第35話 お見舞い

火事から救出された二日。


 イングリットは絶対安静(自覚としてはもうかなり回復しているのだけれど)としてベッドでの生活を余儀なくされていた。


 そばには暇つぶし用に本が重ねられているが、正直、読む気にはなれない。


 そもそも読書はそれほど好きな方ではなかった。


 こういう生活だからこそ、室内で腕立てだったり、梁はりをつかった懸垂だったり、スクワットだったり。


 食事だけが唯一の楽しみといってもよかった。


 なにせ宮廷料理人がイングリットのためだけに食材をつかって腕をふるってくれるのだ。


 至れり尽くせりとはこのことか!とじんわり感動してしまう一方、これまでこんな風に甲斐甲斐しく世話をされたことはあまりなかったことに気づく。


(子どもの頃に風邪をひいたときも、父上には軟弱モノ!とか言われてたなぁ。あのときは母上様が父上の目を盗んでこっそり、果物とか食べさせてくれたんだっけ)


 思い出にふけっているとノックと共に、


「……失礼いたします」


 マクヴェスとロシェルが姿を見せる。


 毎朝、髪の毛に櫛をいれることと、獣人のかおりをつけるのは怠れない。


 そればっかりはロシェルがいてくれて本当に心強かった。


「ねえ、マクヴェス。そろそろ散歩くらいは」


 しかし答えは変わらない。


「脅迫犯……いや、放火魔が見つかるまでは外出は許可できない。

まあ、お前が見た犯人の容姿を告げればいいだろう」


「でも私は軽傷なんだし」


「王宮の建物を燃やしたんだ。これも大きな罪だ」


「…………うん」


「どうしてそこまでかばい立てをする。死にたいわけじゃないだろ?」


「かばってるわけじゃ……まあ、なんていうのかな、感情の爆発というか……火事じたいは私を脅すためだけだったわけだから。本人たちだって本当に燃やすわけじゃなかったんだし」


「甘いな。お前がアスコットと別れることを承知しなければ本当に火をつけていたかもしれないだろう。それほど興奮していたんだろうからな」


「……でも、密告するみたいで。私だって騎士なんだ」


「頑固だな」


 思いっきり溜息をつかれてしまう。


 その気持ちは重々承知の上だ。


 イングリットもマクヴェスの立場ならここまで頑なな被害者あいてにうんざりするだろう。


「まあいい。犯行時刻の前後、アリバイのない人間の洗い出しは進んでいるからな、早晩、犯人は分かる」


「マクヴェス、小屋を燃やしたことはともかく、私のことに関しては私の意思を尊重して欲しい」


「……まったく」


 マクヴェスはやれやれと首を振ったが、拒否はしないということはそういうことだろうか。


 それからまたいくつか他愛のない話しをし、マクヴェスは犯人捜索の指揮を執るということでロシェルと共に部屋を出て行った。


 それから昼食を食べ、またベッドで時間を過ごす。


 暇つぶしに呼んだ本に眠気をさそわれ、うつらうつらしているところにノックが響いた。


「あ、ふぁい……?」


「イングリット殿、入っても?」


「アスコット? あ、うん、いいよ」


 よだれをぬぐい、応じた。


「失礼する」


「なんだよ、そのかたっくるしい……」


 しゃべり方は、と言いかけ、アスコットの背後についていた人物になるほどと思う。


「やっほー。イングリット」


 手をふりながらリヨールと、いつものように僧侶のような閑しずかな雰囲気をまとったワイディが現れた。


 リヨールはくだものをいっぱいにつめたバスケットを、ワイディは花束をもっている。


「お見舞いにきたんだ。顔色が良いみたいでなにより」


 リヨールがバスケット再度ーテーブルにおいた。


 そこにはイングリットが知らない果物がたくさんあるが、甘酸っぱい香りはイングリットの知っている果物と同じ。


 一番の特徴は全体的にデカイということだろう。


 スイカやさくらんぼ、桃、ぶとう……見た目は似ているが、一つ一つがイングリットの記憶にあるものより一回りは大きい。


「でもこんなところで一日寝っぱなしなんて。大丈夫なの?」


「……殿下が大げさだから。本当は軽傷なのに」


 イングリットは肩をすくめた。


「安静にしていて悪いことはない」


 ワイディが重い口を開き、花束を差し出される。


 名前は分からないけれど原色の大きな花弁のものや、白いツブツブした小さな花……と初夏とくゆうのさわやかなか息吹が入ってくるようで嬉しい。


「ありがとう」


「でもさぁ、災難だったね。アスコットの恋敵に襲われるなんて」


「まあね」


「アスコットの無自覚ぶりにも困ったもんだよねえ。僕たちが何をいっても、自分はモテてないってこれまでずっと言い続けてたし」


「言い寄られたことがないのは事実なんだ」


「これからは、気をつけろよー」


「気をつけようがないだろうが……。――そうだな。気は配るようにする」


 アスコットはイングリットのことを注意しながらうなずく。


 リヨールは弱り切ったアスコットを前にくすくすと笑った。


 リヨールは体格こそ立派なものだが、そういう表情をすると子どものまま大きくなった――そんな風に思えた。


「何だ」


 アスコットは眉間に皺を刻んだ。


「いやいや、アスコットは理想の騎士像であるマクヴェス殿下を追求しつづけることばっかり目がいって、ほんとうにそのことしか頭にないからさ。

実際、どれだけの人が自分のことを気にしてるかわからないんじゃない? それはそれで駄目だと思うよー。そもそも王族の騎士になることじたい羨望の的になるのは当然なんだから、周囲が見えていませんでした、は駄目じゃない?」


