6-2. 戦場にて(4)

 トウマとユウキは横並びに、デイルと向き合う位置に座る。残る二人は立ったままだったが、紹介がなかったことからも、護衛か補佐のような位置づけなのだろうと判断し、ユウキは構わず話を始めた。

「まずはこちらをご確認ください」

 ユウキはセンリョウで用意してもらった王からの親書を差し出した。

 これには、この親書を持つ者が使者であり、王の代弁者である旨が記されている。さらに、フォルへの非道な扱いをやめ、シュセンとフォルとの交易を認めれば、これ以上の侵攻はしないとも記載されていた。

「建て前は忘れていなかったか。だが、お話にならんな」

 目を通すなりデイルは一蹴した。ユウキも小さく頷く。

「はい。ですが、そこに書かれていることが全てではありません。具体的な交渉に関しては私に一任されています」

「はて、シュセンに交渉できるような何かがあったかね。まさか我々が占領されている町を取り返さずにいるのが、できないからだなどとは考えておらぬだろうな?」

 シュセンはゲダ高地に至るまでに、小規模の町を一つと農村を二つ占領下に収めていた。それでも劣勢と言われているのは、ひとえに人的被害の多さのせいである。ほとんど被害のないトーツに対し、シュセンはすでに全体の二割の兵を失っていた。

 そんな状況にありながら、シュセンより先に農期に入るトーツが今なお奪還に乗り出さないのは、トーツが順調にシュセン兵の数を削れていことを認識しているためだとスイセイたちは考えている。無理な奪還を行わずとも、簡単に町を取り返せる機会が遠からず来ると、トーツ側が認識しているということだ。

「占領下にある町や村はお返ししても構いません。通商に関わる条件をのんでもらい、停戦に応じてもらえるのであれば」

「それで譲歩したつもりか? 放っておけば自滅するとわかっているのに、応じるはずなかろう」

 この答えも想定内だった。

 ユウキたちとデイルとの間に、戦況に関する大きな認識のずれはない。現状をよしとしているところからしても、更なる隠し兵器が出てくるといった心配はいらなそうだった。

 となればユウキは想定通りの対応すればいい。持っている手札を順繰りに見せていく。

「では、あなたたちが必死に隠そうとした、火薬製造による健康被害と、それを隠蔽いんぺいした――ポロボの事件について公表すると言ったら? それでも応じられませんか?」

「……さて、何のことやら」

 デイルは平然ととぼけてきた。動揺させるくらいはできるかと思ったが、そう上手くはいかないようだ。

「何のためにジャンの孫であると名乗ったと思います?」

「何?」

「こちらを見てみてください」

 ユウキは鞄から書類を取り出し、デイルへと突きつけた。健康被害に関する調査書と密告の手紙、そしてポロボ破棄を命じた指令書だ。持ってきたのは一部分だけだが、見る者が見ればそれとわかるはずだった。

 デイルもこれが何であるかわかったのだろう。瞬く間に顔色が変わった。

「まさかっ。あの男がこれを持ち出したというのか」

「私たちごと処分しようなんて考えないでくださいね。大半は人に預けてますから無駄です」

「……はっ、なるほど。シュセンとは全く卑怯ひきょうやからだ」

 デイルは一度大きく息を吐き、強い目でユウキを睨みつける。

「処分? そのような必要はない。そなたの言う健康被害などなかったのだから。これは偽物だろう? トーツをおとしいれるために随分と手の込んだことをするものだ」

 あっという間に冷静さを取り戻したデイルだったが、その後ろに控えている二人は違う。顔を青ざめさせ、互いの顔をちらちらと窺っていた。これらが見逃せない書類であることは確実だった。

「実はこれ、一番後ろにトーツ軍のお偉いさんによる署名が入ってるんです。鑑定したら、これが偽造でないことくらいすぐにわかるでしょうね」

 ユウキたちが原本を入手したがった理由がまさにこれだった。ジャンの持ち出したものでは筆跡が違う上に署名もなく、ポロボで行われた健康調査の結果が本物であると証明することが難しかったのだ。

