2-5. 書を守る者(6)

          *

 深夜。ショウは再び図書館へとやってきた。

 かつては教会だったというこの図書館は、三百年以上の歴史をほこる。この建物が現在も立派なたたずまいを維持できてるのは、小まめに手入れがされてきたためだ。そこには、この建物を大切にしようというヤエの人々の心が反映されていた。今でこそ教会ではなくなってしまったが、長らくここが教会であったことを、周辺の人々は決して忘れなかった。

 教会は「てん」をまつる。

 その教えはシュセンをはじめとして、トーツやロージアなど、イリスを除く多くの国々で信仰されていた。

 教会には聖職者――というと仰々しいが、「てんに近き者」、もしくは単に「先輩せんぱい」と呼ばれる存在がおり、彼らが人々に、天の教えや天がこれまでに成した御業みわざなどを広めている。

 先輩方はく。

『人やありとあらゆる生き物は「とき」の名を持つものに縛られ、運命づけられている。その時の縛りを受けない唯一の存在が「天」である。

 「天」は人の運命に干渉し、その一時だけ「時」の縛りから人を解放する。その瞬間、新たなる未来が誕生する。ゆえに、未来が変わったと感じたならば、それは「天の意」が働いたあかしである』

 「時」を拘束するものとするならば、「天」は解放するものだ。ゆえに「天」を信仰することで、人々は自らの手で未来を築けるようになる、という教えだった。

 と言っても、人々が教会に足を運ぶことはあまりない。教会とは祈る場所ではなく、お礼を述べに来る場所だからだ。

 天の意を感じたとき、人々は教会へと足を運び、それを感謝する。そして教会はその天の御業を語り継いでいく。ただそれだけの場所。けれど、人々の心にはその教えがしっかりと根付いていた。

 ――天の意が働いた、か。

 ショウは昼間の司書たちの会話を思い出す。あまりにも偶然過ぎるそれが天の意でなければなんだというのだろうか。これはショウもお礼に行った方がいいかもしれない――が、まずは今日だ。せっかく得た情報も生かさねば意味がない。

 ――行こう。

 ショウは足を踏み出した。

 図書館は奥に長い建物だった。ショウは建物の右横から奥に向かって足を進める。周囲の草はきれいに刈り取られており、明かりがなくともつまづくようなことはなかった。

 やがて、壁から小部屋が外に飛び出しているような場所にたどり着く。おそらくここが図書館とバックヤードとの境になるのだろう。

 窓もこれまでの大きな窓とは違い、ショウの肩幅程度の、正方形の小さなめ殺しの窓に変わっている。内側にタペストリーがかけられているようで中の様子は見えないが、ショウの予想が正しければここは事務室だ。

 ショウは周囲、そして室内に人の気配がないことを確認すると、用意してきた工具でその窓を外しにかかった。四方を囲っている木の部分に先のとがったくいを打ち込み、隙間を作りながら力を込める。L字状の工具でぐっと力を入れると、少し剥がれ落ちた木片と一緒に、木枠ごと窓が外れた。

 ショウは外した窓ガラスをそっと壁に立てかけ、タペストリーをめくる。そして室内の様子を確認しながら、ひょいと身軽に窓を乗り越えた。それからタペストリーを簡単に縛り上げて、月明かりを呼び込む。

 狭い室内には木の机と四つの丸椅子、そして壁際に、簡素な造りの棚があった。中に収められているのは事務書類だろうか。紐でじられたものがぎゅうぎゅうに押し込められている。

 ショウの予想していた通りここが事務室で間違いないだろう。もう一つある小部屋は写本室と聞いているので、備品からして違うはずだ。となると建物の反対側の小部屋が写本室ということか。

 ――で、どこに開かずの扉があるって?

 ショウは以前、若い職員たちが「開かずの扉」について噂しているのを耳にしていた。昼間の司書の話を聞いて、すぐにその噂を思い出した。隠すとしたらそこしかない。開かずの扉は事務室にあるらしいので、この部屋で間違いないはずだ。

