五 i仁
私達は、宇宙旅行をめざすベンチャーです!
この見出しで始まる元旦の朝刊の特集記事を仁(ひとし)は克明に覚えている。
国産旅客機の開発や米国の新型旅客機など、中部地方の新たな産業として航空機産業への進出で熱狂している、文字どおり挑戦的な記事だった。
レコード会社から始まったノア氏の企業グループは航空旅客事業にまで拡大した。
そして、宇宙旅行を新たな事業に加えたのだ。
ノア氏の宇宙旅行ビジネスは大手旅行代理店が日本での営業権を握ったが、元旦の記事の経営者は代理店になるのでなく、自らの手で宇宙旅行を目指そうとしていた。
第二のノア氏だ。
実現したときの中部経済への影響度や挑戦すべき夢の壮大さに前年のベンチャーアイデアコンテストで優勝した。
彼らは机上のアイデアにとどまらず、機体の設計に着手していたからだ。
平野仁はその記事を読んで驚愕した。
初めは奇をてらった旅行代理店の広告と思ったが、記事を読んでいくとそうではない。
でも仁の目は冷ややかだ。
どうやってお金を集めるんだ、誰が機体を製造するんだ、と。
今となっては、この批判は自分を惨めにするだけだ。
寂れた商店街が仕事場の自分には。
職場に向かう途中で、この記事を口内炎が悪化したときの痛みと血の苦みが混ざった感覚を伴って思い出した。
だが、駐車場に近づくと記事のことは横に置く。
注意しないと駐車場に入りそびれてしまう。
この商店街の駐車場は目につきにくいからだ。
初めての人はナビで指示されても右折のタイミングを逃して通り過ぎてしまう。
初日の仁もその一人だった。
県道に面したあの空き店舗を更地にして出入り口にすれば、とても使い勝手のいい駐車場になるだろうと思う。
所有者の権利を無視した発想であることは承知のうえだが。
そう毒づいた初日だが、一週間経ち、六回目の入場となれば、そう思ったことも忘れている。
慣れれば、その土地の神業のような運転技術を身につけてしまうものだ。
商工会議所のやっつけ仕事みたいに、仁の仕事場としてコンビニエンスストア(CVS)だった空き店舗に案内された。
コンビニ時代のバックヤードや事務所だったところはそのままに、店舗スペースが彼のオフィスである。
ぼちぼちと、什器が備えられて事務所らしくなってきた。
レジだったところは、肩の高さのパーティションで区切られた面談エリア。
オフィスでのミーティング用デスクとOAチェア。
道路に面したガラス窓には、あえてブラインドはつけず、レンタルの鉢植え樹が並べられた。
店舗の中央に、やや大きめの会議机と椅子。
まだスペースの余裕がある。
オフィスにつきもののデジタル複合機(コピー機)やキャビネットも設置してある。
かつての職場と比べれば貧弱だが、自分だけでこれだけの事務所を構えられない。
レンタルオフィスを利用する選択肢もあるのだが、名古屋や豊橋まで通わなければならない。
これだけの什器が揃っても、まだ二人分の机のスペースが残っている。
自分の事務所のように使っていいですよと飯島から言われたが、一週間しても遠慮が勝る。
結局、商工会議所の臨時職員に落ち着いたんだと、自分で自分を納得させることが増えてきた。
仁がここに来るきっかけは狩宿(かりやど)商工会議所の飯島がよこした電話だった。
「平野さんのお知恵を拝借したいのですけど」
「私でできることなら喜んで」
仕事の話かと期待していったら、仕事の話なのだが仁の期待とは違った。
「商店街ものづくり拠点化パイロット事業、通称、下町キャンパス、のアイデアを一緒に練ってくれないかなぁ」
「アイデアとは?」
「空き店舗で始められるものづくりってテーマで、できることを考えて欲しいんだ」
「私、製造業じゃないですけど」
「会員の製造業さんに聞いてみたんだけど、商店街に拠点を作るってことに難色を示されて、新しい事業者さんの方が柔軟に考えてもらえるかなって思ったんだけど」
「そういう経緯でしたら、できるだけの努力をします」
彼なりの覇気なのだろうが、と察するのだが、飯島には物足りない。
「中部産業局で訪ねてみたら、キャンパスという通称のとおり、大学の足下にも及ばないが、研究開発志向の拠点を商店街の中核に据えて、商店街の改革を進めたいらしい」
「商店街で研究開発なんて聞いたことありません!
