4-1. 父と息子の関係(3)

          *

 二日後、下船を狙った待ち伏せにうようなこともなく、無事、ショウは懐かしいセンリョウの地を踏んだ。九歳で家出をしてから初めての帰郷で、八年ぶりの故郷だった。

 人の出入りの激しい首都だからということもあるだろうが、街の様子は大きく変わっていた。以前よりずっとずっと賑わっている。船着き場周辺はセンリョウの中心地からはかなり離れているにもかかわらず、ヤエの商業区並みの賑わいを見せていた。

 そして、このセンリョウには他の都市とは違う特色があった。

 一つは、国主導で行われた都市改革による、充実した都市基盤だ。防御機構や治水、上下水道の整備、通りの整備に力が入れられていた。特に、都市全体に下水道が敷かれ、すべての道が舗装されている都市というのは、シュセン国内ではセンリョウをおいて他になかった。

 だが、シュセンが最も他と違うのはその区画割りだ。

 センリョウは古くからある都市で、もともとは小さな城壁都市だった。だが、人口が増え、城壁の外に人があふれ出るようになると、それに伴って南側の城壁が壊され、周囲が整えられ、センリョウは大都市へと変貌へんぼうした。

 そのころから、センリョウには区画というものが存在し始めた。

 センリョウのシンボルであるサクライ城から南にまっすぐ伸びる大通りは、都市を東西に二分し、西に貴族、東に爵位を持たない富裕層と居住区をわけ、そして残る平民たちは壊された城壁の外側に暮らすようになった。

 これはどの町よりも貴族が多く、身分差がはっきりしているセンリョウだからこその都市構造だった。


 ショウが向かったのは、その貴族たちが多く住む西の区画だった。頻繁に馬車が行き交う通りを迷うことなく進み、一つの屋敷の前で足を止める。

 その大きさから貴族の屋敷であることは明白だったが、そのわりには、どこもかしこも手入れが不十分だった。門の塗装は剥げかかり、庭の樹木は不恰好に枝が伸びている。奥に見える建物自体もどこかくすんで見えた。

 まるで、長い間留守にしていたかのようだった。下手をすれば空き家と見紛みまごう様相に、ショウは眉を顰めた。

 ショウは首を振って気を取り直すと、じっとこちらを不審そうに見ていた門衛へと声をかける。すると間もなくして使用人が顔を出した。徒歩で来た自分に対して嫌な顔をするかと思いきや、全くの無反応で、構えていたショウのほうが気勢をがれる。

「ご当主に伺いことがあってまいりました。お取次ぎ願えますか?」

 できるだけ丁寧に用件を告げた。一方の使用人は事務的な口調で問い返す。

「恐れ入りますが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「ショウと申します」

「ショウ様でございますね。畏まりました。しばしお待ちくださいませ」

 使用人は奥へと姿を消す。ショウはそっと息を吐いた。

 もしかしたら知った顔が出てくるのではないかと考えていた。それがいいか悪いかは別として、間違いなく話は早く進んだだろう。――何せ、ここはショウの実家なのだから。

 ただ、出てきたのが知った顔でなくとも、父なら名前一つで自分だとわかるだろうと確信していた。とても尊敬できるような父ではなかったが、頭の回転の速さはショウも認めている。

 問題は父が会ってくれるかどうかということだ。一度縁が切れている以上、門前払いされる可能性は実のところかなり高かった。

 そんなことを考えていると、使用人が戻ってきた。

「お待たせいたしました。あるじより、「帰れ」とお伝えするよう承っております」

 ショウは小さく舌打ちした。やはりただでは入れてもらえないようだ。

「――わかったよ。帰るさ」

 投げやりに言って、ショウはずかずかとその門をくぐった。

 使用人は止めなかった。代わりにゆっくりと頭をれる。

 ショウは「帰って」来た。

 父の真意はこういうことだ。ここがショウの帰る家だというのであれば入ってよいと。息子が家出をしたままでは、貴族としての体面が悪いからだろう。

 ショウは二度とこの家には帰らないつもりだった。母の死に際に駆けつけもしなかった父。そんな父のいる家に帰って、見たくもない顔を見続ける生活など耐えられるとは思えなかった。

 今日も話を聞きに来ただけであって、帰ってきたつもりはなかった。だが、父はそれすら見越していたのだろう。逃がしはしないという強い意志が透けて見える。

 ただ、こういう執着のされ方をするとは思っていなかった。父ならとっくにショウの籍など抹消しているだろうと思っていたし、後妻を取るなり、親族から養子をとるなりして、すでに跡継ぎも決めていると思っていた。となればショウは不要な存在だったはずだ。

 だから、本当は「帰れ」と言われたのがすごく意外だった。そしてこんな形で帰れというからには、まだショウに父の息子としての籍が残っていて――もしかしたら、跡継ぎとしても切り捨てられていないのかもしれない。

 屋敷の中は外観ほどには荒れていなかった。ショウは速足でまっすぐ父の書斎へ向かった。そしてそのままの勢いで扉を開ける。

「ノックくらいしなさい」

 開けると同時に叱責が飛んだ。だが父は机の書類に視線を落としたままで、こちらを見ることなく手を動かし続けている。

 出鼻をくじかれたショウは茫然と父を見やった。しわの刻まれた眉間、への字に曲がった口、そして白髪が目立つようになった髪。

 予想以上に老けたその姿に衝撃を受けつつも、全く変わっていない中身にため息が漏れる。相変わらず、父は頑固で、愛想がなく、当たり前のことしか言わない、融通の利かない男のままだった。

