第30話 アスコットの深意

 脅迫を受けて数日が経った。


 あれ以来、不審な出来事がイングリットのちかくで起きた。


 いきなり花束がとどいたかと思えば、そのなかに砕けたガラスの大きな破片が混入されていたり。


 しかしイングリットとすれば何者かからの脅迫行為より、その事実をマクヴェスに知られまいとすることに懸命になった。


 マクヴェスに心配をかけたくないその一心だった。


(それにしても、しつこい……)


 イングリットは再び定規で書かれた脅迫状と共に寄越されたものを前に、溜息をつく。


 散歩に出た時、どこからともなく何かがとんできて、たぐいまれな瞬発力でそれを回避したのだ。

 


 何だろうと思ってみると、“別れろ”と書かれた紙にくるまれたこぶし大の石だった。


 一つ、間違えれば大けがをしていた。


 イングリットだからこそ避けられたのだ。


 周囲を見ても、それらしい下手人の姿を見つけだせなかった。


 相手の執念を強く感じずにはいられない。


 女の恨みは怖いというが、まさか、自分が恋愛関係のいざこざに巻き込まれる日が来ようとは夢にも思わなかった。それも演技の恋愛で。


 それだけに、どうすればいいのかもわからない。


(マクヴェスにもアスコットにも話せないし……っていってもこれはどんどんエスカレートしてってるし……)


 今回は物理の力での強攻策だ。これ以上は毒を盛られるぐらいしか思いつかない。


 とはいえ、ただの護衛でしかないイングリットに出来ることなど限られている。


「――イングリット、どうした?」


 はっとして我に返る。


 今、マクヴェスの部屋でお茶を飲んでいたのだった。


「ううん、何でも無い」


「それにしてはぼーっとしていたぞ。……アスコットになにかされたのか。デートは王宮内での行動のみだから変なことはできないと思うが」


 マクヴェスの声が一オクターブ下がる。


「違う違う。ぜんぜん、そんなことないから……って、あれ、どこにいったかとか話したっけ?」


「今をときめくお二人のことですからね。勝手に耳に入ってきてしまいます」


 ロシェルが言うと、マクヴェスが空咳をした。


「申し訳ございません。口がすべりました」


「マクヴェス、これはあくまでシェイリーンの顔をたてているからで……」


「分かっている。しかし何か変なことをされてらすぐに言え。俺が直々に処理する」


(これだからなぁ)


 脅迫されていることを知ったら、どんな手段をつかってでも犯人を捜し出そうとするだろう。


 そしてその犯人を八つ裂きにしかねない。


「ありがとう。でも大丈夫、アスコットは意外に紳士だから」


 ここ数日も昼間はできうるかぎり一緒に行動するよう言われていた。それもできるかぎり人目につくところで。


 どこでもイングリットは好奇心満点の視線を受けた。


 これまでそこまで注目なんてされがないため、意外に疲れる。


 常に視線にさらされる王族という地位にあるマクヴェスたちのその心の強さには脱帽だ。


「シェイリーンの騎士だ。そうでなくては困る」


「アスコット様はとても評判がよろしい方のようです。イングリット様という恋人をもたれて羨ましいという声しかききませんから」


「良かったな、イングリット」


「マクヴェス、そう言わないで。私だって……心苦しいんだから」


「分かってる」


 マクヴェスは口をへの字にする。


「――それで、今日も出かけるのか」


「その予定」


「お前たちのことは十分広まっただろう。これ以上はもういらないんじゃないか?」


「それじゃ、シェイリーンにそう言ってもらえる?」


「……あいつは頑固だからな。こうといったらきかないし、思い込んだら一直線すぎる。……まったく、もっと大局的な見地からものをみられるようにならないと王族としては困るんだが」


 さすがは兄妹――。


「なんだ?」


「何でも」


 そこへアスコットが爽やかな微笑をたたえながら入室してくる。


「イングリットをお迎えにあがりました」


「まあ、待て」


 そのまま連れだって外に出ようとするイングリットたちを、マクヴェスは呼び止めた。


「ロシェル、茶を」


「かしこまりました」


「アスコット、茶でも飲んでいけ」


 誘いという名の、命令である。アスコットに選択肢はない。


 彼はやや緊張に顔をこわばらせつつ、ソファーに腰掛けた。


(ちょっと、マクヴェス、何を言う気!?)


