桜華とボク・前

 ボクは今、笹川家の前に居る。

 あの後別れて、下駄箱に向かったら、律儀に靴まで今の体に合わせた物になっていた。至れり尽くせりというか、なんというか……。


 伸びたままの髪は邪魔だけど、まあ、多少は我慢できた。

 意外と人には注目されて無くて、誰からも訝しまれずにここまで帰ってこられた。


 インターホンを押す。

 できれば桜華に怖い思いをさせたくない。

 突然男のボクが家に上がり込んだら怖いだろうし。


 微かな足音と共に、玄関の扉が開けられた。

 キィと音がして、桜華が顔を出す。


「燈佳……くん?」

「うん」


 疑問の声にボクは頷いて応える。

 本来真っ当に成長していたら、ボクはこの数ヶ月の間に桜華よりも背が伸びてしまっていたらしい。

 いままではずっと桜華の方が頭一つ分高かったのに。不思議な感覚が。


「……そっか、ちゃんと成長するんだ」

「そう、みたい」


 小さな花が咲いているような、そんな分かりづらいながらもしっかりとした微笑みを浮かべて、桜華はボクにおかえりと言ってくれた。

 それにただいまと応えて、家の中に入る。


「気分悪くない?」

「大丈夫だよ」


 ボクの頬に手をあてながら、桜華がボクの体調を心配してくれる。

 確かに違和感は大きい。

 今まで暫く無かった物がある。体は重いし、髪も無駄に長い……。

 前髪だけでもちょっと自分で切りたいかも。


「燈佳くんが、燈佳くんじゃないみたい」


 桜華の表情は、今のボクだからこそ分かるけれど、それは恋い焦がれていた人に会えた嬉しさに染まっている。

 そんなにも、男のボクに会いたかったんだろうか……。


「燈佳くん……燈佳くんだ……」

「な、泣かないでよ」


 ぽろぽろと大粒の涙を零す桜華に、ボクは盛大に狼狽える。

 何が琴線に触れたのかは分からないけれど、桜華がボクを抱きしめる。

 ふわりとした、女の子の柔らかさ。当てられる胸の感触。手を回したときに触れる滑らかな髪の手触り。

 女の子のボクが、あんなにも触っていたのに、今はその感触を初めて味わったような衝撃を受けた。


「燈佳くん……、すぐ、戻っちゃうの……?」


 戻るとは、きっと女の子のボクに、だろう。

 それについては明確な答えを貰っていない。

 明日かも知れないし明後日かも知れない。もしかしたら一生戻らないかも知れないとも言われている。


「分からない」


 首を振って答える。

 それに桜華がそっかと言ってボクを解放してくれた。

 ふわりといつも使っているシャンプーの香りがボクの鼻先を掠める。


 どうして、ボクはこんなにも桜華の所作にドキドキしているのだろう……。

 いや、多分、これはほんの数分のやりとりで、桜華が本当にボクの事を好きなんだって事に気付いてしまったからだ。


 どんなボクでも変わらずに好きだって言ってくれたけど、桜華にとって好きなボクは男のボクだ。中身までは変質していないからこそ、女のボクも好きでいてくれる。そのことに気付いてしまった。


 そして、その想いが本物だって分かってしまうと、それに応えられないボクの胸がずきりと痛む。


「どうしたの?」

「えっと……なんでもない。なんかいつもみてる桜華が違う感じに見える」

「そう……?」

「なんて言えばいいんだろう……、なんかいつもは綺麗な感じなのに、今日は可愛いというか……」

「それは、燈佳くんが今男の子だからじゃないかな」

「そう、なのかな……」

「たぶんきっと、いわゆるアレだとおもう。溜まってるってやつ?」

「なっ……!」


 くすりと小悪魔めいた笑みを浮かべる桜華に、ボクは頬がかあ熱くなっていく。

 言いたいことはわかる。分かるんだけれど!


「冗談だよ。寒いから中に入ろう?」

「あ、うん」


 扉を閉めて、靴を脱ぐ。


「ご飯、何食べたい?」


 そして、ボクはいつものように桜華に聞く。

 それが料理番のボクの仕事だから。


「冷蔵庫の中、何があったっけ?」

「えっと……」


 クリスマスイブだけど、特にご馳走を作るつもりがなかったから、そんなに大した食材ははいってなかった気がする。にんじん、たまねぎ、鶏肉、卵と、サラダに使う用のレタスとかきゅうりとか。


「オムライス……?」


 ざっとした中身を頭の中に浮かべて、出てきた料理がそれだった。


「半熟卵がいい!」

「えー……ボクぺらぺらの卵乗せる方が好きなんだけど……」

「半熟がいいなあ」


 なんか、桜華の口調がいつもより甘ったるい。

 いや、なんでかなんて分かってる。

 たぶん、男のボクが戻ってきて嬉しいんだ。

 だから、こんなにも我儘を言っている。

 まあこれくらいなら、可愛い物だ。


「しょうがないなあ」


 ボクは苦笑して、半熟卵のオムライスを作ることにした。

 後は付け合わせを適当に、だ。


「えっと、お風呂掃除とかやって貰ってもいい?」

「うん」

「じゃあ、お願いー」


 桜華と自室の前で別れて、部屋に入る。

 女の子らしい装飾が増えた部屋だ。

 化粧品や、小物。壁に掛かっている衣服。

 まるでここで生活をしている子が女の子であるかのような。そんな部屋。

 男の影は一切合切見受けられない。


「……あ、着替え」


 身長差約二十センチほど。

 今のボクに着ることができる服ってあるのだろうか。


「いくつかあればいいけれど……」


 部屋の隅っこに押しやられた男物の服がはいった段ボールを開ける。

 風通しなんて全然していないから、ちょっとニオイがきついけど。

 その中でも、とりわけ大きめの服と下着をいくつか取り出す。

 もし足らなければ買い足しをしないと。


「それにしても、桜華……嬉しそうだったな」


 制服をベッドに脱ぎ捨てて、着替えを手早く済ます。

 何とかサイズの合う物があって良かった。

 裾を折り返して穿いていたジーンズはもう折り返さなくても良くなってるし、袖の余っていたトレーナーは丈が少し足らなくなっている。


 成長した自分の体は違和感が凄いし、別の人の体って感じがする。

 だけど、桜華がすぐボクと認識したみたいに、ボクはボクなのだろう。

 よく分からないけれど。


 長い髪をヘアゴムとヘアピンでまとめて、ボクは階下に降りた。

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