6-2. 戦場にて(5)

          *

 夕方。ユウキたちは一人の欠けもなく本陣へと帰還した。

「無事だったか」

 ひそかに安堵あんどした表情を見せているのはツグイだ。それを見て、ユウキは自分の勝手でトウマを巻き込んでしまったことに気づいた。もし失敗していたら、ユウキだけでなくトウマの命も危うかった。そうなれば、ツグイは息子を失うことになっていたのだ。

「んで、首尾は」

 一方のスイセイは端的に結論を聞いてきた。大事がからもうと態度の変わらないスイセイは、一見すると冷たく感じるが、その安定感がユウキを安心させる。緊張の残っていた身体から力を抜いて、ユウキは小さく頷いた。

「うん。上手くいったと思う」

「そうか」

 スイセイの返答にユウキは目を瞬かせる。安定感を感じて安堵したばかりだというのに、その感覚が揺らぐ。いつになく思案気な様子に、珍しい物を見たと驚いた。

「いつまでそこに突っ立ってる。中で委細の報告を」

 とっくにきびすを返していたツグイが振り返りユウキたちを呼ぶ。ユウキは慌ててツグイを追った。スイセイと一緒に昨日と同じ天幕に入り、敷物に腰を下ろす。それからわずかに遅れて馬を預けに行っていたトウマもやってきた。

「それで?」

「ほとんど想定通りの対応だったよ。最初はこっちの話を聞きもせずに拒絶して。私がポロボの話をして、証拠を突きつけて、風捕りがすでにこの件を把握してるみたいに伝えたら、少し考える時間はあったけど、その場で停戦を受け入れるって、総司令官が」

「その後の話で、トーツ王の承認を得たのち、正式な手続きに入るとのお言葉をいただいております。立ち会いは前回とは変更し、ロージアのレーエン国に依頼する予定です」

 トウマがユウキに続いて事務的な内容を報告をする。

 十五年前、休戦協定を結んだときの立ち合いは複合国家ロージアのターニア国だった。ターニアは戦には参戦しなかったもののトーツ寄りの国だと言われている。それに対し、レーエンはこれまで完全に傍観していた国であるから、立ち会いに最適と考えられいた。

 一番いいのはシュセン寄りの国家であるイリスに立ち会って貰うことであったが、シュセンとしか国境を接していない北方のイリスでは、いざトーツが協定を破ったとき、駆け付けるのに時間がかかってしまうため、この話は流れた。

 それから念のため、目にした敵陣や砦の様子を報告し、さらに今後の動きについて確認する。そして話が途切れたところでお開きとなった。

「天幕を一つ開けさせた。しばらくはそこを使うといい」

「わかった、ありがとう」

 そして立ち上がろうとしてふとスイセイに目が留まる。ユウキが報告している間もスイセイはほとんど口を挟まなかった。どう考えてもこれはおかしい。全くスイセイらしくなかった。

「スイセイ、体調でも悪いの?」

 急に心配になって顔を覗き込んだ。普段より険しい表情で、どこか遠くを見つめている。ユウキが声をかけたことに気づいているのか、いないのか、すぐに反応が返されることはなかった。

「スイセイ?」

 もう一度呼ぶと、ぬっと眼球が動き、視線が合った。スイセイは見慣れた笑みを浮かべ、首を振る。

「……いや、問題ねぇ。お疲れ」

 スイセイはぼうっとなどしていなかったかのように、機敏に立ち上がり、天幕を出て行く。ユウキはそれを茫然ぼうぜんと見送った。


 それから数日。戦線を維持したまま、その裏で密やかに撤退の準備が進められる。大っぴらに行われていないのはトーツからの正式な返答がまだのためだ。

 砦からトーツの王城がある都までは、早馬を乗り換えながら昼夜駆け続けて四日ほど。往復でおよそ八~十日かかる。それを待つとなると、まだあと四、五日はこのままの状態で待機――となるが、実際にはシュセンと同じで鳥を利用しているはずだった。

