第3話 仕事の出来ない探偵



「ふっ……ぬ、っ。って……」



成人した男が一人入るには狭い、本当に狭い

路地の隙間を横這いに進む俺は

ある目的の為に今更退けず、多少難儀しながら

とにかく一直線に歩いていた。


元々くたびれたスーツも壁と壁の間に挟まれながら進む度に擦れ

埃や汚れも付着する。

仕事柄何度クリーニングに出した事か。

そろそろ新しいものを揃えないといけないなーと感じつつ、生憎と新調する程の余裕もなければ

欠かす事自体耐えがたい煙草代すら危うい日々―


住まいである事務所の家賃もツケってると言うのに……



「おいっ!こっちへ来い!こらっ!」



俺はこれみよがしに「猫じゃらし」を目の前で振りつけて

視界の先にある塀の上で欠伸をする「今回の仕事」の目標を呼んだ。



『ク……アアアァゴ……』

「あーごじゃねぇ!」



そこに居たのは何処にでもいる三毛猫。

聞いた限りでは「ミッシェル」という洋物の名前があり、確実に

俺より裕福な生活をしている。


いわば上流階級のオバサマのペットだった。


そのミッシェルが反抗期か気まぐれか

飼い主の元から脱走し、捜索願いを依頼されたのが俺。


何でもやりますと言った手前、内容を聞かされて否定する事も出来ず

人様ならぬ猫様のご機嫌を伺いながら、何とかここまで辿り着けたものの……


金持ちは人間であろうと動物であろうと

常識とは逸脱し

こんな生臭い所まで俺をあざ笑うかのように誘い込んで、一向に

庶民の玩具に反応せず、欠伸をする呑気さにイラっとした。



「チッ!馬鹿にしやがって……猫のくせに!」

『グナッ?ゴロロロ……』



強制的に働く事も出来ない訳じゃない。

しかし相手は猫様だ。上流階級の波に乗ったブルジョワ。

傷一つでもつけようなら、捕獲した所で賠償金も要求されかねない。


何処までも下手に出て、自ら捕獲に甘んじて貰う事しか俺には出来ないのだ。




―辞める、と言った手前。

今更撤回はしないが


苦労がここまで尽きないとは思いもよらず―




「……ふー……」



目線のやや上にあるごみ箱から降りようともしない猫様、ミッシェルを

疲弊しながら暫し眺める。


後悔はしてない。そう決断したい理由があったから。

だから辞めると言って―それから、俺の本当の望みは叶う事無く

こんな動物にすら頭を垂れないといけない位に落ちぶれて、それでも生きる。



でも辞める。と決意しなければ

生きるという実感も無かったかもな。



それが得たかったという訳じゃない。とにかく、辞めてまで叶えたい望みはあった。


【あの時】までは


それが実現すると思って、疑わず―



「……ビビらす位なら、どうって事ないか?」



壁と壁の間に挟まれて、首筋の痛みを僅かに感じながら

朝日が差し込む天を見上げる。


薄暗いこの場所の隅々までにその光が行き届く事は無いが

それでも僅かに感じて、カラーコンタクトを外す。


『ゴロロロロ……』

「……」



毛づくろいをするミッシェルに、ゆっくりと焦点を合わせ

お互いの視線が交差するのを暫し待つ。


無言になった異変を察したのか、幸運にもミッシェルが俺を見た瞬間―



―軽く、瞳孔を開いた。



『フ……ギャアアアアアッ!』

「お、おおおおおっ!?」



ビビらすだけのつもりだった。そこまで阿鼻驚嘆するとは思わなかった。


とにかく毛を逆立てて威嚇し、錯乱するミッシェルはあろう事か俺に飛び掛かり

むき出しの爪で顔面を数回引っ掻いた。



―バリバリバリッ!



「ギャアアアアッ!?」



そんなに動きの自由が取れない中、そのまんま

猫の爪攻撃をモロに受け、激痛に悲鳴しか出ない。


しかもミッシェルは俺の僅かな隙間をすり抜け、路地から抜け出し

折角追いつめたのに肝心な所で逃してしまった。



『ニギャー……!!』



―やっぱり、刺激が強かったのか。

人間が見るのとはまた違う「畏怖」をミッシェルは動物の感性で

感じたのだろう。


逆に警戒心を植え付けたかもしれない。こうなれば捕まえる以前の問題になってくる。


「っはーぁ……」



またしても依頼失敗か―、と。ぎこちなくその場に蹲り、ため息が漏れた。


謝罪の言葉なんて腐るほど口にした。

その度に俺のレッテルは負の方向に深みを増し


気づけば

【仕事の出来ない昼行燈な探偵】へと何時の間にか変化していた。



「……」



―辞めた事は。後悔してない。

辞める動機だった念願を果たせず、今があっても

不思議と悔やんだ時がない。


出来ない奴だと罵られようが、嗤われようが

今の生活を放棄して元の鞘に戻るつもりもない。



―【吸血鬼を、俺は辞めたんだ】



ただ幾ら口にしようと縁は切れてないのか

まだ残る「名残」を再びカラーコンタクトで隠し、再び身を擦りながら

俺もその場を後にした。



「……っと。」



窮屈さから解放され、目にしたのは

俺が随分と長く触れ馴染んだ、レトロ染みた街並みから

文明を発達させる原動力となる「蒸気」があちらこちらから噴出する



「……さ、どう謝罪すっかなー……」



時は太正、国は「ニチモト」

階級落差と人間の欲に染まる白き靄に包まれたような首都―



「十京」の光景が広がっていた。

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