 ショウは注意深く室内を見回す。

 まず、ショウの左手に一つ扉があった。だが、これはおそらく館内へと続く扉だろう。目の前には机。右手の壁際には古びた棚。

 残る正面にも同じく古びた棚があるが――ショウは月の光が差し込まない影の部分に目を止めた。

 ――あった。

 ショウから見て右前方、図書館側の扉から一番遠い場所。その棚の陰に古びた扉があった。

 赤茶っぽい色のさび止めが塗られた扉は、珍しく金属製で、所々錆止めが剥げて錆が見えている。

 もう何十年も開けてないと言われても信じられるほどの古さだった。扉の取っ手の下には頑強な錠が下ろされ、錠と取っ手を巻き込むように鎖がぐるぐる巻きにされている。

 よく見かけるタイプの錠だ。これであれば開けるのも難しくない。

 ショウはほっとしながら錠に手を伸ばした。むしろ絡まった鎖を外す方が面倒かもしれないと考える。

 鍵替わりの金属の棒を鍵穴に差し込もうとして、ショウは自分の手が震えていることに気づいた。どうやら緊張しているらしい。

 だが、それも考えてみれば当然のことだった。今、ショウはこれまでで一番、風捕りの手がかりに近づいている。その期待と恐れが、緊張という形で表面に出てきたのだ。

 ショウは苦笑して作業を再開した。いつもよりゆっくりと、けれど手を止めることなく作業する。

 ジャラっと手にしていた鎖が音を立てた。最後に、錠の部分に通されていた鎖を外して足元に置く。

 解錠は済んだ。あとはこの扉を開けるだけだ。

 ショウはゆっくりと大きく深呼吸をした。そして、思い切ってその扉を開ける。

 その途端、書物の香りがショウを襲った。紙とインクと糊の匂いだ。

 背後の月明かりを頼りにざっと室内を観察すると、扉の古びた見た目に反して、ほこりはさほど積もっていないことがわかった。

 部屋は両手を広げたときより少し広いくらいの横幅で、奥行きはその三倍くらい。両脇に書棚が並び、一番奥の壁際に年季の入った小さな机が置かれている。

 ショウは部屋に入ると用意してきた明かりをともした。覆いのついたランプだ。これであれば紙類の多い場所でも火事の心配は少ない。

 そのランプで書棚の背表紙を順に照らしていく。古びた書物の大半はここが教会だった頃のものだろう。創世の書や黙示録といった宗教関係の書物が並んでいる。そしてそれより少しだけ新しい見た目の書物が棚の上段にあった。

「――本当に、あった」

 信じられない思いでつぶやいた声は震えていた。

 そこには、『特殊能力辞典』、『特殊能力分類表・分布地図』、『風捕り一族の日常』、『アラサ、医学界に新風を巻き起こした女性』など、風捕り関連とおぼしき書物が五十冊以上並んでいた。

 ショウはその中から辞典を手に取り、風捕りを引いてみる。図書館の辞典では見つけることは叶わなかったが、この辞典ではいともたやすく見つけることができた。

 そこには次のような説明文があった。

『かぜとり【風捕り】――風に触れ、捕捉できる能力。近距離の風であれば直接動かすこともできるが、半透明の柔らかな立方体状の物質に封じ、別の場所にて再発生させるといった使い方が一般的。医療従事者が多い。継承条件:血縁者であること。優劣なし』

 辞典では、たいてい稀少能力にはその旨が記載される。それがないということは、さほど珍しい能力ではなかったということだ。

 最後の優劣なしというのは遺伝法則のことだろう。風捕りとそれ以外の人が結婚した場合、風捕りが生まれる可能性も、生まれない可能性もどちらもあるということを意味している。

 他に特異すべき点はない。

 恐れられたり、狙われたりするからにはなんらかの理由があると思ったのだが、これを見る限り、至って普通の特殊能力のように感じる。マカベの行動も、大人たちの反応についても、ここからその理由を導き出すことは困難なようだった。

 一旦、辞典を戻し、他の本を確認する。

 もしここにある本がもっと少なかったなら、ショウはそれを全て盗み出して帰ればよかった。だが、ここには予想以上の数の本があり、すべてを持ち帰ることはできない。ここで目星をつけて絞り込まねばならないようだった。

 まずはタイトルだけでも確認しようと背表紙をなぞって見ていく。すると途中から、風捕りとは関連の薄そうな書物が並ぶようになった。

 『現代史』、『シュセン、千年の歩み』、『戦争の真実』、『敗戦を呼んだ悪魔の実態』など、どうやら戦争関係の書物らしい。これらも図書館に出せない書物なのだろうか。

 いつ製作された物かはわからないが現代史があるならと、一冊手に取ってみる。

 マカベは荒内海の大戦はまだ終わっていないと言ったという。ならば、荒内海の大戦についてもう少し詳しく知っておいたほうがいいかもしれない。

 そもそも、シュセンとトーツとの戦の歴史は古く、数百年以上前からたびたび繰り返されてきた。国交や交易も三十年以上前から途絶えている。

 だが、たびたび繰り返されてきた戦の中でも、死者が数万を超すという大きな戦は荒内海の大戦が初めてだったと聞いている。となると、どうしてこんな大規模な戦になったのかなど、気になることは山ほどあった。

 その『現代史』と銘打たれた歴史書は導暦どうれき八〇一年から始まっていた。ショウは前半部分をぱらぱらとめくりながら飛ばし、荒内海の大戦の始まりを探す。

 そして全体の三分の二を過ぎたあたりで手を止め、読み始めた。が、さらに数ページ捲ったところで、ショウは大きく目を見張ることになる。

「嘘だろ?」

 思わず声が漏れた。まさかと疑った。

 だが、気のせいだ、別人だと思うにはショウの中に、彼に対する疑念がありすぎた。

 ――ジャン・オハナ

 トーツの将校の名前だった。全船舶を転覆させるという卑劣な手段でシュセンを追い込んだ人物である。

 ユウキの祖父と同じジャンという名前。

 その名はさほど珍しいものではなく、特にトーツではありふれた名であるから、同一人物と考えるのは短絡的だった。

 そんなことはわかってる。けれど確認しなくてはと思った。

 どこかにその将校とユウキの祖父が同一人物、あるいは別人であるとわかる記載はないだろうか。

 戦争関連の書物はまだたくさんある。別の書物に手を伸ばそうとし――。


 ショウは素早くランプを吹き消した。

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