幼馴染み♂がネトゲ嫁!

雨夜

第1話 幼馴染み♂からのSOS その1

「助けてくれ!」


 液晶に表示された応答ボタンに指を置くなり、携帯電話から切羽詰まった声が飛び出してきた。学校帰りの道程でかかってきた電話の第一声だった。


「……なんだ?」


 俺は戸惑いながら聞き返した。

 着信の相手は、俺の幼馴染みだ。ただし、俺よりもずっと頭が良くて、中学までは一緒だったけれど、高校は別のところに進んだ。向こうは県下有数の進学校で、俺はもっと平凡な進学校に通っている。


「助けてくれ! もう、おまえにしか頼れないんだ!」


 中学の終業式からこっち、一度も電話してこなかった相手が、どの口でほざいているのか。

 終業式が三月の初めで、いまは四月半ばだから、一ヶ月半振りに声を聞いたことになる。だけど、懐かしいという感情は沸かなかった。あるのは唯々、戸惑いばかりだった。


「いや、俺にしか頼れないって……無理だろ、それ」

「なんで!? まだ何も説明してないのに!」

「説明も何も、おまえにできないことが俺にできるわけがないだろ」

「え、そうか? そんなことないだろ」

「あるよ! 大いにありまくりだよ!」


 これは謙遜だとか、厄介事を断るための前振りだとかではない。純然たる事実だ。

 電話の相手である幼馴染み――伊東いとうひかるを一言で言い表すのなら、完全無欠の優等生、だ。

 中学生のときは、一年生の最初のテストで学年一位を取って以降、それからの三年間、最悪に調子を崩したときでも五位という成績を保ち続けた。

 勉強ができるからといって、それを鼻にかけることはなく、男女どちらからも好かれる好青年だった。生徒からだけでなく、教師からも信頼されていたし、みんなの期待を裏切ったこともなかった。当然、生徒会長だった。生徒会の業務に専念したいとの理由で部活には入っていなかったけれど、体育の授業ではサッカーだろうがバスケだろうが、部活に入っている面々を

 勉強ができて性格がよくて、そのうえさらに見た目も完璧だった。

 容姿端麗、眉目秀麗、明眸皓歯――そんな言葉をいくらでも好きなだけ並べ立てればいい。まさにそうした言葉通りの見た目だった。

 ただし、男前という表現だけは少し違うかもしれない。なぜなら、光は文化祭で開催された『ミスター女装コンテスト』で満場一致の最優秀賞を取ったこともあるからだ。

 ――とまあ、俺の幼馴染みの伊東光は、ちょっと冗談みたいなイケメン優等生なのだ。俺のような外見も中身も平々凡々な奴とは住む世界の違う人種なのだ。後半のは単なる僻みだが。

 そんな完璧超人系男子の光と、どこにでもいる十把一絡げの俺との腐れ縁も、別々の高校に進んだことでついに終わったかと思っていたのだが、いまこうして唐突に電話が来て、助けを求められている……さて、この状況は何なのだろうか?


「まあとにかく、話を聞いてくれよ。俺たち親友だろ?」

「終業式以来、メッセのやり取りすらしていないけどな」

「じつはさ、俺……ネトゲに嵌っているんだ」


 俺の嫌味を無視して、光は話し始めた。


「……ネトゲ? ネットゲームのことか?」


 光の口から出てきた、光から最も遠いところにある単語に、俺は聞き返さずにはいられなかった。


「聞きたいか?」


 電話口の声は、にやにや笑っている。


「いいから言えよ。聞いてやるから」

「そうこなくっちゃ」


 光は嬉しそうにそう言うと、滔々と話し始めた。



 光が初めてネットゲームに出会ったのは、つい二ヶ月ほど前のことだった。

 年明け早々に実施された推薦入試の結果は、二月に入ってすぐ発表された。光はもちろん順当に合格していて、光の高校受験は一般入試組に先んじて、そこで無事にゴールと相成った。

