第46話 -二人の姉妹-

 エルージャ公国の北東にある小さな町――アスラ。

 アタシはこの街を領土に納める貴族――アーシュライト家の一人娘として生まれた。付けられた名前はエリザ。

 アタシに物心がついた頃はかなり幼い時だった。

 子供だったアタシから見て不満となることは何一つない充実した日々。

 アーシュライト家のすぐ近くは国境となっていて、大国であるアスタリテ王国が目の鼻の先に存在していたのだけれど攻めてくることは一度もなく、地方の貴族とはいえアタシにとっては何もかも全てが幸せだと感じる毎日だった。

 跡継ぎのこともあるというのに、直系となる子はアタシ一人だった。なのに、父様も母様もアタシに自由を与えてくれた。

 今だから思うことだけど、父様は貴族の位にあまり興味を持っていなかったんだと思う。

 だからそれは当然の結果だったのかもしれない。これからもずっと幸せだと思える日々は唐突に終わりを告げた。

 ある出来事がアーシュライト家の転機となった。


 その時の事はアタシの覚えている限り一番鮮明に残る記憶。

 アタシが3歳の時、父様がアタシに言ってきたのだ。


「エリザよ、お前はもうすぐお姉ちゃんになるんだ」


 アタシは最初言われた言葉の意味を理解することが出来なかった。

 だけどその言葉を自分の口で何度も繰り返すうちにアタシに弟か妹が出来るのだと分かった。

 その事実を知ったとき、アタシは歓喜した。お姉ちゃんにアタシはなるんだ。

 父様に駆け寄り内から湧き上がる歓喜を全て言葉に表し尽くす。


「何時産まれるの!?」「弟と妹どっちなの!?」「早く一緒の家族になりたい!」


 父様はアタシの投げかける言葉全てに笑顔で頷いてくれていた。

 アタシの興味は当然母様にも向けられることとなった。

 父様に聞いた質問と同じことを母様にも聞いたのだ。

 いつも優しい母様。しかし、その時だけは様子が違った。


「ごめんねエリザ。貴女の質問に答えることが出来ないの」


 どこか悲しそうな表情を無理やり笑顔にした母様。

 きょうだいが出来ると言う嬉しさは母様の様子を見てから一瞬で吹っ飛ぶこととなった。

 お腹が痛いの?母様大丈夫?

 心配するアタシを母様はぎゅっと抱きしめてくれた。母様は泣いていた。

 あの時の母様の涙は今でもはっきりと覚えてる。けれど、その時のアタシは母様が何故泣いているのか分からなかった。ただ分からなかったはずなのにアタシは大声で泣き叫んだ。驚いた母様が自分が泣いていたことも忘れあやす程に。


 その日を境にアーシュライト家は少しづつおかしくなっていった。

 母様は父様にあまり近寄らなくなった。あんなに仲が良かったのに何でだろう。

 代わりに父様は住み込みで働いていたとある使用人とよく話すようになっていた。アタシもその使用人は嫌いじゃなかったし特に不思議なことはなかったはずだった。

 だけど両親の険悪さは日に日に悪化していった。目の前で喧嘩をする母様と父様。

 アタシがどんなにお願いしても止めてくれなかった。


 ――どうしてなの?


 両親の関係を現してるかのように投げられた食器が砕け散る。あんなに優しかったのに……あんなに仲良しだったのに……


 ――こんなことになったのは誰のせいなの?


 アタシの想いは誰にも通じなくなった。アタシはいつの間にか一人だと気づいた。

 母様も父様もアタシを見てくれない。


 ――アタシが悪いの……?


 そんな日々が数ヶ月と続いたある日のこと。

 その日はアタシの4歳になる誕生日だった。

 今までのことが嘘だったかのようにアタシに優しくしてくれる母様と父様。

 大きな犬のぬいぐるみのプレゼントに皆一緒に食べる食事。アタシは幸せが戻ってきたんだと喜んだ。

 そっか。今までのことは夢だったんだ。母様と父様が喧嘩するだなんて有り得るわけがない。アタシは二人に愛されてる。それはこれからもずっと続く日常なんだ。

 そんな時、満面の笑みを浮かべるアタシに母様は昔と同じ様に優しい笑顔で話しかけてきた。


「ねぇ、エリザ。エリザはお姉ちゃんに本当になりたい?」


 アタシはその時言った言葉を生涯忘れることなく後悔し続けると思う。


「うん!アタシね、良いお姉ちゃんになってアタシが知ってることいっぱい教えるの!世界はこんなに楽しいところなんだよ!って。母様最近元気がなかったけど、アタシが我慢できることなら何でもするよ!だってお姉ちゃんになるんだもん!」


