第6話 事務所ジ・エンド



面倒な来訪者だとは思っていた。

扉を開けずとも、気配で何となく分かる。


流石に性別までは見えなかったが、とにかく仕事が舞い込んだと

喜び勇んで扉を開ける気にはなれなかった。


だから、居留守を使った。

それは珍しい事だ。


金になる仕事だったら尻尾でも振ろう。「人」に媚を売る事なんざ

生きてく内に培ってきた。


しかし今、俺はそんな気分にはなれそうもない。

初見で確信した気の強い女と、どうも匂い的に相容れない男。


それだけでここを訪ねた二人の目的に耳を傾けるのも面倒で

考えたら

つい―欠伸が出た。


そして椅子に深々と座る。



「ふわぁ……んふ。」

「お茶も出ないのかしら?冴木さん。」

「水道代を工面してくれるなら考えなくもないさ。」



―冗談だ。そんな冗談にも軽く応じない彼女の表情が

明らかに嫌悪を示す。


黒い上質の反物の様な長い髪に、品格を誇示するかのような紅。

黒曜石と例えても可笑しくない瞳からは身じろぎ一切しないプライドさえ伺える。


質の良い同系色のスーツを着こなし、凛としたその姿は―


悪くない、が

それは見た目で言えば、だ。


相性で言うなら相反する磁石の極みたいなもんだ。



「ははっ、中々言うじゃないか。女性はお好みでないかい?」

「それなりに選ぶさ。へりくだって妥協する程飢えちゃいない。」



逆に相性で言うならば

中古品のソファーにゆったりと座る同伴者、彼の方がまだ良いと思う。


元々の黒に少し茶を足した短髪は、南蛮渡来の塗り物を使用したのか―癖をつけて

日本人らしい茶色の瞳に、上質の白シャツとグレーのパンツ。


今の俺じゃ手の届きそうにない皮靴に上物の黒コート、アクセントになるハイカラなマフラーを身に着けている。


今の所―二人にどんな共通点があるかは分からない。

ただ……金は持ってるだろうな。


後は、上下関係がある。そうでなければあんな物騒な物を持ってまで

彼をこの事務所内にまで連れて来る訳がない。



「冴木涼。貴方に拒否権がない事を告げておくわ。」

「……は?」

「此処に居られる方の護衛―それが私からのご依頼よ。」



護衛―と聞いた瞬間

ミッシェルに惑わされる事無く居留守を貫くべきだと後悔した。


腕の未熟さ、身の危険さを憂いた訳じゃない。

二人を客観的に見て、依頼内容と照合した結果―普通に面倒じゃなく


「かなり面倒」だと感じたんだ。


しかも拒否権が無いだと?言うじゃないか。

どんなご身分の方と存知はしないが、言われっぱなしも癪に障るな。


「……断る。お帰り頂きたいね。」

「所望するものがあれば、この先の生活に困らない程……。」

「仕事を受けるか受けないかの自由は俺にある!面倒なのはごめんだ!」

「っ!此処に居られる方が「神室」の神太子で在られてもと!?」





―……



何度も、言うが

面倒な事になった。


よりによって俺が

「一番嫌いな」―この国の主。


【神室】の太子の護衛だと?




―嫌い、だ。

口にはしないが、「ファック」だ。


嫌いという感情にも色々あるが、立場がどれだけ上であろうと

俺にとっちゃクソ野郎。


彼の存在の公表に、暫しの間があり

目頭を片手で抑え、こみ上げる感情を押し殺す。


彼個人に難がある訳じゃない。【神室】の人間という事が

俺をことごとく不愉快にさせる。


そのまま黙し、視線を合わせない俺に―彼女も先程の発言がやや不意だったのだと思ったのか

掠れ声で言葉を選んでいた。



「……こ、この事は内密に。ともかく彼の護衛を……」

「断る。」

「拒否権はないと言ったはずだわ!二度も言わせないで!」



言うだけはタダだろう。だが俺には彼の護衛なんてまっぴらだ。


彼には悪いが【神室】の人間は正直、反吐が出る。

そんな彼も流石に俺の嫌悪感を察しているはず、彼女より冷静に

依頼の不成立を認識し―落胆する事も無くこの場を傍観していた。



「お前達の……【所為】で。」

「……個人的な感情で片付く状況じゃないの。新聞はお読みになって?」

「新聞なんざその時に読まなきゃいけない義務なんてない!【人間】ごときが俺に口答え―」

「私だって貴方を【普通の人】と思いたいわよ!」




―?