「聞きたいことがある」

「その前に言うことがあるだろう」

 言われて口を引き結ぶ。帰ってきたことにしたとはいえ、それを父の前で認めることには抵抗があった。

「使用人に伝えさせた言葉の意味がわからなかったわけではないだろう?」

 父に再度促され、しぶしぶ口を開く。

「――ただいま戻りました」

「よろしい」

 父はずっと目を離さなかった書類から顔を上げ、ペンを置いた。そして、ショウの姿を上から下まで眺め――。

「聞こう」

 何の感想を述べることなくそう言った。

 感動の再会を期待していたわけではないし、むしろそんなことは遠慮したいと思っていた。だが、何か一言くらいあるだろうと思っていたのは確かだった。何せ八年も会っていなかったのだから。

 拍子抜けしつつショウは父に近づき、机を挟んで向き合った。

「リョッカの一族について知りたい」

 風捕りのリョッカ。彼女を雇ったのは父なら当然、風捕りについて知っているはずだった。「それを知ってどうする。お前がリョッカに懐いていたことは知っているが、その歳になって恋しいなどとは言わないだろう?」

 父はショウが風捕り一族について聞いているのだと承知しているにもかかわらず、話をリョッカのことにすり替えた。ショウは少しだけむっとして、さらに質問をする。

「同じ能力を持つ人は? 血縁で受け継がれている能力なんだろ? 一族の里の場所とか……」

「おらんよ」

 父の答えに心臓が跳ねた。じわじわと冷たい物が心のうちに広がっていく。

「それは――狩られたからか?」

 父が目を細め、探るようにショウを見た。

「お前は何のことを言っている?」

「とぼけないでくれ。俺は何も知らない子どもじゃない」

「それならなおのこと、何故、それを知りたがる。お前には関係のないことだろう?」

 ショウは口を引き結ぶ。ショウにとって関係のないことではない。ユウキと出会い、そして巻き込まれた。だが、それを説明することはできなかった。風捕りのユウキという存在を父に告げられるほど、ショウは父のことを信用してはいない。

 そんな答える気配のないショウを見て、父はため息をつき、仕方ないと言った様子で口を開いた。

「リョッカがこの家にいたのはいつだ」

 ショウは眉間にしわを寄せる。リョッカがいなくなったのは十二年前のことだが、それを突然問われた意味がわからない。

 真意を問うように父を見返して、そしてはっとした。

「それ、は……まさか、狩りよりもあとの時期なのか?」

 風捕り狩りがあったのが、ショウがリョッカを失う前だったというのなら、リョッカは風捕り狩りの中を生き延びたということだ。いや、父がこう言うからには、風捕り狩りがそれ以前の出来事だったことは確実だ。

 このことは、リョッカと同じように風捕り狩りを生き延びた者がいる可能性を示唆しさしていた。ショウは目の前が明るく開けるのを感じた。

「だが、リョッカはもうおらん。どこかに一族の里があったとして、そこに帰っているなどと考えているならお門違いだ」

 続けられた父の言葉にショウは首を傾げる。父はどこか疲れたような、普段見ることのない表情をしていた。

「なら、リョッカはどこに? あんたは知ってるんだろ?」

「リョッカは死んだよ」

 冗談でも言っていいことと悪いことがある。ショウは父をきつくにらんだ。

「嘘だ」

 それには父もあわれむような眼差しを向ける。それは言葉以上に明白に、リョッカの死が真実であると告げていた。

「――いつ?」

 これもまた父は答えない。

 リョッカのいなくなった日の出来事が一気によみがえる。けれどその記憶は断片的で、ちりぢりになっていた。幼かったショウの記憶からは、その日の全貌はわからないが――。

「あの日……何があったんだ? リョッカが突然いなくなった日」

 自分の声が冷たく震えていた。ずっと避けて通ってきた真実を問わずにはいられなかった。だが父は黙秘を続ける。

「リョッカを殺したのは、俺か?」

 父の表情が明らかに強張った。それがショウの言葉を肯定している。

 本当はもうずっと前からそんな気がしていた。あの日の出来事がきっかけで、リョッカを失ったのだと、気づいていた。ただ、ずっとそれを認めることができず、ずるずるとこの年まで来てしまった。

「そう、か」

「いや、違う。待て」

 慌てて父が止めるがもうどうでもよかった。

 リョッカはもうこの世にいない。自分が殺した。その事実は変わらない。

 ショウは父に背を向けた。今はこれ以上、話す気になれなかったし、何より一人になりたかった。

「どこに行く」

 心配する素振りを見せる父にさらに心が冷えた。ショウは騙されない。結局、この父はショウに家を出るなと釘を刺したいだけだ。

「わかってるよ。部屋に戻るだけだ」

 それがこの家にあがるための条件だった。そんなことは理解している。それでも、気づけば、どこか遠くへ行けたらと願っていた。

 ショウは拳を握り壁を叩く。

 ほかでもない自分が、リョッカを殺した。

 不用意に突きつけられた現実。それはショウの心を大きくえぐった。

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