「お前の評判は聞いている。かなり人気があるようだな。城に仕える女たちに」


(なんか、娘を嫁にやる父親みたい……)


 軽いジャブというか、牽制というか。


「それは誤解です。面と向かって何かを言われたことなどありませんから。人気があるなど」


「それはそうだろう。メイドと王族つきの騎士とでは釣り合わないからな」


「……私は、そうは思いません」


「なんだ、好きなメイドでもいるのか」


「いいえ、。身分で釣り合いのいかんは関係ない、と言う意味です」


「ほう」


 マクヴェスは面白そうに口の端をもちあげ、足を大きく組んだ。


「私自身、本来であれば騎士になれるような立場ではありませんでした。両親にすら、騎士候補としても名乗りでることはおこがましいこと――そう言われました」


「お前は犬人族だったな」


「はい。これまで王族付の騎士は誰一人として輩出されていません」


 そう語るアスコットの眼差しはどこまでも澄みきり、自信という名の光がある。


「だからこその考えか。

まあ、シェイリーンはそんなものなど関係ないからな。お前を信頼したからこそ騎士にした。それは誇りに思っていい。あいつは見る目はある」


「殿下も」


「ん?」


「……殿下も、女性を護衛にするとはかなり破天荒だと思います」


 アスコットはちらっとイングリットを見やる。


「驚いたか?」


「はい」


「護衛に求めるものは人によって違う。強さでもあれば、信頼感で選ぶ場合もある。血統・忠誠……いろいろだ」


「殿下はどのような点でイングリットを?」


「安心と信頼」


 即答だ。


(な、なんだか……こそばゆい……っ)


 思わず座る位置を直してしまう。


「さて、あまり引き留めてはシェイリーンがうるさいだろうからな」


 アスコットに促され、イングリットは立ち上がると、不意に手を掴まれ、腕を組むよう促される。


「ちょっと……!」


 反射的に声をあげてしまうが、彼の力は見た目の静けさとは裏腹に、女の力ではびくともしない。


「これも必要なことだ。周りに親密度をアピールしなければ一緒にいても意味は無い」


 そう言って、頑として譲らない。


「――どうでもいいが、あまり俺の前ではするなよ」


「失礼いたします。――お茶おいしかったです」


 小さな気配りも忘れないアスコットに引きずられるようにして廊下に出る。


「ちょっと、急になんなのよっ」


 昨日まではこんなことはしなかった。ただ肩を並べて話し、歩くくらいだった。


「急にも何もない。俺たちは別にただ時間を潰してるだけじゃない。これは大切な公務なんだ」


「こ、公務って……まあ、たしかにそれはそうだけれど」


 観念して腕を組んだまま歩き出す。


 何人かのメイドたちとすれ違うと、彼女たちはこそこそ話し、きゃあきゃあと盛り上がる。


「――ねえ、さっきの話しだけどさ、本当に誰からも声をかけられたりしないの? あんなに人気なのに」


「別に誰彼構わず声をかけられたいと思ったことなんて一度もない。それにあれは人気というより珍獣あつかいされているようで嬉しくない」


「本当に? 親しい人の一人くらい……」


 アスコットは少し驚いたような顔をする。そうしながら、なぜか薄い口元がかすかに笑みの形をつくっている。


「もしかして妬いてるのか?」


「ば、バカ、そんなわけないじゃない。ただの質問よ」


 同時に、脅迫犯のヒントを探ろうとしたのだが、見事に失敗した。


「なんだ、てっきり……」


「てっきり……何」


「本気になったのかと思った」


「……やっぱりナルシストじゃない」


「まったくひどいな本人を前に、そんな真っ向から否定しなくてもいいのに。――そんなにいやがられると、かえって……」


 ぐっと腕を引かれ、彼の胸元に顔を埋めるような格好になってしまう。


「ちょっと、何するの――」


 アスコットが顔を近づけてくる。かすかに彼の吐息を感じた。


 それはもう少し踏み込めばたやすく唇を奪われてしまいそうなほどの距離で。


「ち、近い……!」


 じたばたするが、アスコットの細身からは想像できない膂力を前に、身動ぐことすら辛い。


「いいんだ。これくらいの過剰演出は必要さ」


 彼からはかすかにコロンの香りがした。爽やかなミントの。


 壁に追いつめられ、迫られる。彼の双眸は濡れ、そこに完全に飲まれたイングリットの姿が映る。


「僕はきみのことが」


「……!」


 パニックになり、鼓動が早鐘を打つ。


(嘘!)


 彼の唇が近づいてくる。二人の距離がゼロになる。


(マクヴェス……!)


 しかしいつまでも唇には何の感触もなかった。


「なんて」


「はぁっ!?」


 アスコットはそっと身を引いた。


「びっくりしただろ?」


 彼は悠然と微笑みながら、イングリットを見る。その目は笑っていた。


「冗談にも限度があるぞ!」


 顔を茹であがらんばかりに真っ赤にしながら、吼えてしまう。


「あんまりにもきみが、油断してるから引き締めただけだ。なにごとにおいても緊張感をもってやらないと、思わぬところで足をすくわれてしまうよ」


「テキトーなこと言うなよなっ」


「まあさっきのことは冗談……というより、本当にきみのことが好きなんだ」


「はいはい」


「なんだ信じてないのかい?」


「はいはい」


「イングリット、待て」


「あのね、私は犬じゃないんだけど」


「そうだった。犬は僕のほうだ。――人間の世界では犬を首輪につなぐんだろ?」


「……ええ。でも今のあなたにしたらとんだ変態だけど」


「そうか」


 アスコットは微笑をたたえたまま、二の腕をぽんぽんと叩いた。


「…………」


「公務」


「分かってる」


 はあぁぁ、と溜息をつき、二の腕にそっと手をおいた。 

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