四 パイロット事業

 秋の商工祭まであと一週間。

 職員一丸となって準備を進めていた飯島は事務局長から新たな事業を任された。

 小一時間前、狩宿(かりやど)市企画室の職員が事務局長を訪ねてきたのを横目で見たが、その件らしい。

「市長の特命事項で企画室に降りてきたけど、企画室では手に余ると、うちに回ってきた」

「いつものことですね。

 ネットで調べるだけでネタが揃うような資料作りは自分たちでやるけど、ちょっと実地調査が必要だと、すぐうちに投げてくる。

 おかげでうち(商工会議所)も市のお金が落ちてくるんですけど」

「そう、商工課さんの腰が重いうちは、我々は安泰という訳だ。

 まだ商工課には話をしてないとのことだ。

 うまくやってくれないかな」

「市長の鈴木さん嫌いは噂に聞いていましたけど、本当なんですね。

 この忙しい時に言われても、商工祭の後になりますよ」

「鈴木さんを嫌っているのは市長だけじゃないよ。

 市長ならこんな飛ばしはできないよ。

 組織が、がたがたになるから。

 こんなことするのは太田さんだ。

 彼も毛嫌いしているからね」


 狩宿市商工課長の鈴木は一部の幹部に可愛がられている。

 その幹部からすれば、鈴木はなかなかのやり手だ。

 実際、いろんな手柄を立ててきた。

 大抵は他人の手柄を横取りしたのだが、その要領の良さで商工課長に滑り込んだ。

 狩宿市の商工課長はその程度の者で務まると揶揄されている。

 鈴木から煮え湯を飲まされた経験がある同期の企画室主幹太田は、本来の管轄である商工課を通さず、内密に商工会議所に打診してきた。

 裏のある事情なだけに、飯島は商工祭の準備の手を休めて資料に目を通した。

 十枚ほどの資料の一枚目に事務局長の走り書きのメモがある。

 二重丸で囲まれた『市長の目玉?』が、優先事項であることを暗示している。

 現市長は、この春の新人候補四人による市長選で、前市長の後継者とされた候補を破って当選した。

 選挙公約では後継者候補との違いを強調していたが、多少なりとも市政に関わっている者にとっては、前市長路線からの変更に賛成だが、公約の実現には期待していない。

 事務局長も飯島もこれが共通認識だ。

 二重丸の目玉とは、公約に関するらしい。


 『商店街ものづくり拠点化パイロット事業(案)』


 資料の五枚目からは、国が検討している新たな中小企業施策の計画書だ。ある委員会の配布資料の一つとしてインターネットに公開されているらしい。

 この事業が内定すれば、正式決定前に、商工会議所にも案として資料が届くはずだ。

 委員会での協議段階の資料をウォッチするのは、その筋のコンサルタントの得意とすることだ。

 市長は米国系コンサルティング・ファーム出身だ。

 元同僚からこの手の情報が流れてくるのだろう。

 表題だけで疑問が溢れる。

 商店街に工場を誘致しろということだろうか?

 空き店舗対策といっても、どんなに小さな町工場といえども、店舗では狭すぎて入らない。

 ここでいうものづくりは、商店街にある建具屋や畳屋のような形態を指しているのか?

