第2話 幼馴染み♂は俺の嫁 その7
ゲーム内での結婚とその報告から、突然姿を現したストーカー君を通報して、その後にこれまた突然始まった告白大会が、ルミナを優勝賞品にしたトーナメントに発展する前に逃げ出したのが昨日のこと。
今日は日曜日。天気は晴れ。日差しは暖かく、降水確率は夜までゼロで、絶好の外出日和だった。
平日とあまり変わらない時間に起きた俺は、ゆっくりと朝食を食べてから、顔を洗ったり着替えをしたりと身嗜みを整えて、家を出た。
待ち合わせの場所である駅前の広場には、まだ午前中だというのに賑わっている。なんとなしに見まわしてみると、男女二人連れの姿が圧倒的に多い。一人で突っ立っている人影も、後からやって来た異性の相手と連れだって広場から出ていく。
(俺も周りからは、彼女と待ち合わせしているように見えているのかね……)
微妙な疎外感を感じていたところに、向こうから光が小走りでやってきた。
裏地がちょっと洒落ているパーカーに無地のTシャツとチノパンという出で立ちだ。ことさら気合の入った服装というわけでもないのに目立っているのは、着ているのが光だからだ。先に来ていたのが俺じゃなくて光だったら、間違いなく逆ナンされていただろう。
「ごめん、待たせた?」
光は肩で息をしながら言ってくる。
「おう、ちょっとな」
そう答えた俺に、光はなぜだか苦笑した。
「そこは、俺もいまきたばかりだよ、とか言ってほしかったな」
「なんで、おまえにそんな気遣いしなくちゃならないんだよ」
「それもそうか」
光は朗らかに笑うと、
「で、どうする?」
そう訊いてきた。
「どうするも何も、観たい映画があるんだろ?」
俺はちょっと眉根を寄せながら聞き返す。
「うん、そうだった。じゃあ、とりあえず映画館に行こうか」
光は笑顔のまま言うと、俺を促すようにして歩き出した。
「……?」
なんだか調子が狂うな、と思いつつも、俺は早足で光の隣まで行くと、
「そっちの高校はどうよ?」
「楽しくやってるよ」
などと世間話をしながら、日曜日のどこか浮ついた駅前通りを並んで歩いた。
光が観たかったのは、制作費の高さで話題になっていたアクション映画だ。実際、序盤のアクションシーンは相当に面白かったけれど、肝心のストーリーはがばがばだった。突っ込みどころが満載すぎて、どういうふうに終わらせるつもりなのかが逆に気になり、最後まで居眠りせずに観てしまった。
上映室から出てきたところで、俺と光は目を見合わせて、
「あのラストはないな」
開口一番、異口同音に言って笑った。
その後、少し歩いたところのピザ屋に入ってからも、ピザを頬張りながら映画への文句と感想と文句を言い合った。
「最初の十五分は本当に面白かったな」
「うん、最初の十五分はね」
「中盤は苛々しっぱなしだったな」
「でも、あんまり話が進まなすぎて、最後にどういう落とすのか気になってきたよね」
「まさにそれ! つまらなさが一周まわってワクワクしてくる感じな」
「あはは、なんだよそれ」
「でも分かるだろ?」
「うん、分かる」
「だよな」
石窯で焼き上げたとかいうボリューム感がたっぷりな生地のピザも美味しかったし、映画の感想をぶちまけ合うのも楽しかった。
なお、このピザ屋を選んだのも光だった。
「この店、前から気になっていたんだよね。でも、一人で入るのは場違い感が強かったから、助かったよ」
「いや、男二人っていうのも場違い感、結構あるけどな!」
ふいにしみじみとした口調で言う光に、俺はすかさず、そう言い返したのだった。
腹が膨れた後は、このまま駅前をぶらぶらすることになった。
俺としてはここで別れて帰宅でもよかったのだけど、
「実際に顔を合せて遊ぶの、中学卒業してから初めてなんだし、もうちょっとだらだらしていこうよ」
そう言って引き留める光に負けたのだった。
とはいえ、無理やり付き合ったわけではない。最初の数分こそ億劫な気分もあったけれど、パソコンショップから服屋、本屋、ゲーム屋……と手当たり次第に巡っているうち、いつの間にか心の底から楽しんでいた。
基本的に、俺と光は趣味が合う。ゲームや漫画が好きで、服を見るのもそれなりに好き。パソコンにも興味があって、ネットとゲームだけならスマホだけでも事足りるけれど、自作パソコンって格好いいなとか思っている――十年近く友人をやっているのは、何もただ幼馴染みだからというわけではないのだった。
