第三章

3-1. そして再び動き出す(1)

 シュセンの北部には、大陸を横断する大山脈があった。セーウ山脈、別名「ての山々」と呼ばれる山脈だ。

 その名は、セーウ山脈のいただきこそが世界の果てである、という考えから来ている。

 これまで誰一人としてその山脈を越えられた者はおらず、山脈の裏側を見た者がいないという現実がそれを裏付けていた。山脈の裏側が見れないのは、そこが世界の果てだからである、と。

 これに異議を唱えるのが、ごく一部のイリス国の者たちだ。彼らは山の向こう側にも陸地が続いていることを主張し、そこは乾燥地帯であるツイツイ砂漠よりもなお過酷な環境であると、まるで見てきたかのように語った。

 どちらの主張が正しいかはまだ証明されていない。ゆえに、大半の人にとって、セーウ山脈はこの世界の果てだった。



          *

 突然、ドンドンドンと大きな音がした。玄関を叩く音だ。ショウはユウキとの会話を中断し、階下へと意識を向けた。

 乱暴に玄関を叩く音はしばらく続き、やがて不意にんだ。おばあさんがドアを開けたのだろう。

 そしてすぐに男の声が聞こえ始める。内容は聞き取れないが、普段、遊びにやって来る知人や客人の穏やかな口調と違うことだけは確かだった。となると、ショウたちにもそなえが必要だ。

 ショウは迷った。屋根裏部屋への梯子はしごを上げて入り口を閉じるか、それとも玄関に近づいて内容を確認するべきか。

 いざという時に身を隠すことを前提でこの家を選んだが、相手次第では隠れるよりも逃げたほうがいい場合もある。だが、今はその判断をするのに必要な情報が何もなかった。

「ぇえ? あんだって? わたしゃ、耳が遠くてねぇ」

 不意におばあさんの声が大きくなった。叫んでいるかのような大声からは話の内容が聞き取れる。そして、対応する男の声もまた大きくはっきりとするようになった。

「だーかーらー、不審者が、いないか、あらためさせて、もらいます!」

 ショウははっとして換気口へと駆け寄った。そこから外をのぞき見てすぐに舌打ちする。

 振り返るとユウキは荷物に手をかけて、こちらをじっとうかがっていた。

「警察隊が来てる。逃げよう」

 ショウは素早く荷物を背負い、ユウキより先に梯子を降りる。

「あんだってぇ?」

 おばあさんたちのやりとりがさらにはっきりと聞こえるようになった。話が終わるか、相手がしびれを切らしたら、彼らはおばあさんを押しのけてでも侵入してくるだろう。それまでに、出入り口のある階段下の物置にたどり着けなければならない。

 あせりがどんどんとつのっていった。だが、ここで焦って音を立ててしまうことのほうがもっと悪い。落ち着くよう自分に言い聞かせながら、音を立てないよう注意深く階段を下りる。

 そして、階段の途中にある踊り場にたどり着くと、ショウは手すりを乗り越え、階段とは反対側の階下へと飛び降りた。全身のばねを用いて着地音を消す。――これはユウキには無理か。

 だが、これが廊下に出ずに階段下の物置へと行く唯一の手段だ。振り返り、踊り場から身を乗り出すユウキに両手を伸ばす。

「ふーしーんーしゃ! 手配犯が隠れてるかもしれないんで、家を見させてもらってるんです」

 ユウキが飛んだ。すぐにずしっとした確かな重みがかかる。先に荷物を受け取っておいてよかった。身一つでこれでは、荷物があったら厳しかっただろう。

 何とか踏ん張りきったショウは、静かにユウキを下ろし、階段下の小さなドアを開ける。そしてすぐさまそこに身を滑り込ませた。

「新聞社ぁ? うちは新聞はねぇ、とっ……」

「ばあさん……。――おい、お前ら、先に行け! ばあさんには俺が説明しておく!」

 ショウがドアを閉めるのと、男がそう決断するのはほぼ同じタイミングだった。玄関がにわかに騒がしくなる。警察隊が踏み込んできたようだ。

 ショウは急いで隠していた出入り口を開け、先にユウキを抜けさせる。そのユウキを押し出すようにショウもまた脱出した。

 すぐ近くから重い足音がする。こちらに向かっているようだ。ショウは震える手で必死に入り口をふさぐが、少し斜めになってしまう。慌てて戻して塞ぎ直すが、うまくいかない。

 このまま離れるわけにはいかなかった。少しでもずれていると、カモフラージュしている箇所に違和感が生じる。この出入り口が見つかるのは、おばあさんのためにもまずいことだった。

 ――落ち着け。大丈夫、大丈夫だから、しっかり合わせろ。

 一度深呼吸をして、再度塞ぎ直す。するとようやくぴたりとまった。

 間を置かず、バン、と大きな音がした。間違いなく階段下のドアが開けられた音だ。

 ――間一髪かんいっぱつだったな。

 そしてショウは息をつく間もなく移動を始めた。

 カモフラージュしているが、もし今、この出入り口が見つかってしまったら逃げきれない。この先の建物の隙間すきまは非常にせまく、抜け切る前にはさみ撃ちにされてしまう可能性が高かった。

