来、非常に強い運勢の持ち主じゃ。現在いままでの不運、これから起こる好運の前兆かも知れん」

 じいさんは、とぼけた仕草と口調で続けた。



「ほんまに、そうやと信じたいけどね。しかし、どこまでほんまなんやろ」

 俺は頭部をひねって苦笑しつつも、じいさんの言葉を半ば信じてる自分を不思議に思いながら呟く。


 じいさんに対する親しみもあったが、なぜだか無性にアルコールが恋しく感じた。それと、再度ひとりに戻って最初から考えたいと強く感じた。そのためわずかやけど心ばかりの金銭カネを机上に置き、その場を立ち去ろうとした。



「待ちなされ!」

 その瞬間とき、じいさんが先刻さっきまでと違った強い口調で怒鳴どなった。


 去りぎわの俺は、その考えもしなかった大声に驚いて振りかえる。



 先刻さっきから、じいさんの膝の上で丸まり気持ち良さげに転寝うたたねしていた黒猫も大声に驚いて眼を覚ましたか、持ち前の金色の双眸そうぼうで辺りを心配そうにうかがってた。


「いやいや、大声で怒鳴どなって済まんのぅ……こんなものもらえんさね」

 じいさんはテレ隠しか、にこやかな顔で先刻さっき金銭カネを俺の手に戻した。


 そして、真面目な顔で告げた。

「最後、参考まで助言しよう。お前さんは、この後将来を決定づける出会いをする。それも……二度、一人目を見てお前さん自身を見つめ直すことじゃ。そして二人目はそうさのぅ、ひとつだけいっておくか……自分に素直になることじゃな」


「はぁ? そうですか……また、そのうち占ってもらいますわ」

 俺には、じいさんの最後の台詞セリフが、本当に何が何だかさっぱり理解わからんかったけど受けた助言を含め感謝の気持ちを伝えた。


「そうさのう。お前さんが本当に、心の底からわしらに会いたいと願う状況があればきっとどこかで会えるじゃろぅて」

 じいさんは微笑ほほえみながら、どこか寂しげなで応える。


 俺も、軽く微笑み返し会釈をしてまぶしいぐらいネオンが輝く街に歩みを進めた。最後に浮かべた、じいさんの謎めく表情かお膝上蹲うずくまる妖しい金色の双眼そうがんを持つ黒猫を生涯、忘れることはないだろうと後に考えるとは理解わかるはずもなかったが。




                   Ⅳ


 それにしても、おかしなじいさんやな。

 最後の台詞せりふ、二度の運命的出会い。ほんまやったら、誰に会うんかな。


 なぜかこみ上げる笑みを抑え、夜の街を歩き懐から取りだしたロングピースに火をけた瞬間ときやった。


 いきなり、背後から肩をつかんで引き止められる。

 驚いて振りかえると、年齢としたがわない客引きが次々に誘い文句を並べて向かいのピンサロまで引っ張ろうと営業セールストークをり広げた。


 その手を振り切って、誘いを断わろうと何気なく男の顔を見て今度は本当の驚きに愕然がくぜんとした。


 客引きが、高校時代のクラスメイトやったんや。

 さほど、親しくもなかったけど確かクラスでは一番学力が高かったはずで就職組の俺とちごうて東京の一流私大、それも医学部に現役入学したはずやけどな。



 驚き顔で見つめると、男もどうやら思いだしたか「おぉ、久しぶり」とか、何とも場違いな口調で話しかけてきた。


 どんな言葉を発するべきかも、よう理解わからん。


 学校内の噂では、裕福な資産家長男と聞いてたけど夜の街で仕事をしてる現況が、不思議としか表現できへんかったんや。


「おまえ、何でこんな仕事してんねん」

 それだけくのが、精一杯やった。


「色々あってん。俺は、現在いままで人生で得たもん、すべて捨ててきたんや」

 男は、自らをいましめるかの口調で応える。


 言葉の意味が理解できず、ぼんやりとたたずんでたら男は続けた。


理解わからんならそれでええし、理解されたいと思うてへん。けど俺は現在いまの暮しに、十分満足してんねん」

 やはり、旧友に現在いまの姿を見られて自棄やけになってるんやと単純に考えた。



「ねえ。あんたぁ」

 その瞬間とき、ふいに俺たちの背後から男に声をかける女がいた。


「ああ、お前かいな。今日は遅番やて、話しといたやろ!」

 声をかけられ、男はまるで邪魔するなといいたげな口調で応える。


理解わかってるわよぉ。ちょっとだけ買物ついでに寄っただけやからぁ」

 それだけつぶやくと女は、すぐに雑踏に消えた。


「見てたやろ。先刻さっきの女、俺の女房よめや」

 女が、雑踏に紛れてから男は告げた。


 耳にした事実が俺には、にわかに信じられへん。


 女は、どう見ても三十路みそじは越えてて、どない贔屓目ひいきめに見ても美人とは到底いわれん姿かたちやった。



 男が実家をでた理由と、深く関わりあるように感じられる。

「お前が考えとる内容、話さんでもよう理解わかるで。皆に、同じ言葉をいわれたしな。そや! 俺はアホな男や! けどな、あんな女でも俺にはなくてはならんのや」


 男は俺の心中を察したのか、はっきりした口調で伝えた。

 男の言葉を聞いて、本当の意味で衝撃ショックを受けた。


 たかが女のために、自分のすべてを捨てるとか考えられへん状況や。


 俺も昔は、何年か付きあってた女がいたわ。ちょっとだけ、一緒に暮らしてたけど互いの仕事上スレ違いが続き、しょうもない理由から口論になり愛しあってたはずが別れた状況があったんや。


