第32話 -裏の情報屋との邂逅。けど、話題は紅茶になりました-
目の前で佇む女性。ジメジメした薄暗い地下水路の中でも彼女の声はクリアに響いてきた。
暗闇の中でも映えるその姿は地上であった商会長≪ガゼイン≫と同様で威風堂々としていた。裏の情報人≪ヴェネッサ≫――。乱雑に切りそろえられた後ろ髪を首元で束ねた彼女は何事も無かったかのように手に持った鞭を無造作に引っ張り続けている。癖なのだろうか……
「おい、それよりも声を上げすぎだ。俺達はアンタを探してはいたが、そもそもの根源の奴等らしき人物も見つけたんだ。そいつ等を追うのを止めたのはお前だろうが。まだ近くを歩いているって言うのにばれたらどうする」
「あぁ、それは気にしなくていいさ。こいつを持っているからな」
渋めの表情のまま小声で話しかけたユーシアに対し、ヴェネッサと名乗った女性は懐から何かを取り出す。
暗くて見にくいけど、何かの結晶のように見える。暗闇の中で仄かに翡翠色の発光を繰り返していた。
「それは?」
「これは風の微精霊を封じ込めた魔具さ。名を≪振制石≫。密会する時に便利なんだよなぁこれ。効果は単純。これを持った人物の意志次第で周囲に発せられる音の振動を風で制御するだけ。今はアタシ中心に数メートルしか音が響かないようにしてるのさ。だからって大声出すんじゃねぇぞ?限度ってモンがあんだから」
「魔具……初めて見ました……」
魔具?初めて聞く言葉だった。けど、呼吸が落ち着いたアリシアが驚きに満ちていたことから希少性のある道具であることは簡単に想像がついた。
「大体アタシがこれを使ってなかったらそこのお嬢ちゃんが咳き込んだ時にもうバレてるっつーの」
「それはアンタがアリシアの首を絞めたからだろうが!!」
「アイツ等を追おうとしてた君等には丁度良かったろ?」
「テメェ――!!」
ヴェネッサの物言いにユーシアが苛立ちを全開にしていた。けど、それは僕も同様だった。丁度良かった?それだけの為にアリシアを苦しめたというのか?
「待て待て。そこの少年も殺気を抑えろ。そんなだと匂いでバレるぞ。奴等に――な」
「………え――?」
アリシアを苦しめられたことにより無意識に殺気を放っていた僕だったが、ヴェネッサの言葉は僕の殺気を霧散させてしまうには十分な一言だった。
「……何者なの。貴女からは何も匂ってこない」
「何者……ね。もう自己紹介はしたはずだが?アタシの職業をもう忘れたっていうのか?」
「情報屋ってのは何でも知ってるっていうのか?」
「何でもってわけじゃないさ。けど、アタシは裏の住人。表に出ない裏、影となる情報には鋭いのさ」
「…………」
僕は正直他人の顔色を読むのが得意じゃない。けど、そこを抜きにしても目の前の女性――ヴェネッサが何を思って今喋っているのか全く想像することができなかった。ガゼインやアッシュとも違う。それ程に得体の知れない女性だったのだ。
「一つ教えてください。貴方はあの黒装束の集団を追うなと言いました。それと匂いでバレるとも。あの集団の中に僕達の同類がいるというんですか?傭兵とも冒険者とも違う――宝煌神剣の使い手が」
「セツナ!?」「セツナさん!?」
シルフィル兄妹が驚いた表情で僕の方を振り返る。けど、ヴェネッサは気付いている。僕とリィナの正体に。そして宝煌神剣という存在に。
「へぇ。ガゼインが言った通り、洞察力はそこそこあるみたいだな。少年の疑問についてだが、半分正解だな。さっきの集団の中にはいないはずさ」
「はず?」
「あぁ。そこの小っちゃいお嬢ちゃんが言った通り、アタシは少年達の同類じゃない。だから君等が気になっていた集団の中にいないとも言い切れないのさ」
「……小っちゃい……」
あ……。リィナが地味に傷ついてる。
「スマンスマン。話を戻すが、もしもあの集団の中に君等の同類がいたとしよう。その場合、君等が魔法で隠れたとしても匂いでいることにバレていた。そうだろう?」
「それは……その通りだけど……それならあの集団の中には使い手はいないとも言えるんだろ。じゃあ、なんで後を追っちゃいけないんだ?」
「早とちりしすぎだ少年。先程半分正解だと言っただろう」
「どういうことだ?」