 子どもっぽいリヨールだが、鋭いところを突く。


「……それは」


 ぐっと呻く。


「それはそうかも」


 イングリットも思わず同意してしまう。


 ますますアスコットが渋い顔をするが、反論できず、「もっともだ」とうなずく。


「もー、そういうところも真面目過ぎ。それじゃ今度は、周りを見すぎてシェイリーン殿下のことが手透きになるんじゃない? ホント、生真面目すぎ」


 このままだとアスコットが身動きがとれなくなるんじゃないか……心配になる。


「リヨンそう言わないで。アスコットだって私を助けてくれるためにがんばってくれたんだから」


「それもそっか」


「それで、放火犯は見つかりそう?」


 イングリットが犯人の顔を見ていることは限られた人間しかしらない。


 イングリットは火事に見舞われたショックで犯人はみていない、ということが正式見解だ。


「どうかな。指揮は殿下がとられているし、情報は僕たちのところにはこないんだよねえ。――ワイディはどう?」


 ワイディは首を横に振った。


「ごめんね? ホントはいろいろ探ろうとは思ったんだけど……」


「いいんだ、別に」


「それじゃ、僕たちはそろそろ……。じゃ、元気になったらまたお茶しよう」


 ぶんぶんと大きく手を振って、ワイディと共に退出していった。


「……久しぶりに生真面目な騎士っていうアスコットを見た気がした」


 今や、生真面目なアスコット像はイングリットのなかで完全に壊れている。


「いつだって真面目だ」


 失礼な、と言いたげなアスコットはむっつりと口をへの字にゆがめつつ、懐からピンク色の封筒を差し出してくる。


「なに?」


「シェイリーン殿下からの手紙だ。今度のことを殿下はひどく胸を痛められ、自分のせいじゃないかと……」


「そんな、殿下は関係ないのに……」


「そういうわけにもいかないのさ。あそこまで僕たちのことを宣伝したのは殿下だから……。マクヴェス殿下がおられなかったら、もっと大事になっていたこともあいまって、な。

今、王族は大事を見て、外出禁止でこちらにはこられないからな。その代理だ」


「そう……。殿下が気に病む必要はない、今度のことは私の浅慮に問題があるってちゃんと伝えといて」


「分かった」


 用事は終えたようだったが、アスコットはなかなか立ち去ろうとはしなかった。


「――今回の脅迫犯のこと、許すつもりなのか? ……自分で言うのもなんなんだが」


「許すっていうか、今度のことは私がもっとちゃんとしていれば防げたことだっていうことだからさ。

普通に対処していれば誰にも迷惑をかけなくてすんだんだ。だから……」


「きみが気に病むことはない。悪いのは犯人……それと僕だ」


「しょうがないだろ、こういう性分しょうぶんなんだから。それに、アスコットは悪くない。アスコットがそういうことに鈍いのは、まあ、しょうがないことだろ。

…アスコット、もし犯人が見つかったら教えて欲しいんだけど」


「何をするつもりだ」


「私のことに関してだけでも罪に問われないようマクヴェス殿下と話すから」


 アスコットは驚いたように一瞬目をみひらくが、すぐに苦笑混じりにうなずく。


「――そうだ、果物を剥こう」


「あ、うん、ありがとう。ねえ、それ、なんていうのんだ。私が知ってるのはミカンっていう名前のものに似てるんだけど」


「アズロウだ。果肉はうまいが、皮が固い。手で剥けなくもないが、爪の中まで柑橘くさくはなりたくないだろ?」


「たしかに」


 マクヴェスは腰に帯びていた短刀で、アズロウの皮を剥いていった。

 器用なものでするすると一度も途切れることなく、厚く堅めの鮮やかな黄色い皮を剥いていった。


(すごい……)


 女子力のないイングリットとはただただ感心するばかり。


 果肉はイングリットにお馴染みなオレンジ色で、房に分かれて(それでも元々の大きさが大きさだから十分、大きい)いる。


 もしかしたらアズロウと同じ種類だろう。


 食べると、味はオレンジよりも酸味が強いが、これがクセになりそうだった。


「おいしい。……アスコットもどう?」


「え」


「一人じゃ食べきれない」


「しかしそれは………………間接」


「あ、果物、嫌いなの?」


「い、いや、好きだ。大好きだっ」


「そう?」


 心なし、差し出した果物を取る手が小刻みに震えていたから無理をしているのかと思った。


「ん……うまい」


 それから手渡した分をうまいうまいとあっという間に全部たいらげてしまう。


「もう一つどう? って、……私はうまく剥ける自信ない――」


「いや!」


 突然、あげた大声にびくっとして、その果物をとりおとしてしまう。


「……少し、長いが過ぎた。つかれただろ?」


「お見舞い、ありがとう」


「ああ」


(? なんだ? 変なやつ……)


 そう思いながらその背中を見送った。

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