第12話 たった一度の諦め


一回だけ。

たった一回だけ。


俺は情けなくも「諦めた」事がある。

その前に必然的な「諦め」を受け入れなければいけなかったが

盲目的な根性だけはあったのか、その時は「息を引き取る最期」まで

諦めるという思考を抱きはしなかった。


ただ、運命は

人を選ぶのだな…と。

少しだけ、未来の枠から外された現実に寂しさはあった。


そしてやがて全てを凍らせる程、あらゆる感覚を鈍らせる程の雪に、手を伸ばし―

このまま降り続くのなら、死という一つの終焉を白く染めてくれるのだろうと


【思った】だけ。

それも一つの「諦め」と大差ないと言うのならやむを得ないが

いずれにしても、俺は多分一回しか

諦めた事が無いはず。

幼少期まで掘り下げてみては?と言われれば、それ以上諦めたのが一回だけと

強がるつもりも無いが―まあ、とにかく


あの「白い死」は寸前で

俺を再び現世に留めた。

その詳細はともかく―懐古すべき記憶はそこじゃない。


たった一回だけ、人間らしい

一人の男として「身を引く諦め」を俺は未だに覚えている。


『……涼』

『……』


仕方のない事だった。

俺が引く決断をしなければ、酷な人生を歩むだろう

その人が幸せになるかどうかの選択を迫られ―


どれほど


【愛していた】としても

俺はその対の人生から遠ざからなければいけないという「諦め」を

許諾せざるを得なかった。


もし……本当に、吸血鬼という事から退いて

人間になれたのなら

俺は共にその愛しい人と人生を歩み、老いていく理想を揺らがせる事は

決してなかっただろう。


しかしあの時―俺を「再生」へと導いた

「ファースト」は正しい事を言ったのだと思う。


『吸血鬼を辞める?何を馬鹿な事を言っているんだ』



―本当に、自分の意思で

吸血鬼の辞退などこなせると思っていた。

それは吸血鬼という存在の根底を、俺が単に熟知していなかっただけの事で


【俺の再生】の始まりである「ファースト」を殺せば

再び人としての人生を歩めると思っていた。


だから、俺は

辞めるという言葉の撤回も考えず、単純に

恩義を仇で返すような、ファーストの射殺によって

人の世界へと再び帰る未来を自力で作り上げたと―信じていた。


それから、俺は―

一人の女と出会う。

褒めちぎる訳じゃないが、良い女だ。

手を握り、共に過ごし、夜を重ねて―いずれは子供も作れるかもしれない。

そうなったらあの時「白い死」という未来への寸断に、決して望めないと思っていた

【家族】を築けるかもしれない、と思っていたのに―


―俺は、ただ

良い女を女房として、愛を誓い

何人か子供を作って、自然と老いる。

ごく普通の「人間の人生」を取り戻したくて―


命の恩人もいいとこ、死に瀕した俺の

再生の原点であるファーストを殺し

人間になれたと信じて疑わなかった暫しの間に


―改めて、ファーストは

何一つ間違った事を言っていなかったと、再認識する。



彼女は、美しけれど

穏やかに時を重ねて、静かに老いていくその一方で

俺は何も変わらず、同じ老いを感じるどころか―人間らしさの欠片も

感じる事が出来ず


逆に、もしかしたら―の可能性を察せなければ

俺は勘違いしたまま一人の女を不幸にさせたかもしれない。

彼女が衰え、老女となる一方で

俺は保ったままの若さで、傍にいる事なんざ―奇異で異端。もいいとこだ


だから俺は

彼女との縁に踏ん切りをつけた。

どうして俺は人間になれてないのだろう、と疑問をぶつけても

彼女に問いを求める事自体間違っている。

ただ……ファーストを殺した事は、吸血鬼としての人生を辞める事には繋がらない。


そして―

一人の女も、幸せに出来ないのだと分かった瞬間。

俺は……人間らしい「諦め」を背負ったまま、彼女の前から姿を消した。


かと言って俺一人の意思だけでは、決して

彼女から身を引く潔さを単独で決断するのは難しかった。

しかし彼女を幸せにする事など俺には不可能だと、もう一人の人間が諭した事によって

幾分か憎しみを抱きつつも、その答えは正しいのだと歯ぎしりした。


その人間―が、尖閣 総一郎。

当時国防長官だった彼は、俺が愛した女に同じ好意を抱きつつも

性格からか、一線を引き―時を見計らっていた気がする。

例え俺が人間になって同じ老いを得たとしても、何処かで彼の手が

彼女をスマートに奪い取る可能性も、今思えばあり得る事。


吸血鬼という事までは隠していたが、老いぬ俺の姿に

異端という言葉を突き付けて、彼女の不安を煽り

本来の傍らに居るべき男は俺ではないと認識させていた。


それでも、本当に彼女は良い女だったのだろう。

自分から離別を望む事はしなかった。

どれほど尖閣に絆されても、俺は幸せ者だったのか―


俺が身を引くその時まで、精一杯の愛情を傾けてくれた。



それから、月日は流れ。

尖閣と彼女が……結婚したと聞いた。

もしかしたらそれがきっかけなのかもしれない。新聞に対して

売りに出されたその時、その場で読まなければいけない強制を嫌うようになったのは。

むしゃくしゃして、腹が立って―それでも仕方ないと諦めて

再び読む事が出来ない位にくしゃくしゃに丸めてごみ箱に投げ捨てた。


それだけが、尖閣に対する

個人的な私怨じゃない―けどな。


まあ一先ず、俺は一回だけ諦めた事がある。

その時だけはすこぶる人間臭かったのだろう。

けどそれから「何十年」経過して―…時の経過を無視した

俺という存在の「維持」に、人間臭さすら忘れかけていた。


ファーストを殺しても、老いはしない。

吸血鬼を辞める事なんて出来ない。


【人間】にもなれない。


そもそも……


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