二 レクチャー

 愛知県狩宿(かりやど)市。狩宿商工会議所。

 平野仁(ひとし)は、商工会議所主催のセミナーでプレゼンテーションをしていた。

「……手前どもが開発した音声認識技術は既にビジネスの現場で使われています。

 例えば、リック様のカスタマー・エンジニアの支援システムではエンジニアの電話からの音声による問い合わせでデータベース検索できるようになっています……」

 情報システムエンジニアとして、二ヶ月前まで川崎市の開発拠点、通称、川崎ラボ、で十人のメンバーと供に音声認識技術の開発に携わってきた。

 既に幾つもの会社が商品化している音声認識技術、音声で文字入力する技術、は、日本語が防壁になって、欧米の音声認識製品の進出を辛うじて防いでいた。

 とはいえ、日本語という障壁が克服されるのも時間の問題だ。

 むしろ、国際標準に則った欧米メーカーの製品は、他社製品との互換性が高く、クラウドコンピューティング版の音声認識で先行している。

 高機能性や品質において日本製が優れているのだが、その分、欧米メーカーに価格面で太刀打ちできず、導入コストも高いこともあり、海外での販路開拓に苦戦していた。

 この音声認識技術のクラウドコンピューティング版を実用化し、ライバル製品との互換性を高めることが川崎時代の仁のチームのミッションであった。

 この分野に疎い上司が立てた穴だらけの開発日程に、わずか二週間遅れで要求性能(スペック)を満たすモジュールを完成させた。


 名古屋支社は中小企業向けの製品を開発している。

 仁のチームが開発したモジュールを組み込みたいということで、開発支援、主にモジュールのチューニングのために、仁が単身、名古屋支社へ転勤した。親元から通えるということも魅力だ。

 セミナーから帰社すると、上司から異動を告げられた。

「やっと落ち着いたところで悪いけど、東京本部で大規模システムの開発が立ち上がる。その要員として行ってくれ」

「音声(認識技術)から離れろってことですか?」

「キャリアパスの一環だよ。

 今後も研究開発に携わるにしても、どこかでシステム開発の現場を経験してもらう事になっている。

 急だけど、それが来週からだ」

 今日が水曜日。

 来週の月曜日には東京の現場で、プロジェクトのレクチャーを受けることになった。

 来月一日まで現場に近い社員寮は空かず、それまでの二週間は会社が手配する安ビジネスホテル住まいだ。

 川崎ラボは社内で桃源郷と呼ばれる。

 社内で最もクリエイティブな仕事をするために、会社の財力からすれば不相応といえる職場環境が提供されているからである。

 パーティションで仕切られた一人一人の作業スペースには、パソコンやワークステーションの大型モニターを四台置ける机がしつらえてある。

 ガラス張りの明るく開放的なオフィス、いつでも利用できる食堂、入居するビルの中にはスポーツクラブがあり、ビルを出れば目の前に地区再開発で作られた緑豊かな公園がある。

