第17話 猫はじめました 04

 固まる一人と一匹の前には、綺麗に真ん中から割れている白地の皿が一枚、その向こうでは猫が顔を洗っている。

「こここれ、たたた高い皿だったんじゃ?」

「うん待て。まだ慌てる必要はない」

 皿の縁に乗ったタニシが、上ずった声でそう告げる。

 ぶっちゃけ、もう駄目である。

「でも、どうしたら――」

「幸い皿は綺麗に二つに割れただけで、茶屋の主人は気づいていない。とりあえずくっ付けておけば大丈夫だ」

 タニシらしい、実に安直な発想である。

「そんなこと言われても、どうやってくっ付けたら――」

 言いかけて健乃は、左手の近くに落ちていた丸い物体に気付き、それはを拾い上げる。

「そうだ。団子だよっ」

「おぉ、団子でくっ付けるというのは悪くない考えだ」

「ちょっと待ってね。外側の砂だらけの場所だけ剥いて使うから」

「いや、さすがにその団子は諦めろよ」

 この幼女、食べるつもりだったらしい。

「けど、まだ食べられるよ?」

「今は皿を戻すことが先決だ」

「……そっか。わかった」

 渋々納得して団子を握りつぶし、皿を持ち上げて断面に塗っていき、慎重に2つの半月を組み合わせていく。

「よしいいぞ。あとは元の場所に戻しておけば大丈夫だ」

「うん」

 そーっとそーっと水平を保ちつつ猫の前に皿を戻していく。地面はいささか凸凹していたものの、何とかそのままの状態で置くことに成功する。

「……ふぅ」

 大きな一仕事を終えて額の汗をぬぐい、健乃は深い溜め息を吐く。

 その瞬間、猫がにゃんと鳴きながらパンチ、皿は綺麗に一回転して地面に落ちるなり割れた。

 四つに。

「このクソ猫おおぉぉおおぉっ!」

 タニシ絶叫。

「おいおい、ウチの猫をクソ呼ばわりとは穏やかじゃないで――皿が割れとるっ!」

 めでたく主人にバレましたとさ。



「……すいません」

 平謝りするタニシと健乃の前で、ハゲデブがゼェゼェと息を切らしている。別に発情しているのではない。ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせつつ割れた皿がどれだけ高額な代物であるのかを講釈していた結果である。

「まぁいい。とりあえず弁償だな。価値のつけられない品ではあるが、とりあえず十両で手を打ってやる」

「じゅう……」

「りょう?」

 一両の価値というのは時代や状況によって変動するものではあるが、大雑把に言うなら十数万円程度の感覚であると思っていただいて構わない。つまり十両ということは百万円以上の金額を要求されているワケだ。

「いやいやちょっと待ってくれよ。ノボリにも書いてあったじゃないか。一両じゃないのか?」

 タニシが納得いかんとばかりに食い下がる。

「何言ってんだ。アレは猫の値段だ。皿の値段じゃない。この皿をもしも売るなら、この値段が相場だ。むしろ安いくらいだがね?」

「うぐぐ……」

 骨董品の価値というものは大抵の場合法外である。価値があるから高いのではない。高いからこそ価値があるのだ。

「ねぇねぇタニシ」

「ん、何だやっちゃん」

「じゅうりょうって、タニシ何匹分?」

「数え切れないくらいだ」

「一生食べられる?」

「その前に飽きるな。というか食べるな」

「なるほど、凄く高いね」

 健乃は今、宇宙の真理を知ったような心持である。

「何でしたら、私が立て替えてさしあげましょうか?」

 騒ぎになっても落ち着きを全く失うことなくお茶をすすっていた天邪鬼な女性が、小銭ならありますよ的なノリで言い放つ。

「おぉっ、本当でございますか。こちらとしては手間もかからずありがたいお言葉でございます。あ、お団子を一皿無料にさせていただきますよ」

 セコい。

「……ありがたい申し出だが、それはダメだ」

「あれ、飛びつくかと思ったのに」

 健乃は意外そうな顔で頭の上のタニシに少しだけ感心する。

「そう言うお前はどうなんだ、やっちゃん?」

「うーん、私も借りるのはちょっと……」

 というか、返せる気がしない。

「というワケで、我々は働いて返すことにする。さぁ、仕事を言いつけるといいっ!」

「何で偉そうなんだ、このタニシ」

 全くもって仰る通りである。

「……働くのはあんまり自信ないなぁ」

「そう言うな。それはそうとご主人、一つ聞きたい」

「何だ? 給料なら一日十文だぞ」

 タニシの味噌汁ならたくさん食べられるゾ。やったネ。

「やっす。けどまぁいい。そうじゃなくて、もしも我々のお陰で大金が手に入るようなことがあったら、我々の手柄ということにしてもらえないか?」

「何言ってんだ。そんなこと起こるワケが――」

「もしもの話だ」

「まぁいい。もしそんなことが起きて十両以上の儲けが出るというなら考えてやろう」

「よしっ、決まりだな」

 早くも旅が終了しそうなこの状況にあって、タニシは奇妙なほどの自信に満ちている。

 その理由に何となく心当たりがあって、健乃は眉根を寄せた。

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