3-2. 冬の気配(4)
*
ショウに逃がされたあと、ユウキは街道沿いの森へと逃げ込み、そのまま一人で南下した。
おそらくショウが頑張ってくれたのだろう。その後、追手に遭遇するはなかった。
そして、普段のペースで一日分に相当する距離を、きっちりと進んでから足を止める。
ユウキが野営地として選んだのは、切り立った崖の割れ目のような場所だった。片側の平べったい大岩が倒れ込み、空を覆うような形で下に空間を作っている。高さがあるため火を
しかもここは奥まった場所にあるため、たき火の明かりが漏れる心配もせずに済む。昨晩の洞窟ほどではないが、いい野営場所を見つけたとユウキは満足していた。
ショウの「逃げろ」と「いつも通りに」という言葉から推測して、ユウキはここまでやってきた。正直、この判断が正しかったのか、ユウキはわからない。
はぐれた際の対応について、全く話題にしなかったわけではないが、どうするかをはっきりと決めるようなことはしていなかった。
ただ、逃げるような状況になったときには、現場近くに留まらず、最低でも一日分は離れておくべきだ。そうショウが言っていたことは覚えている。
だから、ユウキはショウの言葉を「いつも通りのペースで一日分の距離を進んで待っていろ」という意味で受け取った。
ショウは
今回のような限られた情報から、その意図を掴むのは非常に困難なことだった。だから本当に自信がなく、不安だった。
冬の日は短く、すぐに暮れた。
ぎりぎりで野営の支度を済ませたユウキは、焚いたたき火の前で両膝を抱える。
あれから半日がたってしまった。
ショウとてそう長い時間、足止めのために留まりはしなかったはずだ。視界からユウキの姿が消え次第、ショウもまたすぐに戦いから離脱しただろうとの予想ができた。
一日分の距離を稼ぐために、普段よりも早いペースで歩いてはいたが、もともとユウキよりショウの足のほうが速い。途中で追いついてきてもおかしくはなかった。
だが、未だショウの姿は見えない。
最悪の結末が頭をよぎった。ユウキが捕まらなかった時点で、ショウが足止めに成功したことは確かだが、ショウがどうなったかはわからない。
もはやユウキには祈ることしかできなかった。
「ショウ。無事でいて」
周囲は完全に闇に沈んでいる。これでは移動することすら危険だ。無事だったとしても、ショウがここへやってくるのは夜が明けてからになるだろう。
今夜は一人で乗り切るしかない。
ユウキは携帯食で冷ややかな食事を済まし、横になる。そして、うつらうつらしながら夜明けを待った。
『おかあさん!!』
突然耳に響いた幼い女の子の声。
それがかつての自分の声だと気づくと同時に、ユウキの意識は過去へと引き戻される。
いくつもの足音がユウキたちを追いかけてきていた。
足音はどんどんと大きくなり、気づけば周りを囲まれている。森の木々がそびえ立つかのような存在感でもってユウキを見下ろす女性たち。その眼差しは森の獣よりも
ユウキは、すがれるのはこれしかないと、繋がれていた母の手をぎゅっと握る。だが、母は反対の手でユウキの頭をなでたかと思うと、その握り締めるユウキの手を外した。
「大丈夫よ」
柔らかな母の声。けれど、ユウキは逆に不安になった。
ユウキの胸に沸き起こるのは、一つの悪い予感。
――また、一人になっちゃうの?