 少し歩けば、ベイエリア。

 先進的なITC企業と見まごう”桃源郷”は、社長の発案で作られた広告塔でもある。

 川崎ラボが開設して以来、インターンシップも就職説明会も会場はここだ。

 その効果は覿面に現れた。

 川崎ラボ開設年の中途採用、翌年の新卒採用から新入社員の出身校の偏差値が上がった。

 仁もそんな高偏差値校の出身者だ。

 学究肌で大人しい好青年。上司にとって、その素直な性格もあって、優秀でつぶしのきく、使える人材だった。


 翌週。

 東京本部。

 初めての大規模システム開発。

 仁にとって未知の領域で戸惑うことが多い。

 何より戸惑ったのは職場環境だ。

 大部屋に標準的なOAデスクが延々と連なって、大きな島を形成している。

 どの机もモニターの脇にチューブファイルが幾重にも積まれている。共用キャビネットやデスクキャビネットに収まりきらないのだ。

 机の僅かな隙間にキーボードとマウスを置く。

 これらがコードレスなのは救いだが、ある者は引き出しをキーボードテーブルに使う者もいるほどに狭い。

 職場の雰囲気も川崎ラボとは違って、粗野に感じる。

 ラボより女性が多いので一見華やかだ。

 だが、川崎ラボの、大学の研究室に似た、アカデミックな雰囲気の片鱗もここにはない。

 女性は綺麗に化粧しているのだが、刺々しい印象は否めない。

 素肌の状態は知らないが、心が荒れていることだけは分かる。


 川崎ラボ出身者だからと、着任初日からサブリーダーを任された。

 七人のメンバーを取りまとめるのはリーダーの役割だが、会議などで不在の時間が圧倒的に多い。

 リーダーに代わって、メンバー管理の実務が仁にかかってきた。

 進捗管理はシステムが数値化する。

 遅れの原因と対応策をメンバーと調整するのだが、現場の人間と正面切って向き合うのは初めてで気後れする。五人は仁より年上で、現場一筋。

 開発実務も業務知識も仁には不足していた。

 初日から業務用語を並べ立てて報告してくる。ラボ出身のあなたが知らないことを現場一筋の私は知っている、とばかりに、あからさまに力の差を見せつけるのだ。

 リーダー不在、現場との軋轢、並行して自分が分担する開発業務、過労で入院するのに三カ月もかからなかった。


 四週間の入院を経て職場に戻った。

 病み上がりの体に無理がたたって二度目の入院をする頃、米国発の世界同時金融ショックの影響で、会社の業績はみるみる悪化した。

 病室のテレビを見る気力もないほどに衰弱していた間に、会社が請け負っていた開発プロジェクトが次々と凍結された。

 かつて、仁が携わった音声認識の製品シェアは、大学の研究室からスピンアウトしたITベンチャーの製品に取って代わられ、会社はこの分野から撤退。

 通信自由化の波に翻弄される今、海外の強者とのメガコンペティションに対抗できる強い技術で脇を固めなければならない。

 他社に後れを取っている技術分野は将来有望でも、更なる資金をつぎ込んで育て上げるという余裕がないのが今の経営環境だ。少なくとも中核技術以外の分野では。


 事業の再構築、リストラクチャリング、略してリストラ、の矛先は仁にも向けられた。

 開発部門に病み上がりの仁の居場所はなくなり、カスタマーセンターのヘルプデスクが仁の新しい職場になった。

 仁の会社は東証一部上場企業であるが、国内最大手通信会社の傘下だ。

 会社間で事業領域の棲み分けがなされており、仁の会社は対事業所ネットワークサービスを担う。

 顧客は中小零細企業から一部上場企業まで。

 インターネット接続事業は別の子会社が担当し、インターネットに接続してからのサービスが事業領域である。

 サーバーのアウトソース、顧客企業がサーバーを保有する代わりに、この会社のサーバーを利用してもらうことが中核事業の一つだ。

 この会社のサーバーを使ってオンラインショップを営んでいる利用者にとって、この会社が提供するサービスが収益の生命線である。

 利用者にとっては、ライバルを出し抜くような機能が欲しいし、少なくともライバルに後れを取る、他の会社がこの会社以上のサービスを提供すること、は許せない。

 要望と苦情が怒りともに電話やメールでやって来る。

 それに対応するのが仁の仕事だ。

 それ相応のスキルを持ったエンジニアが相手なら仁もやり甲斐があっただろう。

 しかし、いい加減な知識の、知ったかぶりの素人相手では勝手が違う。

 何回電話させるんだ、何言ってるか分からんから最初から説明しろ、上の者を出せ、こんな乱暴な口調に仁が怯むと、相手はもっと罵声を浴びせる。

 それはヘルプデスクに従事していても、研究者としての自尊心を傷つけ、精神の均衡を崩すに十分すぎる。