 ただ、密告をよそおった手紙だけはジャンが持ち出したものが本物だったらしい。本来、シュセンに残されているべきそれを、ジャンがどのようにして入手したかは謎であったが。

 とにかく、これがユウキたちの手元にある以上、当時の火薬製造の実態とトーツが行った隠蔽について公表したら、多くの者が信じることは確実だった。

「随分と自信がおありのようだ。いいだろう、それが本物だったとして、だ」

 デイルがにやりと笑う。

「シュセンがこれを公表? はっ、そのようなこと。シュセンにできるはずなかろう」

 やはりトーツはお見通しだったようだ。風捕りに責任をなすりつけた以上、シュセンはこれを公表することができない、と。

 だが、こう言われることも想定内だ。実際に公表するとなると難しいかもしれないが、公表が可能だとトーツを騙すことは可能だった。

「できます。問題ありません」

「ははっ。そなたは国から何も聞かされておらぬのだな」

「いいえ、おっしゃりたいことはわかっています。そうですね、なら、シュセンがそれを明かせるという証拠を見せればいいでしょうか」

 ユウキは立ち上がった。そして警戒するデイルたちの前で、手を広げる。

「何を……」

 戸惑いの声をあげたデイルを無視し、ユウキは両手で大きな円を描き、パンと手のひらを打ち合わせる。それによって手の中に確かな感触が生まれた。

 もちろん作ったのは風の実だ。出来上がったそれをテーブルに置き、さらに、それとは別の風の実を巾着から取り出した。

「これが何かご存知でしょうか」

 指で摘まんでデイルたちによく見せてから、それを弾けさせる。途端に柔らかな温かい風が生じた。

 いつだったか、ショウとの旅の途中、春のように暖かな日があり、そのときに作ったものだ。高地であるこの辺りはまだ寒さが残っているため、この風は非常に心地よく感じた。

「まさか、お前は……」

「はい、風捕りです」

「はっ、はははっ。これは傑作だ。ジャン将軍の孫娘が風捕りとは」

 デイルは背もたれに寄りかかり、額に手の甲を当てた。

 ユウキはそんなデイルの姿に戸惑う。

 ユウキは自分が風捕りだと明かすことで、風捕りはすでに全てを知っていて、シュセンにとって隠すべき情報ではなくなっているということを伝えたかった。それが通じたかどうか、このデイルの反応からはわからない。

「なるほど、なるほど。あの男のことは嫌いだったが、孫娘もよく似たものだ。私はあんたも嫌いだよ。――祖父に変わって復讐を果たすか。全く、孝行者なことだ」

 ユウキは別に復讐しに来たわけではない。デイルの行いを恨んでいるのは確かだが、それとこれとは別だった。

 だが、そう思うことによってデイルが、本来使者になるには身分も何もかも不足しているユウキの存在を意識せずに済むならそれでもよかった。ユウキは部外者だ。その点に違和感を抱かれて、風捕りの問題が解決していないことに気づかれても困る。

うらまれてる自覚があるようで幸いです」

 便乗して言うと、デイルは腕をずらし、きつく睨んできた。視線だけでも殺せそうな鋭さだ。

 不必要に怒りを煽ってしまっただろうか。ここで斬られては交渉も何もないとユウキは身構えた。

「――いいだろう」

 不意に耳に飛び込んできたのは予想もしなかった言葉。意味を掴みかねて、ユウキは無言で戸惑いを返す。

「だから……停戦を受け入れると言ってるのだ」

 絞り出すようなその声がデイルの心境を如実に示していた。

 ユウキは目を見開いた。こんなにもあっさりとデイルが受け入れてくれるとは思っていなかった。そもそも、一日で交渉を終えられるとは思っていなかったのだ。

 これは夢ではないだろうかとユウキは疑う。そして、それを確かめるためにトウマを見た。ユウキと目が合ったトウマは大きく頷いた。それでようやく、これが現実なのだと理解する。

 順調に行き過ぎて少し怖い。けれど、思い通りの結末を迎えられたのだから喜ぶべきだろう。

 これでようやく、ユウキをきっかけに始まってしまった戦争を止めることができるのだ。ユウキは大きく安堵した。

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