「そう……偉いわね。エリザになら全て任せることが出来るわ。お願いね、お姉ちゃん」


 母様の手は父様みたいにごつごつしてなくて優しいお日様のような匂いがするの。

 その手でアタシをゆっくりと撫でてくれた。久し振りに元気な母様を見たアタシは母様に抱かれた微睡みから何時の間にか眠りについてしまっていた。

 それが母様との最後の会話になるとも知らずに……


「母様は何処なの?」


 翌日アタシは母様がいないことに気づき、屋敷の中を走り回った。

 けれどどこにもいなかった。単に外出しているだけなのかもしれないのに、その時のアタシには底知れない不安があった。そしてそれは的中したのだ。


「ライラはもう戻ってこないんだよ」


 アタシの質問に父様が返した言葉だった。ライラ――母様の名前。

 嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ!!!

 また幸せだと思える毎日が戻ってくるんじゃないの!?

 何で!?何で母様はいなくなったの!?

 まただ……またアタシの声に誰も答えてくれなくなった。

 何でアタシがこんな目に合わなきゃいけないのよ……


 ――其方はどうしてこうなったのだと思う?


 何時からアタシの幸せは無くなってしまった?

 間違いない。父様がアタシにお姉ちゃんになりたいか?と聞いたときだ。


 ――ならばこんなことになったのは誰のせいだと思う?


 もうすぐ産まれてくるアタシの弟か妹……こいつが全ての元凶なんじやないの?

 アタシの幸せを――母様を奪った人物。でも赤ちゃんって母様から産まれてくるんじゃないの?

 母様はもういない。だったらアタシが憎むべき相手はもういないということなのだろうか?


 ――其方が憎むべき相手はまだ其方のすぐ傍にいるぞ?


 アタシが憎むべき相手。アタシの近くにいるの?でも、母様はどこにもいないよ?どういうことなの……


「お嬢様。大丈夫ですか?」


「――え?」


 声を掛けてくる使用人。その人はここ最近父様とよく話す人物だった。

 そういえば、一度母様とこの人が喧嘩をしているところを見たことがあった。

 薄汚い豚の癖に――母様が使用人に対して放った言葉。

 あれ?よく見るとアタシを心配そうに覗きこんでくるその人のお腹が不自然な風に膨らんでいた。


「そのお腹って……」


「え?あぁ。そういえばお嬢様にはお伝えしていませんでしたね。このお腹はね赤ちゃんが入っているんですよ」


 あか……ちゃん?

 生まれてくる子供のこと。アタシも少し前まではその赤ちゃんだった。

 どういうことなの?これは唯の偶然?それとも――


 ――自分にまで嘘をつく必要はないと思うが?其方はもう分かっているのであろう?


 嘘……そんなの嘘だ。


「お嬢様?本当に大丈夫ですか?」


「………いで」


 ――薄汚い豚


 違う、この人はそんなことしない!!


 ――母様の居場所を奪った人物


 ううん、そんなことあるもんか!!

 アタシはお姉ちゃんになるんだ!!


 ――産まれてくる子供も其方の居場所を奪うとしてもか?


 アタシの居場所を奪う?


 ――其方は幸せを取り返したいのであろう?


 アタシの幸せ……

 内からどす黒い感情が溢れてくる。

 嫌だ。アタシは幸せになるんだ。誰にも邪魔されたりなんかしない!!


「お嬢様……?」


 使用人の顔が怯えた表情へと変わっていた。

 母様の居場所を奪い、その上アタシの居場所まで奪おうとするのかコイツは……


 ――其方は奪われるままは嫌であろう?それならば分かっているはずだ。


 アタシの幸せを奪う奴等。奪われるのが嫌ならばどうすればいい?