結局、日が大分傾くまで、俺は光と一緒に色んな店を冷やかしてまわった。夕方にはまだ時間があったけれど、さすがに足が疲れてきた俺たちは、ちょうど見つけた喫茶店に入って一休みした。
探せばどこにでもある全国チェーンの喫茶店で、中学生のときにも何度か、光や他の友人らと寄ったことのある店だ。
「はぁ……」
足の低い丸テーブルに面して据えられている一人掛けのソファに腰を沈めると、独りでに溜め息が漏れた。テーブルを挟んで向かい合ったソファに座った光の口からも、似たような溜め息。
「座った途端に、どっと疲れが出てきた感じだね」
「そうだな……年かな?」
「というより、一年間勉強漬けで運動不足だからじゃない?」
「ああ……ありそうだ。おまえけに、受験が終わっても部活に入らずネトゲ三昧だもんなぁ……そりゃ、体力も落ちてるよなぁ……」
自分で言ってみると、自分がどれほど自堕落な日々を過ごしているのかを想像以上にはっきりと自覚させられてしまう。
「あ……なんか、ごめん」
肩を落としていたら、光に謝られた。
「俺、要が部活に入っているかどうかを全然考えずに、ネトゲしてくれって頼んじゃってた……」
「いまさらだな。まあ、元から入っていなかったし、これから入る予定もなかったから、そこは気にしなくていいよ」
「うん……」
「というか、かりに部活をやっていたりしてネトゲする時間がなかったとしたら、最初に電話がかかってきた時点で断固、断っていたっての」
「……そうかな?」
光はなぜか疑わしげな小首を傾げる。
「そうだよ」
俺は憮然とした顔をして続けた。
「たしかに、光には昔から色々と世話になっている自覚はあるけれど、部活を辞めてまで付き合うようなことはしないよ。俺はおまえの子分じゃないんだからな」
最後に冗談めかして言うと、光はきょとんとした様子で瞬きをしてから、興味深げな目つきで訊いてきた。
「子分じゃなかったら……何?」
「は?」
「だから、俺と要の関係って何なのかな……って」
光は冗談めかしていたものの、店内の少し抑えられた照明のせいか、俺を見据える目つきが妙に思い詰めたものに見えた。だから、俺は喉元まで出かかっていた憎まれ口をぐっと呑み込み、真面目に答えた。
「そんなの、幼馴染みってことだろ。それで不満なら、友人とか親友とか腐れ縁とか、そこらへんを言えば何でも好きに当て嵌めろよ。それ全部が正解ってことで、間違ってないだろ?」
「……うん。そうだね」
最後のほうはちょっとぶっきらぼうな言葉になったけれど、光は口元を緩ませながら頷いた。でも、俺にはその顔が、やっぱりどこか物足りなげに思っているようにも見えた。
喫茶店で一息入れた後は、まだ日暮れまでには時間があったけれど、帰ることにした。俺としては、もう少し遊んでいってもよかったのだけど、光から「そろそろ帰ろう」と言ってきたのだった。
「なんかネトゲしたくなっちゃった」
……なのだそうだった。
来るときはわざわざ現地で待ち合わせたけれど、幼馴染みなだけあって、俺と光の家はそう離れていない。駅からの帰り道はほとんど一緒だ。
繁華街から離れるにつれて車輌の減っていく道路を、俺たちはだらだらと話をしながら歩いた。最初は他の話題で話していたと思ったが、気がつけば話題は【ルインズエイジ】のことになっていた。
「要はこの後、どういうスキル振りにしていくつもりなの?」
「そうだな……射程の長い魔術系の攻撃スキルもちょっとは欲しいけれど、武器に属性を付与するのが気になっているんだよな」
「魔法戦士、魔剣士……うわーかっこいー」
「うっさいな! いいだろ、ゲームの中でくらい中二全開でも!」
「あはは、自分で認めちゃうんだ」
「認めるっていうか、否認する必然性がないってだけだ」
「そういうもの?」
「じゃあ、おまえはどうなんだよ」
「え?」
「ネトゲで女キャラを使ってて、しかも中身も女だと思われているなんて、中二病どころの話じゃないよなぁ。うわーかっこいー」
さっき言われた棒読み口調のからかいを真似し返してやると、光は憮然とした様子で唇を尖らせる。
「最初にも言ったけど、女キャラで始めるつもりだったわけじゃないんだ。デフォルト設定から性別を変えられると思わなくて……それに、女だって勘違いされているのは、こっちのせいじゃないよ。こっちは何度も、リアルは男です、って説明したんだし!」
「むしろ、そこまで説明しても信じてもらえないのが逆にすごいよな。なんか、女子だと思われるようなオーラでも出しているんじゃないか?」
