第五章
5-1. 訪問者(1)
特殊能力者が何故シュセンにだけ多く存在するのかは未だ解明されていない謎だ。
トーツもロージアもカガルも、いずれもシュセンと同じ人種で、同じ祖先から生まれた。違うとされているのは、北の半島の民であるイリス人と、南の未開の地に暮らすフォル人だけで、それ以外の国の人々に違いは存在しないはずだった。
にもかかわらず、シュセンだけが多くの特殊能力者を保有する。他国からすれば目障りなことこの上なかった。シュセンはこれまで、そんな他国の心情を慮って、実戦への投入を控えていたと言われている。
だが、そんな配慮も、目の前にぶら下げられた勝利という名の餌の前では、何の役にも立たなかった。シュセンは、特殊能力者を戦に投入した。
*
人里離れた極北の地。その小さな小屋では、一体いつからそうしているのか、まるで置物のように微動だにしないユウキが、長椅子の上で膝を抱えて丸まっていた。
その頬には涙の
カーテンが掛けられた窓からは、その布越しに外の明るさが感じられた。室内は薄暗いを通り越してかなり暗かったが、外はまだ昼間なのだろう。
それを認識したユウキは、ゆっくりと
ショウと別れて二週間がたっていた。
あれからユウキは
――早く、早く日常を取り戻さなくちゃ。
心に湧き上がるのは焦り。それは日増しに強くなっている。けれどその思いに反して身体は鉛のように重く、どうしても動くことができなかった。
誰もいない家。
人の姿もなければ、話し声も聞こえない。感じられるのは自然が起こすわずかな音のみで、それが余計にユウキが一人きりであることを強調していた。
ふと煙の匂いを嗅いで、ユウキは視線を暖炉へと向ける。暖炉ではもうほとんど火は消えており、灰の中で火種が
――あぁ、薪を足さなきゃ。
そう思考だけは正しい判断を下す。けれど身体はやはり動かなかった。
ここはぼうっとしていて生きて行けるような甘い場所ではない。絶えずに火を焚き続けなければ、室内でも
代わりにやってくれる人などもうどこにもいない。無気力でなどいたら、あっという間に命を落とすだろう。
ここでなら一人でも生きていける――そう思っていたのは、まだユウキが何も知らなかった頃。
これが帰還ではなく追放だと認識した瞬間、ここは牢獄へと変わった。
マカベに追われ、指名手配をかけられ、町の人に敵意を向けられ、ユウキは居場所を失った。
世界の果てであると信じられているセーウ山脈。その北側に連れて来られたということは、ユウキもまた存在しない人間になったということだ。
人々の記憶からユウキという存在は次第に消え、そして、誰に知られることもなくここで生涯を終えるのだ。
――それの何がいけないの? 何が気に入らないの?
もう一人の自分がユウキに尋ねる。ユウキは答えられなかった。
ショウが言ったように、ここはきっと安全だ。追われて逃げなくてはならないこともないだろうし、誰かに敵意を向けられることも、
ここがジャンとの思い出が詰まった大切な場所であることに変わりはなく、この現状に不満を抱くことは贅沢なことだった。
ただ、自分がショウの足かせでしかなかったという現実が心に重くのしかかる。それがなければ、ユウキはすぐにでもショウを追っただろう、というところまで考えて理解する。
――ただ私は、ショウの役に立ちたかった。
ユウキの願いはそれだけだった。それなのに、自分が側にいないことが、一番役に立つというのは何という皮肉だろうか。ユウキはそんな自分を呪った。
ショウはもうセーウ山脈を越えた頃だろう。今から追いかけても、ユウキの足ではまず追いつかない。
「またすぐに来るだなんて、嘘」
もうここにショウが来ないことは、ユウキの中で確信としてあった。
胸に広がる空虚感。これが埋まることももうないだろう。
ここに来るまでの道中のように、意識を閉ざしたままでいられれば良かったのに、と思わずにはいられない。そうすればこんな孤独感も感じずに済んだだろう。ユウキの意識を現実へと呼び戻したショウにまで恨みさえ抱きそうになった。こんなことばかり考えてしまう日々は、やはり苦痛であったから。
キルトをかけただけの木の椅子。その冷たく硬さの残る長椅子にユウキはコトンと寝転がった。
あの白い空間の夢こそ見なくなったが、未だに悪夢は見続けている。そのせいか、眠るのが怖くてベッドでは横になれなくなっていた。
けれど、最近はベッドでなくとも眠ってしまいそうになる。今も眠らないように気をつけていたが、身体は思い通りにはならず、すぐにうつらうつらとし始めた。
そして間もなく、夢に落ちる、と感じ――。
だがそのとき、何かの音がした。ユウキ一人になってからは耳にすることのなかったはっきりとした音。
ユウキは身体をビクンと跳ねさせて飛び起きた。
トントン トントン
再び音がする。それは扉が叩かれる音だった。
ユウキは息を殺して扉を凝視する。扉に鍵はついていない。目を離したらその隙に扉が開いてしまうのではないかと考え、恐ろしくて視線を外せなくなった。
鼓動はどんどんと早まり、激しく大きく鳴り出す。緊張で呼吸が苦しくなり、手や背中に冷たい汗が
――嫌、来ないで。お願いだから、どっか行って!
不意に町の人に追いかけられたときの恐怖が甦る。ゾワリと鳥肌が立った。憎しみの籠ったぎらつく瞳。何を言っても信じてもらえない恐怖。
カタカタと小さく歯が鳴った。ユウキは慌てて口を両手で押さえる。それでも震えは止まらず、ユウキは涙目になった。
――駄目、お願い、鳴り止んで。見つかっちゃう。
ユウキの願いむなしく、歯は鳴り止まない。静寂に慣れたユウキの耳にはその音が異様に大きく感じた。
トントン トントン
扉は叩かれ続けている。そろそろしびれを切らした来訪者が扉を開けてしまうかもしれなかった。
ユウキがもう駄目だと思った瞬間、小さな声が耳に届く。
「ユウキ?」
声はユウキの名前を呼んでいた。落ち着きのある若い女性の声だ。
ユウキは耳を疑った。さらに扉を凝視して、もう一度、もう一度その声を聞きたいと願う。
「ねぇ、ユウキ? いないの? ユーウーキー?」
ユウキは目を見開いた。信じられない想いで一杯になった。それでも応える勇気まではまだなく、そっと足を忍ばせて扉へと向かう。
「うーん、どっか行ってるのかなぁ。ここで帰ってくるの待つしかないか」
扉の側では独り言までもがはっきりと聞き取れた。それで確信を得てユウキは扉を開ける。
そこにユウキが予想していた通りの姿があった。
「……セリナ」
「あ、ユウキ。なんだ、いる――」
ユウキの全身から力が抜けた。そのままその場にへなへなと崩れ落ちる。
「ユウキ! ちょ、ちょっと、大丈夫!?」
セリナが慌てて支えようとするが、完全に脱力したユウキを支え切るには至らなかった。二人してその場にへたり込む。
「もうっ、いるんなら早く出て来てくれればいいのに。ここまで来るの大変だったんだからね」
口では文句を言いつつもセリナの表情は優しく、ユウキはほっとした。
セリナはユウキを引き寄せるとぎゅっと抱きしめて、そして、よしよし、と頭をなでる。ユウキもセリナにしっかりとしがみついた。
「ほら立って、ユウキ。こんなとこに座ってたら冷え切っちゃうよ。話とか全部ちゃんと聞くから、ね?」
その優しい声が、ユウキの胸をじんわりと温かくした。
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