第29話 一難去ってまた一難・・・の気配

(し、視線が痛い……っ)


 イングリットが王宮内の回廊を歩いていると、周囲からの好奇の視線を感じる。


 しかしそれはイングリットが女であると公表されただけでなく、隣にいるアスコットも要員の一つだろう。


「すっかり人気者だな」


 アスコットは苦笑いを浮かべる。


「……あんた、よくもそんな普通にしていられなぁ」


 イングリットは呆れてしまう。


「そうか?」


「そーとー、こういうことに馴れてるとか?」


「まさか。元男とのデートははじめてだ」


(減らず口を……っ)


「もう、それを言うな」


「そうだな、せっかくのデートだからな」


「アリバイ作り」


 イングリットは噛んで含めるように反論したが、アスコットは肩をすくめるばかりでとりあわない。


 どうしてアスコットと“デート”もとい、アリバイ作りをしているのか。


 それは少し前にさかのぼる。


 いきなり彼が部屋にやってくるなり、デートをするから迎えに来た――そう、言ってきたのだ。


 というのは今回のたくらみの首謀者・シェイリーンが二人の恋人説に信憑性をもたせるため、目立った行動をするべきだと言ったらしい。


 イングリットとしてはアスコットと二人きりにはなりたくなかったのだが、マクヴェスが「シェイリーンのためにも、あいつにつきあってやってくれ」と溜息まじりに言ったので、行かざるをえなかったのだった。


「――殿下とはどうだ?」


「どうって?」


「プレゼントで機嫌は直られたのか」


「うん、まあね」


「……そう、か」

 急に歯切れが悪くなる。


「どうしたの?」


「……いや、気のせいだとは思うが……。さっき部屋を尋ねたときに、一瞬、すごい殺気を感じたような気がしたんだ」


(それは……)


「……き、気のせいでしょ」


「そうだよな。心当たりがないし……」


(話を変えないと……)


「でも……あんたの人気は気のせいじゃないわよね」


 これ以上、なにかをアスコットに感づかれたくないと早口で言う。


「人気?」


「きづいてないの。さっきから、メイドさんたちがあんたのこと、すっごく見てるわよ」


「なんだ、気になるのか?」


 アスコットはもったいぶった仕草で前髪をさらりとかきあげる。


「……ナルシスト?」


「冗談だ」


「それ、すっごく気持ち悪い」


「まあ、でもこれだけの視線を浴びるのは、イングリット、きみのせいだ」


「うぅぅ……」


「落ち込むことはないさ。それだけ、きみの演技が巧妙だった、そういうことさ。

俺だって、あんなところに出くわさなければ分からなかったことだから。

――もちろん、最大級の秘密は黙っているよ」


 口の端をかすかに持ち上げ、アスコットは囁く。


 つまり、人間であること、ということだろう。


(ああああもう! こいつの記憶を砕いてやりたいっ!)


