6-3. 残された人々は(3)

          *

 ユウキとスイセイが戦場に向けて出立したあと、アキトからの接触もないまま数日が過ぎた。ユウキはもう国境を越えた頃だろう。

 ショウはこの日も早朝から密偵の報告を受け、証拠集めに奔走ほんそうしていた。とはいえ、一昨日辺りからはその報告もぐっと減り、ここ数日は午後になると、証拠書類の整理や検証に時間を割けるようになっていた。

 今日も午前の内に行くべきところは回りきり、午後はその証拠書類に目を通す予定だったのだが。

「あー……」

 現在、ショウが城内での仕事のために借りているのは、父の執務室の続きの間である仮眠室だ。もともと広くもない部屋に机と書類を運び込んだため、部屋はそれらで埋もれかけていた。机の上はもちろん、足元も、書類の詰まった箱が足の踏み場がなくなるほどに広げられている。

 大抵の文官たちはこういった事態に陥らないように、雑務をこなす従者なり補佐なりをそばに置いていた。だがにわか書記官のショウに、そういった者がついているはずない。頼めばつけることも可能だっただろうが、そんな余裕すらこれまでなかったのだ。

 ゆえに、完全に部屋が埋もれてしまう前に、ショウは人を探すか、自分で何とかするかしなくてはならなかった。

「仕方ない。片付けるか。確か、この箱とこれと……」

 ひとまず不要になった書類を返却して来ようと、箱を抱え、部屋を出た。今持っている書類は、第二資料庫と刑務部の資料庫に返す分だ。どちらも同じ西の棟にあるため、まとめて持っていったほうが効率がよかった。

 そして父親の執務室を通り抜けて廊下に出る。ヤマキに連れ回され、否応なしに慣れさせられた城内を、ショウは迷うことなく進んだ。

「お、ショウじゃん! いいところに!」

 その声を耳にした瞬間、ショウはきびすを返した。

 やはり資料を返しに行くのは今度にして、今日は部屋で集めた書類の確認をしていようと咄嗟に計画の変更をする。

「えー、そんなぁ。待てよ、俺たち親友だろ?」

「誤解だ。親友どころか友達になった覚えもないから」

 離れようと足を早めるが、その声の主は走って追いかけてきて、強引にショウと肩を組んだ。

「冷たいこと言うなよぉ。な?」

 城内の廊下を走るなどマナー違反もいいところなのだが、この少年がそんなことを気にするはずがなかった。ショウは諦めて足を止め、首に回された腕をほどく。

「……どうせまた飲みの誘いだろ」

「よくわかってんじゃん。さすが我が親友とも!」

「黙れジュマ」

 最近、ショウはこの少年、ジュマに毎日のように絡まれていた。ショウの何が気に入ったのか、暇あれば刑務部にまで突撃してくる。

 刑務部の同僚たちとて勤務中にやってくるジュマの存在は迷惑だろうに、いつも微笑ましげに見るだけで注意も何もしない。

 しかも、その視線が向けられているのはジュマではなくショウだ。まるで初めて友人ができた子どもを見ているかのような眼差しで、それがまた腹立たしかった。自分はそんなにも友人がいなそうに見えているのだろうか。

 刑務部の人たちの反応はともかく、そうやってジュマが頻繁にやってきたところで、ショウが一緒に行くことはない。それはショウに飲みに行けるような金銭的な余裕がないからだ。そもそもチハルを出てからの旅費だって完全に父親頼りだったというのに、遊ぶ金があるはずない。

 ユウキとの旅費は、ショウがヤガミ家の使いをよそおうことで入手していた。ある一定以上の貴族は信用取引ができる。ショウはその仕組みを利用して、商家から父親のお金を引き出していたのだ。当然父親も気づいている。真っ当に生きたいと思うなら、今からでも利子をつけて返さねばならなかった。

「今日は、城壁の外の――」

 ここでいう城壁とは、外の城壁のことだ。つまりジュマは普段、貴族たちが行っているような店とは違うところに行こうと言っていた。

 問題は、ジュマの行く店がただの飲み屋ではないということだ。確かに飲みが中心の店で、大人たちからすれば健全な店ではあるのだが、所謂いわゆる、女の子と仲良くなれる店だった。

「ほら、若いやつらがみんな戦場に行っちゃっただろ。だからお客が減って困ってるんだって。人助けだと思って、な」

 ジュマは騙されている。それは店の手口だ。そもそもそういう店に行けるだけの余裕があるのは富裕層で、そういった者たちは出征をまぬかれている。困っているというのは客を呼ぶための方便に違いなかった。それに気づいているのか、いないのか。ジュマはいつも簡単に相手の口車に乗ってしまう。

 それに、本当に若者がいなくなったことで困っているような店は、治安の悪い地域にしかなく、いくらジュマといえどもおいそれと行ける場所ではなかった。こう見えてジュマも貴族なのだ。

