第8話 彼女はひとまず「ヒステリー」




「……っ……」



ふと、何がきっかけなのかは分からないが

俺は一先ず意識を取り戻し、止まっていたかもしれない呼吸を

再び取り戻したのを感じた。


倒れていたのだろう。その視線の先は―どうにも好かないくすんだ色の天井。


そのまま視線をぐるっと回し、今いる場所がそんなに広くも無いのだと理解出来た。


まあ広くなくとも快適ならば、文句は言わないが

俺が横たわるその右手は、この場からの脱出を許さない格子が見えて

考える事を特に難儀としなくとも分かる。


ここは「牢獄」なのだ。


牢獄に入れられる様な事を、俺はしたのかねー……

と、ふと半身を起こした瞬間―




「…キャッ!?」

「…?」



俺の行動に異を感じたのか、悲鳴が聞こえた。


左を向けばただの壁。だとしたら右手の格子の向こう側か?

俺はその方向に振り向いて、明かりも乏しいその先を見た。



「…なんだ、あのヒステリー女か」

「どうして…、ど、うして…?」



―今の所良く見えないが、夜目に慣れれば

見えてくるだろう。


しかしその声に、ああ例のヒステリー女かと認識し

かと言って明らかに動揺した声色で、起き上がった俺を見ているようだ。


まあ、そうだろうな。

だって俺―多分…



「……撃たれて、それで生きてるのが不思議か?」

「……」

「でもお前は俺が普通ではないという事を聞かされていたのだろう?ならこれが現実だ」



彼女は確かにあの事務所に居た時

第三者から「俺の実態」を聞かされていたと言った。


まあその事実を知ったのは、もう一人。

姿は見えずともあの神太子も

俺が人間じゃないと知っただろう。


だがそうだと知る事に、戸惑っていた女と

知った所で恐らく自分に何が出来るか、その分別を弁えているファック野郎。


ただ二人のみ。


教えた第三者が居ようと、数えて三人。

この国において三人だけが俺を人間じゃないと言ったとしても

ただの狂言と笑われるのが普通。


だから俺は、依頼を断ろうとした。

どんなご時世であろうが俺は猫すら捕まえられない、ただの探偵。


面倒な事は嫌いなんだ。それにもう一度言うならば



【戦死したきっかけを作った神室】の護衛なんて

更にファックだ。



「……おかしいとは思ってたわ。射殺された貴方をどうしてわざわざ牢獄に入れるなんて」

「ん?それもそうだな……ご丁寧に手枷まで付けられているじゃないか」



そう言って手の重みを改めて感じた。

自由を許さない鉄製の枷が取り付けられ、数回鳴らしてみる。


確かに…俺、射殺されたんだと思う。

なのに今ここに居る理由が見当たらないな。


もし殺したとするならば、所詮一市民の存在。そのまま放置して中に居た例の二人を拘束する。

そう考えるのが普通じゃないか。


でも、実際問題俺はここに居る。


という事は…俺を人間と思っていない人物は、思ったより存在しているのか。


いずれにしても面倒な事に巻き込まれている事には間違いない。



そもそも―だ。


「あのな……尾行されてると気づかなかったのか?」

「……そ、それは……」

「扉を開いて俺は一先ず射殺された。という事はお前達を追いかけている奴はすぐ傍まで居たという事だ」



何の脈略も無しに

一般市民を射殺する。


相当の事件性がない限り、そんな事はありえない。


それに彼女が同じ牢獄に幽閉されているという事もあり、恐らく彼女が俺に依頼した

神太子の護衛を侵害する、別の存在が事務所を嗅ぎ付けていたのだろう。


腕はあるかもしれないが、滑稽な凡ミスだこと。



「その不手際は……謝罪するわ。でももしあの時貴方が協力してくれたら…」

「自分までも幽閉され、あの神太子はどうなったか…なんて結果にならなかったとでも?」

「……っ」



今の状況からして

俺は幾らでも彼女へ劣等感を味わせる事が出来る。


しかしそう思ったとしても、一応女性。多少ヒステリーだろうと

不甲斐なさを突き付け続けても、現状は変わらないのだと一先ず話を切った。



―そう言えば?