「ネット越しでも伝わるオーラって、とてもすごいもののような気もするんだけど……うぅ、要らないよ……」
「ある意味、才能だよな。要は勉強もできてスポーツもできて、おまけに女子力まであるとは……いやいや、才能の塊だな」
俺は自分の言葉に笑い声を上げる。でも、光は笑わなかった。からかわれて憮然とした顔をする――ということもなかった。
光は思い詰めたような目で俺を見つめていた。
「え……?」
俺は思わず立ち止まった。光も足を止めて、俺をじっと見据える。俺の顔に何かついているのか、それとも本気で怒らせてしまったのか……。
「えっと……光、どうした? 俺、何か地雷を踏んだか?」
「……ううん、そうじゃないんだ」
「じゃあ、なんだ?」
聞き返した俺に、光は少し口籠もってから、意を決したように言った。
「俺、さ……正直よく分かんなくなっていたんだ」
光はそこでまた言葉を切ってしまうけれど、俺は黙って続きを待った。沈黙は、実際には十秒もなかったと思う。
「ルミナがさ、最初は仕方なくだったんだ……ああ、これじゃ何を言っているのか分からないよな、うん。ちょっとまって、整理するから」
「いいぞ、ゆっくりで」
俺は苦笑いして鷹揚に頷く。光はまたしばし口籠もるように間を置いてから、改めて口を開いた。
「……最初は勘違いで使い始めた女キャラで、とくに思い入れがあるわけでもなかった。じつは男キャラでも作れると分かってからも、“もうレベルもそこそこ上がっていて作り直すのも面倒だし、まあいいか。仕方ないか”と思って、ルミナを使い続けていた。それだけだったんだ。でも……」
光は考えをまとめながらなのか、ゆっくりと話す。
「これはべつに、ネトゲのキャラにかぎったことじゃないと思うけれど、ひとつのものをずっと使い続けていると沸くんだよね。愛着が、さ」
また言葉を切った光に、俺は一言だけかけて先を促す。
「愛着?」
「うん……ほら、ネトゲのキャラなんてとくに、自分の分身として操作するわけでしょ。だからだと思うんだけど、ルミナを操作しているうちに、ルミナがどんどん馴染んでくるというか、自分の一部……自分自身になっていくというか……」
またしても言い淀んでしまう光の言葉を、俺は想像で補って続けた。
「ルミナを操作している最中は、心からルミナになりきるようになっていた、と」
俺がそう言うと、光は胸を殴られたみたいによろめいた。
「ううっ……他人の口からはっきり言われると堪えるけれど……うん、その通りだよ……」
苦笑いする光に、俺は独りごちた。
「なるほど、ロールプレイってやつか」
自分の操作キャラを、ただの記号としてではなく、あたかも演劇における役のように見なす遊び方のことだ。
例えば、騎士だったら時代がかった口調でチャットしたり、白髪の老年キャラだったら語尾に「~じゃ」とつけて会話したりなどだ。もっと上級者になると、
「このキャラは右目を斬られた設定だから、つねに眼帯装備で、右側の敵に先制攻撃はしない」
と、ゲーム性の影響の出るところにまでロールプレイを徹するのだとか。
その観点から考えると、光はルミナを操作するとき、
「女役を演じる」
という意味でのロールプレイを、いつの間にやら行うようになっていたのだろう。
俺がそんなふうに思考を巡らせている間も、光は所在なげに視線を泳がせていたが、やがて大きな溜め息を吐いた。
「本当の本気に、最初はまったく全然そんなつもりはなかったし、いまだってそんなつもりはないんだ。でも、冷静に客観的にゲーム中の自分を俯瞰視してみると、俺はルミナというキャラを多少なりとも役作りして演じていたように思うんだ」
「まあ、そういうふうになっていくのも分からなくはないな。俺だって、ゲームの中だと実生活より気が大きくなること、たぶんあるし」
俺は共感を示したが、光はますます苦笑を深める。
「うん……でも、俺の場合はそこからさらに、逆流というかフィードバックというか……そういうのがある感じなんだよね」
「フィードバック……?」
「うん」
と頷いた後、光は言葉を探すようにゆっくりと続ける。
「鏡を見つめるというのは、鏡に映る自分に見つめられることだ――ということなのか……ルミナを演じているうちに、ルミナのほうがこっちに入り込んできているみたいなんだよね……」
その言葉に、俺はしばし、首を捻った。