 頭の中にアタシの知らない知識が流れ込んでくる。

 そう。奪われるのが嫌なら、


 ――奪われる前に奪ってしまえばいいんだ。


「ううん、何でもないよ。遊び足りないからもう行くね」


 今はまだ誰にも悟られてはいけない。

 アタシは無邪気な子供でないといけないんだ。


 そうだよね?風の王様――

 いつの間にか内から聞こえてきていた言葉。流れ込んできた知識を理解した今なら分かる。


 ――其方は我が器。其方が望むこと全て我が力を貸そう。其方は思うがままに全てを壊し、奪えばいいのだ。


 そこからの日々は瞬く間に過ぎていった。

 誰の目から見ても無邪気な子供に見えるように過ごし、裏では王様の指示に従い準備を進めていく。


 風の王様≪ゼファード=オルガレス≫――風を思うがままに操る力。

 王様の風は触れたものの存在を壊し尽くす黒い風。

 浴びれば塵に、吸えば毒に。王様の力は奪い、他人を律することに特化した力だった。


 ばれないように慎重に。瘴気の風を屋敷の中へと流し込む。

 元々アーシュライト家は風の素質が高い一族だった。風属性に耐性のある父様やアタシとは違い、使用人達は頻繁に体調を崩すことが多くなった。

 アタシの幸せを奪ったんだ。簡単に殺して堪るものか。


 アタシの想いは半分叶い、半分叶わなかった。

 父様との子を宿した使用人は自分の命を顧みずに赤ちゃんを産んだ。とても小さな女の子。アタシの妹……

 瘴気の風に侵されながらも異母姉妹となるアタシの妹はこの世に生を受けた。

 代わりに使用人は最後の灯火を振り絞り、妹にだけ聞こえる様に声を振り絞り、そして逝ったのだった。

 妹以外その場にいた誰もがその声を聞くことはなかった。だが、風の振動を操作していたアタシには聞こえたのだ。


「私の可愛い子――リィナ。幸せに生きて頂戴ね……」


 リィナ――その名が妹の名前。

 誰が幸せにさせて堪るものか。

 憎しみが外に溢れそうになる。今はまだ駄目だ。この世に絶望し、後悔するまでは殺して堪るものか。


 アタシの想いが伝わったのか、父様は妹を屋敷では育てなかった。

 元々父様はその赤子が自分の子だと公表してなかったのだ。


 もしかしたら母様がいなくならずに、使用人も死ななかったとしたら。その子は正式にアタシの妹として公表されアーシュライト家は幸せな日々を過ごせたのかもしれない。

 だが、もうそんな未来は来ない。

 未来はアタシが作る。アタシの邪魔をする者は全て怖し、逆に奪い尽くす。

 それがアタシの妹だろうと関係がなかった。


 領内の屋敷から離れた小さな小屋。元々は保存食を格納するための場所で石造りの頑丈な場所だった。

 光も風も通さない薄暗く小汚い部屋に妹は住まわされた。

 薄汚い豚の子供にとって相応しい場所だと思ったアタシは大満足だった。

 自我を覚えて絶望を感じるまで裁定でも数年はかかる。それまでは絶対に殺したりしない。

 アタシの復讐劇はまだ始まったばかりなんだ。


 そして数年が過ぎる。

 母様と使用人を立て続けに失った父様は最初は絶望したものだったが、今はアーシュライト家を大きくするために日々奮闘している状況だった。

 その間、アタシは妹の前に一度も姿を現したことがなかった。一度見てしまえば勢いのままに殺してしまいそうだったからだ。

 代わりにアタシは王様から力の使い方を教わっていた。

 王様の力は風。風の王様≪ゼファード=オルガレス≫。そして、王様に選ばれたアタシは宝煌神剣第三階位≪狂風≫の使い手となっていた。

 神をも殺せる力。そして、神にも成れる力。アタシに相応しい力だった。


 瘴気の風を意のままに操る単純だが絶大な力。

 この世界には魔物と呼ばれる獣が多数存在していた。アタシは王様すら気づかなかった力に気付いた。

 瘴気を流し込んだ魔物。脳内へと達した瘴気は魔物の思考を奪い、風を操る様に魔物も操ることが出来るようになっていたのだ。

 この力で人間も同じように操ることが出来ないかと思ったのだけど、単純思考の魔物だからこそ、そして外部からの影響に脆弱な人間に瘴気とは猛毒であることにより人間を操ることはできなかった。

