冬の夜

 夕飯をすませ、ぎこちないながらも談笑をし、四月から今日まで起こった主だったことを話した。

 楽しく話ができたと思う。


 後片付けをしてる最中、背中に声をかけられた。


「燈佳くん」


 低く響く声。男の声。

 おじさんだ。


「はい?」


 洗い物の手を止めて、振り返ると、困ったような笑みを貼り付けたおじさんがいた。

 手にはビール瓶を持っている。


「お酒が切れたんだけど、少し外を歩かないかい」

「いいですけど……なんでボク?」

「はは、ほらそれは……」


 バツが悪そうに苦笑して、言葉を濁した。

 いいから、付き合えっていうことだろう。


「それじゃ、洗い物済ませるから待ってて下さい」

「ああ」


 かちゃかちゃと食器が音を立てて洗われていく。

 いや、洗ってるのはボクなんだけど。割とこういう単純作業は好きだ。


 おじさんの誘いは何なんだろうかと考えを巡らせるけど、皆目見当もつかない。

 考え得ることは最悪なことばかりなのだけれども。


 今日の水炊きはまだ鍋に具材が残ってるから、明日の朝の汁物にするとして、洗い物が済んでしまった。


「終わりましたけれどー」

「む、ああ、用意してくるから、燈佳くんも用意してきなさい」

「はい」


 ボクは返事をして、部屋に戻る。

 外行きのままだったから、上から上着を羽織るだけだ。


「よし、大丈夫かな……」


 姿見で格好を確認して、自分なりにオーケーサインを出す。

 どこも乱れている場所はない、はず。


「それじゃ、ママ、買い物に行ってくるよー」

「あら……それじゃあ、みんな分もお願いねー」


 リビングに降りて、ボクが顔を出すとおじさんが陽気な声でそんなことを言っていた。おばさんも軽く返事をしてるあたり、笹川家じゃあいつものことなのだろうか。


「それじゃあ、燈佳くん行こうか」

「あ、はい」


 朗らかに笑うおじさんの後ろをついていく。

 夜の外気は冷たくて、猛烈な寒さだ。


「すまないねえ。どうしても燈佳くんと話をしておこうと思ってね」

「あ、いえ」

「僕と燈佳くんが最後にあったのは中学あがる前だったかな?」

「そうですね」


 何かと仕事の忙しいおじさんは、ボクと桜華が遊ぶときも時折しか顔を見せていなかった。

 父さんがお酒を飲みに外に出ることがあったから、きっとそれで友人付き合いはしていたのだろうとは思うけれども、確かにボクがおじさんを最後に見たのは、小学校を卒業した時だ。


「事情は桜華に聞いたよ。大変だったね。それと朝は済まない、誰とも知らない人が台所にいたものでね」

「いえ……ボクもこの格好で過ごすのに慣れてしまっていたので」

「そうか」


 吐く息が白く煙る。おじさんが何か考えるように立ち止まり空を仰いだ。

 釣られてボクも空を見る。

 いつの間にか雲間は晴れて、空には星が瞬いていた。綺麗な星空だ。


「燈佳くん、君は元に戻るのかい?」

「いえ……戻る気は・・・・無いです」

「そうかー……」


 困ったような、残念なような、あからさまな落胆の声音だった。


「燈佳くんに桜華を貰って欲しかったが、そうかー……」

「ごめんなさい」

「いや、親のエゴだからね、子供は好きに生きるべきだよ。ただ、将来そうなってくれたらよかったなあという願望さ」

「……何もなければ、そうなってたと思います」


 多分、十中八九そうなっていたであろう。

 でも、それは過程の話で、結果はこうである。


「過ぎたことをとやかく言ってもしょうが無いし、燈佳くん、君は今楽しいかい?」


 それはどう応えたものか。

 楽しいと言えば楽しい。だけど、今のこの空気はなんかちょっといやだ。

 それに、実家のことを考えると最悪に気分が悪い。


「答えられないか」

「すみません……」


 長い沈黙。そして、おじさんが苦笑した。

 大きな手が雑に頭の上に置かれて、なで回される。


「子供が難しい事を考えちゃダメだよ。僕に取って、君は小さな時から知ってる息子みたいなもんなんだ。きっと冬馬と香織さんも認めてくれるさ」


 それは、ボクが桜華を引っ張り回して、遅くまで帰ってこなかったときに一度だけやられた撫で方と一緒だった。

 遅くまで何をしてたんだと怒った父さんとは違って、ちゃんと帰ってきたな偉いぞと、褒めてくれたおじさんの撫で方だった。

 変わらない対応に少しだけ安堵する。

 どう接して良いのか分からないのは、きっとお互い様で。


「ありがとうございます」

「そんなに畏まらなくても良いんだけどなあ……」

「ちょっと、それは無理です」


 ボクはくすりと小さく笑った。

 どうも中学の時に引き籠もって以来、リセットが掛かってるみたいで、大人と応対するときは畏まってしまう。

 無理に振る舞おうと思えば振る舞えるけれど、流石にちょっときついかな。

 今の話し方がしっくり来てるし。


「あの、そろそろ手、良いですか……髪が乱れるー」

「む……すまん。はあ……やっぱり燈佳くんも女の子になってしまったんだねえ……」


 改めて感心したようにおじさんが言った。

 わしゃわしゃとなで回されて乱れた髪を手櫛で整えながら、しょうが無いと心の中で言う。

 好きな人ができて、その人に女の子として見て貰いたいから。

 だから、こうやって見た目も気にする。

 流石に大袈裟に内股で歩いたりとかはないけれど、それでもやっぱり、歩幅の一つも気にするし、足を開かないように注意もする。


「好きな人がいるんです。だから、ボクは女の子として、この先、生きていきたい」


 ぽつりと漏れた、ボクの一言は、おじさんを驚かせるにあたいする物だったみたいだ。

 固まって、錆びくれたロボットのようにギギギと首を動かしてくる。


「好きな人……? それは……男の子、かな?」

「……? そうですけど……?」


 そして、あからさまに肩を落として、なるほどと一言。


「やっと理解が言ったよ……。燈佳くんの悩みもね」

「えっとー……」


 ボクは、得心の言ったという様子のおじさんを見上げる。


「いや、別に元々男の子だった君が、男の子を好きになってしまうことに負い目を感じているのなら、それは気にしなくてもいいことだと思うよ。昔はどうであれ、今は健全だ。それは紛う事なき事実だし、惚れた腫れたなんてのは当人同士でしか解決のしようがない。僕達が茶々を入れてこじれる方がいけない」


 だから、と一呼吸おいて、


「僕達は君のその思いをありのままに肯定するだけだよ。人を好きになるなんて、並大抵のことじゃできないからね。良い事だ!」


 にこりと笑みを浮かべておじさんは、そうかそうかと頷いていた。

 ボクには全くもって意味が分からないけれど、これでよかったのだろうか。


「だから、安心して、今の君の姿を冬馬と香織さんに見て貰おう」


 その言葉が何よりも力強いものだった。

 ボクはそれに頷いて応える。


「さて、今日はお祝いだ。おじさんが好きなものを買ってあげよう!」

「その台詞ちょっと不審者っぽいですね」

「やめてくれ、流石に僕もそう思ったところだったんだ」


 あからさまに情けない姿を見せるおじさんに少しだけ緊張がほぐれた。

 明日は帰省だ。

 おじさんとおばさんも付いて来てくれるらしい。

 大丈夫だとおもいたい。だけど一抹の不安はまだ、ある。

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