 後で振り返れば、モンスター顧客が原因だけでなかったのだろう。

 失意のうちに不本意な異動、その性格から愚痴を言う相手ができず、ストレスを溜めるばかりの毎日。

「大変申し訳ありませんが、急な体調不良で今日は休ませてもらいます」

 こう電話するのが精一杯だった。


 下痢気味だったのが、一日に何度もトイレに行くようになった。

 市販の胃腸薬で一時的に治るのだが、すぐに効かなくなる。胃腸薬を変えても効かなくなった。

 そしてある日、血便であることに気づく。

 そういえば……。

 学生時代の後輩の話を思いだした。

「あの時は驚きましたよ。血便が出たときです。

 これが胃潰瘍かと思いました。

 実際、胃潰瘍と診断されましたから」

 後輩の体験談に基づくなら、僕も胃潰瘍ということか。

 仁なりの自己診断だ。

 あいつは医者から薬をもらったが、今ならスイッチ薬とかいうのがドラッグストアで買えるはずだ。

 スイッチ薬とは、スイッチOCTとも呼ばれる。

 医師の処方箋が必要だったが、オーバー・ザ・カウンター、薬局のカウンター越しに薬剤師から服用に関する助言や指導を受けたうえで処方箋なしに購入できるように切り替えられた薬のことだ。

 仁が買おうとする胃腸剤は第一類医薬品に分類される。

 医者にかかりたくなかった。仕事が忙しいだけでない。病院へ行く非日常行動に煩わしさを強く感じたからだ。

 いつもと違うことはしたくない。

 薬剤師と面談しなければならないスイッチ薬を買うことも厭だったが、背に腹はかえられない。


 便秘の、あの排便時の苦労も厭だが、下痢もつらい。

 仁は滅多に下痢しない。だから下痢の苦痛を覚えていない。忘れてしまうほど下痢の症状は軽微なのだ。

 大抵は一回下痢したら、それで終わり。下痢が続くのは胃腸風邪か、胃腸がダメージを受けるインフルエンザに罹ったときくらいだ。

 そうでないのにこの下痢。

 今までも胃がキリキリ痛むことはあったが、血便はなかったように思う。血便があったとしても気づかなかっただけかもしれない。

 今回だって、あれだけの血便が出るまで気づかなかったのだから。

 だが、市販で買える強力な薬を服用しても下痢は治らなかった。

 ちなみに痔の痛みはなかった。

 元々、仁は便秘気味の体質で、便が硬い。

 学生時代、痔の治療を受けたことがある。

 その時は薬だけで治せた。

 完治ではなく出血と痛みが治まっただけで、あの時ほどひどくなくても、出血は何度も繰り返し、自然に治まることもあれば、市販薬を使うこともあった。

 痔の鮮血とは違う。

 やはり胃潰瘍だ。

 盲腸(盲腸炎や虫垂炎)とかじゃない。

 中学の時、クラスメートが腹痛で三時限目が始まる前に帰宅した。その日のうちに盲腸炎で入院したと後で聞いたのだが、彼女の我慢していても苦痛に歪む顔は忘れない。

 それとは全然違う。だから盲腸じゃない。

 会社で排便の回数が増えた。

 会社で排便なんて滅多になかった。それが一日に二回、トイレに駆け込むようになり、三回、五回と増えていった。

 回数が増えるにつれ、だるさも出てきた。

 そして、あの血便である。

 市販薬で誤魔化し誤魔化し過ごしてきたが、ティッピングポイントに達した。

 一気になだれ崩れたのだ。

 その朝、出勤前の下痢が止まらなかった。

 それまで耐えられた痛みに我慢できない。

 何とか出勤しようと玄関を出るのだが、すぐ便意が起きる。

 今日は会社に行けない。

 それが急な休暇の連絡だ。

 この日は会社に電話するのが精一杯で、部屋から出ることはできなかった。

 痛み、疲労、いろんな要因が重なって、ふと気がつくと夜になっていた。

 不思議と空腹感はなかった。ただ、喉の渇きを覚えた。

 ペットボトルのコーラを一気飲みした。

 暫くすると、腹痛、そして下痢。起きているのが辛く、またベッドに潜り込んだ。

 最近、ずっとそうだが、この夜も三度、下痢で起きた。


 翌日。

 目覚ましが鳴る前に下痢で起きた。もう少しと寝入ってしまい、気づくと家を出る時刻が迫っていた。

 会社へ行こうと心の準備をするのだが、心が挫けていた。

 ふと、土曜日だと気づいた。今日は休みだ。

 安堵してまた寝入る。下痢で目覚めるお昼まで。

 病院に行く気力がなかった。今日明日様子見で、月曜日に病院へ行くか決めよう。

 そう考えると全身がリラックスするような安堵感に包まれて、そのまま寝入った。

 夜。

 トイレで気づいた。もう食べたものが出るわけじゃないのに、下痢が続く。でも下痢の痛みは軽くなってきた。なんだか体も軽くなったような気がした。

 ひょっとして直りつつあるのか?

