4-1. 父と息子の関係(2)

         *

「親父ともけりをつけなきゃってなんだよ。もっとマシな口実あっただろ」

 ユウキに別行動を申し出たときのことを思い出して、ショウは苦い顔をした。

 あの日、ユウキにどこに行くのかと聞かれたとき、ショウは馬鹿正直にセンリョウだと答えてしまった。それがまず間違いだった。

 ショウがセンリョウに向かう理由は、風捕りやユウキを狙う者たちについて調べ、手を打つためだったが、ユウキは風捕りのことで心をんでしまっている。極北の地に着くまで自我を喪失するほどだったユウキを前に、安易に風捕りと口にして、風捕り狩りのことを思い出させたくなかった。

 そして、咄嗟とっさに出た口実がそれだった。

 だが、いくら風捕りと口にしたくないからといって、こんな空気を読まない発言はまずかったと思う。弱っているユウキのことよりもそんなことが大事なのかと、軽蔑けいべつされてもおかしくない発言だった。

 ユウキに軽蔑されたかもしれないと想像するだけで、ショウの心にさざ波が立つ。

「くそっ」

 苛立ちまぎれに小石を蹴った。


 北の小屋を出たあとショウは、話に聞いていたナナシ村を経由して、再びセーウ山脈の南側へと戻ってきていた。

 以前、ユウキにナナシ村までは一週間ほどだと聞いた。けれど自給自足が厳しいこの環境で、村までの距離が一週間というのはあまりにも遠すぎる。

 だからショウはユウキの言葉を信じなかった。きっと、子どもの足だったがために時間がかかったに違いない、と勝手に判断し、半分の三日か四日で着くだろうと見積もって小屋を出た。

 だが、実際にかかった日数は九日。不慣れなことによる遅れを差し引けば、ユウキの言葉通りの日数だっただろう。五日分の食料しか持ち合わせていなかったショウは、危うく餓死するところだった。

 何故そんなことになってしまったかというと、移動日数の見積もりが甘かったのはもちろんのこと、いざとなったら狩りをすればいいと、携帯食の大半をユウキ用に小屋に置いてきてしまったからだ。

 村で聞いた話によると、冬期はけものが少なく、狩りで食料を得ようと考えることのほうが無謀らしい。実際、移動中の九日間で、獣を見かけたのは二度ほど。だがそれもショウの腕では狩ることができず、ユウキの腕がああもいい理由がわかった気がした。

 正直、舐めていた。極北の地は噂に違わず、とても人が住めるような環境ではなかった。以前、ユウキがここでなら一人でも暮らせると言っていたが、ここで育ったユウキだから言える言葉であって、ショウでは不可能だ。

 そして立ち寄ったナナシ村で食料を売ってもらい、さらに、セーウ山脈の南側に出るための山越えの道を教えてもらった。行きはイリス国側から大きく迂回してやってきたが、山越えの道を教えてもらったことで、帰りはかなり時間が短縮できた。


 そして、山越えをしてたどり着いた最初の村は、チハルの南西、タット川の西岸にある小さな村だった。

 この辺りでは出荷の際にタット川の流れを利用する。ショウは川の近くを歩き、荷船にぶねを探した。そして、見つけた荷船の持ち主と交渉した結果、荷の積み込みを手伝うことを条件に、人を運ぶための舟が出ている町まで運んでもらえることになった。

 ゆえに、翌日の昼過ぎには、その町に着いていた。

 そこでショウはまず、センリョウ行きの舟が出る日時を確認した。タイミングが悪いと一週間近く待つこともあるのだが、運よく明朝の便があった。

 この町からセンリョウまでは、順調にいって二泊三日。移動速度だけで言えば最も速く、馬車よりも先に着ける。

 問題は手配書の状況がどうなっているかだった。ショウもユウキもありもしない罪で指名手配されている。その手配書がまだ生きているとしたら、舟での移動は非常に危険だった。舟の上には逃げ場がなく、船着き場で待ち伏せをされたら一巻の終わりだ。

 ショウは町の造りを確認しがてら手配書を探した。いくつかの路地裏を覗いて歩くと、間もなくそれを見つけた。

 石塀に十数枚の紙が連なって貼られている。そこに、ショウとユウキの手配書もまたあった。だが、ショウの手配書だけは大きくバツ印がつけられ、手配が取り下げられた旨が記載されている。ショウが予想していた通り父が動いたのだろう。

