5-4. 切札を手に(1)

          *

「よ、無事か?」

 ひょっこりと鉄格子の向こうに姿を見せたのはスイセイだ。その姿を確認して、ユウキはほっと胸をなでおろす。ちょうど夕方の食事が片づけられて間もなくのことだった。

 ただ待つだけのユウキからすると、とても長い時間のように感じられたが、スイセイを送り出したのは今朝のことであるから、実際にはまだ一日もたっていない。そう考えれば驚きもひとしおだ。

「うん、大丈夫。こっちは何もなかったよ」

 昨日、牢に帰されて以降、ナダたちからの接触はなかった。食事は一日に二度きちんと運ばれてくるし、ツヅナミにいた男たちのようにユウキに手を出そうとする者もいない。恐ろしいほどの静寂さに不安を覚えることはあるが、至って平穏だった。

「そういえば、スイセイってここ、自由に出入りできるの?」

 深夜などに忍び込まなくてはならないという可能性も危惧きぐしていたのだが、今朝といい、今といい、スイセイが危険を冒してやってきた気配はなかった。

 ならば、遊離隊長の権限で面会が許されているのだろうか、とユウキは考える。だがスイセイは首を横に振った。

「自由にってのは無理だな。結構面倒な手続きが必要だぜ。ま、俺の場合は別口で入ってきてるから簡単っちゃ簡単だけど」

「そうなの?」

「あぁ。刑務部のお偉いさんの口利きってやつ?」

 そして何か含みのある視線を向けられ、ユウキは眉を顰める。

「……何を言いたいの?」

「そいつ、ショウの親父だよ」

 ユウキは目を見開いた。スイセイがショウとショウの父との確執を知っていたことにも驚きだが、この場合、一番の驚きはその父が、ショウ絡みで動いているスイセイに手を貸したということだ。

 スイセイが匂わすくらいだから、ショウの父がそれを知っていて手を貸したと思うのも、ユウキの勘違いではないだろう。

 これは朗報だった。ショウは信用していないようだったが、やっぱりショウの父はショウのことをちゃんと気にかけてくれていたのだ。ただの見栄ではなく心配して手を貸してくれている。それがわかる出来事だった。

「ショウは実家で上手くやってるんだ?」

「いや、ありゃ駄目だな。似た者同士過ぎる」

「んー、素直になれないタイプ?」

「だな」

 そして二人でくすくすと笑う。それが理由ならば、いつかは和解もできるだろうと思い、ユウキは安心した。

「それで、見れた?」

 ひとしきり笑ったあと、ようやく本題に入る。本当はすぐにでも尋ねたかったのだが、自分の余裕をなさを隠すために堪えていた。ユウキは、余裕のない姿を見せたら、スイセイが離れて行ってしまうような気がしていた。

「あぁ、見たぜ。ユウキの親友のセリナって子が持ってきた」

「え、セリナが!?」

 ユウキは目を丸くする。セリナならやりそうではあるが、ナナシ村からセンリョウまでの道のりは長い。こんな遠くまでくる決断をするとは、セリナをよく知るユウキでさえも予想もしていなかった。

「セリナまで来たなんて」

 書類がちゃんとショウの手に渡ったことにはほっとするものの、セリナについては少し心配になる。

 ユウキが直面している問題には、大きな権力が絡んでいる。もしこの魔の手にセリナまでもが捕まり、つらい思いをしてしまうとしたら、それはユウキの本意ではなかった。

 セリナには子どもだっているのだ。村で平穏に過ごしていて欲しいと思う。

「あいつなら余計なお世話って言うんじゃね? 決めたのはあいつ自身だし、そもそもセリナは語らいだ」

「語らい?」

「語らい一族。特殊能力者だ。あいつらは自分たちの力だとか影響力だとかをよく知ってる。その上で、ユウキに協力するために来たんだって言うんだから止められやしねぇよ」

 ユウキは困惑する。ユウキは語らいという特殊能力を知らなかったが、スイセイの言葉から、大きな力を持っているということが窺えた。その大きな力を使うことも覚悟で来たというのなら――ここは素直に感謝すべきだろう。