 受験勉強が終わり、生徒会の仕事もとっくに引き継ぎが終わっていて、いまさらしゃしゃり出るのもよろしくなかろう。でも、みんなはいまが正念場だから、遊びに行こうと誘うわけにもいかない。

 だからといって、いますぐ高校の教科書を予習しておこうという気にもなれない。ならば一体、何をしようか――というときに、光は親戚の兄からパソコンのお下がりをもらった。お下がりといっても一世代前の最新型で、いまでも十分すぎるほど高性能なものだ。

 パソコンは以前からあったけれど、それは居間にある家族共有のもので、ほとんどは父親が使っていた。今度もらったパソコンは、光の部屋に設置した、光専用のパソコンだ。

 光は最初、映画会社のサイトで古い映画を観たりしていたのだけど、あるときふと興味を惹かれてクリックしたバナー広告が、ネットゲームの広告だった。

 「ルインズエイジ」という題名のネットゲームに、光は自分でもびっくりするほど嵌ってしまった。同級生の多くが受験の追い込みで必死になっているとき、充血する目に目薬を差しながらダンジョンに潜っていた。

 定期的に更新されるストーリーを最新話まで進め終わった後は、ネットで検索した攻略サイトで情報を確かめながら、スキルや装備を調えていった。テスト勉強における要領の良さをネトゲ攻略にも見事に応用させて、光はあっという間に一端のネトゲ野郎に育ったのだった。ただし、光のネトゲ内でのキャラは野郎ではなかった。

 「ルインズエイジ」における光の操作キャラPCは、女性キャラである。これはべつに、意図してのことではなかったらしい。

 「ルインズエイジ」のキャラクター作成は、まず自キャラの職業を決めるところから始まる。このとき、職業クラスごとに用意された容姿体型調整済みプリセットのキャラクターが表示される。その後の作業で、プリセットされたキャラクターの性別を変えたり、容姿や体型を好みの具合に調整させていくことになる。

 だけど、光はそれを、


「ああ、職業ごとにキャラクターが決まっているのか」


 と思ったのだという。

 職業ごとにキャラクターが固定されている形式だと思ったというわけだ。

 光がやりたかったのは、選択できる職業の中で唯一、最初から回復技を使える神官プリーストだった。そして、神官を選択したときに表示されるプリセットのキャラは女性キャラだった。光はそれをそのまま、何の調整も加えずに決定ボタンをクリックしてキャラクター登録したというわけだったそうな。

 ゲームを始めてしばらくすると、性別や見た目を自由に決められることに気づいたのだけど、そのときには既にそこそこレベルが上がっていて、また最初からチュートリアルやレベル上げをやり直すのも面倒だと思った光は、女性キャラのままゲームを続けた。性別による有利不利や、ストーリーの分岐ということもなかったから、女性キャラを使っていると意識することは特になかった。

 自分が女性キャラを使っているのだ、と初めて意識することになったのは、初めて他人とパーティを組んだときのことだ。

 ストーリーを進めるためには、操作キャラクターの強化――すなわち、レベル上げや装備の更新が欠かせない。そして、そのためには単独ソロで行動するよりも、他のプレイヤーPLが操作するキャラクターPCとパーティを組んで行動したほうが断然、効率的だ。

 複数パーティでなら、単独ではとても踏み込めない難易度のダンジョンで狩りをすることができる。敵を倒すことで得られる経験値は人数に応じて等分されるけれど、それを差し引いても遥かに効率よく経験値を稼げるのだ。

 だから当然、光もパーティを組んだ。知らない相手と一緒に行動するということに多少の不安と緊張はあったものの、持ち前の社交性をネット上でも遺憾なく発揮して、初めてのパーティ狩りは大成功に終わった……とは言えなかった。