 日曜日も同じように過ごした。飲むだけ。食事なし。土曜日よりも体が楽になったような気がした。昼間の下痢は三回で済んだ。

 月曜日。

 三日間寝ていたせいか、痛みはほとんど感じない。出勤することにした。あれほど負担に感じた着替えも苦にならなかった。

 タクシーで地下鉄駅まで行き、地下鉄駅からタクシーで会社まで行った。通勤でタクシーを使うのは初めてだ。タクシーが時間短縮の交通手段でなく、体をいたわる存在であると身を以て分かった。

 同僚に差をつけられる。

 人事考課のことでない。廊下を歩いてのことだ。

 三日間食べてないので足に力が入らない。

 椅子に座るありがたさを今日ほど身に染みたことはない。

 仕事がデスクワークで助かった。工事現場ならとっくに音を上げていただろう。

 定時終業のチャイムが鳴った。

 体調不良を理由に定時で帰宅した。なんとか無事、一日が終わった。

 そうやって自分を誤魔化すのも三日までだった。


 四日目、木曜日、不覚にも昼休みに自席で寝入ったまま午後の就業にも気づかなかった。見るに見かねてチームメンバーの一人が起こしてくれた。

「平野さん、大丈夫ですか」

「ああ……」

「ああ、じゃないですよ。顔色が真っ青ですよ」

「そうかなぁ、自覚がないけど」

 姿勢を正そうとしたら椅子から滑り落ちたことは仁も覚えているが、この後のことは断片的にしか覚えていない。

 白衣の救急隊員にストレッチャーに載せられたこと。

 救急車の車内で仰向けのままだが、車が止まったり、旋回したりしたのは覚えているが、隊員から何を話しかけられたのか覚えていない。


 看護師に起こされるまで、病院に着いてから随分眠ったような気がする。

 ベッドから出たくなかった。

 実際、ベッドの上で触診や採血が為された。更に、肛門から採便もされた。

 左腕の静脈に針を刺され点滴が始まった。

「病棟のベッドが空くまで、ここで休んで下さい」

 そう看護師が言い残して去って行った。

 と、同時にチームの一人が傍にやって来た。

「平野さん、大丈夫ですか?」

「ひょっとして、一緒に来てくれた?」

「はい。上着や鞄を持って。保険証とか必要ですから」

「助かる。本当に世話になったね」

「だったら、こんなになる前にきちんと治療して欲しかったです。

 あの時、大騒ぎになったんですよ」

「莫迦みたいに我慢しちゃったね」

「ゆっくり静養して下さい。

 それで、何の病気なのでしょう?会社に報告したいので」

「まだ教えてもらってない。

 消化器のどこから出血しているか、見極めないと病名は確定できないそうだ」

「そんな難しい病気なのですか」

「結腸かな、って言ってたね」

「結腸?」

「大腸のことだよ。さっき知ったけど」

「とりあえず、腸の病気ということで報告します。

 あと、着替え、どうします?」

「どうって?」

「ご自宅から持ってきます?ここで買います?」

 単なる同僚の女性。妙齢の既婚者だ。

 こういう人に頼んでいいのか?

 仁は戸惑った。頼むにしても恥ずかしい。

「買いたいけど、頼めるかな?」

「赤くならないで下さい!

