第23話 ゴミとキスと小さな種

 オレはコバンくんをからかうために、学校に行っていたようなものだったな。

 そうそう、そうなんだ。笑わせたかっただけなのに、先生にはよく叱られた。イジメているつもりなんか、これっぽっちもないのに、大きな眼でオレを見て、きゅっ、とくちびるを噛んだままちっとも笑わないから、むきになって悪戯していたんだよ。

 雨の日にブロック塀を這っていた、カタツムリをたくさん捕まえて机の上に並べたり、だんごむしを大量に筆箱の中に入れたりね。だけど、コバンくんは態度も表情も変わらないから、嬉しいのか悲しいのかもさっぱり判らなかったよ。

 君は、そんな悪戯をしたことはない?

 前に通っていた学校でのコバンくんはね、昼休みになると、決まって給食トレーを持って会議室に消えちゃってたんだ。せっかくオレが給食の準備をしたのに、オレの見ていないところに行ってしまうものだから、一度、会議室まで追っかけたことがあったよ。

 ぴしゃりと閉められたドアを開けたら、そこには、お母さんとふたりっきりで給食を食べるコバンくんがいたんだ。オレがドアを開けた途端に、コバンくんは箸を置いてしまったから、もう二度と会議室のドアを開けることはしなかったけどね。お母さんの前ではくちを開くんだな、って知ったよ。

 転校先でもね、給食の時間になると、毎日、図工室に消えていたよ。その頃には、もう、お母さんが学校に来ることはなくなっていたけれど……。

 あの子がいなくちゃ、学校に行く意味なんか見つけられなかったから、ちょっと時間を置いて、給食を食べ始めるのを見計らってから、オレも図工室に行くんだ。だけど、あの子は、オレの顔を見たら、ぴたっと食べることをやめてしまうんだよ。食べている顔が見たくて見たくて、「美味いよ」と言っては、赤ちゃんのように箸でくちまで運んでみたりもしたけれど、無駄だった。

 それでも諦めきれなくて、デザートのグレープフルーツの汁を指先につけて、ちょんちょんとコバンくんのくちびるに触れてみたんだ。そうしたら、ちょろっとだけ舌の先っちょを出して、少しだけ舐めてくれたんだ。

 それが嬉しくて嬉しくて、調子にのったオレは、グレープフルーツの実をほんの少し千切って、くちの先にくわえて……。ほら、こうやってくちを尖らせて、無理やりコバンくんのくちに押し込んだんだ。ねえ、雛鳥に餌をやる親鳥みたいだろ。

 その後のコバンくんは、まるで瞬きを忘れたように眼を見開いてカチカチに固まったまま過ごしていた。掃除も帰りの支度も、オレが手伝ってやらなくちゃ何もできなかった。

 黙って機械仕掛けの人形のように歩くコバンくんが心配になって、オレは家までついて行ったんだよ。コバンくんは、人が住んでいるのかも判らないような、古い一軒家の前で立ち止まったまま動こうとはしなかったから、仕方なくコバンくんのランドセルから鍵を探し出して玄関を開けたんだけど……。

 開けてびっくり、ゴミ屋敷だ。

 ゴミ屋敷の本物を見たのは初めてだったけど、オレの想像していたゴミ屋敷とは、ずいぶん違っていたように思う。だって、きちんとゴミが分別してあるんだもの。

 食べ物のカスみたいな生ゴミはほとんど無かったけれど、チラシやプリント類が入った大量のゴミ袋が廊下に並んでいた。それに、スーパーの発泡スチロール容器が、大きさ別に積み重ねあるんだ。それも、ちゃんと洗ってね。

 空き瓶も空き缶もペットボトルも、包装紙や牛乳パックも、それから、柄が取れたり折れた傘まで……。どれもまとめてダンボール箱にぎっしり詰め込まれているものだから、まるで、大切なゴミを保管しているようだったさ。

 それが面白くて、家の中をあちこち探検しちゃったよ。コバンくんちには、黄色い眼をした黒猫がいてね、そいつが階段の上からガァゴガァゴと鳴くから二階まで行ってみたんだ。階段の一番上の段に、三角形の板が釘で打ち付けられていて、今にも抜け落ちそうに見えたから、そこだけは踏まないようにしながらね。

 二階の四畳半がコバンくんの部屋だったよ。一階はゴミだらけで足の踏み場もないのに、コバンくんの部屋だけはがらんとしていた。お母さんが作ってくれたっていうベッドと、仔猫のイラストが描かれた小さな折り畳みテーブルがあるだけなんだ。

 けれども、オレがそんな事をしている間も、コバンくんは外に突っ立ったまんまだった。ずっと正面を向いて動かないから、靴を脱がせて、二階まで引っ張って行ったんだよ。

 テーブルの前に座らせたら、コバンくんは急に難しい顔をして、くちをもごもごと動かしたんだ。くちびるの先を爪で摘まんだと思ったら、何だかちっちゃくて丸い物を吐き出した。こつん、とテーブルの上に置かれた物は、グレープフルーツの種だった。

 「植えたら、きっと実が生るよ」って言ったら、いつもはお面のような顔が、ちょっとずつちょっとずつ、くにゃくにゃに崩れて、最後にぽろぽろっと涙を流したよ。その過程がむっちゃくちゃに可愛くて可愛くて、今度は、ちゃんとキスしたの。そうしたら、また固まっちゃったけど。

 君には妹がいるの? やっぱり泣き顔は可愛いでしょ? 長いこと逢えないのは、とても寂しいだろうね。

 グレープフルーツの種は、ちゃんと植えたよ。一年生の時に使った朝顔の植木鉢にね。未だに実はつかないけど、アゲハ蝶が卵を産みつけにくるんだ。

 コバンくんのお母さんがバイト先から貰ってきたマンゴーの種を植えたこともあったよ。観葉植物みたいに夏の間はぐんぐん伸びて葉を茂らせたのに、冬には寒い部屋の中で枯れてしまったけどね。

 それに、スイカの種を植えたこともあったよ。テニスボールくらいの可愛い実がついたから、真ん中から切ってみたけど、中は真っ白で食べるところは無かったよ。

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