「そうだな……お前には常識と言うのが欠けていた」

「……何か?」

「名前を名乗ってない。名乗らないと何時までも俺はお前の事を「ヒステリー」と呼ぶぜ」



突拍子もない依頼を突き付けられ、頭が煮えたぎったのか

本来なら最初に設けるべき自己紹介がまだだったのに気づいた。


俺の名前は知っているにしろ……彼女の名前はまだ知らない。


冗談を言うつもりもない。

名乗らなければずっとヒステリーと言うつもりだ。


その言葉に、不服を感じていたのか

ようやく夜目が慣れてきて、彼女の表情が手に取るように分かる。


元々女性に対してはそれなりの礼儀を設けるが、今まで経験した事のないジャンルに

珍しく俺も、少し横柄になってきている。



「……」

「黙するか?じゃあ、ヒステリーだな」

「……好きにすれば良いわ」






―可笑しな反応をする。


言われたら当然不愉快だと思う「ヒステリー」と呼ばれる事に

異論も不服も言わず、ひた隠しにする彼女の本名。


何かまた面倒な「伏線」でもあるのだろうか。

だとしても毎回ヒステリーと呼ぶ俺も何となく面倒くさい。


かと言ってこの状況下においても

まだ強気さが残っている彼女から、これ以上情報も聞けそうにない。


それに護衛すべきと強いられた神太子の姿も無い。

護衛と言うからには、命の危険があったという事。


その姿が無いのなら

恐らく殺されたか―

そんな結果に陥ってしまったのなら


ヒステリーが今自分の名前を公表した所で


何の意味も無い。




じゃあ、ヒステリーで。


「……あのファックは死んだかな?」

「神太子を罵らないで。無礼を弁えなさい」

「今は冷戦状態だとしても、一度戦争を引き起こした奴らを俺はあんまり好かねーんだ」




―ニチモトは、今

ナカグニという隣国との冷戦協定を結んでいる。


しかしそれは中立国「ベイコク」が冷戦を強制して、お互い憤怒を抑えつつも

勝敗の決着を曖昧にしたまま、歴史が過ぎて今がある。


でもその裏で

ニチモトの人間が今の平和に満足しているかと言えば

大体八割は「再戦すべきだ」と答えるだろう。


こういうのは一回負けないと、自分の技量も過信にも気づかないものだ。


ナカグニよりもベイコクの方がもっと戦力はある。

その国の決定権に双方が従っているふりをして

何時かはどちらかが潰れるまで、もしくは自分の国が必ず勝利する事を確信したまま


何一つ、変わっちゃいないんだ。



「……それは過去の話。今は違うわ」

「へぇ……どう違うのかね」

「今でも私からの依頼を飲むなら、その先を語ってあげても良いわ」





ほー……中々強気な事を言うじゃないか。


ヒステリーも牢獄に入れられて、生きて外に出られるかの保障も無いくせに

まだ俺への依頼を云々として、もし快諾するならば何らかの情報を提出すると

取引をまだ持ちかける。


という事は……少なくともヒステリーは神太子が「死んでいる」とはまだ思っちゃいない。


そして、この状況を打破する自信があると言う事だ。



「……返答を聞こうかしら?」

「残念ながら、ノーだ」

「そう……結局無駄足だったという事なのね」



まあ訪ねたのはヒステリーだし。

俺に断る権利が無いというのも、結構無理な話でもあり

かと言ってここまで来てもどーにも好きになれない神太子の護衛なんて



「じゃあ受けましょうか」と意気揚揚にもなれるか?



俺なら、ここを出る事位

別に不可能としない。


ただヒステリーは人間だ。

匂いで分かる。

そんな非力がここから出て再び護衛の任務に準ずるなど出来ようか―?


しかし、その強気が逆に面白くて

どう動くのかお手並み拝見…と思っていたら

彼女は立ち上がり、奪われていなかったのか「腕時計」を見ていた。



「もう未練はないわ。冴木さん。人間でないならここから単独で出る事も不可能ではないでしょう?」

「開き直ったなヒステリー。じゃあお前はどうなんだ?」

「人間には人間なりの知恵と言うのがあるのよ。馬鹿にしないでくれる」



そう言ってヒステリーは腕時計を外し

壁に付着させて距離を置いた―



その、瞬間―










―バゴオオオオオン!!!!




「……おー……まいがっ」

「じゃ…お先に失礼するわね」



ヒステリーもやるじゃないかと、正直感嘆した。


何と壁に付着させたあの時計が外側に向かって爆発したのだ。


白い煙と破壊された轟音が完全に静まるのを待たず、離別を口にしてヒステリーは

開いた穴から牢獄の外へと脱出した。


牢獄の条件は良好だったのだと思う。

見えた穴の向こう側は平地に繋がり、階層を重ねた場所ではなかった事を知る。


なんだ俺、飛び降りなきゃいけないかと思っていたのに。

幽閉するならもっと

環境を酷にすればいいものの

人間じゃない俺より先にあのヒステリーが外に出てしまったぞ?


中途半端だな―……確保するなら

もう少し手間もかけるべき。






―ジリリリリリ!ジリリリリリ!






牢獄の爆破という状況に、装置が反応したのか

緊急を知らせるベルが鳴り響く。


多分ヒステリーは武器すら持っていないと思うが、彼女の事だ

逃亡は成功するだろうと俺は「何となく」期待した。


ただ……残された俺はどうかと言うと

その場にまだ居座ったまま。


脱出しても良かったんだが、まあ……今の状況に耳を傾けなくもないと

あぐらをかいてその場に座った。


そしてやがて、警備員が数人現れ

穴の開いた牢獄に絶句している。


最近の女は強いなと感心しながら、動揺する警備員を傍観していたが

彼らの視線が当然のごとく―俺に向けられる。



「……で?俺をどうにかするつもりなのかな?」



恐らくヒステリーは思っても無いだろうが

お前は俺を動かす引き金を無意識に引いてしまったのだ。


確かに断ると言った手前、俺に期待するのを辞めて脱出したその先に

まだ何らかの可能性を持ってお前は動くだろうが


こうなった以上、今このニチモトで起こっている

【何か】に触れざるを得ない。


一度きりだが、ヒステリーは俺を上回ったな―……と

警備員の形相に、俺は呑気な欠伸を一つした。



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