第14話 グレープフルーツ
初めてコバンくんの家に行ったのは、雨ばかり降る蒸し暑い夜だった。
レオは、面倒くさいと言っては、いつも傘を差さずに学校に来るんだよ。バカじゃねえの、なんて言っていたら、案の定、帰る頃には土砂降りでさ、仕方なく送ってやることにしたんだ。一本の傘をふたりで差していたから、ずぶ濡れになるよりはましだって程度だったけどね。
コバンくんの家は山に近かった。古い木造の二階建て一軒家。
顔は忘れていたはずなのに、会ったらすぐに思い出した。小学校の頃と変わっていなかったから。それに、レオが話して聞かせてくれるから、いつも会っているような錯覚に陥っていたのかもしれない。俺の顔をどんぐり眼で見ていたけど、相変わらずくちを開かないんだ。そういえば、こういう子だったなあ、って……。
コバンくんはいつもひとりで留守番をしていたよ。何をやらかしたのかは知らないけれど、父親は服役中だとレオに聞いた。母親は居酒屋とカラオケボックスのバイトを掛け持ちしていた。だから、夕方から明け方まで、ひとりのコバンくんが心配で、レオは毎日のように会いに行っていたんだよ。
コバンくんの家は、ちょっと台風でも来たら崩れそうに見えた。ガムテープで補修された、割れたガラスの引き戸を開けると、思いもよらない光景が広がっていたよ。玄関から台所に続く廊下の片側に、ものすごい量のゴミ袋が積み重なっていたから。それは、もう、ゴミ袋の壁と言ってもいいくらいの。
片付けるのを手伝えって、レオに言ったことがあったけど、それは俺の思い上がりで、余計な事だと思われたようだった。
例えば君も、ゴミ屋敷を扱ったテレビ番組を観たことがあるだろう? ああ、そう、誰も見ていないのに、居間で流しっぱなしのテレビから眼に入ってくるんだね。
大抵のコメンテーターが家主を気遣うふりをして、くちの端で嗤っているのさ。君は、それが気に食わなくて電源を切ってしまうのだけれど、静かさに居た堪れない君のお父さんが、黙って再びリモコンのスイッチを入れるんだね。
その番組の中で、物が捨てられない理由を語る人と同じように、コバンくんのお母さんも、ゴミ袋の中に「もしかしたら大切な物があるかもしれない」と言うのだそうだよ。お母さんが気づかないように、少しずつ少しずつゴミを捨てるのがコバンくんの役割なんだそうだ。
ゴミの壁せいで、仔猫一匹がやっと通れそうな、狭い廊下の手前に階段があった。階段を上っていくと、茶色く変色した襖の前で、くちの周りと足先だけが白い黒猫が寝そべっていたよ。コバンくんが生まれる前から居る猫だそうだ。
二階の四畳半がコバンくんの部屋で、ベッドと子供用の小さな折り畳みテーブルだけの殺風景な部屋だった。エアコンなど無く、へこんだ畳に雨が吹き込まないように窓を閉め切っていたから、扇風機を回していても酷く蒸し暑かった。
俺がTシャツの袖で汗を拭っていたら、コバンくんはベッドのマットレスをめくってタオルを出してくれたんだよ。そこで俺は、そのベッドがとても簡易的なモノだと知ったんだ。俺がマットレスだと思ったのは、カラーボックスに敷かれた一枚の畳だったからさ。壁側の畳を一枚剥がし、寝かせて並べたカラーボックスの中に、おそらく衣類なんかを入れて、その上に畳と蒲団で蓋をしていたんだろう。
窓からは裏庭が見えたよ。斜めに降る雨の中、雑草だらけの庭に、一本の小さな樹が立っていた。グレープフルーツの樹だそうだ。まだ、ふたりが小学生の頃、レオが食べたグレープフルーツの種を植えたら芽が出たんだって。
でも、年々大きくなるのに花が咲かない。当然、実もつくわけがない。アゲハ蝶が飛んで来ては卵を産み付けるだけだと言っていた。あれは、実が生るまで、相当の時間がかかるらしいから。
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