1-4. 作られた偶然(1)

          *


 ショウが少女を目にしてから二日がたっていた。今、向かっているのは、先日、市場で教えてもらった少女の家だ。

 ここに向かう前に市場へも顔を出したが、やはり、そこに店を出す少女の姿はなかった。出かけていなければ家にいるだろう。



 周囲の景色は徐々に、だが確実に変化していた。

 市街地の用水路は自然な川の形へと戻り、立ち並んでいた家並みも一度途切れる。しばらく農耕地が続き、さらに足を進めると再びぽつりぽつりと家が見えるようになった。


 そろそろだろうか、と背伸びをしたり、体を揺らしたりして道の先を探る。すると、遠くに粉ひき小屋らしき建物の屋根を見つけた。周囲に家が密集しているところから察するに、目的の家があの辺りでであることは間違いない。


 いよいよだと胸を高鳴らせ、再び歩き出したショウだったが、そのペースはすぐに落ちた。

 道の先からざわめきが聞こえていた。粉ひき小屋の稼働音ではなく、人々がしゃべったり、動き回ったりしている音だ。


 ショウは不審に思った。この辺りは町の郊外で、粉ひき小屋のそばで、人があまり寄りつかない場所だ。普段であればこのようなざわめきは起こらない。

 祭りでもあるのだろうか、などというのんきなことは全く考えられなかった。ショウの中に悪い予感が広がる。


 ショウは辺りの様子に気を配りながら慎重に足を進めた。不審者がいないか、不自然に荒らされているようなところがないか――。


 まだ見える範囲での異変はないが、ざわめきは徐々に大きくなっていった。

 こんな郊外でとは思うが、やはりもめ事だろうか。チハルは今の時期、余所者よそものが多く、もめ事が絶えない。この時期だけは「危うきに近寄らず」が鉄則で、町の人たちはもめ事の気配があると絶対に近寄らないようにしていた。ショウとて例外ではない。


 けれど、今のショウには引き返すという選択肢はなかった。たとえ事件に巻き込まれようとも、あきらめるつもりはない。あの少女はやっと見つけた大事な手がかりだった。

 ショウは気を引き締め、地を蹴る足に力を込めた。悪い予感ごときに尻込みしている場合ではない。



 間もなく粉ひき小屋と、周りに密集する数軒の家が見えた。

 粉ひき小屋の前の三叉路さんさろと、そこにたどり着くまでの道に大勢の人が集まっていた。十五、六人といったところだろうか。


 本来であれば、家事に仕事にと忙しいこの時間帯に、こんなところで油を売っている余裕などない。だが、忙しそうに行き来するのはほんのわずかな人だけで、大半はその場にただ留まっている。そんな彼らの表情もまたさまざまだ。

 眉をひそめて立ち話をする人、困惑気味に立ち尽くす人、右往左往する人、怯えるように知人の腕を掴む人――。

 彼らの視線は一様に、一軒の家へと向けられていた。


 ――いや、一人だけ、全く別の方向を見ている男がいる。


 その男はショウから比較的近い場所にいた。少し先の路傍ろぼうの木に寄りかかり、微動だにせずにいる。その顔には沈鬱さが浮かび、虚ろな眼差しはショウを通り越して市街地へと向けられていた。

 この男だけ浮いているように感じた。見ている先の違いだけではない。男のまとう空気が、どこか他の人とは違っていた。


 一度、気になるとどうにもならなかった。ショウは目を離すことすらできず、引き寄せられるように男に近づく。

 だが、目の前に立っても男は反応しなかった。ショウは困惑しながら声をかける。


「なぁ、ちょっといいか? その……騒がしいみたいだけど、何かあったのか?」


 男はぼんやりとショウに目を向け、その一拍後、はっと我に返るように肩を揺らした。


「あ……あぁ、悪い。なんだ?」


 男は人当りのよさそうな微笑を浮かべ、頭をかきながら尋ね返した。ショウは同じことをもう一度聞こうと口を開きかけ――躊躇ためらう。


 やっぱり何かが変だと思った。けれど、その理由がわからない。

 目の前の男は、普通の、どこにでもいるような四十歳くらいの男性だ。がっちりとした体形からは肉体労働者であることが伺える。少なくとも貴族ではないだろう。働く男の手をしていた。

 どこにもおかしなところはない――と思う。それにもかかわらず、何かがショウの琴線に触れた。


「どうした?」

「あ、いや……」


 男の声で思索の海から引き戻された。抱いた疑念は一度、頭のすみに置き、改めて尋ねる。


「何かざわざわしてるから、どうし――」


 再び男を見てショウは気づいた。

 男の顔に浮かぶ微笑。それがあまりにも普通の表情だったのだ。ショウが声をかける前までの沈鬱な、呆然とした様子が見事に消えていた。まるで初めからそんな顔などしていなかったというように。


 今の男からは先ほど感じられた、周囲から浮いているような違和感もない。誰かに声を掛けられるのを待っていて、それが済んだから芝居をやめた――そんな印象さえ受けた。


 馬鹿な、と首を振る。そんなことをする理由が思い浮かばない。


「ざ……ざわざわしてたから、さ……どうしたんだろうって思って……」

「ああ、それか。いや、実は……革小物屋が死んだんだ」


 ショウは耳を疑った。革小物屋といえば、まさに今日、ショウが会いに来た少女のことだ。


「はぁ!? あの子が!?」


 思わず大声を上げた。何事かとこちらに向けられる視線を感じつつ、男に腕を引かれて木の影へと移動する。


 その間、ショウは先ほど皆が見ていた家へと目を向け、そのドアに黒い布の花がかけられているのを確認する。あれは葬儀のときに飾る花だ。本当に亡くなったのか、とショックを受けた。

 そんなショウを男は呆れた様子で眺め、ため息をついた。


「その反応で大体わかったが……違うぞ?」

「――っていうと……?」

「亡くなったのはじいさんのほう」


 ショウはきょとんとした。それからだんだんと理解して、ほっと息をつく。


 ――あの子、じゃなかった。


 ショウは安心した。身内であろう少女には悪いが、ショウが今、必要としているのは少女のほうだ。

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