 ショウの心は複雑だった。けれど、それ以上に、計算高く考えている自分に気づかされる。

 父とけりをつけるとユウキに言ったのは、風捕りについて調べに行くことを伏せるための口実のはずだった。けれど、今、実際に父と和解したほうがいいかもしれないという思いが湧き上がっている。

 父は手配書を簡単に取り下げられるだけの力を持っていた。それはショウが持ち得ない力だ。それだけでなく、風捕りについても知っているわけであるから、和解できれば強い味方となるだろう。

 ただ、ショウの気持ちだけがついていけていない。ショウはまだ父を許すことができなかった。

 十二年前。リョッカがいなくなったその半月後、病にかかっていた母の容体が急変した。折り悪く、父はだいぶ前から家を空けており、家の者たちは急ぎ父に使いを向かわせた。

 だが、父は待てども待てども一向に帰ってこなかった。そして、その間にとうとう母が亡くなってしまう。父が帰ってきたのはその一週間もあとのことだった。どこに行っていたのかとショウが問い詰めれば、父は「仕事だ」とだけ答え、それきり口を閉ざした。

 ショウがどれだけ責めても、詰っても、父は顔色一つ変えなかった。そのときショウは悟ったのだ。父が大切なのは仕事であって、家族ではないのだと。

 ショウはまだ五歳だった。それでもその現実をはっきりと理解してしまうほど、父の態度はそっけなかった。

 ――涙の一つでも見せてくれたなら。

 そうしたら、そのときは無理でも、今なら許せていたかもしれない。けれど、そうはならなかった。

 手配書の確認を済ませたショウは、ずっと張っていた気を緩めた。手配書が取り下げられたのなら、気ままに買い物をしても問題ないだろう。手近な店に立ち寄り、まず携帯食などの補充して、極北の地に行くためにそろえた過剰な防寒具を売り払い、ついでに店のおばちゃんから近況を聞き出す。

「なぁ、おばちゃん。最近、何か変わったこととかねぇ?」

「最近? どうかねぇ。何もなかったと思うけど」

「んー、俺さぁ、この一、二か月、山籠もりしてたからさぁ。最近のこと何も知らないんだよね」

「山籠もりって、あんた、修行でもしてたのかい?」

「そうそう。前から一度やってみたいって思っててね。っていっても、食うだけで精一杯だったけどな」

 冗談半分に聞き返してきたおばちゃんに、真面目に返すと、おばちゃんは呆れたように肩を竦めた。

「馬鹿だね。初心者が真冬にすることじゃないだろうに。あぁ、じゃあ、あんた、まさか、戦争が再開したことも知らないってんじゃないだろうね」

「えぇ!? じゃあ、そのまさかだ。再開するかもとは聞いてたけど、ホントに再開したのか」

「そうだよ。まぁ、意外と言えば意外だったけどねぇ」

「うん?」

「大義名分だよ。何だったと思う?」

 そして店のおばちゃんが得意げに続ける。

「義は我らにあり。フォル人を奴隷とするトーツに正義の鉄槌を。――だってさ」

 正直なところ、ショウに驚きはなかった。大義名分として使える理由などさほどない。むしろ予想通りだったといってもよかった。

「私も前々から思ってたんだよ。トーツのやつらってば、フォル人に対して随分と酷い扱いをしてるっていうじゃないの。だからねぇ……」

 おばちゃんの話は愚痴を挟みながら、その後も長々と続いた。

 どうやって手に入れたのか、シュセンはフォルからの救援を求める親書を掲げ、トーツ北東部の町へと攻め入ったのだという。緒戦は勝利。今はその町を拠点として、駆けつけたトーツ軍とにらみ合いをしているらしい。

 こうして再び始まったシュセンとトーツとの戦を前に、ロージアは静観を選んだ。「戦で解決することには賛同できない」との声明は発表したが、表立った動きはない。ただ、これまでの友好関係を考えれば、裏でトーツを支援している可能性は高かった。

 国内の動きとしては、義勇兵や工場職員の募集が盛んに行われ、兵器開発も順調に進んでいるという。今のところ、シュセン優勢で事が進んでおり、ショウは少しだけほっとした。

 戦が始まってしまったことこそ歓迎はできないが、このまま順調に勝ち続けるのであれば、ユウキが必要とされるような事態には陥らず、手配書も取り下げられるようになるかもしれない。