 けど、今はこれで十分。アタシは支配する側の人間なんだ。


 アタシは今幸せなんだよ?なのに、何でこんなに胸が痛むんだろう……


 そこからまた数年の月日が流れた。10歳となったアタシは身体的にも育っていた。

 妹も6歳となっていた。何も与えていないが、きっとこの世に生を与えられたことを後悔しているに違いない。だから殺すなら今だ。

 妹を殺すための計画を考えるアタシを父様が話があると呼び出した。

 そういえば最近父様と話した記憶がなかったな。何時からアタシは王様としか話すことがなくなったんだろうか。


「どうしたの父様?アタシやることがあるんだけど」


「エリザ……。お前ももう10歳となる。だからこそ言わなきゃいけないんだ」


 父様の書斎で二人っきりとなったアタシに父様が重苦しい雰囲気を纏い話し出す。

 アタシに言わなきゃいけないこと?今までアタシを放っていたくせに今更何を言おうとしているんだろうか。


「アタシに?」


「あぁ。……あと5年で成人となるお前には今の内に言わなきゃいけないと思う。エリザ。お前にアーシュライト家は継がせることはできない。アーシュライト家はリィナ。お前の妹に継がせる」


「――え」


 アーシュライト家をアタシが継ぐことが出来ない?継ぐのはリィナ?

 リィナって誰だっけ。アタシの妹って誰だっけ。

 ……嘘だ。何で。アタシじゃなくあの薄汚い豚がアタシを差し置いてアーシュライト家の次期当主になる?


「エリザ。お前は危うい。リィナが生まれた時、お前が睨んでいたのを見逃さなかった。風の精霊と契約している私には分かるんだよ。お前には禍々しい風を感じる。あのままでは、リィナが危なかった。だからこそ、私はお前からリィナを離した。だが、誰かに預けるにもお前がそれを許さないだろう。だから、私は苦渋の決断であの小部屋にリィナを隠したのだよ。あの子が成長するまでは――な」


 父様にはばれていた?

 でも、何で!?そもそも何故父様はあの薄汚い豚の名を知っている!?


「な、何で名前を知って……」


「あぁ、リィナのことか?お前はその母親となった人の名前すら知らないだろうがな。リィナという名はな。私がリィナの母親と一緒に考えた名なんだよ」


「…………」


 父様は全てを理解した上でアタシを放っていたというの?

 全てを理解しながらアタシの幸せを奪ったというの?


「父様は……母様を愛していなかったの?アタシを愛していなかったの?」


「愛していたさ。お前もライラのことも。だが、それと同じように私はサイリ――あの使用人のことも愛していたのだ」


 あぁ……そっか。

 アタシが幸せだと思っていた世界はとうの昔に壊れていたんだ。

 そのことに最初に気付いた母様。きっとあの時、アタシが母様の最後の質問にお姉ちゃんになりたいではなく、母様と一緒がいいと言っていれば……母様はアタシも連れていったのかもしれない。


「あはぁ……もう全てが手遅れなのかぁ」


「エリザ……お前何を言って……」


「ううん、何でもないよ父様。あは。アタシやることがあるからもう行くね」


「あ、おい!!まだ話が!!!」


「そのお話なら父様にすべて任せるよ」


 だって、アーシュライト家はもうすぐなくなるんだもの。そうよね、王様?


 ――お前が思うがままに。我はお前に力を貸そう。


 アタシの居場所を奪う物は誰であろうと容赦はしない。

 それが妹でも、父様でも。


 その夜。アーシュライト家は滅んだ。

 多数の魔物の群れがアーシュライト家の屋敷を襲ったのだ。

 力をつけたアタシは3桁にも及ぶ魔物を操ることが出来ていた。


「あはぁ。アーシュライトを名乗っていいのはアタシだけなのよ。アタシを必要としない父様なんかもういらないわぁ」


 目の前で血を流し倒れ伏す父様。最後まで何が起きたか分からない表情だった。

 これでアタシの妨げとなる人物はあと一人。


「待っててね、リィナ。お姉ちゃんからの最初で最後のプレゼント。絶望と言う名の風をあげるわぁ」


 魔物にはわざと小部屋を襲わせなかった。

 魔物なんかにアタシが殺したくて堪らなかった相手を譲るわけがない。アタシ直々の手で殺す必要があるのよ。


 だが、あと少しで小部屋へと到達しようとしたその時、


 ――止まれ


 王様から忠告があったのだ。

 そして同時にアタシの頬を一筋の風が通り過ぎていた。

 それは翡翠色の風。


「これは……」


 小屋を守る様に翡翠色のオーラが具現化していた。

 多重と化した風が壁となり、アタシの進行を塞いでいたのだ。


 ――ハッ。それがお前の選んだ道か。エリザよ。今は退け。ここは分が悪い。


 王様は何か納得したかのように笑っていた。

 どういうことなの?目の前に全ての元凶となる人物がいるのよ?