視野を妨げていた手が解け、彼女の発言に視線が一瞬泳いだ。


何と言った?

空耳か、彼女のヒステリックに乗じた迷い言か?

さっきから俺が心底受け付けない要素が交差する。


気の強い女。

神室の太子の護衛。

依頼に対する拒否権が無い。


それだけでも面倒で―苛立ち、突発的に吹き出す蒸気の様な

嫌悪感で心をかく乱させていた俺は、今―


何を聞いたんだ?



「……言葉を間違えたなら、改訂版を改めて聞こうか?」

「間違えてないわ。ただ…間違いだと思いたい本心もあるけど。」

「分からない事を言うな。お前は俺を普通の人と思っているのか?そうじゃないのか?」

「正確に言えば貴方が【普通の人じゃない】という事を聞かされたのよ。」



その言葉で次第に心の温度が下がる。

カラーコンタクトで隠しているとはいえ、その内側の「人ならざる色」で

今の彼女を更に混濁させる自信はある。



心を壊し、好まぬその気丈も潰せなくはない。しかし―



俺が【人間じゃない】という真実を彼女に告げたのは、誰だ?



「……誰から聞いた?」



俺も余程感情的になっていたのか、今更「人間ですよ」と

話を最初からへし折る事も出来ない。


それに彼女が【普通の人じゃない】と聞かされただけならば

別の言い回しも出来よう。


アル中、ニコ中、例えは様々―しかし彼女の様子から見て【普通じゃない】と言ったその意味が

ずっと隠してきた俺の「中枢」を指摘している。



「誰から聞いたんだ?」

「……あ、なたが。依頼を……受けるならば。」



言葉尻に再び気丈さを復活させた彼女は、改めて俺に依頼してきた。


ただ神室の太子を護衛するだけの面倒な依頼ではなかった。

最近の新聞は読んでない。だから今どういう状況なのか最新の情報を得ている訳でもない。


ただ彼女だけが護衛という任務に切迫しているだけ。

それだけならば拒否権が無かろうと押し切って断るつもりだった。




―依頼を受ければ―?












いや、もっと良く考えろ。





彼女が俺を人間じゃないと教えられたとは言え、たかが一人じゃないか。


そしてこの場に居る太子も知った。改めて数えても二人だけ。

その情報の出所を知る。それだけの事でクソ神室の護衛なんて、やはり俺に利はない。

依頼に臆したんじゃない―

嫌いなんだ、神室「も」




「……いんや、断る。俺はそういう仕事は嫌いなんだ。」

「……冴木。」

「ご時世がどうであれ俺には関係ない。さあ、帰ってくれ!」



俺は両手を上げ、足早に

事務所の扉へと向かい、彼らの退出を促そうとした。



例え彼女が俺を「吸血鬼」と知っているとしても―そんな事実は

この戦争に狂気じみたニチモトの誰もが「戯言」と笑うに違いない。


ああ面倒だ。厄介だ―

土地を変えようかと考えて、扉を開く。



出来れば猫探しの依頼が無い所がいい。

そして外に背を向け、中の二人に高々と忠言した。



「さあ、ご退出願おうか。お二人さ……」





一瞬だけ―ほんの一瞬だけ、






『……御国の為に、この命……!』




剣先を掲げる「かつて」の幻影が見えたのは―

外から流れ込む蒸気の所為か、




―バァン!





そこから、俺の記憶は

暫くの間


―寸断された。

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