「さあ、ついた」


「……ここは?」


 イングリットは、白亜の四角四面の建物を眺める。壁には剣を振るい、馬を駆る戦士たちの姿を描いているであろう、巨大な壁画が飾られている。


 そこはこの間の王宮案内でもつれてきてもらってないところだ。


「武道場さ。我々騎士の普段の交流場所さ」


「へえ」


「この間は、ここまで案内する時間がなかったからね」


「汗でもかくわけ?」


「そうしてもいいけれど……」


 ここを訪れた理由はすぐに分かった。


 エントランスを抜け、しばらく通路を進むとラウンジが見えてくる。その一画に、見慣れた四人の姿があった。


「おーい! こっちこっちーっ!」


 手を大きく振るのは、ヨハンの騎士・リヨールこと、リヨンだ。元気いっぱいに手を振ってくる。


 その隣にいるのはあいかわらず、深山幽谷の仙人を思わせる静かな雰囲気をまとう、ヨハンの双子の妹・ソフィアの騎士、ワイディ。


 その隣では相変わらず人を値踏みする、ヒルダの騎士・ジャック。


「待たせて悪かったな。デートをしていたんだ」


 席に着くなり、アスコットは言った。


「なあ、イングリット、愉しかったよな。好きな者同士一緒にいられれば、散歩だけでも十分に」


「……そ、そう、ね……ええ、すごく愉しかったわ。お、オホホホ……」


 もう女性であることを偽らなくても良い、と思いきや、今度はアスコットの恋人役を演じなければならない――演技下手なイングリットからすればたまらなかった。


「へえ、やっぱり二人はつきあってるんだね。もう、アスコットてば水くさいじゃん。僕たちにはもっと早く教えてくれてもよかったのに。ねえ、ワイディ」


「どうでもいい」


 リヨンのノリを、ワイディは軽く流す。


「事後報告になってしまったことは謝る。しかし彼女が男で通している以上、報告はできなかったんだ」


「そーだよ、すっごくびっくりしちゃったよ。イングリットが女の人だったなんて。でも髪を伸ばしているのは女性だったからなんだね。納得したよ」


「ふん、髪を伸ばしている時点で怪しいと思っていた」


「あーはいはい、ジャックってば後出し発言おおすぎ」


「しかし、あの“青の死”が女に警護を任せるなんてな……世も末、だ」


「殿下は私の性ではなく、能力を評価してくださったんです。それに隣にガタイの大きな、いかにもな警護がいるより私のほうが相手も油断するしね。

とはいえ、無用な混乱を避けるためとはいえ、みなさんに、偽りをしていたこと、申し訳なく思っています」


 イングリットは頭を下げる。


「や、やめてよ、イングリット。別にそんな謝るほどのことじゃないんだから。ねえ、ワイディ。僕たちにだって秘密のひとつやふたつあるよね」


「そうか?」


「そうなの。だから、イングリット。ね、だから顔をあげて」


「リヨン、ワイディ、ありがとう」


 ジャックが「けっ」と舌打ちをする。


「あーあ。それにしても、アスコットってば女の人たちに人気ありすぎだよぉ。そのうえ、早くもイングリットを恋人にしちゃうなんて。きみが好きな人たちに背中を刺されても知らないよ?」


「俺が好き……?」


 アスコットはきょとんとしている。


「ったく、お前はホント、ときどき嫌みかって思うな、その天然さは」


 ジャックが頬杖をつきつつ、ぼやいた。


「それはジャックたちの勘違いだ。俺は避けられてるんだよ。誰一人としてまともに声をかけられたことがない。モテるっていうんだったらおかしいだろ?」


「そう? ここにくるまでずいぶん、人気だったじゃない」


「あれは人気じゃなく、珍獣扱いっていうんだ」


 アスコットは溜息混じりに言った。


「うわっ、嫉妬? ねえ、今の嫉妬?」

 リヨンはなにがそんなにおかしいのか、にやにやしている。


「違います、ただの事実」


「だから、あれはイングリットを見たがってたんだ」


 アスコットもなかなか譲らない。


「っていうか、二人とも、じゃない? でもイングリット、もう男装しなくてもいいんじゃないの?」


「私が女であると周りに知られても、警護役を務めるということは変わりせんから。まさか警護役がスカートじゃとっさのときに動けない」


「なんか、カッコいいよね。身分をいつわり、主人のために走るって! あー、僕もなんか変装したいなぁ」


「なーら、お前も女装すればいいじゃねえかよ」


 ジャックが言う。


「あ、それおもしろそう! ねえ、アスコット、明日から僕たち、女装するっていうのはどうかな? ねえ、ワイディ、ソフィア殿下ならきっと、よろこんでオーケーしてくれると思うんだけど」


「……やめてくれ」


 ワイディは想像したくないとしかめっ面で首を横に振った。


(たしかに、ソフィア殿下なら、楽しんじゃいそう)


「アスコット、お前、そんなやつのどこが良いんだ? 男女だぞ?」


 テーブルの下でぐっと拳を握り、なんとか感情をこらえる。


「そうだね、芯がしっかりしているところかな。男にも決して臆さない負けん気がある女性はそうそういない」


「え、それ、惚れるポイント?」


 リヨンが目をぱちくりさせる。


「まあ、変わりもんのお前らしい」


 アスコットは周囲の反応に逆に驚かされたようだった。


「――それに前にも話したとは思うが、遠乗りの腕も素晴らしいんだ」


 どきっとした。


 褒められたことに関してではない。その話しに触れるのか、ということだ。


(ちょっと!)


「そういえば、雨に降られて二人で洞窟で一緒にすごしたんだよね、あ、もしかしてそのときに!?」


「……っ」


 そんなことまで話しているのか、と初耳過ぎる。


 アスコットが柔らかな流し目をかすかに送ってくる。


 大丈夫――そう言われてる気がした。


「そ、それは……」


「おい、なんでもかんでも聞きすぎだ」


 そこに声をかけてくれたのはワイディだった。


「えー、でも知りたくない? ふたりで屋根で長い時間いたんだよ?」


「好奇心はネコをも殺すという」


「分かった、やめるよー」


(え、素直すぎ)


 さっきまでしつこかったのが、あっさりしたものだ。


「ま、何かあったら今度は黙ってないで教えてよね。水くさいのはもういやだよ」


「分かったわかった。

――っと、そろそろだな……」


 アスコットの一言で、解散ということになる。


「――イングリット様」


 施設を出る間際、メイドが近づいてくると、うやうやしく封筒を差し出してくる。


「これは……?」


「お渡しするよう、言われました」


「誰にですか?」


「お相手はかなり急いでいたようで、お名前までは。女性の方でございます」


「……ありがとうございます」


 封筒を破り、便せんを広げる。


 ――アスコット様と別れろ さもなければ 命はない


 定規をつかって書いたであろう筆跡から個人を特定するのは難しそうだ。


(うっわー、まさかこんないきなりこういうのがくるなんて……)


 予想以上に早い、早すぎる。


「イングリット、どうしたんだ?」


 アスコットは振り返り、声をかけてくる。


「何でも無い。……今いく」


 手紙をふところにしまい、イングリットは何事もなかったように歩き出した。

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