 王様の風で吹き飛ばせばいいじゃないのよ!!!


 アタシは≪狂風≫の源となる扇を呼び出し、瘴気の風を振るう。

 だが、今まで全てを奪っていった風は翡翠色の壁に当たり、そのまま霧散していったのだ。


「嘘……アタシの風が……」


 ――だから分が悪いと言ったであろう。脆弱な愚王の力でも込められた年月が長ければ我であろうと壊すのは無理であろうよ。


 愚王?何よそれ……


 ――時間だ。このままでは見つかるぞ?


「ッ――。もう来たというの!?」


 複数の足音。屋敷の異変に気付いたアスラの町のギルドメンバーが出向いてきたのだ。

 このままここにいれば色々な意味で面倒なことになる。

 あと少しだと言うのに……


「それならそれでいいわ。貴女はアタシが絶対に殺す。それまで死ぬんじゃないのよ?お姉ちゃんが絶対に殺してあげるからね。あはぁ」


 それがアタシの復讐劇。

 思うがままに壊し、奪っていったアタシが何時しか≪風爆≫と呼ばれた原点。


―――…


――


 両腕を無くし、悲惨な姿のまま倒れ伏していたエリザの過去。


「憐れんだりしちゃ駄目よ?アタシは貴女を憎んでいるんだから。……ゴホッ!!」


「……ッ。貴女は……そうまでしてわたしを殺したかったの?」


「当たり前よぉ。アタシは幸せになりたかった。それを邪魔する者は誰であろうと容赦しないわぁ」


 エリザの言葉は依然と何も変わらなかった。だが何かが違う。

 今のエリザには想いの強さがなく、どこか精一杯に嘘をつくような声色だった。


「エリザ……お前は――」


「……セツナ」


 リィナが静かに首を振る。確かに僕が口にすることではないのかもしれないな。


「あはぁ。何を言いたいのかしらぁ?」


「……エリザ。本当のことを教えて。貴女は本当にわたしを恨んでいたの?」


「…………何を言っているのかしらぁ?本当のこと?そんなのさっきから言ってるじゃない。アタシは貴女のことをずっと恨んでいたって」


「……嘘。貴女からさっきまで感じていた怨念じみた気配を全く感じないよ?」


「あはぁ。……やっぱりそうなのねぇ」


「……エリザ?」


 自分でも納得できていなかったが、リィナの言葉で理解できたかのように落ち着いた表情を見せるエリザ。


「アタシは王様にずっと操られていたのね。あはぁ……」


「…………」


 エリザは結局、風の王≪ゼファード=オルガレス≫の傀儡だったということだ。

 負の感情を無理やり強められ自分でも気が付かないままに操られていた。

 それらは全てが自分自身がこの世に顕現し、世界を支配する為に。


「だけど、お前の王様はもういない。お前が感じる気持ちに嘘をつく必要はどこにもないんだ。だから……この世でたった二人の姉妹がいがみ合ったりするなよ!!」


 僕には果たせなかった想い。近くにいるのに気持ちが通らなかった僕の家族。今はもう会うことが出来ないけど、リィナとエリザは今向かい合っているんだ。

 そこで嘘をついてどうするっていうんだよ。


「………貴方の言う通りよね。あはぁ。ばっかみたい……アタシの人生って何だったんだろう」


 もしもエリザがリィナを憎まなかったとしたら。

 望まれたようにお姉ちゃんとしてリィナを導いていたとしたら。

 きっと仲がいい姉妹になっていたのかもしれない。


「ごめんねリィナ。アタシはお姉ちゃんになれなかった。今更謝ったところでどうしようもないわよねぇ……」


「……ううん。そんなことない。そんなことないよお姉ちゃん」


「アタシをお姉ちゃんって呼んでくれるの?あは。もう何も思い残すことはないわぁ」


 涙する二人の少女。姉を抱き抱える妹の姿は、今まで敵対していた雰囲気なんてどこにもなく仲が良い姉妹の姿であった。


 ……このままでいいのか?

 僕はこのまま見てるしか出来ないのか?