 トーツにも鳥使いはいると聞いている。たとえいなかったとしても訓練した鳥は飼っているだろう。今や、通信手段として鳥は欠かせない。

 シュセンも鳥を使って手紙を送り、すでに停戦に向けて動き始めている。首都では、ロージアのレーエンに立ち会いを依頼し、会談日程の調整をするなどしているという。

 同じようにトーツも鳥を使ったとしたら、すでにやり取りは完了しているはずで、もういつ正式な返答を貰えてもおかしくない状況だった。それがないのは王城のほうで揉めているのか、それとも、内容が内容だけに慎重を期して、実際に人を向かわせているのか。どちらにせよ、待つしかすることのないユウキには辛い時間だった。

 ユウキはあれからスイセイつきの小姓として滞在を続けている。味方内でも女であると知られるわけにはいかない上に、ふらふらと出歩けばすぐに雑用を申しつけられるため、ほとんど天幕に引きこもったままだった。

 それに対しスイセイは頻繁に出歩き姿を消した。丸一日戻って来ないこともあった。じっとしていられないたちなのだろうかと、護衛についてくれていた遊離隊員に聞けば、そういう面もありますね、という何とも曖昧な答えが返ってきた。

 今が一番暇なはずなのに、何やらこそこそと動いているスイセイ。そんなスイセイの行動に首を傾げつつも、このときのユウキはその意味を深く考えていなかった。


 異変が起こったのは、その日の夕刻のことだった。

 突然、天幕の外から警戒を促す声や笛の音がけたたましく響き、ユウキは慌てて天幕を飛び出した。

「嘘、どうして!?」

 ユウキはそこで見た光景に目を疑う。

 舞い上がる土埃。地面を振動させる騎馬の足音。雄叫びに、金属のかち合う音。ユウキが目にしたのは、これぞ戦場というべき壮絶な光景だった。

 その頃にはすでにシュセンも第一陣を送り出していたが、敵の動きのほうが早い。どこに潜んでいたのか、陣の裏手からもときの声が上がった。

「停戦を、受け入れるって……」

「んなこったろうって思ったぜ」

 気づけばすぐ横に、馬にまたがるスイセイがいた。そしてユウキの問うような視線に悪魔のような壮絶な笑みを浮かべる。

「あれが素直に条件をのむような奴かっつーの」

 スイセイはユウキを馬上に引き上げ、馬を走らせた。その直後、忽然こつぜんと姿を現した敵兵により、辺り一帯が瞬く間に戦闘の渦に飲まれる。

 スイセイは向かってくる敵を槍でぎ払いながら、木々の生い茂っている北部へと馬を走らせた。気づけばそんなスイセイを護衛するように見慣れた顔ぶれが集っている。遊離隊員たちだった。そんな彼らに守られながら、やがて戦乱の中心地を抜け出す。

 遊離隊の戦闘能力は高かった。時折スイセイから出されるわずかな指示だけで、複雑な連携をし、次々と敵を打ち払っていく。とはいえ、その技量に感動して見ていられるような状況ではなかった。

 目に映るのは、ただただ人が血を吹いて倒れていくだけの凄惨せいさんな光景だ。当然、見ていたいような光景ではない。けれど、ユウキは逆に目を離す方が恐ろしかった。

 怖い、嫌だ、見たくない――そう心の中で叫びながらも目が離せない。ユウキは馬にしがみつきながら、まばたきすることさえ忘れてその光景を見続けた。

 やがて静かな森の中へとたどり着いた。静寂の中に、まだ、刃を交わす音や悲鳴、雄叫おたけび、うめき声などが聞こえるような気がする。ユウキは馬から下ろされるなり、大抵の兵が経験するようにその場で吐いた。ただ見ていただけにもかかわらず、戦場の空気に耐えることができなかった。

 どこからか差し出された水筒を受け取り口をすすぐ。口はすぐにさっぱりとした。けれど血の臭いが消えない。――気持ち悪い。

 水筒を返そうと顔をあげれば、近くにはスイセイしかいなくなっていた。スイセイは返り血の一つも浴びておらず、身綺麗なままだ。それでユウキはこの血の臭いが現実のものでないと気づかされる。