「セリナに会ったらお礼を言うよ」

「てか無事に戻るのが一番だろ。あいつにとっちゃ」

「だね」

 セリナもショウも、ユウキの無事を願ってくれている。ユウキは強くあろうと改めて思った。

「そういやあんた、書類の内容知らなかったんだってな」

「ん? うん、知らなかったけど、どうして?」

 ユウキが肯定すると、スイセイは嫌そうに顔を歪めた。その不可解な反応に、ユウキはきょとんとする。

「ちっ、やっぱわざとじゃねぇのかよ」

「……もしかして知ってるのに隠してたとか思ってた? そんな余裕なかったよ。あのとき私、予想外のこと命ぜられて、結構動揺してたんだから」

「いや、考えりゃそうだってのもわかんだけどさ、なんか調子狂うんだよ。お前も、あっちの嬢ちゃんも」

「セリナも? ふふっ、かっこよかったでしょ」

「あぁ。どっかのお坊ちゃまよりよっぽどな」

「ショウはショウだからいいんだよ。で、そうだ、書類。あれ、なんて書いてあった?」

 その途端、スイセイの顔から笑みが引いた。おふざけが常であるスイセイの、らしくない態度にユウキは首を傾げる。

「そんなすごいこと書かれてた?」

「まぁ、な。こっちに大馬鹿者がいて、向こうにおちょくられてたってこととかな」

 そしてスイセイは少し不機嫌そうに書かれていた内容を説明する。曰く、ポロボの事件は、トーツ軍が火薬製造による健康被害の実態を隠すために、シュセン軍に町を破壊させた事件だったということがわかった。

「やっぱりポロボの事件にトーツは無関係じゃなかったんだ……」

「ポロボの事件が風捕りのせいじゃないってのは、ショウのほうの調べでもわかってたみたいで、あー……そんで、多分自分たちの失態を隠すために、風捕りに責任をなすりつけて、その情報の抹消を闇屋に依頼したなんてこともわかった」

 その辺りの話についても一通り聞く。それでユウキは、北の小屋に戻るまでの間に知った情報が必ずしも全て正しかったわけではないと知った。

「情報を抹消しようとしたことで、事実が歪められてしまったのかな」

 ポロボの事件についてわかったという事実は大きかった。ユウキも、ジャンがトーツから持ち出したとみられる書類にポロボの文字を見つけたときから、様々な可能性を考えていたが、思いのほか重大な真実が知れたと思う。

 情報量の多さにユウキは少なからず混乱していた。それでも、スイセイが来る前から、ユウキはどんな情報が明かされても動じないように覚悟だけはしていた。

 だから、最終的にユウキが思ったことはただ一つで、これで戦える、ということだけだった。

「で、どうすんの? これ知って」

「うん。トーツをちょっと脅……えっと、トーツと交渉してみようかと思ってる」

 何でもないことのように口にして、遅れて現実がやってくる。これが遊びでも何でもないのだと思うと身体が震えた。鼓動が早まり、強い緊張感に襲われる。

「前に、トーツを調べてって言ったのも、脅せるんじゃないかって考えてなの。トーツのほうに何も問題がなかったなら、おじ……あの書類は私の手元になかったはずだから」

 ユウキは自分がこれからしようとしていることが正しいとは言えないことを承知していた。大それたことを口にしているというのもわかっている。

 正直怖いと思う。けれど、それでも、トーツの指揮官の暗殺よりよほどいい。

 気づけばスイセイがじっとユウキを見つめていた。

「書類を持ち出したのは、逃亡したと言われている当時の軍人、ジャン・オハナだな?」

 スイセイにとってこれは、ただ必要な確認をしただけかもしれない。けれど、ユウキにとっては意味が違った。とはいえ、これも必要な情報の一つだと思えば、隠してもいられない。

「そう。私の、育ての親だよ」

 いわくつきの風捕りを拾い育てたのは、それまたいわくつきの軍人だった。

 ポロボのことを知れば知るほど、ジャンとユウキとの出会いに因縁めいたものを感じる。けれど、もしかしたらジャンはユウキを拾って、ユウキが風捕りだと気づいて、後悔したのではないかとも思っていた。

 休戦時、その首を差し出すよう命じられたジャン。それはいわば風捕りの身柄と引き換えにする条件のようなものだったと聞いている。それと思えば、ジャンがユウキをうらんでいてもおかしくはなかった。

 今となってはもう確認もできない。でなくとも、ジャンは自らの心のうちを明かすことはなかっただろうけれど。

「スイセイ。私――」

 問題はそんなジャンやユウキの想いではなかった。もっと現実的なものだ。

 裏切り者の子は裏切り者だとか、トーツ人に育てられた子はシュセンの人じゃないとか、どこで聞いたかもわからない批判が次々と脳裏に浮かぶ。それらは自分に向けられた言葉ではなかったが、ユウキの記憶にはしっかりと残されていた。

 ユウキは自分をシュセン人だと思っている。トーツのために何かしようなどとは思わない。けれど、ユウキとジャンの繋がりを知れば、こういった疑いを持つ者が出てしまうのも仕方ないことだった。だから協力者たるスイセイにはきちんと話さなくてはとユウキは思っていた。

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