第36話 青天の霹靂
火事の出来事から一週間が経った頃。
「イングリット!」
ベッドで暇つぶしに果物の皮むき練習をしているイングリットのもとに、アスコットがノックもなく入ってきた。
「え……?」
ぽろりと果物が手の中からこぼれ落ちる。
「ど、どうしたの」
最低限の礼儀を忘れない彼らしからざる対応だった。
「殿下が犯人を捕まえたらしい」
「本当に?」
「ああ」
「連れて行って」
「そのつもりできたんだ」
「えっと……」
「服は」
「時間が惜しいからこのままでいくっ」
イングリットは今、スカートの室内着で、アスコット共に部屋を飛び出す。
カッ、カッ、カッ、カッ
回廊に足音を響かせイングリットは大きく腕を振って、アスコットから引き離されまいとする。
油断しきって髪も下ろしたままだったから、走りながら髪をくくりながら駆ける。
行き着いたのは宮殿内の一画から小さな屋敷へつづく渡り廊下のたもと。
そこの出入りは二人の衛兵によって守られている。
「アスコット様」
「ご苦労」
アスコットはうなずき、イングリットと一緒に入ろうとするが、衛兵は槍でバッテンをつくるようにして防いだ。
「申し訳ございません。こちらには誰も通すなと命を受けておりますので……!」
「事情は分かっている。しかし、こちらにも理由があるんだ。頼む」
「申し訳ございません、ご理解を……っ」
「あの、みなさんにご迷惑をかけませんから、お願いです!」
イングリットが声をあげるが、兵士は目を伏せて首を横に振った。
「……わかった」
アスコットは小さくうなずく。
「アスコット!」
「――二人とも、迷惑をかけて悪かった」
そうして笑顔を浮かべて近づいたかと思えば、二人の腹めがけ拳をたたきつけ、あっという間に気絶させてしまう。
「な、何して……!?」
がっくりとうなだれた二人の身体を支え、ゆっくりと地面に寝かせる。
「しょうがないだろう。こうでもしなきゃ通してはくれなかった」
「……そ、それは、そう、だけど……」
アスコットの大胆すぎる手口に唖然としてしまう。
(アスコットみたいに温厚な人を怒らせたらダメなんだ……)
「殺されてもいいのか」
「よくない!」
「いこう」
(すいません。でも、緊急なので……責任はちゃんととりますのでっ!)
気絶した衛兵二人にそう心の中で呼びかけ、離れへ飛び込んだ。
するとそこは階段室になっており、地下に向かって伸びている。
アスコットは棚におかれている燭台の一つを手にすると、壁の松明にかざして火をともして階段を下りていく。
地下からはひんやりとした冷気が吹き付け、室内着だけでは少々肌寒い。
(な、なに、ここ……)
壁は煉瓦造りで、ヒビがはしっている。ジメジメしていて、気持ちいい場所ではない。
こんな場所が、華やかな王宮の中にあることそのものが信じられなかった。
階段は螺旋状に地の底までつづいているようだ。
「ちょ……!」
急に手を握られ、びっくりする。
「薄暗いんだ。こうしたほうが早くつける」
「……う、うん」
確かに自分の足下がようやく見える程度の明るさしかなく、燭台の明かりが無ければ階段を踏み外してしまうかもしれない。
一度踏み外せば、かなり急なつくりだから万が一、柵など乗り越えれば奈落までおちていきそうだ。
イングリットはマクヴェスではない人の手の感触を覚えつつ、薄気味の悪い階段をおりていった。
「ねえ、ここ、牢屋か何か?」
「懲罰房だ。城内で働くものを取り締まるために一時的に押し込められる場所だ」
アスコットに導かれながら階段を下りていくいき、どれくらいたっただろうか。
まだかな……そううんざり思いかけたとき、何かが聞こえた。
音が大きく反響しているせいで、細かいことはわからないが、どうやら話し声らしい。
それと同時に階段がようやく途切れた。
伸びる廊下の向こうでは明かりにともされ、長く伸びた影が壁にうつりながら揺らめいているのが見えた。
アスコットがふりかえり、口元に指をあてる。
「……っ」
イングリットはうなずき、一緒に身をかがめながら明かりのもとへ近づいていく。
角からそっとのぞきこめば、十人も人が入ればいっぱいになりそうなほどの空間があった。
そしてそこにはマクヴェスはもちろん、衛兵に囲まれるように縄目をうたれて、ひざまずいた三人の少女がいた。
彼女たちは間違いなく、イングリットの前に現れた三人だ。
そして今や彼女たちは涙目になり、顔を青白くしてひれ伏している。
マクヴェスが衛兵から剣を受け取り、鞘から抜いた。
松明の明かりに、剣身がギラッと光る。
彼はその精悍な横顔になんの感情も写し出さないまま、剣を振り上げる。
(ダメ!)