ヴェネッサの回りくどい言い方にユーシアが首を傾げていた。僕も同様だった。けど、どういうことだろう?あの黒装束の集団の中には宝煌神剣の使い手はいないはず。けど、僕の言葉は半分正解……あれ?あの集団の中にはいない。あの集団が人身売買を行う組織のメンバーの全てじゃない。ヴェネッサと邂逅する直前にユーシアが言ってたじゃないか。集団の後を尾けて場所を突き止めると。なら――
「別の場所にいるというんですか。この街のどこかにいるんですね。第四王女を商品にしようとしている宝煌神剣の使い手が」
「ハッ。今度こそ正解だよ少年。君等があのまま追っていたら絶対にどこかで鉢合わせになっていたはずだ。それだけは阻止したかったのさ」
「それならそう言ってくれればいいのに。ぅぅ、まだ喉に違和感があります……」
「悪かったな。荒れ狂れ者揃いの冒険者をアタシ一人で止めるにはアレが一番早いんだよ」
「私あの人苦手です……」
「……同感」
うちの女性陣にはヴェネッサという人物とは相容れないようだった。
「っと、あの集団がいなくなってまた魔物が騒ぎ出したな。こんな辛気臭い場所で長話もなんだし、場所を変えようさ。ほら、こっちだ」
「あ、おい!!」
ヴェネッサが言う通り、周囲の雰囲気がまたざわめきを持ち出していた。魔物が近づいている証拠なのだろうか?そもそも、何故先ほどまで魔物が急に出なくなったんだ。
しかも、事の張本人は早々に踵を返して歩き出しているし。ヴェネッサが後ろから現れたことも、僕の隠匿魔法を看破したことも含め分からないことだらけで正直嫌になってくる。
「付いていくしかないよね……」
「偉そうにしてる奴らは何でこうも勝手に動こうとするんだ。はぁ、今更黒装束の集団を追いかけてももう何処に行ったか分からねぇし、付いていくしかないだろうよ」
「だよね。アリシアとリィナもそれでいいかな?」
「はい、頑張ります……」
「……ん。小っちゃい言った事は許さない」
僕等は顔を見合わせ深いため息をついた。探し人であったヴェネッサと出会えたはいいものの、前途多難な雰囲気しかなかった。
そしてリィナにとって小さいは禁句だったみたいだね。今後気を付けることにしよう……
◆◆◆◆
「ぅ、眩しい……」
煌びやかに照らされた太陽の光が僕達をこれでもかと出迎えていた。
そう、僕達は今地上にいたのだ。あれから魔物と出会うこともなく、ヴェネッサの進む方へと付いていくと僕達が歩いていない通路へと入っていったのだ。その先には僕達が入った別の地上への出入り口があったのだ。
「この先に行きつけの茶店があるのさ。紅茶がうまいんだよ」
「おい、地下で話すんじゃないのか?」
「それはアタシがアンダーグラウンドの住人だからか?だとしたら冗談はその顔だけにしときな。あんなジメジメした場所用がないならアタシも長居したくないさ」
「テメェ――」
「ヴェネッサさんと出会ってから私の中の偶像が崩れ去っていきます……」
アリシアの言葉にものすごく同意だった。そもそも、僕は裏の情報人と聞いたとき廃れたスーツを着た痩せ型の中年男性を想像したのだ。
しかし実態はマリーゴールドの束ねられた髪がゆらゆら揺れており、胸元を強調した服に丈の長いコートを着こなした女性だった。僕の想像力もどうかと思うけど、まさか目の前を歩く僕とさほど年齢が変わらないように見える女性がその人物だと言われなければ分かるはずがなかった。
「……セツナ、ちょっといい?」
「ん?どうしたの?」
ヴェネッサから少し離れた位置を歩いていた僕の横にリィナが小走りで寄り添ってきた。
「……背後で誰かに見られている。セツナは何か感じない?」
「え?」
「……後ろを振り返らないで。こっちが気づいていることに気付かれる」
「僕は特に気付かなかったけど……ッ――!?」
その刹那だった。
背後から突き刺さるような冷たい殺気。明らかに僕達を敵視している視線が心臓を貫くように浴びせられたのだ。
「……セツナ、耐えてっ……」
「ぐっ……」
僕だけじゃなくリィナにも同様の殺気が向けられていたようだ。僕の左手にリィナの震える右手が握られてくる。
誰だ……。この殺気の相手に僕は覚えがあった。それもつい最近に。僕は昨日もこの殺気を感じた。あの時はリィナは気づいていなかった。けど、今回は僕達二人に対して……。
目の前を歩くシルフィル兄妹はこのことに気付いた様子がなかった。僕とリィナだけ。なら殺気を放つ相手はもしかして……
この時僕は気づいていなかった。前を歩くヴェネッサが無表情のまま横目でこちらを見ていることに。
―――…
――
「はぁ、はぁ……」