 大昔を思いだし、感傷かんしょうひたってると男は気まずそうにそっぽを向いた。真実リアルを、伝えなければ良かったと後悔してたんかも知れん。



 その瞬間とき、呼び込みの声が聞こえず仕事をサボってると勘違いされたんかピンサロ店内から怒鳴り声が響いた。


「店、入らんのなら帰ってぇや、邪魔やからな。ほな、あんたも元気でな」

 男は、それだけこぼすと元の大声で呼び込みを開始した。


 そして、二度と振り向きもせんかった。

 俺は、なぜか悲しくていたたまれん心境のまま静かに、その場を離れた。




                  Ⅴ


 その後、当てもないまま、ただただ歩き続けた。

 妙に、悲しい気持ちで涙がこぼれてくる理由は先刻さっきの言葉が胸につかえてたからや。


 今更やけど、何度となく考え直しても俺の半生は奴と違って後悔の連続やった。


 あの状況も、そうや。

 中学の頃、家に帰らず遊び回ってて母の死に目を看取みとられんかった。

 三日ぶり帰宅した俺を待ってた状況は、もう動かず冷たい母を横にした家族と親戚一同のあわれみと、さげすみの入り混じった視線や。


 誰もが、直接は伝えんかったけど周囲の視線が、すべてを語ってた。

 直接死因は、過労と心労らしいけども言葉の意味する内容はアホな俺にも、すぐに理解わかった。


 すべての元凶げんきょうは、俺なんや!

 その場にいたたまれず、そのまま家を飛びだした。


 そして、あの場面でもそうや。

 高校時代から付きあい一緒に暮らしてた女と、互いの時間があわずスレ違い生活が続いた後、互いに傷つけあいののしりあう言葉で別れた。


 やり直す気があれば、いつでも戻れたはずやけど若かったんや。お互いに、意地の張りあいで決別した彼女は五年近くうてへん。


 恐らく、新しい男ができて結婚して子供ガキもいてるやろう。


 しかし俺は、現在いままで何してきたんや?

 そやな。どれもこれも、恐らく俺の身勝手さが原因や。


 なんて、アホな男なんや。俺は。


 現在いまになってから、後悔してるんやからな。

 先刻さっき、じいさんが言葉にした出会い。この状況なんか?


 いまだに信じられへんけど、すべて嘘でもなかったんやな。


 確か、一人目の出会いで「自分を見つめ直せ」いうてたはずや。

 確かに、じいさんの言葉は当たってる。


 俺は、自分の過去と現実をいまさら考えて見つめ直してるからな。


 なら、次は二人目か。

 いったい誰やろな。


 ひょっとして、もしかしたら――




                  Ⅵ


 そんな妄想で脳内支配される状況下、ロングピースの紫煙を肺一杯吸い込みながら夜の街を当てもなく彷徨さまよい続けた深夜帯。


 雑踏ですれ違った女の顔に、どこか見覚えある自分に気づいた。

 相手も気づいたらしく驚き顔で双眸そうぼうを見開いて、その場で立ち尽くしてる。


 あれは、まさか?

 いや……間違いあれへん!


 彼女や。

 五年前、別れた瞬間ときから、あんまり変わってへんけど、おかしな偶然やな。


 いや、違うな。

 そうか。そうなんや。



 じいさんの言葉にあった、二人目の出会いなんや!

 確か、じいさんは「自分に素直になれ」と助言アドバイスしてくれた。


 先刻さっき気づいたけど俺にとっての彼女。多分、なくてはならん存在や。


 けど彼女は俺を、どう思うてるんや?

 現在いまも、俺を愛してくれて……いや、憎んでるかもしれん。



 多分、そやろ。

 確か、別れようと伝えたんは俺の方やったし。


 しかし、あれだけ勝手ばかりしてた俺やけど、許してくれへんかな?


 そして、やり直されへんやろか?

 もしも、許してくれるなら今度こそ。


 もう一度だけと、期待を込めて彼女を見つめる。

 すれ違った、人通りも多い街中で呆然と立ち尽くす姿。瞳をうるませてるんか。


 あの状況なら彼女も多分、俺のことを?

 なら、現在いまの俺ができる行動はひとつだけや。


 今度は、後悔せえへんよう迷わず行動した。

 どれだけ人間ひとが見ても、関係あれへん。現在いまこそ、素直になる瞬間ときなんや。


 決意して、彼女の元に駆け寄り細い身体をきつく抱きしめる。

 彼女の肌の温もりと、昔と変わらんコロンの香りにかすかな体臭。


 変わらず伸ばした柔かい髪の手触り、どれも懐かしく脳裏に鮮明に思い描けた。


 それに伴い、彼女を抱いた腕にかける力も自然に強くなる。

 それに応えようと数瞬後、腰に回されたか細い腕。得もいわれん心地良さや。

 魂の安らぎと落ちつき先を、ようやく見つけたような気がした。


 その瞬間とき、じいさんの笑い声と黒猫の鳴き声が確かに脳内に響いた。俺の心中は、存在するはずもない神に対する感謝で満たされていた。

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