「マクヴェス!!」
イングリットは飛び出した。
マクヴェスはびくっとしてこちらを振り返る。
「イングリット!? どうして……」
そしてすぐアスコットに気づき、その茶褐色の眼差しのなかに咎とがめる色が差した。
「アスコット、貴様……っ」
「殿下、申し訳ございません。しかし、イングリットとの約束もありましたので」
「マクヴェス、違うの。私が頼んだから、教えてくれるようにって……」
「そんなことは聞いてない。帰れッ」
「いや!」
「イングリット」
「彼女たちが私のせいで殺されるなんて見ていられないっ。たかが無人の物置小屋を燃やしたところで死罪にはいくらなんでもならないはずだろ」
「俺の従者を殺そうとした。それは俺に弓を引くも同然。つまり、国家反逆罪だ。これは正当な刑だ」
「そんなのへりくつだ」
「……お前、自分を殺そうとしたやつを許すのか。正気か?」
「少なくとも、処刑は、夢見が悪いんだ。私はそんなこと、のぞんでない。せめてちゃんとした裁判を受けさせるくらいは……」
「――裁判? 人間の真似事はしない」
マクヴェスの目にたしなめる色があった。
「と、とにかく! 私は彼女たちを死刑にすることだってのぞんでなんかない! も、もしそれがかなわあかったら!」
「適わなかったら、どうする」
マクヴェスの声が冷え、その鋭い眼差しが細められる。
「……わ、私は」
「なんだ、どうするつもりだ」
「私は、一生、マクヴェスを許さないっ!
マクヴェスが、そんなにも感情的にどうこうするっていう人であれば、失望するっ……き、嫌いに、なるっ!」
(わ、私、何いってるんだ、こんなことでマクヴェスが意見なんてかえるわけないのに!)
もっと論理的に非を説かなければならないと思うのだが、今はそこまで頭が回らなかった。とはいえ、いくらなんでも嫌いになるなんて……言うにことかいて、自分でも呆れてしまう言い分だ。
「イングリット、きみ、なにを言って……」
アスコットも唖然としたらしい。
「……殿下、イングリットが言いたいことは……」
アスコットはしかしマクヴェスの一睨みで口をつぐんだ。
イングリットはマクヴェスと睨み合った。
永久とも思えるような、長い長い時間だ。
「ならば、ここで答えを聞かせてもらおう。その答えいかんによって死一等を減じでやってもいい」
「へ?」
「以前、お前に申し述べたことの答えだ」
「……こ、答え……?」
「お前はいつまでも返答をあとまわしにしつづけている。いつまで保留にするつもりだ」
「な、今、そ、それとこれとは……!」
「お前が無茶を言うのなら、俺も無茶を言う」
(マクヴェス、正気!?)
それはつまりここで告白の返事をしろということだ。
「応か、否か。どちらにしろ言えば許す。言わないようならば、斬る」
「そ、そんな……こと……こ、ここで?」
「考える時間ならばいくらでもやった。
――お前は俺の心の悩みの深さはしらなさすぎるっ」
とんでもない王子だ。
「どうした。それとも、何の感情もない、答えるに値しないか。それならば、良い」
マクヴェスはこちらに背を向け、再び彼女たちに剣先をちらつかせる。
(ああああああもう……っ!)