取り囲む女性たちは怖い。けれど、それ以上に怖いのは、母と離ればなれになってしまうこと。
慌てて母の手を探した。けれどその手はユウキの届かない高いところにあって、何かをしっかりと持っている。それを見た瞬間、先ほど以上の強い恐怖が込み上げた。
母の手に握られているのは、ひと際大きな風の実。それが何のためのものか、ユウキは知っていた。
「ヤダッ!!」
ユウキは母の足にしがみつく。だが、その直後、白い霧のようなものがユウキを取り囲んだ。
しがみついたはずの母の足が腕の中から消え、大きな喪失感を覚える。
優しい風がユウキを
これは母の能力だ。ユウキを守るために母が編み出した風の守護。そして、これは母が自分の手で守りきれないときにだけ作り出すものだ。
「おかあさん」
この風はあまり音を通さない。けれど、完全に通さないわけではない。何故か、ユウキの聞きたくない言葉に限ってばかり、通り抜けてくる。
ユウキは固く目を
「なんでこんな子生んだのよ。この子が生まれてから悲惨なことばかり」
「私たちはただ患者の治療していただけなのよ。それなのにどうして! こんなことになったのは、この子のせいよ。だって、他に変わったことなんてなかったもの」
そうよ、と他の女性たちも大きく頷く。口々に発せられる言葉はどれもユウキを非難するものばかり。だが、当然、母も黙ってはいなかった。
「人に当たりたい気持ちはわかるわ。けど、この子に当たらないで! この子は何も悪くないの」
「悪くない? だったら証明して見せなさいよ! そうね。この子が死んでも状況が変わらなかったら、この子のせいじゃないって認めてもいいわ」
「そんなっ」
「できないの? 口だけならなんとでも言えるわよね、この悪魔がっ!」
「悪魔! 呪いの子! 死んで
「いいかげんにして!」
母が叫び、女性たちの言葉を
「言い合いなんかしてる場合じゃないわ! こんなことしてる間にも、苦しんでいる人がいるのよ! 他にすべきことあるでしょう!」
「何よ、偽善者ぶって! だったらまずあんたがしなさいよ」
「そうよ。まず、その悪魔を殺しなさいよ!」
「そうよ、そうよ! 殺せばいいのよ!」
「殺せ!」
「殺せ!!」
それはやがて辺り一帯を覆うほどの大合唱になった。そして、そのきっかけを作った女性がユウキたちに詰め寄る。
「あんたができないっていうなら、私がやってやるわ!」
「待って、やめて!」
母の訴えもむなしく、女性が風の実を弾く。それに続くように別の女性たちも風の実を取り出した。
間もなく大きな風がユウキを襲った。咄嗟に母も風の実を弾くが、生じた風は女性たちが放った風と衝突し、より荒ぶる風へと変化した。風はうねりをもって上空へと勢いよく吹き上がる。
それは、ユウキを守ろうとした母にとっても想定外のことだった。
突然襲ってきた強い衝撃、そして続く浮遊感。ユウキはとっさに腕の中のぬいぐるみをきつく抱き締めた。
初めてのことではないため、宙に投げ出されたのだとすぐにわかった。ただ、勢いが以前より異常に強いという違いはあったが、そこまでは理解していない。
風の守り越しにぼんやりと見えていた女性たちの姿は一瞬にして消えた。
「ユウキっ!」
悲鳴のような母の悲痛な叫びが聞こえた。だが、その声もすぐに小さく遠くに消えていく。
「――お母さん!!」
ユウキは自分の悲鳴で飛び起きた。いつの間にか眠っていたようだ。心臓が早鐘を打っている。
「夢……」
これは夢だが、実際にあったことだった。ずっと忘れていた風捕りの里での記憶。
忘れてしまったのは、母との別れが
あの風の守護に包まれて、遠くへ飛ばされたことは何度かあった。そのたびに、母がユウキを見つけ出し、迎えに来てくれた。
けれど、このときは違っていた。飛ばされたのも、母にとっては想定外だったのだろう。
あの日を最後に、ユウキは母と会えていない。
今ならわかる。ユウキは忌み子だった。里にいてはいけない子どもだった。
今頃になってこんな夢を見たのは、昼間、町の人に追いかけられたせいだろう。
まだ夜は明けていない。
ユウキは寝袋をかき抱きつつ、早く朝が来て、そしてショウが来ればいいと思った。
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