6-1. 在りし日の出来事(2)

          *

 導暦どうれき八四六年。開戦から五年、トーツが劣勢に追い込まれていたときのことだった。

 千人規模の大隊を任される隊長同士、男とジャンは同じ立場で話せるという気軽さもあり、顔を合わせる機会あらば多くのことを語り合う、そんな関係を築いていた。世が世だけに主に戦略についてだったが、それでも殺伐とした軍の中では悪くない関係だったのだろうと男は思う。


 この日、大隊長以上の軍人に招集がかけられてた。戦略会議が行われるのだ。普段であれば一つ上の連隊長までしか集められないのだが、大隊長も呼ばれたことで、男やジャンも参加することになった。

 軍議は紛糾ふんきゅう、あるいは沈黙し、なかなかはかどらなかった。

「シュセンも粘るな。自国で火薬の原料をとることもできないくせに、我々と互角で戦うとは」

 休憩の時間が設けられた途端、男たちの間で苛立ちの籠った言葉が飛び交った。

 期待の銃器はようやく実戦に投入され始めたというところ。それを受けての改良がこれから行われる。改良せずに使うとしても量産が間に合わないため、大規模な作戦には組み込めなかった。

 今年一杯はこれまで通り、槍や弓、爆薬を用いての戦いが続けられるだろう。

「くそ、あと少しでカヤバ港が取れるところだったのに。このままでは犠牲が……」

 そのあと少しに手が届かない。それもあって引くに引かれず、戦争は泥沼化し始めていた。

 やはり大きな打撃を与えるしかないだろうと男は考える。その作戦が浮かばないからこそ、軍議は停滞しているのだが――ふと隣に顔を向け、難しい顔のままうつむいているジャンに目が留まる。

 男はすぐに気づいた。ジャンの頭の中にはすでに策が浮かんでいるのだと。ただ、何か問題があって――おそらく犠牲などを気にしているのだろうが、それで提案できずにいるのだろう。

 男は過去の記憶を探った。これまでジャンと話した中に、現状でも使える策はあっただろうか。それがもしいい案であるなら自分の手柄にしてもよいのではないだろうか。

 そして思い浮かんだのは、一つの策。ジャンが却下した理由にまで思い至り、これは自分ではなく、ジャンの手柄にしてやろうと悪い笑みを浮かべた。

 軍議が再開される。議場は静まり返ったままだった。苛立ちを抑えきれない上官たち。それを尻目に挙手をする。

「ゲディン将軍、よろしいでしょうか」

 男はここに集まった中では最も下っ端の大隊長だ。驚きやいぶかしむ視線が一斉に男に集まった。

「いいだろう。発言を許可する」

「ま、待て、デイル!」

 はっとした様子でジャンが制止の声を上げた。だが、もう遅い。男はそんなジャンを無視して発言を続ける。

「ありがとうございます。私ではありませんが、ジャン将軍が策をお持ちのようです。なんでも例の火薬を用いて、シュセンを動揺させられる策があるとか」

 上官たちの視線がジャンへと移る。男は密かに口角を上げた。

 ジャンは今、危うい立場に立たされている。黙っていれば叛意はんい有りとみなされて処分されることになるだろう。降格処分ならまだいいが、戦場であるから処分もしやすいと、あっさり殺されてしまう可能性も高かった。

 ジャンはどちらを選ぶだろうか。意に沿わぬ作戦の提案か、命を捨てるのか。他の者なら迷うはずのない二択だが、ジャンならばきっと迷うだろう。

 間もなく、ジャンは諦めたように立ち上がり、口を開いた。

 ――そう、それでいい。

 男は久しぶりに心が浮き立つのを感じた。こんなに楽しい芝居はいつ以来だろうか。せいぜい楽しませてくれよ、と説明を始めたジャンに心の中で声援を送った。

「――此度こたびの戦で開発された雨に強い爆薬。あれを用いて湾岸を制圧してはどうかと考えました。あの爆薬であれば海中でも十分な威力を発揮することでしょう。それを敵国の戦艦に密かに仕掛けることができれば大打撃を与えることができるかと。ですが――」

「成程、悪くないな」

 総司令官であるゲディンの視線が一瞬、男に向けられる。その愉しげな表情を見て、男はまたわらった。

「ですが」

「もういいと言っているのだ。いちいち命令せねばわからぬか」

 軍において上官の言葉は絶対だ。それは命令に限ったことではない。

 ジャンはしぶしぶと口をつぐみ、着席した。ジャンとしては肝心なデメリットを説明できなかったことに不満を感じているのだろう。だが、それでいいのだ。デメリットなどわざわざ口にする必要はない。

「では、本日は解散とする」

 二、三の伝達事項を受けたのち、軍議は終了した。

 そして部屋を出た途端、男はジャンに両腕を掴まれ、壁に押しつけられる。ジャンは険しい表情を浮かべていた。

「何故、話した。あの作戦には問題があると言っただろう。批難を受けることになるぞ」

 戦争にも一定のルールというものがある。あの作戦はそれを破るものだった。軍艦だけならば問題ない。だがおそらくそれだけで終えることはできないだろう。

 シュセンはすでに民間船の借り上げをしていた。となればそれを見逃すわけにはいかない。どうせなら見分けがつかなかったふりをして、借り上げられていない民間船も爆破してしまえと上は指示するだろう。そうなると際どくはあるがルール違反になる。