「答えなんて決まってるだろ!」
「ならば、言え」
(ま、マクヴェス……!)
あんまりにも幼すぎる。でも。
「う、受ける……受けるに決まってるだろ……!」
イングリットのけたたましい叫びが、地下牢に響き渡る。
もちろん事情の分からぬアスコットたちは完全に蚊帳の外だ。
「……いいだろう。だが、無罪放免とはいかないぞ」
マクヴェスの口元はかすかにゆるんでいる。
「私に関する罪さえ、除外してくれればそれでいい……から」
もう心臓はバクバク、耳まで真っ赤っかだ。
これ以上、正直、マクヴェスの前にいたくない。
「――お前ら、命拾いしたな。まさか被害者から助命を乞うなど前代未聞だぞ。追っ手処分は申し渡す。つれていけ」
マクヴェスが顎をしゃくる。
「イングリット様、ありがとうございます……!」
三人の侍女たちはひれ伏した。それを衛兵がひったてていく。
ありがとうございますありがとうございます……女性たちの念じるような声がいつまでも聞こえた。
複雑な気持ちで、イングリットは三人を見送っていった。
(まさかこんな形で愛の告白の受け入れをすることになるなんて……)
ロマンチックもなにもない展開だ。
いや、そういう展開になったらなったでイングリットとしては困惑してしまうだろうけれど。
「それはそうと」
「ん?」
「ずいぶんと仲がよさそうだな、二人とも。俺の目の前で恋人ごっこをしなくても良い」
眉間の皺を深くしてマクヴェスが顎をしゃくる。
イングリットは自分の手を見、あわてて手をふりはらう。
「これは、ここまでつれてきてもらってたから……」
「そ、そうです、殿下! ここにくるまで足下が薄暗かったので、手を握ったまでですっ!」
アスコットは彼らしからず慌てたように早口でまくし立てた。
「まあいいだろう。
――アスコット、勝手な真似をして本当であれば咎めるところだが、まあ、いいだろう。今日は特別に許してやる。
下がれ」
「はっ」
アスコットはイングリットを気にしながらもその場をあとにした。
そうして二人きりになったわけだが。
「……マクヴェス、いくらなんだって強引すぎるぞ……!」
「お前が無茶を言うからだ」
「無茶って……!」
「王族にはやらなければならないことがある。
自分の身内を傷つけられ、中途半端に済ませればそれこそ侮られる」
「……マクヴェスがそんなことを気にするとは思わなかった」
「俺のことならば良い。だが、お前のことは別だ」
「だからって」
「それに、お前だって悪い」
「悪いって……何が」
「俺を嫌いになるといった。
お前は知らないだろう、その言葉でどんなに俺が動揺するか……だから、あんな風に迫らざるをえなかったんだ。だから俺は悪くない」
やっぱり子どもっぽい……。
「……最終的に一番動揺したのは、わ、私だったけど……ひゃ……」
うなじをさすられぞくりとして変な声が出ると、間近にあったマクヴェスはいきなり吹き出したかと思うと、手を離す。
「まったく。今の声はなんだ。雰囲気がでないな」
「そんなこと言われても……! だ、だいた、雰囲気が欲しかったら、さっきみたいなこと、す、するな……っ!」
イングリットは飛びすさり、身構えてしまう。
「――と、ここまでは冗談として。
いいのか、さっきの女たち、また何かしてくるかもしれないんだぞ」
「……次は私もしっかり気をつける」
「いや、お前は何もするな」
「なんだよそれ。私じゃ、無理だって言うの。今回のことは油断しただけで……」
「そうじゃない。
お前のことは俺が守ることにする。そういうことだ。……さあ、いこう。こんなところ、いつまでもいる場所じゃない」
マクヴェスに促され、
(や、やぱられっぱなし……)
なぜだかイングリットは少し悔しかった。
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