あれからすぐに背後から感じた殺気は何事もなかったかのように霧散したのだった。
けれど、僕もリィナも冷や汗が止まらなかった。昨日感じた時以上に悪意に満ちた視線に僕達は肩で息をするほどに疲弊していたのだ。
「え?どうしたんですか二人とも!?」
「アリシアどうし……って、何で息切れしてるんだ!?」
僕達の異変に感じたシルフィル兄妹が慌てて駆け寄ってくる。けれど、今この場で話す気が起きなかった。未だに背後にチリチリと視線の残滓を感じていたのだから。
「(ごめん、詳しい事は後で。僕達を監視している人物がいる)」
「(ッ――本当か!?)」
「(……ん。間違いない)」
「ん?おーい、何コソコソ話してるのさ。そこを曲がれば目的の場所だからほら頑張れ」
「ごめん、今いく」
僕達が立ち止まっていることに気付いたヴェネッサが声を大きくして僕達を催促していた。
先ほどの視線の事は後でみんなに詳しく話そう。今は目の前のことから動かないといけないんだ。
◆◆◆◆
「ほら、ここさ」
「わぁ!」
人通りが少ない表路地とも裏路地とも違う少しだけ広い通路に見えた小さな店。装飾が施された看板にオープンテラスとも言える表に並べられた丸テーブルには色とりどりの花々が飾られていた。
冒険者が集う酒場とは明らかに違う小洒落た店にアリシアが目を輝かせていたのだ。
「マスター。いつもの席におススメの紅茶5つ」
「…………」
中には客はおらず、寡黙そうな店員が一人。ヴェネッサがマスターと呼んだことから店長なのだろう。見た目からしてバーテンダー等にいそうな人物だった。
ヴェネッサの言葉に頷くだけで茶葉の選定に取り掛かったマスター。僕達は軽い会釈をして、ヴェネッサに続いて店の奥へと入っていったのだ。
「さて、と。ほら君等も座りなよ」
「あ、あぁ……」
他より大きめのテーブルにヴェネッサが座ったため、僕達も顔を見合わせ座り込む。
何かの花の匂いだろうか。店の中には甘い匂いが漂っており、僕の鼻腔をくすぐってくる。けれど、嫌にならない落ち着く匂いだった。
「ここ落ち着くだろ?穴場でアタシにとってお気に入りの場所さ」
「この甘い匂いは何なんですか?」
「確かこれは……マスター?」
「…………ルルイエの花です」
「だそうさ」
「聞いたことのないお花ですね……」
「ルルイエってのは確か西の山脈の高い場所に咲く花だったはずかな。ここのマスターが草花を集めるのが趣味だそうで、大陸中から色々取り寄せてるのさ。その一貫で紅茶も多種多様にあるからアタシにとって一日に一杯は飲みたくなるってわけさ」
「素敵です!」
ここに来てからアリシアのテンションがすごい。ヴェネッサに脅されたことも忘れて女子的なトークをヴェネッサと繰り出していたのだ。
けれど、このままじゃ延々と話がずれていきそうだった。だからアリシアには悪いけどここで話を中断してもらわないと。
「あーごめん。そろそろ本題に入りたいんだけど……」
「ぁ……。ごめんなさい、私こういうところに憧れていたので」
顔を赤くしたアリシアがしゅんと伏せてしまった。正直申し訳なさとこれまで苦労したんだなと思った。ユーシアの方を向くと妹の意図に気付かない兄のそれだったし。
「なら、アリシアが行きたいときにまた行こうよ。エルガンドの街にはまだまだいるしね」
「!!はいっ!」
満面の笑みで頷くアリシア。
そしてタイミングよくマスターが紅茶を持って現れた。各々の前に陶器で出来たティーカップを置くとティーポットからゆっくりと紅茶を注いでいくマスター。
カップへと注がれる紅茶から店に漂う甘い匂いとは別のこれまた心地よい匂いが漂ってくる。
「…………サクティの茶葉です。コクのある甘さがありますのでストレートで飲むのがおススメです」
「あ、有難うございます」
マスターは全員に紅茶をいれ終わるとテーブルの中央にクッキーのような菓子を置いていくとカウンターの奥へと戻っていった。僕達の会話が聞こえないように離れてくれたのだろう。
「さ、まずは飲んで落ち着こうさ。話はその後でも逃げないさ」
「……ん」
ヴェネッサが言うとおり、僕達はティータイムとすることにしたのだった。
マスターのおススメということもあってその紅茶は疲れた身体を癒すには十分な程に美味しいと感じる一品だった。
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