 エリザの顔色は刻一刻と悪くなっている。

 神剣を無くし、両腕を失った少女。現在のエリザは何の力も持たない一人の少女だった。

 このままではあと数分も経たない状況。

 そんなの僕にも嫌だ。やっと心から出会うことが出来た姉妹。だからこそ二人はこれからも一緒に居てもらいたいんだ。


 ドクン――


 僕の想いに答えてくれるように胸が昂まる。

 遺跡でアリシア達を助けた時と同じ様に。

 アーリャ頼む。僕に力を貸してくれ――


「氷の女王≪アーリャ=アナスタシア≫が命じる――」


 冷気を纏いて詠唱を紡ぎだす。

 僕の異変に気付いたリィナとエリザが目を見開く。


「……セツナもしかして!?」


「あはぁ。アタシに止めを与えるつもりなのかしらぁ。この街を滅茶苦茶にした罰だものね。当然よね……」


「……違う。あの古代魔法は癒し。部位欠損すら治す高位治癒魔法……」


「え?何でそんなこと……」


「癒せ癒せ癒せ 穢れし大地 穢れし空 穢れし水 穢れし命……」


 今まで数多なる存在を壊してきたかもしれない。

 だけど……それでもこの場でこの姉妹を引き離したくなかった。

 エリザには懺悔が必要だ。積は償ってもらわないといけない。だけど、それが死で償わなければいけないと言う事実はないんだ!!


「アタシに癒し?アタシは咎められるべき人間なのよ?」


「……お願いお姉ちゃん。生きて罪を償おうよ。アタシも一緒に手伝うから……」


「リィナ……。あは。アタシの幸せってすぐそこにあったのねぇ」


「全てを浄化し万象に宿りし生命の息吹をこの身に――」


 あと少しで詠唱が終わる。

 そうすればこれからもこの姉妹は一緒にいられるんだ。

 だが、その場にいた3人の想いが果たされることはなかった。



「あれあれ~??罪を償う??そんなの出来る訳ないじゃないかエリザちん」



 無情な一撃が降り注ぐ。


「……え?」


「常世全てに……え?」


「ごめん……ね。リィナ……」


 エリザの胸元に穴が開いていた。

 心臓を穿つ大きな穴――


 そうしてエリザ=アーシュライトという一人の少女の人生は終わった。

 氷の女王の古代魔法ですら失った命を取り戻すことはできない。

 そんなことが出来るのは宝煌神剣第一位≪■■≫でないと無理な所業だった。


「エリ……ザ……?」


「……嘘だよねお姉ちゃん……目を開けてよ……」


 当然の如く僕達の呼びかけに答えることはしなかった。


「アハハ!!馬鹿だよねぇ。エリザちんが真っ当な人生を歩めるわけがないのに。失敗した人には罰が必要なのは当然なことじゃないか。君達もそう思うよね??」


「「…………」」


 奴が誰だかなんて関係がなかった。


「お前がエリザを殺ったのか……」


「……許さない」


 数メートル先で笑い続ける少年に隠すことなく殺意をぶつける。


「ボクにとっては君達に用はないんだけどなぁ。それにここでやることはもう全部終わっちゃった訳だし。ボク不必要なことやるのって好きじゃないんだよね」


 リィナと同じ程度に幼い少年。片目を髪で覆い隠していたが、エリザの命を奪ったという罪悪感は欠片も持ち合わせていない表情だった。


「≪宵闇≫よ力を!!!」


「……お願い≪風翠≫!!」


 残った力を振り絞る。奴は危険だ。宝煌神剣特有の匂いは漂ってこない。だが、それ以上に只者ではないという気配が漂ってきた。


「やる気十分だねぇ。でも、ボクはこれ以上働きたくないんだよ。だからごめんね?」


「ッ――!!」


 少年の背後の空間が揺らぎ出す。

 それと同時に少年の姿が徐々に空間に沈む様に消えだしていたのだ。


「……逃がさない!!お願い≪風翠≫!!!」


 咄嗟にリィナが翡翠色の槍を放出する。

 同じく、縮地を使い少年の下へと肉薄するが、


「無駄だよ?君等じゃ次元を通して攻撃できないでしょ。ただまぁ、近いうちにまた会うことになると思うよ?だからそれまで死なないでね。君等と遊ぶのも楽しそうだからね」


「ぐっ……くっそぉぉぉ!!!」


 残響を残して少年は空間の中へと消えて行った。

 こうして、僕等の戦いは終わったのだった。

 戦いの後だと言うのに残ったのは後悔だけだった。


「……姉様ぁ……」


 僕の詠唱がもっと早かったら……

 考えれば考えるほどに後悔だけが積もっていく。

 二つの風。二人の姉妹。この街で起きたアーシュライトと風の因縁は僕達の胸の中に大きな傷を残して終わったのだった。

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