ヒーローはいつでも手を差し伸べてくれる

 シーツやパジャマ、下着を洗濯機に放り込んで、シャワーを浴びる。

 鏡で見た自分の顔が凄まじく酷かった。


 まるであの時に戻った時のようだった。

 そんなにもいやだったか……。


 死ぬ思いはもうすると諦めよう。

 そう結論づけると、心が少しだけ軽くなった。


 バスタオルで体を拭いて、ドライヤーで髪を乾かして、櫛で髪を梳かす。

 着替えて、一度部屋に戻って時間を見ると、まだ五時を少し回った所だ。もう一眠りするにはちょっと時間が足りない。

 起きてるか分からないけど、瑞貴に返事をだす。一応やる方向で考えておくと。ただあまり過度な期待をしないで欲しいこともついでに付け足しておいた。


 なんか疲れた……。


 ぼんやりしてるとスマホがなった。

 ディスプレイを見ると、瑞貴だった。

 着信を押して、スマホを耳に当てた。


『おはよう』

「おはよう」

『あんまり気分良さそうじゃねーな』

「うん……怖い夢見たから」

『そうか、それはなんというかアレだな』

「……怖い夢見てお漏らしするレベル」

『……それを俺に言う必要は?』

「ない」

『本当に大丈夫か?』

「大丈夫じゃないよ……瑞貴……ボクどうしよう……」

『嫌なら断ってくれてもいいんだぞ? そんな沈んで泣きそうな声されるとなあ』

「ボク……ボク……本当はうんって即答したかったの……だけど……」


 言葉が……弱音が……溢れていく。

 聞いて欲しくない本人なのに、止めどなく溢れて……。

 人の目がやっぱりまだ怖いこと。

 自分は今回表に立たないと思ってたこと。

 すぐに冗談を返せなくてごめんってこと。

 一杯、一杯、謝った。

 それに瑞貴は口を挟まずに相槌だけで答えてくれた。

 最後に好きって口走りそうになったのだけは慌てて飲み込んだ。

 それは今言ってもいい言葉ではなかった。面と向かって伝える言葉だ……。


「ひぐっ……ご、ごめん……うぐっ……」

『気にするな。燈佳はいつも頑張ってるの知ってるから』

「うん……」

『でも、やるって返事貰ったのは正直嬉しかったぞ』

「てつだ、う、って……いっ……た、から……」

『その気持ちだけでも嬉しいよ。だから、燈佳の負担にならない演出考えるから』

「うん……ありが、とう……」

『ああ、無理させるけど、頑張ろうぜ』

「うん……」


 それから暫く、電話を切らずに繋がっていた。

 何も言うこと無く、ボクが泣き止むのを待ってくれていたのだと思いたい。

 それが、凄く嬉しかった。

 しゃくりあげる声も、洟をすする音も、大分落ち着いた。

 溢れる涙を拭って、


「また学校でね……」

『ああ、また学校で』


 通話を切った。

 ベッドサイドに体を預けて、時間を見る。

 三十分以上通話をしていたらしい。

 いつもなら、三十分とか話ができたら舞い上がるほど嬉しいのに、気分が少しだけ晴れやかになっただけだった。


「準備しないと……」


 鏡に映る自分の姿を見て、これほどまでに酷いと思ったのははじめてだ。

 目の下の隈、泣きはらして真っ赤に充血した眼球、それに今にも落ちそうな瞼。

 今までの中で一番酷い有様だ。

 掛けられた期待の大きさと、自分の歪さと、心に負った傷。

 たかだか半年近くの生活で増えて行った大きな気持ち。

 それに押しつぶされそうになっているボク。


 好きである気持ちが高まれば高まるほど、瑞貴の為に何かしたいと思えば思うほどに、ボクが元々男であるということが、ボクを苛んでいく。


 辛い……。

 誰かを好きになるのがこんなにも辛いのなら、一歩目を踏み出すんじゃなかった。

 本当に、ボクを好きだと言ってくれた桜華を尊敬する。

 こんなにも辛く甘い気持ちをずっと胸に抱えて、ボクを好きだった桜華が本当に凄い人のように見える。どうしたら、あんなにも強くなれるんだろう……。


 それを瑞貴が好きだからって、たったそのことだけで、考えずに袖にしたボクは、なんて愚か者なんだろうか。そして、未だに桜華の人の良さにつけ込んで甘え続けてるボクは……なんて酷い奴なんだろうか……。


 早く、この気持ちを全部清算してしまいたい。

 張り裂けそうな胸の内を、全部吐露して楽になりたい。

 募れば募るほどにボクをいう矮小な人を押しつぶす、この好きという気持ち。


 どうにかしないと……。ボクが頑張らないと。

 今まで甘えさせて貰ったんだから、ボクに甘えて貰えるくらいにならないと。


 誰かに弱音を吐くのは、もう今日でお終いにしよう。

 弱音を吐くのは一人になってから。

 そういう素振りは一切見せないように。


 瑞貴は言ってくれた。

 年内までには必ず話をすると。そう言ってくれた。

 例え突きつけられるのが絶望だとしても、それを杖に、気持ちに押しつぶされないように過ごしていこう。きっとできる……。


「よしっ!」


 小さく気合いを入れて、化粧箱を開く。

 鏡に映るボクの顔に生気が戻っていた。

 大丈夫、やれる!

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