 ユウキはすでにだいぶ進んでいる。ショウも急いで足を進めた。

 最後の植え込みのところまでたどり着き、ショウは後ろを振り返る。

 追って来たり、顔を出したりしている者はいない。どうやら出入り口は見つからずに済んだようだ。

「どう?」

 ユウキに声をかけ、枝葉の隙間から、通りに警察隊がいないかを見てもらう。

「大丈夫そう」

「わかった。出たら急いで大通りまで向かって人混みにまぎれる。いいな?」

 そしてショウはユウキの背をとんと押す。それを合図に二人は通りに飛び出した。

 もともと、家の横手の通りは人通りが少ない。今も女性が一人いるだけで、その女性も道を掃くのに夢中でこちらを見てはいなかった。

 飛び出した瞬間さえ目撃されていなければ問題ない。ちょっと急いでいる人、をよそおいながら、女性の横を駆け抜ける。


 大通りに出ると、ショウは速度を落とした。人が多い分、走るのは危険な上に目立つ。まだ状況は把握できていないが、目立たない方がいいことは確かだ。

「ショウ、このあとどうする? 町を出る? それともおばあちゃんちに戻る?」

「んー、そうだな。時間を置いてばあさんちに戻るんでもいいかな、とは思ってるけど」

「調べの済んだ家だから、しばらく警察は来ないだろうし、ってことだよね」

 ショウはうなずく。その辺りユウキはさっしがいい。

「じゃあ――」

「さっきの、警察は私たちを探してたのかな?」

 方針を確定させようとしたところで、再びユウキが口を開いた。ショウは首をかしげつつも答える。

「とは思いたくないな。手配犯を探してるって言ってたし」

「どうかな? そうだったとしても悪くないかもしれない」

「は?」

 ショウはぽかんとした。ユウキの意図することがわからない。手配犯でないより、手配犯であるほうがいいかもしれない、そう言っているように聞こえた。

「ほら。マカベと警察が繋がってるかもしれないって話してたでしょ? この手配犯っていうのが私たちのことなら、依頼したのはマカベかもしれない。だったら、一度捕まってみるのも手だと思う」

 ショウは顔をしかめた。いくら手っ取り早いとはいえ、そんな危険なことをユウキにさせたくはない。

「ばあさんちに戻る必要がないってのはわかる。マカベに会うことを優先するならな。けど、捕まるのはやめた方がいいと思う」

「どうして?」

「普通にセンリョウに行けばいいだけだろ」

 手配されていたら、センリョウを目指すのも大変かもしれない。だが、捕まったからといって、必ずマカベの元に送られるとは限らないのだ。

 そんな賭けに乗るくらいなら、苦労しながらでも自分の足でマカベ家を目指したほうがいい。最悪、センリョウでなくともマカベ家の支店をおとずれれば、連絡くらいは取って貰えるだろう。

「それに、不法侵入とか、窃盗で手配されてるなら会えるかもしれないけど、もっと重い罪だったら、マカベに引き渡してもらえるとも思えない」

「それって……マカベ以外に私たちを手配するような人がいるってこと?」

「というか、マカベがするならもっと早くにしてる気がして、な」

 それにはユウキも考え込む様子を見せた。眉をひそめて視線を落とす。

 指名手配することのメリットは、圧倒的に手足が増えることだ。手配することに問題がないのであれば、ショウたちがチハルを出てすぐに手配していてもおかしくなかった。そうしたらきっと、ショウたちはヤエに着いた瞬間に捕まっていただろう。

 だが、実際にはそうなっていない。となれば、マカベには手配したくない理由があったのではないかという考えにいたる。そしてそうなると――。

 とそのとき、ユウキがはっと顔を上げた。

「もしかして、今回動いたのは、マカベと取引をしていた相手のほう?」

 ユウキが答えを導き出す。確認するように顔を向けられ、ショウは小さく頷いた。

「その可能性が高いと思ってる。――っていっても、全部想像だからな。まずはどこかで、俺らが手配されてるのかどうかを確認しないとな」

「うん。じゃあ、手配書を探して町を出ようか。急だけど、このまま出発でもいいよね?」

「だな」

 そして大通りを町の外方向に進みながら、周囲を確認する。

 うろつく警察隊の人数は多くなかった。特に検問をしているような様子もない。これなら堂々としていれば怪しまれないだろうと確信した。

 手配書があるとしたら、食堂か、酒場か、広場か。あまり店には立ち寄りたくないが、確実なのは食堂だろう。

 そんなことを考えながら歩いていると、運よくそれを見つけた。大通りから横に延びる路地。そこに手配書が張られていた。

「あった。ちょっと待って」

 通り過ぎかけて、慌てて足を止める。ユウキをその場に残して路地に入り、真新しいそれに手を伸ばした。

 そこに書かれた内容を目にした瞬間、顔をゆがめた。乱暴にそれをぎ取り、ポケットへと押し込む。そして、その顔のまま、ユウキの待つ大通りへと戻った。

「ごめん、待たせた。……行こう」

「――うん」

 ユウキの場所からも手配書を剥ぎ取ったショウの姿は見えていただろう。気にならないはずがない。それはわかっていた。けれど、とても説明できそうになかった。

 ショウは自分が冷静でないことをよく理解していた。だからショウはただ足を急がせる。

 今は、少しでも早く、町を出なくてはならなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る