 光はパーティ狩りにおいて神官に求められる立ちまわりを、あらかじめ攻略サイトで調べておいたのだけど、それが裏目に出たのだ。

 そのサイトでは、


「敵の標的にされたら、味方が助けに入りやすいように、下手に逃げたりしないで耐えるべし」


 と書かれていたので、光はその通りに実行した。でも、その戦い方は、標準以上に装備の整った上級者向けのもので、最低限の装備しか身に着けていない光のキャラが棒立ちで攻撃を食らい続けるのでは、自分への回復技ヒールを連発しても、回復量がダメージ量に追いつかないのだった。

 自分の装備に不釣り合いな戦い方を実践してしまったせいで、光は狩りを初めて早々に一度死んでしまい、パーティ全体を窮地に追い込んでしまった。そのときは前衛だった騎士ナイトの人が回復アイテムを連打して耐えている間に、他の仲間が蘇生アイテムで光を生き返らせくれて、全滅寸前のところから立て直すことができたのだという。

 その一度で光も理解し、敵の標的にされてしまったら、防御力の高い前衛のほうに逃げるようになり、その後は危なげなく狩りを続けられたのだそうだ。

 その狩りも二時間ほどで終了して、全員で街中に戻った。光はそのときになって初めて知ったのだそうだが、パーティの光以外の面子は全員、同じ一門ファミリーに所属していた。

 一門というのは、他のネトゲではギルド、クラン、チームなどと呼ばれていたりもするもので、要するにプレイヤー同士の集まりのことだ。共通の趣味を持つ者同士や、似たようなプレイスタイルだから、なんとなく気が合って……などで集まった者同士で結成する。

 光が初めてパーティを組んだときの一門は、三番目の理由――なんとなく気が合った者同士で集まった一門だった。

 初めてのパーティ狩りが終わった後、光は彼らの一門に誘われた。


「合わないと思ったら、すぐに抜けてくれていいし」


 一門のマスターである騎士さんに言われて、


「じゃあ、それなら……」


 と、光は彼らの一門に加入した。

 ――光は、そのときはまだ、本当に気が合ったから誘われただけだと思っていたのだそうだ。それもまた本当ではあったのだろうけれど、理由の全てではなかった。彼らが光を一門に誘ったのは、光が女性キャラだったからだ。もっと言うなら、女性神官だったからだ。

 これは僕自身の私見になるが、可愛い女性キャラの回復役ヒーラーと一緒にする狩りの楽しさというのは、男性がネトゲに嵌る理由の三割は占めていると思っている。

 光は最初からずっと、ですます口調の丁寧語でチャットしていた。ネットで一般的な隠語スラングも、そもそも知らないから使わなかった。ゲームについての知識も他の仲間ファミリアのほうが詳しかったから、聞き手にまわるほうが多かった。そして、光はネットでも実生活と同じく、聞き上手というか会話上手だった。

 狩りのときは地味なわりに忙しい回復役を甲斐甲斐しく務めてくれて、雑談中は控えめながらも、どんな話題にでも楽しく乗ってくれる。その上、言葉使いは丁寧、柔らか。

 ここまでくると、普通だったらけして良い印象は抱かれないプリセットそのままの外見も、


「調整できると気づかなかったなんて、おっちょこちょいだな。初々しいな」


 というように、可愛らしいドジっ子キャラとして好意的に受け止められていた。

 自分に対するそんな評価に、光はしばらく気づかなかった。

 光が初めて、


「あれ? もしかして、女性扱いされているような……?」


 と思ったのは、一人の門人ファミリアから何度目かのプレゼントを受け取ったときのことだった。

 その相手からは一門に加わった翌日から、ちょこちょことアイテムを贈られていた。最初は本当にちょっとしたもの――一番安い回復アイテムや、そのままでは何の効果もないけれど、何個か集めて専用商人NPCに渡す回復アイテムに交換してもらえる収集品ドロップだったりを貰うくらいだった。

 それがだんだんと、武具や装飾品などの高価なものになっていく……。

 光の装備を全て売っても買えないほど高価な装備を贈られるようになるまでに、最初の回復アイテムを受け取ってから十日とかからなかった。

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