 やっぱり、平野さんって初心なんですね」


「職場の同僚ってだけで、そんなこと頼むの申し訳ないから」

「ガールフレンドが来るの待ちます?」

 平野の、ますます赤くなる顔で彼女は悟った。

「いないなら、私が買っておきます。

 遠慮は要らないですよ。私、夫の下着、買い慣れてますから」

 平野は財布を渡した。

 入院した日から絶食、すなわち飲食禁止、が主治医から言い渡された。

「腸を休ませるためです。水分と栄養は点滴だけで賄えるので心配要りません」

「飴とかは?」

「一切、口に入れないでください。

 歯磨きとか、口をすすぐのはいいのですが、絶対に水を飲まないように!」

 薬で痛みは和らいだ。

 昨日までの痛みで眠れない夜は噓のようだ。

 翌日から検査の連続。初めての胃カメラ、初めての大腸内視鏡検査。

 特に大腸の内視鏡は、大病や大怪我をしたことがない仁にはトラウマになりそうな痛みを伴う検査だった。

 病名は潰瘍性大腸炎。

 入院による治療三週間と書かれた診断書が会社に提出された。

 三週間は十分な時間だった。

 若い仁の症状が改善するまでの時間には。

 そして、これからを考える時間にも。

「この病気は完治できません。

 一見、直ったように思える状態を寛解期といいます。

 この状態を維持できるように薬の服用と食事制限を守ってください」

「また入院することになるのですか?」

「多少症状が悪くなっても薬でコントールできますが、それがうまくいかなくて、通院では改善の目途がたたなくなったら入院です。普段は通院で大丈夫です」


 コールセンター勤務はウンザリしていた。

 こんな病気に罹ったのも、コールセンターが原因だと仁は思っている。

 入院中、夢が芽生えた。

 ITベンチャーに僕も名乗りを上げようか?

 そう思った途端、ずっと眠っていた高揚感が湧き上がってきた。

 人はそれを現実逃避と笑うだろうが、夢は希望になり、心を活性化し、病を改善したと、仁は思っている。

 ITベンチャー、その苦労話、裏話はよく聞く。もっと頑張れば手が届きそうな世界。

 想像上の世界はシャボン玉のように幾つも生まれた。

 だが、シャボン玉が弾けるように現実に戻る。

 お金と仲間。

 これがない僕にベンチャーなんて無理だ。

 小さく産んで大きく育てるのが身の丈かもな。

 主治医は三週間以上の入院もあり得るといっていたが、診断書どおり、三週間で退院できた。

 さぁ、人生のやり直し。

 翌週の月曜日から仁は職場復帰した。


 ぷっつん。


 電話が切れたように、仁の緊張の糸が切れた。

 入院直前よりはましな体力だが、心の耐久性を支えるには不十分だった。

 少しばかり難易度の高いクレームを聞いているうちに仁の脳は防衛体制を敷いた。

 今、仕事している。

 その自覚が飛んだ。

 顧客の声は耳に入っているのだが、ことばを理解する機能が空回りしている。同僚や上司のことばも仁の脳は理解を拒絶した。

 我に返ったら、廊下にいた。

 問い合わせに対応している最中に、おもむろに立ち上がり、そのはずみでヘッドセットのプラグがはずれ、ヘッドセットをつけたまま部屋から出て行った。

 彼を見ていた同僚の証言である。


 僕はここにいちゃいけない。


 ボーナス月の末日が仁の退職日だ。

 その前日、退職に至る経緯(いきさつ)もあり、有志によるささやかな送別会が開かれた。

「失業保険とか、もらえるものは全部もらっておけ」

「しっかりもらって、ビジネス始めますよ」

「えっ起業?だったら助成金もあるはずだからもらっておけ、失業保険とかもらえるものは全部もらっとけ」

 ほとんど口を利いたことのない同僚が説教がましく送別会で話しかけてきた。酔いが回っているのか、同じ話を繰り返す。

 親切心なのか、自分の知識をひけらかしたいのか?