「勘弁してくれ。本当に、忙しいんだ」

 ジュマのお気楽さがうらやましかった。どうして自分はこんなにも追い込まれているのだろうとショウは疑問に思う。ショウはいつのまにか、自分が選択した以上の負荷を負い込まされてしまっていた。ユウキのことを想えば頑張れるが、釈然しゃくぜんとしないのもまた正直な気持ちだった。

「わかった! なら俺が手伝ってやるよ!」

「――それは俺が何をしてるのか知ってて言ってるのか?」

 呆れつつも警告のつもりでそう言えば、ジュマは胸を張って答えた。

「大丈夫だ! お前は俺の親友だぜ? お前のすることなら問題ないって俺は知ってる!」

 全く変に信用されたものだ。だが、それは不快なものではなかった。思わず苦笑がこぼれる。

 思えば、これは悪い話ではなかった。ジュマの交友関係は広い。礼儀も何も持ち合わせていないくせに、愛嬌があるためか、大人受けまでいいのだ。

 一時的にではなく、本気で手を貸してくれるというのなら、これほど当てにできる人脈はなかった。

「ジュマ、仕事は?」

「今日は早番だったからな。もう上がりだ」

「じゃなくて、役職」

「うん? 言ってなかったか。俺は――宮廷武官だ」

 何やら恰好つけて言い放つ。確かに指定の上着を着ていれば恰好もついただろう。だが、上着も着用せず、これが制服だとショウが気づかなかったくらい着崩された姿では不良のようにしか見えなかった。

 それはさておき、これでジュマがどこにでも出没してくる理由を理解した。宮廷武官とはいわゆる近衛だ。実務優先の治安局とは一線を画す花形武官。王族の警護が主業務であるから、城内を自由に歩けて当然だった。

「跡取りのぼんぼんかと思ってた……」

 思わず小声で呟けば、ジュマが爆笑した。

「あははっ。俺みたいな馬鹿が跡取りになんて慣れる訳ねーじゃん。家は弟が継いでくれるよ」

 弟、ということは本来であればジュマが跡取りだったわけだ。当代の英断を称えべきか、ジュマの頭の悪さを嘆くべきか、ショウは他人事ながら頭を抱えた。

「そ、そうか。けど、なら――遠慮なく手伝わせられるな」

「うん?」

「最後まで、きっちりと手伝ってくれよ?」

「もちろん!」

 ジュマは即答した。最後までのところを強調したのだが、おそらく気づいてもいないのだろう。

「言ったな? 本当に手伝わせるからな?」

「任せろ! だから、な?」

「……今日だけだぞ」

 忘れてなかったか、と思いつつショウは頷いた。

 なんだかんだ言って馬鹿な子ほど可愛いというのは事実らしい。実際はジュマの方がショウより二つ年上だったのだが……たぶん、いや、完全に自分もほだされている。ショウは大きくため息をついた。

「じゃあ早速だけど、ジュマ。風捕りって知ってるか?」

 宮廷武官は治安局とは別の独立した組織だ。ナダとの繋がりの少ない組織であることを考えると、取っ掛かりとして最良の部署かもしれない。

 そう思えば、「いいところに」という言葉が当てはまったのは、ショウのほうだったかもしれない。ショウは密かにジュマに感謝した。――このときは。


 後日、セリナと会った瞬間、ショウは胸倉を掴まれた。掴み上げられずに済んだのはひとえに身長差のおかげだろう。

「ショウ! あんた一昨日、女の子の店に行ったでしょ! 信じらんない!」

 ジュマとのお遊びは一瞬にしてセリナの耳に入ったようだった。語らいの情報網も馬鹿に出来ない。

「好きで行ったんじゃない。付き合いだよ」

「男の人はみんなそう言うの。でも、それがただの付き合いだった試しなんてないんだから」

「どうしてセリナがそんなこと知ってるんだよ」

「決まってるでしょ、そうやって男をひっかけたんだから」

 ショウは絶句した。完全に忘れていた。外で相手を探すのは、セリナの村のしきたりだ。

 小さな村での近親婚は種の保存としては最悪だ。故に、年頃となった女性たちは相手を探しに町場に出されるとは聞いていたのだが。

 けれど、そういった現実を知っているにしては、セリナの反応は過剰だった。まるで恋を夢見る純情な女の子のようだ。

「今、セリナのくせにって思ったでしょ」

「いや、さすがにそれは」

「ほら、やっぱり近いこと考えてんじゃない。とにかく、あんたにはユウキがいるでしょ。女遊びとかやめてよね」

 セリナは完全に勘違いしている。ショウとユウキはそんな関係ではない。ショウたちの間にあるのは恋とは別の絆だ。

 ユウキが感じている想いは、いずれ愛には変わるかもしれない。けれど、決して恋になることはないだろう。そこがきっとショウとは違う。

 未だ怒り続けるセリナの言葉を聞き流しながら、ショウはユウキを想った。

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