6-2. 戦場にて(1)

          *

 国境を越えて数日。ユウキたちはとうとう前線と呼ばれている一帯までやってきた。

 現在の主な戦場は三か所。トーツ第一の砦を取り囲んでの攻城戦。魔の街道と呼ばれている東の街道開拓。そして、今ユウキが向かっているゲダ高地での睨み合いだ。

 遠目に見たゲダ高地は少し、チハルの西にある岩石地帯に似ていた。地面からは岩が飛び出し、割れ落ちた石や砂利はそこかしこに広がる。

 ただ、岩の合間に枯草が多くあるところを見ると、地面は岩ではなく土なのかもしれない。そこはチハルの西とは違うところだ。

 似ているところと言えば、空気もだった。センリョウなどよりよほど高い標高に位置するためか、空気は頭がすっきりするような冷たさを持っていた。

 そんなゲダ高地の南にはトーツ第二の砦があり、そこにユウキが対面すべき総司令官が待ち構えている。

 予定では、ユウキたちは一旦、ゲダ高地に敷かれた陣に立ち寄ることになっていた。現在全体の指揮をとっている軍部副官と連携をはかり、それから使者として立つのだ。

「全体停止!」

 スイセイが隊を止めたのは、ゲダ高地からほど近い林の中だった。木々自体は幹も細く葉も少なく背丈は低く、と身を隠すには心もとない物だったが、窪地という地形がそれを補っている。野営向きの立地だが、まだ日が高いので小休憩といったところか。

 二人の遊離隊員がさっと高台へと登った。周囲の警戒のために移動したようだ。残った十人ほどの遊離隊員とユウキ、ウル、ウルの従者はスイセイの指示で馬から下りる。

 ほんの数日前まで、ここにはアキトもいた。アキトはシュセンの国境沿いの砦で再会してから、しばらくユウキに同行してくれていたのだ。

 はじめの頃こそ、ウルが睨みを聞かせており、食事時に少し会話をする程度しか言葉を交わせなかったが、その監視も日に日に緩み、気づけばユウキは、アキトともスイセイとも堂々と会話ができる状況になっていた。

 ナダに捨てられた、というスイセイの言葉が堪えたのだろうか。ウルは監視役を放棄し、自分の殻に引き篭もるようになった。今では従者でさえ必要以上に近寄らせず、怯えた小動物がごとき姿を晒している。同情するに値しない人物ではあるが、他と違う行動をとる人物というのは目立つもので、ユウキもたびたびそんな姿を目にすることになった。

 ユウキはわかっていなかったが、怯えつつもウルが逃げ出さなかったのは、ここがすでにトーツ国内だったからだ。ウルは味方に害されるか敵に害されるかという究極の選択を前に、このまま同行することを選んだ。

 それはともかく、アキトと会話できるようになったユウキは、道すがら、これからユウキが対面するであろう男、トーツの総司令官について教えてもらっていた。特に、総司令官の過去に関する話はユウキの心を大きくざわめかせた。

 その総司令官の名前をデイルという。十五年前、ジャンと同じ大隊長の地位にいて、ジャンと交流を持っていたという男だ。

 アキトはデイルの話に限らず、トーツ軍の構成やこれまでに実行されてきた作戦のことなど、時間の許す限り様々な話を聞かせてくれた。そしてそれはユウキの不安を和らげることに繋がった。

 だが、そんなアキトとも一昨日別れた。アキトの強みはシュセン国内の情報網。シュセンにいてこそ本領を発揮できるのだと言う。そんなアキトを引き留めることはできなかった。

 心細くなるのは仕方ない。けれど、アキトは味方になると言ってくれた。ならば、ユウキはただそれを信じていればいい。アキトはきっとユウキのために何かしてくれるだろう。

 そのアキトと入れ違いで、朗報が届いた。ユウキが交渉で用いる予定の書類、その原本が手に入ったという知らせだった。それはちょうどユウキたちが本陣に着く頃、そこに届けられるという。準備は着々と整っていた。