 疑問のまま、資料を未決トレイに入れた。

 今、じっくり読んでいる時間はない。商工祭の準備で打ち合わせを待っている業者が目の前にいるから。


 頃合いを見計らって、若い職員が報告に来た。

「飯島さん、公庫から連絡があり、エステサロンの融資が却下になりました」

 公庫とは創業資金の融資も扱う日本政策金融公庫のことである。

 若い職員は神妙な表示だ。会議所が関わった案件が却下されるのは、汚点だ。

 彼は相談者が持ち込んだ創業計画を審査が通るように添削指導し、融資申込書の記入もアドバイスした。

 商工会議所経由で融資を申し込めば、大抵は審査に通って融資される。申込額よりも減額されることがあるが。

「あれで却下されたのか?」

 却下された案件は飯島が見た限りでも、妥当な内容だった。

「公庫が調査したら虚偽があったそうです」

 つまりは相談者が職員に話したことに噓があったのだ。

 飯島が相談者に抱いた性根の不信感が的中した。


 相談者は、健康食品や美容品の卸売会社に勤めていて、美容師と民間のエステティシャンの資格を持つ美容院勤務の友人とエステティックサロンを開業する計画だった。

 用地は借地契約を済ませており、融資の目途がつきしだい店舗を建設する。

 自己資金は相談者と友人が折半で出す。

 その相談者は焦っている様子で相談に来た。

「近所の信金で断られて、で信金に貼ってあったポスターで商工会議所が創業の融資相談をしているとかで、その足できました」

 彼の言い分どおり、民間の金融機関は、それ相応の担保がない創業融資に消極的だ。

 そこで国は創業補助金なる制度も作った。

 返さなければならない融資でなく、返さなくてもいい補助金。

 人を雇うこと、支援機関から経営指導を受けることなどの条件を満たせば、国からお金がもらえるのだ。

 お金がもらえる。このキャッチコピーに飛びついて制度を利用しようとする者は多いのだが、ある事実に気づいてがっかりする。

 お金は先払いでなく、後払いなのだ。

 まず、自分のお金で買い物して、その領収書でお金をもらう、立て替え払い方式である。

 買い物に必要な資金がいるわけで、手持ちの資金がないのなら銀行から借りることになる。

 最近、信用金庫などの金融機関が創業に積極的なのは、補助金によって返済が確実だからだ。


 彼がその相談に訪れたときは補助金の応募期限を遥かに過ぎていた。

 だから融資にしたのである。

 若い職員は融資の申込書と添付する事業計画の用紙を渡して書き方を説明した。

 キレやすい男だった。

 語気を強めて相手を威嚇するタイプだ。

「何て書けばいいんですか!それを考えるのが創業支援でしょ」

「自己資金?いくらでも出せる!融資に必要な自己資金を書いておいて」

「共同経営者との関係?いずれ結婚する俺の女だ」

 もし、飯島が相談に同席すれば、その場その場を取り繕う矛盾した言動から相談者の人柄を疑い、やんわりと支援を断っただろう。

 公庫からの連絡によれば、相談者には二つの噓があった。

 一つは、自己資金は見せ金だったこと。その出所は彼の勤務先である。

 もう一つは、店舗用地が勤務先の代表者の私有地だったこと。

 その報告を聞いて、飯島が思ったのは、従業員を創業予定者になりすませて、開業資金融資を引き出そうとしたということだ。

 資金繰りに行き詰まった会社の手口だ。

 暴力団関係者も、そうでない者も使う。

 その殆どは日本政策金融公庫の審査段階で露呈する。

 公庫の担当者は審査のプロ。初対面で申込者の素性について勘が働く。

「これなら断る理由を考える必要もないな」

 若い職員も相談者に押し切られる形で資料を書き、創業融資案件として回したことを後悔していた。

 あの相談者がごねてくる様子が目に浮かぶ。

 だが、相談者の噓を理由に公庫が却下してきたのだから、我々もきっぱりと突っぱねられる。

「こんな相談者がいたら、話を進める前に私を呼んでくれ」

 狩宿商工会議所では、このような詐欺まがいの行為は毎年一件あるかないかだ。

 この若い職員にはその経験がないから仕方ない。

 だが、今年に入って二件目。地方の商工会議所でも詐欺が横行するようになった。

 性善説の支援をモットーにしてきた飯島には悔しさが募った。


 結局、夜になってしまった。

 事務局長から渡された資料に目を通すと、補助金の説明があった。

 予算枠が破格の高額で、国の負担が事業費の四分の三である。残りを県と市の折半。

 狩宿市の負担は一二・五%。

 総事業費が一億円なら狩宿市は千二百五十万円の負担。

 狩宿市の会計規模なら問題ない。

 これを出し渋ってきたのが、これまでの歴代市長だ。

 中心市街地の商店街のインフラは隣接市に見劣りする。

 狩宿市の方が大きなお金を持っているにもかかわらずだ。

 税収は法人も個人も自動車関連産業の比率が大きい。

 自動車部品のグローバルカンパニーが三社も本社を構え、その工場も集中している。

 その子会社の幾つかも市内に本社を構え、歴としたグローバルカンパニーだ。そこに部品を納める中堅中小零細製造業も多い。


 狩宿市は、ものづくりそのものである。

 その分、商業が弱い。

 羽振りのいい製造業者に対して商業者は肩身の狭い思いをしている。

 商業の大胆な提案を言いにくい雰囲気が会議所内にはある。


 バランス!


 市長の公約を一語で表すとこうなる。歴代市長が商店街活性化を公約に掲げつつも積極的な取り組みはしてこなかった。現市長は違うようだ。

 地域の産業を振興する事業に国からの補助を受けるポイントの一つは、そういった施策の情報をいち早くキャッチすること。

 市長はこれをやった。

 商工会議所としてはもう一つのポイント、他より抜きんでた事業計画を立てなければならない。

 前者が大切なのは、事業計画策定の時間を稼ぐだけでなく、事業体に参画する団体の合意形成をとらなければならないからである。

 商店街の組合が事業主体になるにしても、行政や商工会議所・商工会の相当強力な支援体制が事実上の前提である。

 そのうえで、県への根回しも念には念を入れておく。事業計画は商工会議所や商工会にこの道のベテランがいる。


 名称に「商」が先にあるように商業系に強い職員が多い。地元での合意形成を図りながら事業計画を作ることに長けている。


 今回は勝手が違う。

 施策のスキームがこれまで手がけてきたものと違うのだ。

 これまでの商店街活性化は、客を増やすための支援だった。

 アーケードや街灯、歩道、共同駐車場、共同休憩場などの施設の近代化や、空き店舗対策としてのチャレンジショップや後継者育成、イベント支援など、買い物客が増える理由づけがしっかりしていれば、そして取り組み内容がその時々の施策の核心をはずしていなければ、他会議所との競争に勝てた。