「この戦で勝てば、これまでの汚名なんてあっという間に振り払えるだろうってさ。私は戦なんて嫌いだけども、男どもはそう言って喜んでるよ」

「フォルのためにもなるし?」

「そうそ。あんたみたいな若い子には勧めたかないけど、もし参戦するんならちゃんと準備してからお行きよ。戦場は危険だからね」

「ん。ありがと、おばちゃん」

 ショウが自ら望んで戦場に行くことはないだろう。だが、今後の戦況いかんでは徴兵される可能性もある。いや、むしろその可能性のほうが高かった。トーツが早々に降伏でもしてくれない限り、兵士は必ず足りなくなる。

 店のおばちゃんと別れ、ショウは笑みを消した。思い浮かぶのは、ずっと前にユウキに聞いたマカベの言葉。

「マカベの読みが当たったか……」

 フォルが目的だとわかれば、ロージアは手出しをしてこない、そうマカベは考えていた。現状はまさにその通りになったと言えるだろう。

 マカベの望み通りに事が進むのは気に入らないが、だからといって、シュセンの敗戦を願うこともまた、ショウにはできなかった。

 それに――。

「また一つ、ユウキの負担が増えたな」

 ユウキはどうしても責任を感じずにはいられないらしい。元々の性格もあるが、そういう状況に追い込まれてしまったようにも感じられる。

 天誅作戦によってポロボで大量の犠牲者が出たこと、荒内海の大戦が敗戦に近い形で休戦となったこと、非人道的国家という烙印らくいんが押されてしまったこと、風捕り狩りが起こったこと、それによって人々が未だ制裁におびえて暮らしていること――。

 それらの原因をさかのぼれば、すべてはポロボで起こった風捕りの暴走へと収束する。つまり、そのとがは風捕りにあった。

 そして、ユウキもまた風捕りだ。ただそれだけの理由で、おそらく本人も意識はしていないのだろうが、過去の咎までもを背負い込もうとしている。

 暴走したのは、顔も名前も知らない相手。同じ風捕りというだけで、ユウキがそこまで責任を感じる必要はない。だがそこに、マカベ家と戦争再開のたくらみが加わったせいで、おそらくユウキは過去の咎もまた、自分の咎のように錯覚してしまったのだろう。

 そんなユウキが戦争再開の話を耳にしたらどう思うだろうか。きっとまた、責任を感じてしまうのだろう。ユウキは優しい少女だから。

 だが、それがユウキだ。

 だからこそショウが、ユウキの心の負担を軽くしてやらなくてはならないと思う。これはきっと一緒に関わってきたショウにしかできないことだ。

 そのために今、必要なのは確実な情報。推測を一切含まない真実だ。

 例えば。

 ――もし、ポロボでの暴走の原因がやむを得ない事情にあったとしら。

 ――もし、天誅作戦を実行した風捕りたちが生きていたとしたら。

 ――もし、風捕り狩りの生き残りがいたとしたら。

 ――もし、戦争再開がマカベの目論みでなく、ユウキがきっかけでなかったとしたら。

 そうしたら、ユウキの気持ちも少しは軽くなるのではないだろうか。

 といっても、今あげた例に該当する事実がある可能性は低い。けれど、ショウはその可能性にかけたかった。

 真実を知ることが、必ずしも幸せに繋がるとは限らない、ということはすでに痛感している。これまで風捕りについて調べてきて、知ってよかったと思えることなど一つもなかった。

 だから、もしユウキが知りたくないのであれば、それでもいいと思っている。けれど、もしユウキが知りたいと望んだとき、何もわかっていないという状況にはしたくなかった。

 幸いユウキは極北の地にいる。今なら、たとえどんな残酷な事実が出てきたとしても、ショウの心のうちに留めることができる。調べるなら今だった。

 ショウのあては二つ。風捕りを屋敷にまねいていた父。そして、最悪な状況下で出会ったあの男、遊離隊長のスイセイだ。


 ショウは足を宿に向けながら、大きくため息をついた。

 ふとした瞬間に思い出されるのは、ジャンの隠れ家に着いた日のこと。別行動を申し出たときのユウキとのやり取りは、何度思い返しても悔やまれる。

 ユウキが気にしていなければいい、そう思いながらショウは寒空を見上げた。

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