「みんなは?」

「半数は偵察に。残りは目的地に先行させた」

 おそらくスイセイ以外の隊員たちは血まみれだ。ユウキを気遣って距離を取らせているのだろう。

「ごめん」

 もう大丈夫、と言いたいところだが、おそらく無理だ。血を見たら、先ほどの光景がフラッシュバックしそうだった。しばらくは眠ることもできないかもしれない。

 もしかしたら、ユウキが使者として向かったときにも、こういう事態におちいっていた可能性があったのではないだろうか。少数の護衛しかない中で、敵に囲まれ、ユウキが錯乱してしまったら、今よりもっと酷いことになっていただろう。

 それを思えば、砦まで無事に行って帰って来れたのは奇跡的なことだった。ただ、その行為も結局、無駄でしかなかったようだが。

 トーツ軍からの襲撃があったということは、デイルと交わした停戦の約束は反故にされたということだろう。

 悔しくて、情けなくて、涙がこぼれる。期待に応えられず、失望するだろういくつもの顔を思い浮かべ、ユウキは更に落ち込んだ。

 今回の敵襲による犠牲は少なくなかった。どこかで言葉も交わしていたかもしれない味方の死。その姿が瞼の裏に浮かぶ。見知らぬ敵の死でさえも、ユウキの心に重くのしかかってきた。敵も味方も、死に絶えてしまったかのような錯覚に陥る。

 実際には、スイセイが事前の備えをしていたため壊滅的な被害は受けていないというが、シュセンの倍にもなる勢力をぶつけられ、防ぎきることはできなかった。遁走とんそうした味方たちは、一つ手前の占拠した町まで戻り、体制を立て直す予定だという。

 一足先に戦場を離れ、山の中に潜伏したユウキたちには、その予定がどうなったかまでは知れない。けれど、状況がわからないことに不安を感じる一方、ユウキは近くに遊離隊以外の味方がいないことに安堵していた。もしここに敵兵が現れたとしても、命を落とす者はいないと信じられるからだ。

 ユウキは今、自分が酷く臆病になっていることに気づいていた。それほどまでに、間近で見た多くの人の死は衝撃だった。

 再び先ほどの光景を思い出しそうになり慌てて首を振る。気を紛らわせようと他のことを考えていても、ここに戻ってきてしまうのでは堂々巡りだ。ユウキは大きくため息をついた。

 そのとき、ふっとスイセイの口から笑い声が漏れた気がした。ユウキは驚いて顔を上げる。こんなときにもかかわらず、ユウキを見下ろすスイセイの顔には、笑みが浮かんでいた。

「落ち着いたか?」

「そう、だね」

 このままこうしているわけにもいかないだろう。ユウキは無理やり顔に笑みを作る。

「よし、大丈夫だな。んじゃ、風捕りらしい報復と行くか」

「……え!?」

 ユウキは耳を疑った。今、思わぬ単語を耳にした気がする。ユウキは顔をひきつらせながら、再びスイセイを見上げた。

「やられっぱなしで終わらせられる俺じゃねぇからな」

「そ、そう……」

 確かにやられっぱなしというのはスイセイの柄ではないだろう。だが、それをスイセイが口にすると何故か全く別の、非常に不穏な言葉ように聞こえる。これはユウキが抑えなければいけないのではないかと考え始め、そこで自分が自然と笑っていることに気づく。

 励ましてくれたのだろうか。いや、きっと違うだろう。スイセイの辞典に気遣いという言葉は載っていない。けれど、勝手に励まされてもいいはずだ。動じることのないスイセイの姿は、それだけで心強いものだった。

「大船に乗ったつもりでいていいぜ」

 ユウキの心を見透かしたかのようにそう言って、空を見上げる。つられてユウキも見上げれば、そこには分厚い、不気味な色の雲が広がっていた。ユウキにはこれがシュセンの未来のように見えるが、スイセイの目にはどう映っているのだろうか。


 外套がいとうが大きくはためいた。もともと風の強かったゲダの地に、更なる強風が吹き抜ける。今は向かい風であろうこの風が、いつか追い風になってくれることをユウキは祈っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る