第10話 カチカチ山殺人事件 08

「おぉ~、凄い。ホントに燃えてる」

「さすがに間近で見ると熱いな」

 健乃の言葉に、タニシも弾むような口調で答えた。

「見て見て。火の粉が飛んでるよっ」

「近くに家があったら燃え広がっちまうな!」

 何だか楽しそうだな、おい。

 とはいえ無理もない。こんなに間近で火事を見るのはどちらも初めての経験なのだ。いささか不謹慎ではあるが、非日常感のあるイベントというのは、幸不幸問わずどこかワクワクするものである。

「でも、ホントに火事が起きてるんだね」

「三日に一度ってのは大袈裟じゃなかったようだな」

 お爺さんの家からの帰り道、遠くに揺らめく炎が見えたので慌てて近づいた一人と一匹が目にしたのは、今にも赤い魔物に呑まれそうになっている小さなボロ屋だった。

「そういえば、誰か逃げ遅れていたりしない?」

「気配はないな。留守なのか、それとも誰も住んでいないんじゃないのか? 随分とオンボロな家みたいだし」

「そっか。空き家なら燃えても平気だね」

 一人と一匹は朗らかに笑った。

「おーいっ」

 そんな笑い声を遮るように、切羽詰まったような叫び声が背後から響く。健乃が振り返ると、例の狸が転がるようにして駆け寄ってくるところだった。

「あ、狸さん、どうしたのそんなに慌てて」

「転びそうになるほど急がなくとも、火事はそう簡単には収まらんから安心しろ」

「なななな何落ち着いているんですかっ」

 てっきり急いで野次馬をしに来たと思っているおバカコンビに、狸が両手をわたわたと振りながら訴える。

「心配せずとも犠牲者などおらんぞ?」

「そうだよ。周囲に家もないから燃え移る心配もないし」

 だからゆっくり見物しようぜ、とでも言わんばかりの口ぶりに狸が表情を緩める。

 そう、たかが家が一つ燃えただけのことだ。生きてさえいれば、家なんてまた建て直せる。燃えて失うものなど、取るに足らないものばかりだ。

「……凄いですね、やっちゃんもタニシさんも」

 狸は素直に感心する。

「何がだ?」

「私なら無理です。自分の家が燃えていたら、とても冷静でなんていられません」

「それは当たり前だ。自分の家が燃えていたら冷静でなどいられるハズがあるまい」

「そうそう、自分の家だったらビックリだよねー」

「え?」

 狸が唖然とする。

 繰り返すが、燃えているのはボロ屋である。村外れにある最も貧相なボロ屋である。そのボロ屋には昨日まで貧乏な座敷童子と奇妙なしゃべるタニシが暮らしていたらしい。

 つまり、お前らだ。

「うおおおぉぉおぉぉっ! ウチが燃えてるううぅぅぅうぅぅっ!」

 タニシ、今気づいた。

「やっちゃん、おいやっちゃん、どうするっ。家が燃えてるぞ!」

「待って、タニシ」

 一方の健乃は冷静な口ぶりだ。

「私の家はこんなに赤くなかったよ?」

 違った。現実逃避しているだけだ。

「目を覚ませっ。とにかく水だっ。水を持ってこい!」

「いや我々だけじゃ無理ですよ。井戸も遠いですし、入れ物もない」

「入れ物……」

 ふと気づいて健乃が懐を探る。

「お、やっちゃん何か持ってるのか?」

「こんなこともあろうかと拾っておいたの」

 そう言いつつ取り出したのは、陶器の破片だった。へこんだ部分に少しだけ水が溜まらなくもない。もちろん火事に対しては文字通り焼け石に水である。

「何だ、それは?」

「水瓶の破片。捨てるのももったいなくて」

 貧乏性ここに極まれり。

「うん、いらない」

「そう……」

 ちょっとだけ残念そうに懐に戻す。というか戻すのか。

「とととにかく、早く火を消さないと!」

「おう、そうだな。そういえば狸よ、お前は化けることはできないのか?」

「一応できますけど、それが何か?」

「水とか氷とかに化けて突撃するというのはどうだろう?」

「普通に焼け死にます!」

「水……突撃……」

 健乃が呟く。

「どうしたやっちゃん、もしかして何か思いついたのか?」

「うん」

 むしろ、どうしてタニシは思いつかないのか。

「よし、何でも試してみろ。どんな浅はかな策であろうと笑ったりはしないから」

「わかった」

 頷いて頭に手を伸ばし、むんずとタニシを掴む。

「お、ひょっとして僕が乗っているとできないことかな?」

 健乃、大きく振りかぶる。

「ちょちょちょっと待て。謝る。浅はかな策とか言ったことは謝るから」

「えいやっ」

 容赦なく投げた。悲鳴というか絶叫を上げながら、格子窓の隙間を縫って真っ赤な小屋の中へと消えていく。

「うおおおぉぉぉぉおっ、熱い。焼ける。つぼ焼きになるうぅぅぅぅううぅぅっ!」

「おーい、タニシ」

「くそぅ、この恨み決して忘れぬ。化けて出たあかつきには朝起きたら額にタニシが張り付いている呪いをかけてやるからなぁっ!」

 嫌な呪いである。

「タニシ、水出してよ水ぅ!」

「まさかっ、つぼ焼きではなく味噌汁がご所望かっ」

「そうじゃなくてっ、水で火を消すのぉ!」

「……知ってたし。別にカッとなって投げたとか思ってねぇし」

「なら早くして」

「よぉし、見てろよ!」

 燃えるボロ屋の真ん中で、タニシは全力で己の神力を絞り出す。そしてそれらを全て、余すところなく水へと変換させた。遠慮はない。躊躇もない。手加減もない。

 どーん。

 結果、それは火と屋根を消し飛ばした。

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