青狼のふところに抱かれて~男装騎士と獣人王子

魚谷

洋館 編

第1話  序章

 ――イングリット、お前、こんなものを……!


 父の怒声が響き、隠していた犬のぬいぐるみをとりあげられる。


 ――だ、め……! 父上ぇっ!


 ――武人たる者がこんなものを……恥を知れっ!


 ――いやです、返して、父上……父上ぇっ!!


 遠ざかる背中にぼろぼろと涙をこぼすイングリットは手を伸ばし、声をあげた。

 しかし父は一度も立ち止まってはくれなかった。


                     ■■

「…………っ」


 イングリット・ブラッドリーは目を開けた。

(あんな夢を、見るなんて)

 久しぶりのことだった。あんなことは遠い記憶のなかに閉じ込めたはずなのに。


(これが、走馬燈……?)

 イングリットを身体を起こそうとするが、手足に力が入らない。


(やはり、駄目、か)


 一瞬の油断だった。


 包囲されつつある仲間を助けるため、手綱をしぼり、駆けていた時、まったくの死角から降り注いだ矢が脇腹に刺さったのだ。

 その衝撃に耐えきれず、馬上より落ちた。

 さらに狂乱した馬の蹄ひづめにかけられ、砂塵さじんにまみれた。


 何も聞こえない、何も感じられない。

 ただ、目だけが世界を映す。


 舞い上がった砂塵に、中天にある太陽がくすんだ。


(結局、夢は叶わないまま、か)

 本気で叶えたいと思ったことはないけれど、それでもその“夢”は今もなお、この胸にはっきりと息づいているのを、さっきの昔の記憶の断片で自覚した。



 ――影が差す。


 目をやると、そこには青い毛並みをもった、大きな犬がいた。

 毛皮は処女雪に差した影のように澄み切ったいろどりをし、そのきらめく金色のまなこは、ギラギラと妖しい光を放つ。

 こんな荒野にはあまりにも不釣り合いな気がした。


(私を食らうか……、それもいいだろう)


 今なら、その鋭い牙に噛まれても何も感じないだろう。


(何かの糧になるのならば)


 イングリットは目をそっと閉じた。

 そのまま意識は暗闇へと吸い込まれていった。

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