 ところがその核心がいままでと違うのだ。

 今回検討を託された施策はパイロット事業として、国が試験的に行うものである。

 パイロット事業だから、どこかの先進的な取り組みに基づく横展開なのだろう。

 今でも補助金を活用してチャレンジショップに取り組んでいる。

 空き店舗対策として、空き店舗を持ち主から賃借して創業者に半年程度、お店を開いてもらうという事業である。


 創業者にとっては店舗は無料貸与に近い、月額千円の家賃を払ってお店を構えられる。家主にとっては相場より若干低いが家賃収入になる。そして半年経てば退去してくれる。

 一見、創業者にとっても家主にとってもメリットのあるwin-winの事業のはずだったが、空き店舗が多い割に店舗を提供してくれる家主は少なく、応募してくる創業者はさらに少ない。

 そして、創業者たちが作ってくる事業計画は半年で自立するには心許ない。

 今も市の事業として続いているが、入居するのは衣類のリサイクルショップくらいだ。パッチワーク教室、陶芸教室、ビーズアクセサリー販売、エアープランツ販売といった業種が入れ替わり立ち替わり入居して、半年で卒業するときは、事業意欲が萎えている。

 飲食店希望者がいたが、厨房など食品衛生基準を満たした店舗を提供できなかったなど空き店舗の供給に問題があったことは否めない。

 徒手空拳ながらも野心を抱く創業者が現れなかったことも失敗の一因である。


 午後八時を回っても、パイロット事業に取り組むいいアイデアが浮かばない。

 遅番の若い職員に挨拶して帰ることにした。

 上の階から賑やかな声が聞こえる。

 商工会議所とは関係のないアグレッシブな経営者の団体が貸し会議室で例会を開催している。

 彼らが帰るまで遅番の職員は待機していなければいけないが、もうそろそろ終わりの時刻である。


 飯島が遅い夕食を摂って入浴すると十一時に近い。

 ビジネス番組にチャンネルを合わせる。

 大企業を扱うことが多い番組だが、飯島は大企業勤務の経験がないので、現場の裏事情のシーンは興味本位も混じって参考になる。

 今日は、米国航空会社の生産性改善に取り組んだ日本人の話だ。

 何年も前に見たような内容だ。

 工場のことはよく分からないが、組み立て途中の大型旅客機が並んでいる様子は壮観だ。

 会議所が工場見学を申し入れれば、大抵の会社が快く応じてくれるが、さすがに米国まで視察旅行に行くことは年に一回がせいぜいだ。

 番組では、取材陣にだけ特別な許可を受けたと繰り返している。

 ではこの光景は、商工会議所の視察でも見られないとでも言いたいのだろうか?

 地方の商工会議所では、大型旅客機の工場を、この番組ほどには見学できないだろう。

 この会社が作っている最新型機は、一部の部品を日本の企業が生産している。

 ティア・ワン、すなわち第一次の部品メーカーが日本を代表する重工業会社、ティア2や3となると日本の中小企業が入っていることは、特集番組で何度も紹介されたし、新聞でも特集が組まれて、関心のある人は誰でも知っている。

 国産小型旅客機のこともあり、経済産業省や県が航空機産業の活性化に取り組んでいる。

 残念ながら、三河では地域としての熱気が今ひとつだ。

 地場産業である自動車産業の将来を憂う声は聞こえても、今は安泰だからだ。

 異分野への進出の大合唱は聞こえない。

 個々の企業で対応している程度だ。個々の企業で対応できる力があるともいえる。

 航空機産業に対する温度差で尾張と三河を線引きできる。会議所と付き合いの長い老練な中小企業診断士とは、いつもここまでの話で終わる。


 そんなことを考えているうちに番組が終わった。

 今日の番組は、米国に派遣された日本人の活躍だが、日本を代表する製造業の方である。

 こういう分野の人達には参考になるかもしれないが、自分のような門外漢には、だから日本のものづくりはすごいというプロパガンダ的な内容に思える。

 登場した日本人は自動車産業の方だが、大企業での第一人者だからこそ異分野の産業でも指導できるのだろうが、中小企業はそうでない。

 リーマンショックから遥かに改善されたが、それでも廃業は前月比微増微減を繰り返している。

 マスコミは微減を大騒ぎするが、微減がずっと続くわけではないのだ。

 マスコミの刹那的報道に少し違和感を覚える。

 翌日、出勤する車の中でふと閃いた。

 彼なら面白いアイデアを持っているのじゃないか?


 平野仁(ひとし)だ。

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