 当然、批難は軍に向けられる。だが、指揮官が勝手にしたことだと言うだけで、責任は全て指揮官に被せることができるのだ。多少、疑惑の目を向けられることになるが、それだけで済むのだから、軍としては使わない手はない。

 誰もがわかっていることだった。わかっていてなおこの作戦を引き受けたいという者はいない。必然的に、提案者であるジャンに、現地で指揮をとるよう命令が下されることになるだろう。提案者である以上、この命令からは逃れられるわけがなかった。

「ひとまず爆破まで成功すれば英雄だ。楽しんでこいよ」

「デイルっ、貴様っ!」

 ジャンの顔が大きく歪んだ。男は掴まれていた腕を振り払い、ジャンに背を向ける。かりそめの友情を断った瞬間だった。

 シュセンは痛手を被り、ライバルは脱落する。男にとってこの作戦は一石二鳥の名案でしかなかった。

 この軍議の翌日、男とジャンは改めて呼び出された。男には作戦で必要となる爆薬の収集を、ジャンには具体的な実行計画を立てるよう指示が出される。

 さらにそこで、とある事実が明かされた。例の水に強い火薬を製造する工場についてだった。

 最近、その火薬の新工場が立ち上げられていることは男も耳にしていた。だがその理由が、旧火薬工場のある町で深刻な健康被害が発生しているからだとは想像だにしていなかった。健康被害の原因はすでに解明済みで、新火薬工場では、その毒が生じない仕組みが採用されているという。

 だが新火薬工場の規模は小さく、まだ数が不足しているため、旧火薬工場の稼働は止められないらしい。ゆえに、旧火薬工場の人々には決してこの話をしてはならないと口止めされた。

 ジャンはこれにも物申そうとした。だが上官たちはジャンの発言を許さず、むしろ余計なことを言わせぬために、手早く作戦現場へと送り込んだ。

 こうして実行されたのが、のちに船舶転覆事件と呼ばれるようになったものだ。

 結果、トーツの戦況は一気に好転した。当然のようにシュセン国民の反感は高まったが、知ったことではなかった。

 この作戦で、火薬開発を含めたトーツの技術力の高さが国内外に広まった。それによってシュセンの士気は一気に落ち込み、翌年、トーツは念願のカヤバ港占領を果たすことに成功する。

 このまま終戦へと持ち込めるだろうと誰もが思い始めた頃、シュセンが反撃の構えを見せた。それは先の作戦で、シュセン国民の反感を高め過ぎてしまったことが原因だった。

 だが、それさえもトーツにとっては悪くない話だった。

 シュセンの動きを察知するや否や、トーツは偽の内通者を送り込んだ。シュセンの矛先を、トーツのきずであるポロボへと向けさせるためだった。

 その計略は上手くいった。八四九年。シュセンは船舶転覆事件に対する報復として、天誅作戦なるものを実行した。シュセンは特殊能力者を投入し、旧火薬工場のあるポロボ破壊に乗り出したのだ。それは実に上手く、旧火薬工場と健康被害の生き証人を吹き飛ばしてくれた。

 ただ、それは予想以上に派手な軍事行動で、トーツはシュセンに恐れを抱くことになった。だが、その一方で予期せぬ更なる幸運も舞い降りた。トーツと同じく脅威を感じたロージアが、シュセンを大々的に非難し、参戦したのだ。

 南東をトーツに、西をロージアに攻められることとなったシュセンが慌てたのは言うまでもない。ロージアが攻めた、ロージアとの国境沿いにあるシュセンの町ミルシャはツイツイ砂漠のオアシスで、この町をとられると南の砂漠越えルートが使えなくなってしまうという、かなりの要所だった。

 シュセンは休戦に応じた。ロージアにはミルシャを返還してもらう代わりに多額の賠償金を払い、トーツに対してもカヤバ港返還のために獲得した領地を差し出し、更にポロボ侵攻に対する賠償金を支払った。

 結果として、目的のカヤバ港こそ手に入れることはできなかったが、トーツは大いに潤った。それもこれも船舶転覆事件があったからこそだろう。


 その当時の功労者であるジャンも、今となっては非道な作戦を決行し、逃亡した重罪人でしかない。

 だが、男はジャンに感謝していた。ジャンが非道な作戦を提案し決行したことで、シュセンの怒りをあおめやすくなったのだ。そして、トーツが負うはずだった責めも、全てジャンが背負ってくれた。

 責苦を負ったジャンとは対照的に、男は当時の上官たちに気に入られ、順調に昇進を続けていった。今や、王の下、全軍を任される総司令官だ。あれはまさに、人生の明暗をわける大きな出来事だった。

「さて。これまでの犠牲を考えるなら、カヤバ港だけでは足りぬな。やはりシュセンの食料庫、南部穀倉地帯を一緒に貰い受けるか」

 今回、シュセンが仕掛けてきたのは、男にとっては渡りに船といったところ。今度こそカヤバ港を、そしてシュセンの無駄に高い鼻をへし折ってやろうと男は息巻いていた。

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