 ユウキが木の根元に座り込んで休んでいると、スイセイがやってきた。ここ二、三日は疲労が蓄積しているため、寝る前くらいしか会話もしていなかった。

 だからユウキは不思議に思いながらスイセイを見上げる。だが、スイセイはユウキの問うような眼差しには構わず、ひょいと隣に腰を下ろした。

 何か話があるのだと思った。けれど、スイセイは思案げに空を見上げるばかりで口を開かない。何かに悩んでいるのだとしても、ユウキが思い浮かぶ範囲では大きな懸念は見当たらず、ユウキは困惑した。

「スイセイ?」

 スイセイはちらりとユウキを見て、それからまた視線を空に戻す。

「あー、いや。予防線でも張っとくべきかなってね」

「予防線?」

「あぁ」

 スイセイは頷いただけで詳しいことは言わなかった。

 ユウキもスイセイに倣って空を見上げた。けれど、頼りなさげな細い枝が視界を邪魔する。きれいな青空だとは言い切るには枝の存在感がありすぎた。

「そうそう。少し急ぎゃ、今日中に味方と合流もできんだが……今日はこの辺で野営して、明日合流って形にするか」

 たった今決めたかのような口ぶりだった。

 自分たちが少人数であることを思えば、早く合流してしまった方がいいようにも思える。だがそれこそ、先ほどの予防線というのが関係してくるのだろう。

「あー、あと、合流前に敵陣の様子を探らせる」

「斥候を出すの?」

「あぁ。本陣は敵にも見張られてっから、合流したら警戒されんだろ。その前にちっと確認をな」

「うん」

 スイセイが何をしに来たのかはよくわからなかったが、どうやら考えはまとまったらしい。それからは二人とも無言のまま、ぼんやりとした時間を過ごした。

「――んじゃ、そろそろ指示出すか」

 十分ほど休んだところでスイセイは立ち上がり、見張り以外の部下を招集した。

「二班! 敵陣の確認を命じる。二手に分かれて東西からの情報収集にはげめ」

「はっ」

「それからトウマ」

「はい」

「お前は先に本陣に行って指揮権を奪ってこい。一時的なものでいい」

 ユウキはぎょっとした。戦の知識がないユウキでも、それはさすがに無茶なではないかと思う。命じられたトウマへと視線を向ければ、その顔色は非常に悪かった。だが、トウマは反論せずに頷く。

「――はい」

 遊離隊にも上意下達じょういかたつの絶対性のようなものがあるのかもしれない。しばらくユウキははらはらと見守っていたが、返事をしたあとのトウマは戸惑う様子もなく、きびきびと動いた。残った遊離隊員の中から手早く随員を一人選び、騎乗する。

 そして準備の整えた二班の者と一緒に、トウマたちは出発していった。

 この場に残されたのは九人。一気に半数近くにまで減ったためか、遊離隊員はいつになくピリピリとした緊張感をかもし出していた。

「よし、残留班は周辺の索敵完了後、野営にする。行け」

 すでに役割は決まっていたのだろう。素早く数人が散る。残ったユウキたちはじっと彼らの戻りを待つことになった。

 それからどのくらいたっただろうか。突然、スイセイが舌打ちをし、馬を駆った。同時に残っていた他の遊離隊員も駆け出す。

 いつ合図があったのかユウキにはわからなかったが、どうやら敵と遭遇したらしい。その場に残されたユウキは混乱する頭を抱えながらも、地面の窪みに身を隠し、そのまま息を潜めて事態の収拾を待った。

 これは最初にスイセイから言い聞かされていたことだった。何かあったらまず身を隠すこと。人数に余剰があれば守りを残すが、残さない場合もある。だが、たとえ一人になったとしても喚かず息を潜めていれば、あとで必ず助けてやると。

 スイセイたちが行ってしまうと、あっという間に周囲は静まり返った。ウルや従者がどこにいるのかもわからない。ユウキは途端に不安に襲われた。

 こういうときは一分一秒が非常に長く感じる。ユウキは胸に手を当てて、自分を落ち着けるために深呼吸を繰り返した。

「わりぃ、うっかり向こうの偵察に見つかっちまった。ちっと急いで移動すんぞ」

 人気ひとけがなくなったかと思えば突然、すぐ近くからスイセイの声が聞こえた。視界の端では、ウルとその従者に声をかけている遊離隊員の姿も見える。

「大丈夫だったの?」

「少数だったから大したことねぇよ。捕り逃がしてもねぇけど、偵察が戻らなけりゃ次が来る。だから移動だ」

 こちらの人数も多くはない。少数だったと言われても安心できなかった。怪我人が出ていなければいいと思う。スイセイはこんな状況でも飄々ひょうひょうとしており、言葉通り大したことないと思っているのが窺えた。