「つまり……ロールプレイが日常でも抜けなくなっている?」
「……うん」
光はぎこちなく頷く。
「それは、ええと、つまり……ただの演技とか振りとか遊びの余興としてでなく、本気で心から女になりつつある……と?」
俺がおそるおそる尋ねた途端に、
「違うよッ!!」
大声で否定された。
光はそれから、声を抑えて続ける。
「いや、違わないと思いたかったんだ。だから、今日、おまえを遊びに誘ったんだよ」
「……?」
俺は無言で首を傾げる。光は不安げに目を泳がせながら続けた。
「ネトゲの中のルミナとクラッシュだから変にドキドキしてしまうのであって、生身の俺と要で遊ぶんだったら、ドキドキするわけがない。そして、ドキドキしないのならば、俺は変になったわけじゃない。ただちょっと、ネトゲのやりすぎで一過性の麻疹に罹っただけなんだって証明できる――そう思ったんだ」
最初は言葉を探すようにたどたどしかったが、最後のほうは熱に浮かされたような顔つきで一気に捲し立てたのだった。
俺には正直、光の言わんとするところが全て分かったという自信はなかった。だから、とりあえず、こう尋ねた。
「……で、どうだったんだ?」
「うん、ドキドキしなかった。普通だった。普通に楽しいだけだった!」
光は心底嬉しそうに笑った。思わず目を細めてしまうほどの、眩しい笑顔だった。
「いやあ、じつは自分でも心配だったんだよ。もし、リアルで会った要に、【ルインズ】の中でクラッシュに感じてしまったのと同じドキドキを感じちゃったら……って心配で心配で眠れなくて、昨日はなかなか寝付けなかったんだよね。おかげで今朝はぎりぎりになって、待ち合わせにちょっと遅刻しちゃったんだよ。悪かった、ごめん」
光はちょっと戸惑うくらい陽気に喋くる。
「うん、それはもういいんだが……」
俺が口元を引き攣らせながらそう言って頷いたら、
「あっ、でも要だって悪いんだからね」
いきなりそんなことを言ってこられた。
「……は?」
ぽかんと口を半開きにする俺を、光は仏頂面で睨んでくる。
「要がみんなの前でいきなり、俺の嫁だーとか言ったりするから、こっちは寝付きが悪くなるほど思い悩む羽目になったんだからね!」
「……は?」
開きっぱなしの口から、さっきと同じ音が出た。すると、光の仏頂面がますます仏頂面になる。
「昨日、要が言ったんじゃないか」
「……言ったか?」
「言ったよ。【ルインズ】の中で」
「ああ……」
言ったな、たしかに。
「でも、あれはおまえに対して言ったんじゃないぞ」
「分かっているよ。ルミナに対して言ったんだ、だろ。でも、ドキッとしちゃったんだ。だから俺は、そのドキッが、ルミナとしてなのか、俺自身としてなのかを確かめなくちゃならなかったんだよ。分かるだろ? 分かるよね!?」
「お、おう、分かる。分かった。分かったから、落ち着け」
必死の形相で詰め寄ってくる光を、俺は仰け反りながら宥めた。
「あ……ごめん。でも大丈夫、落ち着いた」
光は少し赤面しながら、わざとらしい咳払いをする。そして、顔に再び、満面の笑みを浮かべて言った。
「何はともあれ、今日一日のデートで確信できたから、いいんだ。あのドキッは、ルミナが感じただけのものだった。俺の感じたものじゃなかった」
「って、待て待て。デートって何だよ!?」
俺はそう聞き返さずにはいられなかった。光はしれっとした顔で答えてくれた。
「今日の行き先はデートコースのつもりで選んだんだ。だって、そうじゃないと、俺がおまえにドキッをまた感じるかどうかの確認テストにならないだろ」
「むっ……」
確かにその通りだ。理屈として間違っていない。でも、さっぱり釈然としなかった。
「デート……俺はただ、久々にネトゲ以外でおまえと遊んだだけのつもりだったのに、おまえはデーとしているつもりだったとか……うわぁ、なんだこの冒涜的で名状しがたい感覚は……」
「あんまり深く考えないでよ。きっと健康に悪いから」
光はあっけらかんと笑う。
今日の光はなんだか喜怒哀楽が激しい。寝不足せいもあるのだろうけど、悩み事が解決した反動も出ているのだろう。
「まあ……ともかく、おまえの悩み事は解決できたってことんだよな。よかったよ」
「うん、ありがと」
俺としては少々の皮肉を込めた祝辞でもあったのだけど、光は素直に受け取って、微笑んだのだった。
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