偉そうにいって、ごめんなさい」
「私も同じ考えだよ。
でもね、結構な予算がつくんだよ。この事業。
それを商店街のインフラ整備に使えないのは残念だけど。
とは言え、商店街の活性化に新しい血を入れる意味でも面白い話だと思うんだ。
是非、採りたいんだ」
「考えてみます」
こういうのが精一杯だった。
突然話を持ちかけられて、その場でアイデアが出るはずもない。
大学の研究室なんだよなぁ。
帰路、電気自動車のモーター音に満悦しつつ、仁は学生時代を思い出した。
工学部だったので卒業研究の期間は、研究室に通い詰めの日々だった。
今振り返ると、学部の卒業研究なんて、ままごとだ。
あの頃は、権威ある教授の指導で、最先端の研究の一翼を担っていたと、今から思えば恥ずかしくなる、世間知らずの自負心を抱いていた。
先生の理論は最先端かも知れないが、卒業研究の学生は教授という月を見るスッポンそのものだ。
余人では一年でできないと思い込んでいた卒論。
今の自分なら、三カ月かけずに完成させられるだろう。
それが社会人と学生の実力の差だ。
みんな、順調に業績を積み上げているだろうなぁ。ふと、同期、特に研究室仲間を思い出した。
自分だって、川崎ラボ勤務含みで内定したとき、同期から祝福された。
しかし、会社の業績悪化で現場に配属され、挫折。
この様だ。
その挙げ句、場末そのものの下町キャンパスという事業のアイデアを求められる始末。
青臭い見栄を張るなら、これもキャンパス。
ここでの仕事は、学生時代の自分を超えた研究だ。
だったら……。
ソーシャルネットで仲間に投げかけた。
場末の小さな研究開発拠点でできそうなテーマってあるか?
ウェブアプリ。
小型ロボット。
3Dデジタイザー。
……
凧。
凧?キャンパスらしからぬ回答を注目するとアイデアの主は石川祥馬(しょうま)、高校の弓道部の後輩だ。
下町キャンパスを詳しく教えて下さい、というコメントが添えられていた。
石川翔馬は、仁が三年生の時の一年生部員だ。
部活で一緒に練習した記憶はあるが、それよりも弓道部OB会で意気投合した間柄だ。
成績は優秀で、国立大学の博士課程にまで進んだと聞いている。ソーシャルネットのプロフィールも博士課程在席だ。
凧も含め、皆が提示してくれたテーマを飯島に投げかけてみた。
「そんなネットワークがあるのでしたら、是非、下町キャンパスの面倒を見てください。
採択されたら、の話ですが」
応募総数は全国で六十二件あった。
採択されたのは狩宿市を含め八件。
『商店街ものづくり拠点化パイロット事業』には『商店街キャンパス』という通称がある。
採択された東京の中小企業集積地域、いわゆる下町の町工場の集積地でオヤジ達が鬨(かちどき)をあげた。
「私達、下町のパワーでいい成果をだしましょう!」
「だったら、下町キャンパスだ!」
ここから『下町キャンパス』の呼称が全国展開した。
狩宿市の事業が採択された理由は、仁が集めたテーマの数だ。
具体的な内容まで踏み込んだテーマの質と量は八件中でも上位に評価された。
採択の最低ラインの一つは取り組みの熱心さ。
公表されていないが、事業を管理する専従者が理系の大卒であることは、事業の専門性から最低ラインとされた。
飯島は仁を専従者として申請したのだった。
これは狩宿商工会議所の快挙であるが、狩宿市にとっても名誉なことだった。
大企業におんぶに抱っこ、恵まれた税収への妬みからそんな陰口が囁かれる狩宿市だが、中小企業の先進性が認められたと市長はプレス発表で強調した。
市では企画部主導で進められた事業だが、商工課長と上司である産業部長も経由していることから、形式上は商工課長の手柄でもある。
企画室からこの四月に商工課長へ異動・昇進した鈴木は、この事業のスキームを記者以下の理解でしかなかったが、採択されたことは素直に喜んだ。
だが、この先の手柄は俺一人のもの、と野心を燃やした。
鈴木は、同期の太田を裏切った昔のことは忘れ、今、出し抜かれたことを根に持っている。
仁は、申請書の記載どおり専従者として常勤することになった。
落ち着くべきところに落ち着いたのか?
それとも仮住まいなのか?
少なくとも、最低限の収入は保証されたわけだ。
失業給付より、若干はましだし、……最悪の事態は回避できた。
運がいいのか?
悪いのか?
ITベンチャーを目指すんだじゃなかったか?
どこで踏み外したのか?
現実は、キャンパスとは名ばかりの、場末の空き店舗住まいだ。
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