 これが、戦場を仕事場とする者とそうでない者との違いだろうか。ユウキは密かにショックを受けていた。

 そしてユウキは立ち上がるや否や、スイセイの馬の上へと引き上げられた。

「ひゃっ」

「舌噛むなよ」

 スイセイがこちらの返事を待たずに馬を駆けさせた。これまでの移動よりずっと早い。ユウキは必死に馬にしがみついた。

 どこで交戦していたのかはすぐにわかった。血臭が漂ってきたからだ。それは一瞬のことであったが、ユウキは気分が悪くなり、顔をそむけた。そのわずかなユウキの動きもスイセイは見逃さなかった。

「慣れろ。慣れて、全てを意識の外に追いやれ」

 認識しなければいいだけのことだとスイセイは言った。

 それが戦場での生き抜き方なのだろう。ここに来てしまった以上、ユウキも人の死との接触からは逃れられない運命だ。

「使者は攻撃しないことになってるが、それでも安全じゃねぇ。偽りの使者だとみなされることもあるし、血に酔ったやつらに使者だと認識する余裕があるとも限らねぇ。ユウキの命は守るけど、仲間の一人や二人、首が飛ぶ覚悟はしとけよ。んでもって、それを目にして役目が全うできなくなるっつーなら、今からでもやめたほうがいい。逃げたきゃ逃がしてやる。それくらい朝飯前だ」

 逃がしてやるという言葉がスイセイの口から出て来るとは思わなかった。むしろスイセイは逃げたければ勝手にしろというタイプだと認識している。

 とそこまで考えてユウキは理解した。逃がしてやるというのは優しさではない。邪魔をするなといういう意味だ。

「ごめ……甘かった。でも、大丈夫。行くよ」

 ユウキはこのとき初めて、ここが戦場であることを理解した。血で血を洗うような戦場では甘い考えでいればすぐにも命を落とすことになるだろう。それも自分だけではなく、周囲の人間を巻き込んで。それに気づいたユウキはしっかりと気を引き締めた。

 自分が死にたくないと思うのと同様に、他の人だって死にたくなどないはずだ。自分の甘さを理由に他人を死なすことだけは絶対にしてはならないとユウキは思った。

 やがて、スイセイは走る速度を落とし、馬を止めた。同じく馬を止めた遊離隊員たちは手早く野営の支度を始める。まだ高いところにあると思っていた日はすでに傾き始め、地面に長い影を伸ばしていた。


 ポロボでの健康被害の真実を盾に、トーツと交渉をし、停戦へと持ち込むこと。実のところこれは、ユウキにとっても、迷わざる得ない大きな決断だった。

 トーツがこちらの条件を飲むということは、健康被害のことに限らず、ポロボの様々な事実を明らかにできなくなるということでもある。健康被害のことやトーツに嵌められたことを隠したままで、ポロボの事件は風捕りがやったのではないと明かすことを、ナダは決して許さないだろう。

 それをわかっていてなお、ユウキはこれを提案した。

 本当に大切なのは、過去を明らかにすることでも、過去の罪を償わせることでもなく、今、この瞬間にも失われようとしている命を守ることだと思ったからだ。

 そのためには戦争を続けていてはいけない。戦争を止めるためなら――真実など明らかにされなくてもいいとさえ思った。

 こうして割り切れるようになったのは、今日のことがあったからだ。

 ずっと、割り切ったつもりでいながらも、心の中がもやもやとしていた。けれど今日の襲撃で心が決まった。

 ――この戦は、絶対にここで終わらせる。

 自信はなく、不安も山ほどある。けれど今は余計なことなど考えず、ただそれだけを、やり遂げることだけを考えようとユウキは固く決意した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る