 酔いが回って饒舌になる彼が醜い守銭奴に思えて、仁の方が悪酔いして吐き気を覚えた。

「ご助言、ありがとうございます」

 仁は侮蔑の一言を飲み込んで、形だけの礼を言う。

 アルコール臭い息で本当に悪酔いして、気分が悪くなった。

 あまりいい思い出にならなかった送別会。


 翌日。

 会社勤め最後の日、業務に関するものは職場の上司に渡した。パソコンを使うための自分のIDは昨日で使用不可になっている。

 仕事らしい仕事はない。

 手持ちぶさたなので社内の図書館で昼休みまで時間を潰した。他の職場なら引き継ぎの最終確認をするのだろうが、仁の仕事はマニュアル化されているので、引き継ぐべきものがない。

 午後は、自分のセキュリティレベルで入れる部署を回って、知己関係へ挨拶回りした。

 それでもまだ時間がある。

 リフレッシュコーナーで何杯もソフトドリンクを飲んで時間を潰す。

 ようやく三時五十分。

 ちょっと早いが人事グループへ出向いた。会社に返却する物はもう僅かだ。入退室のセキュリティ機能付社員証、社章、期限の残っている定期券、そして保険証だ。

 念を押されたのは健康保険と厚生年金のこと。

 忘れずに手続きしないと、保険証がなければ病院に行くと全額自己負担になるし、就職しない場合は国民年金の手続きをしないと空白期間が生じ、将来の年金受給額が減ってしまうということだ。


 知っているような知らないような、生返事でこれらを机の上に揃えると、四枚の書類と封筒が渡された。

 一枚目は封筒に入っている現金の受領証だ。定期券を返却したので、帰宅するための片道の通勤手当に相当する金額である。記名捺印して担当者に渡した。

 二枚目は今日までの給料と退職金の振込先口座の確認書。

 三枚目は退職後の連絡先住所。離職票の送付先を明確にしておくことが一番の目的である。

 四枚目は秘密保持契約。仁は研究所に在籍していたことから、九年間は技術事項について他者に伝えてはいけないのだ。

 全ての書類を書き終えると来客者用のセキュリティカードが渡された。

 返却した社員証と同じセキュリティレベルで、今日の終業時刻の三十分後まで有効とのこと。退場時に守衛にカードを返せばそれでいいとのことだ。

 これで仁は、来客扱い。部外者だ。

 そんな説明を受けているとき、仁の隣に案内された女性がいた。


 配属された日に何人かが持ち回りで業務の説明をしてくれた中の一人。その後は挨拶する程度だったが今日までお同じフロアで働いてきた同僚だ。

 仁は彼女の退職を知らなかったが、彼女は仁の退職を知っていた。

 彼女の退職の理由を聞くのは憚られたが、寿退職らしい。

 今どき寿退職なんて珍しい。新婚生活はどこか遠くってことか、仁は勝手に想像した。

 仁の私物は前日までにほとんど片付けたので、残っているのはお昼休みに読んでいる情報系の雑誌だけだ。

 これをビジネスバッグに収めて、私物整理は終わり。

 終業時刻になって、上司に挨拶すると上司が全員に声をかけて、仁が挨拶する時間をくれた。

 寿退職の彼女がそれに続く。

 退室しようとしたとき、寿退職の彼女は職場の全員に綺麗にラッピングしたお菓子を配っていた。

 仁が部屋を出たところを彼女が駆け寄ってきてお菓子を渡してくれた。

「平野さん、どうもお世話になりました」

「いや、世話してもらったのは僕の方だよ。

 配属された日にレクチャーしてくれたでしょ」

「覚えていてくれたのですか。

 平野さんから技術的なことをもっと教えてもらいたかったのですけど」

「恩返しできずにごめんなさい。

 とにかく幸せにね。じゃぁ」


 退職ってこんな経験するんだ。

 これまで何度も退職する人達を見送ってきた。

 上司の横に立つ退職者の挨拶が終われば拍手で送る。

 自分の席まで来て挨拶してくれれば、「お世話になりました。これからもお元気で」とった定型句を繰り返すだけだった。

 それって、冷たいね。

 退職者にしてきた自分の態度を振り返った。

 きっと、勤め人としての人生はこれで終わるから、僕の退職はこれが最初で最後かな。

 最後の最後に、一緒に退職する同僚から感謝された。

 これがすごくいい思い出になる予感がする。


 そういえば、彼女とはSNSで繫がってない。

 まさに今生の別れってやつだ。

 その夜、SNS、フレンドブック、で退職した旨を伝えた。反応してくれたのは七十二人。メッセージをくれたのは十六人だった。

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